相模原市議会議員(現在8期目) 
金子ときお(豊貴男)

プロフィール

◇家族:妻(元看護師)と二人暮らし。一女二男は独立 

◇身長163p、体重62s ◇血液型B型 ◇趣味・写真撮影、しおり蒐集 

◇好きな作家・鎌田慧、吉村昭、城山三郎 ◇好きなことば・埋草捨石

◇略歴

◇1950年世田谷区生まれ  ◇1962年 相模原市立南大野小学校卒業 ◇
1965年 大野南中学校卒業 

◇1968年 神奈川県立大和高校卒業 ◇1973年3月 明治大学文学部史学
地理学科考古学専攻卒業 

◇1973年4月 日本社会党川崎市本部書記局入局 ◇1981年 川崎市労連
書記局入局 1991年3月同書記局退職 

◇1991年4月 相模原市議会議員に初当選 1995年1999年、2003年、2007年
2011年、2015年と7期連続当選

◇1996年12月よりHP“追跡在日米軍”発信開始 ◇第1軍団の移駐を歓迎しない
会共同代表

 

《事務所》 相模原市南区東林間4−21−19   

電話&FAX:042−741−0232 

毎議会で発言、一般質問など議会報告、市議会だよりを発行
市議会議員に初当選して以来28年。定例市議会では一般質問や代表質問、委員会質疑に取り組み、
脱原発・再生可能エネルギーの活用・充実、高齢者福祉や街のバリアフリー化、緑地の保全、
図書館の相互利用、市職員の労働条件の改善、文化財の保全と活用、基地対策など、様々な課題を提起、
議会発言を手作りの「市議会だより」として発行、現在110号。地域や職場に配布

原点は環境・文化・そして福祉
学生時代に取り組んだ勝坂遺跡の保存運動の経験を教訓に、田名向原遺跡、谷原古墳群の保存を実現。
以後も、県指定文化財・青柳寺庫裏の再建、相模川散策路やサイクリング・ロード、
遊歩道の整備やトイレ案内版の設置、境川整備に多自然型工法の採用、相模原市史続編の刊行を実現。
文化、福祉の充実に活躍した。市公契約条例の制定に努力、旧城山町議場に開館した市公文書館の開設と活用に尽力。

平和・基地問題のエキスパート
 厚木基地の爆音被害解消に取り組み、国を相手の裁判・第四次訴訟では横浜地裁、
東京高裁での、自衛隊機の夜間飛行差し止めという画期的な判決を原告団長として勝ち取る。
現在第五次訴訟団副団長、全国爆音訴訟原告団連絡会議代表として沖縄や岩国など全国の爆音訴訟勝利にむけ尽力。
 相模原市内の米軍基地問題を多方面から追求、基地の環境汚染や、機能強化、訓練基地化など
鋭く追求し、PCBの保管問題の追求は米政府の環境保護法を一部変更させ、本国へ送り返させた。
 キャンプ座間の強化では「キャンプ座間への米陸軍第1軍団の移駐を歓迎しない会」の共同代表に就任、
市民運動・平和運動のリーダーとして活躍中。


  • 1950年1月29日 東京都世田谷区鶴巻町に生れる。血液型B型10歳から現住所に。相模原市立南大野小学校、同大野南中学校、神奈川県立大和高校卒業
  • 1973年3月 明治大学文学部史学地理学科卒、専攻は考古学。学生時代相模原の勝坂遺跡を守る会を結成、同遺跡の保存、国指定史跡を実現。大和市のつきみの遺跡を発見、明治大学考古学研究室のメンバーとして発掘調査に参加、相模原市横山坂遺跡発掘調査主任
  • 1973年4月 社会党川崎市本部書記に、以後革新川崎市政の裏方として、伊藤三郎前市長、岩垂すきお代議士(元環境庁長官)の裏方を努める。社会党川崎総支部書記長、社会党神奈川県本部執行委員等を歴任
  • 1981年3月 研修の上、社会新報地方記者に就任、以後基地問題を中心に神奈川の記事を書き続ける。社会新報関東版編集委員、同神奈川通信部デスクなどを歴任。最優秀全国大会表彰を受ける
  • 1981年4月 川崎市労働組合連合会書記に、大都市の労働組合運動、革新川崎市政の政策を学習、高橋清・川崎市長の当選に努力する。この間、居住地である相模原市南部の米軍機の爆音問題にかかわり、厚木基地爆音防止期成同盟に参加、情宣部長を務め、会報の発行などを担当、基地の実態調査などで、神奈川、全国の基地を歩く。爆音訴訟第2次訴訟の原告に参加。横浜地裁で原告代表として証言に立つ。県政モニター、相模原市政モニターを務める。
  • 県青少年指導者海外派遣代表団員として、77/10 ドイツ、スイス、フランスを訪問。ホームステーも。
  • 1991年4月 居住地である相模原市議会議員に当選。45位。2878票。議会活動、地域活動に全力投球。民生常任委員会、建設常任委員会委員などを歴任、都市計画審議会委員 基地対策特別委員会委員など相模補給廠監視団の一員として、米軍の情報公開などを進める。基地の環境問題、厚木基地の爆音問題などを取り組む。市議会友好訪中団員として無錫市を訪問、同訪加団員としてカナダ・スカボロー市を訪問
  • 1995年4月 相模原市議会議員に再選される。33位。3317票。この間、毎議会で一般質問に立つ。文化、福祉、緑、平和のまちづくりを進める。基地問題で米軍基地に埋設されたDDT汚染などを追及、図書館の本のリサイクル、日本で初めては発見された旧石器時代の住居跡、田名向原遺跡の保存、当麻亀形遺跡の保存、などを実現 市議会友好訪中団員として無錫市を訪問。
  • 1996年12月 全国の基地問題を取り組む市議会議員と共に、インターネットのホームページ「リムピース」の発信開始。
  • 1999年2月 米軍相模総合補給廠にPCBが保管されていることを発表。安全な保管と、撤去を問題提起。
  • 1999年2月 同、対人地雷訓練の実施を発表、追求。
  • 1999年4月 相模原市議会議員に再選される。27位。3979票。会派は社会民主党。2名の少数会派に。毎議会での一般質問、会派を代 表しての総括質問などを繰り広げる。社会民主党相模原支部連合代表。   
  • 2000年2月〜5月 米軍のPCBの本国への移送と、Uターンを追跡。日本国内のPCB保管、処理の問題提起。2003年6月より、米本国への搬出が始まる。
  • 2001年2月 議員活動10周年を祝う会を開催。
  • 2001年11月20日 相模原市自治功労賞受賞。
  • 2003年4月 相模原市議会議員に再選される。18位
  • 2004年11月 ”キャンプ座間への第1軍団の移駐を歓迎しない会”を結成。事務局長に 
  • 2007年4月  相模原市議会議員に再選される。16位当選。5期目。市議会会派 あすの相模原を築く市民連合団長に
  • 2007年9月1日 第四次厚木基地爆音訴訟団結成 福団長に
  • 2008年5月12日 厚木四次訴訟第1回公判(口頭弁論)
  • 2009年5月20日 市議会臨時議会にて民生常任委員会委員、基地対策特別委員会委員に選任される
  • 2011年4月 相模原市議会議員選挙 政令指定都市に移行後初めての選挙で選挙区が相模原市南区となる 9位当選
  • 2012年2月 社民党神奈川県連合定期大会で、党県連代表代行に就任 
  • 2013年6月 社民党神奈川県連木村えい子選対本部長に就任 木村えい子候補当選に向けフル回転 
  • 2014年3月 社民党神奈川県連合大会にて幹事長に就任。統一地方選勝利に向けて全力投球
  • 2015年3月 相模原市議会議員選挙 南区 当選 
  • 2019年4月 相模原市議会議員選挙 南区 当選

現在の主な役職

  議会関係

  • 相模原市議会市民文教常任委員会委員
  • 相模原市議会基地対策特別委員会委員
  • 相模原市基地返還促進市民協議会理事

  地域では

  • 厚木基地爆音防止期成同盟特別執行委員
  • 第五次厚木基地爆音訴訟団副団長
  • 神奈川平和運動センター副代表
  • リムピース運営委員 共同代表
  • 社会民主党相模原支部連合代表
  • 社会民主党神奈川県連合幹事長
  • 社会民主党全国基地問題連絡協議会事務局長
  • 社会民主党南関東ブロック幹事
  • 自治労神奈川県本部特別執行委員
  • 大和高校同窓会副会長
  • 相模総合補給廠監視団団員
  • その他、全労済地域推進員、相模原地区共済会幹事 など
  • 社会新報記者
  • キャンプ座間への第1軍団の移駐を歓迎しない会共同代表