2007年大統領選
ラモス・ホルタの勝利とフレテリンの敗北

松野明久

 5年ぶりの大統領選が、第一回投票4月20日、決戦投票5月9日の日程で行われた。結果は、フレテリンのフランシスコ・グテレス(ルオロ)と野党の支持を受けた無所属のジョゼ・ラモス・ホルタ2人の決選投票となり、ラモス・ホルタが圧勝した。これはおおむね予想されていた通りだが、フレテリンの不人気ぶりを改めて強く印象づけることになった。


候補者たちの顔ぶれ

 立候補した8人は次のような人々だ。
 まず、フレテリンの候補者、フランシスコ・グテレス、解放運動のコードネームはルオロ。ビケケ出身でフレテリンの総裁であり、国会議長をつとめてきた。カリスマ性には欠けるが、国内で闘争を続けたグループの代表としてフレテリンの「顔」をつとめてきた。フレテリンの実権を握るのはマリ・アルカティリであり、ルオロはそのいいなりというイメージが強い。
 ジョゼ・ラモス・ホルタ。バウカウ出身でフレテリンの創設者の一人だが、その後離脱してシャナナおよびCNRT(東ティモール民族抵抗評議会)の海外スポークスパーソンとして外交を担った。ベロ司教とノーベル平和賞を共同受賞(1996年)。独立後は外相になり、昨年の危機以後、首相になった。抜群の知名度を誇り、昨年来の危機以後、メディアへの露出度もダントツだ。
 フェルナンド・デ・アラウジョ、コードネームはラサマ。アイナロ出身で、1980年代後半から在インドネシアの東ティモール人学生の地下組織(Renetil)を率い、1991年サンタクルス虐殺事件の後逮捕され投獄。1998年に釈放され、暫定行政時代に民主党を立ち上げて総裁となった。若手世代の支持が厚い。反フレテリンの急先鋒。
 フランシスコ・シャビエル・ド・アマラル。トゥリスカイ(マヌファヒ県)出身。1974年設立のフレテリンの初代党首として、また1975年独立宣言を発したときの東ティモール民主共和国初代大統領として、老いてなおシニア世代の一定の尊敬を集めている。現在ASDTの党首で、彼を追放したフレテリンとの関係はまだ修復できていない。
 ルシア・ロバト。若い世代を代表する人権派弁護士から、社会民主党の副代表になった。社民党はCNRTの主流派に旧UDTを加えた構成だが、総裁がマリオ・カラスカラォンなのでUDT色が強く感じられる。唯一の女性候補。
 マヌエル・ティルマン。マカオで長く弁護士をしていたが、帰国してコタ党の「再出発」に参加した。コタ党はリウライによる伝統的支配を唱える復古主義的な傾向をもち、アイナロでとくに票を集めている。
 アベリノ・コエリョ・ダ・シルバ。ビケケ県オッス出身。かつては理論派の地下活動家で、現在は社会党の党首。
 ジョアォン・カラスカラォン。UDTを率いているが、UDTの大半は社民党に流れたため、今ではあまり支持がない。社民党の党首マリオは彼の兄。
 選挙前には、8人の候補者のうち、ルオロ、ラモス・ホルタ、ラサマ、ルシア・ロバトの4人が一定の票を取るだろう、そして決選投票はルオロに対してホルタかラサマか、いずれかが戦いを挑むことになるだろうとみられていた。結果は、果たしてその通りになった。

選挙の争点

 争点は何といっても、フレテリンか非フレテリンかだった。この間の危機の責任はどこにあるのか。フレテリンの対応は正しかったのか。それに対する国民の判断が選挙では示されるはずだった。そういう観点からすると、フレテリンの候補者1人に対し、7人はみな野党候補者で、第一回投票の結果、ルオロは3割とれなかったから、決選投票で野党が協力すればフレテリンに勝てることは明らかだった。そして結果は、おおよそその通りになった。マヌエル・ティルマンがルオロ支持を表明して例外となったが、あとの野党はみなラモス・ホルタを支持を表明した。これでラモス・ホルタの勝利はほぼ確実となった。
 フレテリンに対する不満は、昨年の危機を収拾できなかったことだけではなく、独立後5年間の統治そのものにある。経済の低迷、農業の低迷、投資の少なさ、失業といった問題に加え、汚職、縁故主義の横行に国民は嫌気がさしていた。また、ポルトガル語の導入は若者世代の反発をかい、マリ・アルカティリの横柄な態度に人々は辟易していた。
 ただ、大統領選は議会選とは違う。議会選は比例代表制で政党中心となるが、大統領選は個人を選ぶというものだ。政党、政策よりは、国のリーダーとしてふさわしいかどうかという判断が強く働く。そういう観点からしても、ルオロとラモス・ホルタを比べた場合、ラモス・ホルタが勝つのは当然だったといえる。したがってラモス・ホルタへの票をすべて反フレテリン票と読むことはできないだろう。

有権者数と投票率

県別有権者数は<グラフ1>のようになっている。投票率は第一回で81.79%、決選投票で81.00%。かなり高い投票率だった。

グラフ1.県別有権者数


一次投票の結果

 一次投票の結果は次の通りに発表された。

表1.一次投票の結果

データ:東ティモール選挙管理委員会

グラフ2.一次投票の結果(得票数)


グラフ3.一次投票の結果(得票率)


 まず、ルオロが意外と票を取れなかったということが言える。2001年の制憲議会でフレテリンが全国で57%の票を集めたこと、またその後の地方選挙でもフレテリン候補者が多数勝っていることを考えると、ルオロというフレテリン候補者の不人気ぶりはきわだっている。ルオロは27.89%を獲得して1位ではあったが、過半数にはほど遠い。彼への支持はいわゆる東部3県、バウカウ、ビケケ、ラウテンにおいて大きかった。
 ラモス・ホルタもまた、意外と票がとれなかった。彼はキャンペーンを出身地のバウカウでスタートしたが、ふたを開けてみるとバウカウでは26.99%しかとれておらず、62.99%とったルオロに大きく差をつけられた。全体で21.81%しかとれず、3位のラサマとわずかな差だった。しかも、彼への支持はディリ、リキサ、マナトゥトゥと、首都周辺に集中している。
 健闘したと言えるのは、ラサマとルシア・ロバトだ。ラサマは今年41歳ぐらいではないかと思うが、反フレテリンの若い世代の支持を集めている。若手人口が多く、17歳以上が投票権をもつ東ティモールではかなり有利だ。エルメラを最大の地盤としつつ、ボボナロ、コバリマ、オイクシで支持が厚い。ルシア・ロバトも支持基盤としてはラサマと重なり、オイクシ、ボボナロ、コバリマ、リキサと西部で強い。
 不思議だったのは、シャビエル・ド・アマラルの人気だ。70歳になるシャビエルは、しゃべるのも少し不自由に見える。しかし、自身の政党、ティモール社会民主協会(ASDT)の代表として党を動かしている。支持基盤は彼が生まれたトゥリスカイの周辺、アイレウ、マヌファヒ、アイナロだ。ディリでも、ラモス・ホルタの次に得票数が多く、国政レベルでの知名度の高さがうかがえる。
 以上を総合すると、東ティモールの4地域は各支持者に対してきれいな分布を示すことがわかる。


表2.支持基盤の4分割


 まず、東部から見ていこう。東部3県がルオロの地盤となっていることは説明を要しない。ビケケは彼の出身県であり、東部3県がフレテリンの強力な支持基盤であることは誰もが知っている。ただ、制憲議会選挙に比べれば、フレテリン支持は落ちている。また、ラウテンはフレテリンが過半数をとれていない地域だ。
 次に中部3県は、シャビエルの地盤となっている。彼の支持票は「地元」票という意味が強い。興味深いのはラモス・ホルタがここではほとんど票が取れず、むしろラサマが善戦していることだ。
 中北部は首都とその両側の県で、首都圏といってもいいだろう。外相という経歴、メディアへの露出など首都で有利なのがラモス・ホルタだ。
 最後、西部4県はラサマの地盤だ。グラフ4.を見ると、制憲議会のときもだいたいそうだったことがわかる。今回の選挙では民主党の場合、地盤が強化された。逆に、東部3県ではまったく票が伸びず、ビケケにいたっては制憲議会のときよりも得票率が落ちている。これは、民主党が、西部人=野党、東部人=フレテリンというパターンに完全にはまっていることを意味している。ラモス・ホルタなどは、支持と東西対立に明確な関係が見られない。

グラフ4.民主党に対する支持〜制憲議会と大統領選


決選投票の結果

決選投票の結果は、ルオロが12,7342票(30.82%)、ラモス・ホルタが285,835票(69.18%)を獲得し、ラモス・ホルタの圧倒的勝利に終わった。その地域別の得票数の比較は次のようになる。

グラフ5.ルオロとホルタの県別得票率比較

グラフ6.ルオロの一次投票と決選投票の得票数比較


 これによると、ルオロは一次から決戦にかけて、ほとんど票を伸ばしていないことがうかがえる。それは野党候補が、マヌエル・ティルマンをのぞいて、全員ラモス・ホルタ支持を表明したからだが、結果はその通りとなっている。有権者はかなり候補者の意向にそって決選投票に臨んだということだ。

フレテリンの人気低下

 さて、ルオロ票をフレテリン支持票と読むとして、今回の危機を経て、フレテリンの人気がどれくらい低下したかを次のグラフで見てみよう。これは制憲議会選挙のときのフレテリンの全国区県別得票率とルオロの決選投票の県別得票率を比べたものだ。

グラフ7.フレテリン(2001)とルオロ(2007)の得票率の比較

折れ線グラフ:フレテリン
棒グラフ:ルオロ


 この表を見ると、制憲議会から比べて著しく支持を失っている県が、ディリ、リキサ、マナトゥトといった中北部3県、コバリマ、ボボナロといった西部、それにマヌファヒ(中南部)だ。アイレウ、アイナロ、エルメラはもともと野党の強い地域であり、ルオロがとくに票を落としたということではない。
 制憲議会選挙でリキサが圧倒的にフレテリン支持だったのは、フレテリンの第二代党首でインドネシア軍によって殺された悲劇の英雄、ニコラウ・ロバトの出身地(バザルテテ)だったからだ。しかし、彼の弟、ロジェリオ・ロバトが起訴・投獄されてその名誉も失墜してしまった今、ラモス・ホルタに票が流れたということだろう。

ラサマの人気

 ラサマが意外と健闘した、というのがおおかたの見方だが、これをどう見るべきだろうか。ラサマ(民主党)の支持が厚い西部は、ポルトガル時代「フロンテイラ区」(国境区)と呼ばれた行政区にほぼ一致する。どうしてここがラサマの地盤なのか、これがはっきりしない。彼はアイナロ出身なので、地元ということではない。民主党のバックボーンはレネティル、学生連帯評議会、IMPETTU(在インドネシア東ティモール学生会)といった闘争時代の学生組織および地下組織のネットワークだ。かつてのファリンティルの司令官で民主党の県代表となったエルネスト・フェルナンデス・ドゥドゥはエルメラ、副代表の一人で学生連帯評議会の活動家だったアドリアノ・ナシメントはスアイ、同じく副代表のジョゼ・ノミナンドはエルメラなど、この地域に有力幹部がいるのは確かだ。(ちなみにもう一人の副代表ジョアォン・ボアビダはバウカウ出身、党事務局長で民主党議員のスポークスパーソンといえるマリアノ・サビノはラウテン出身だ。)しかし、こうした人脈だけでは説明しきれない。
 ここにいたって、ひとつ仮説的に考えられることは、これまで問題とされてきた東部人・西部人の対立はゲリラ対地下組織という、闘争時代の二大組織にルーツをもつものではないかということだ。より厳密に言えば、地下組織内部の、ゲリラから地下組織に転身したシニア世代のメンバーと最初から地下組織をやっている若手世代の対立が中核ではないかと。
 ゲリラと地下組織は、かつては「Frente Armada(武装戦線)」「Frente Clandestina(地下戦線)」「Frente Diplomatica(外交戦線)」というように、3つの闘争の戦線のうちの内部の2つだった。この3つの戦線は相互に連携し、全体として闘争を推進しているという「美しい」関係に描かれていた。少なくとも80-90年代はそう見えていた。実際、当時はそうだったのかもしれない。
 しかし、独立後、フレテリンは地下組織のシニア世代を中心に組織を建て直し、ひとたび政権を取ると、利益を求め、権力におもねる者たちを集めて勢力を拡大した。そこに縁故主義、汚職がはびこり始めた。なにせ、東ティモールでは国家部門以外に利益を生み出すところはない。いきおい国家の資源(地位・受託事業・補助金等)をめぐって争奪戦は激化した。国家部門を支配するフレテリンは利益追求のチャネルになった。
 この争奪戦から排除されたのが、国防軍に入れてもらえなかった退役軍人、フレテリンにくみしなかった地下組織の若手世代、そして圧倒的多数の一般民衆だ。フレテリンにくみしなかった地下組織の若手世代こそ、民主党の支持者たちなのだ。
 一方、独立の配当を受け取れない退役軍人たちは民主党にはいかない。彼らはせいぜいラモス・ホルタだろう。また、シニア世代の反フレテリン派はシャビエル・ド・アマラルに向かう。
 地下組織の若手世代と西部地域の結びつきは、はっきりと証明できるようなものはない。本来彼らの拠点は首都のディリのはずだ。インドネシア時代、大学生たちはディリに集まっていた。東部出身であろうと彼らの活動拠点はディリの東ティモール大学、そしてインドネシア各地の大学だった。一方、西部地域はファリンティルが手薄なところだった。ファリンティルは西部地域にも編成をもっていたが、東部に強力な支持基盤があったのだ。西部は統合派指導者の力が強く、またインドネシア軍の目も行き届く。したがって、考えられることは、若手世代の地下活動家はもっぱら西部地域を活動領域としていたのではないかということだ。1999年中におきた殺人事件の東西分布を見ると、西高東低のパターンは明らかだ。これに対する説明は、(1)西部は統合派が強く民兵が活発だった、(2)東部は独立派が強く民兵の活動も制限されていたというものだ。しかし、殺された者の多くは地下活動家だった。西部地域の地下活動家たちは、ファリンティルの保護のないところで、素手で、命をかけて戦っていたのであり、それを「西部の人間は統合派だ」「戦ったのは東部の人間だ」と言われると、名誉を傷つけられた気持ちになるのだ。

グラフ8.1999年の争乱における死者数(報告にもとづく推計)

データ:Geoffrey Robinson, East Timor 1999: Crimes against Humanity, 2003.

議会選挙に向けて

 これからの東ティモールの命運を決めるのは6月30日の議会選挙だ。この間のフレテリン政権に対する評価も議会選挙によってはっきりと示されることになるだろう。1月を切った今、選挙戦は熱を帯びてきている。
 ちなみに、大統領選(一次投票)の各候補者の得票をそのままその政党の得票と考えれば、議会選の結果は次のように予想される。ラモス・ホルタはCNRTと考えている。これだとフレテリンは大敗をきすことになるが、はたしてそうなるかどうか。また、野党の連合は実現するのかどうかが、注目されるところだ。

グラフ9.大統領選(一次投票)の結果に基づく党別得票率


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