季刊・東ティモール No. 24, February 2007

被害者定期訪問
第2回の報告

11月から12月にかけて、日本占領時代「慰安婦」にされた被害者たちの2回目の定期訪問が行われた。訪問は、調査のリサーチャーをつとめたアンジェリーナさん、運転をつとめる東ティモール人権協会(ハク)のスタッフ、正平協から派遣されている徳恵利子さんが行なった。以下、アンジェリーナさんの報告から要旨をまとめた。(松野)

ビケケ県とバウカウ県

 11月27-29日、東部のビケケ県とバウカウ県の被害者を訪問した。被害者は2人。もっっていったのは、米48kg、食用油2リットル、練乳5缶、即席麺1箱、ブラウス、マッサージ用油、石鹸5個。
 2人のうちの一人、エスペランサさんは畑仕事に出ていた。割合大きな畑だが、「誰も手伝ってくれない」そうだ。彼女は「あんたたちがまた来てくれるよういつも祈っているよ。神様がかなえてくれたんだね。こんな危機の最中、よく来てくれたね」と言って喜んでくれた。以前、調査チームでインタビューした人びとが、なんでエスペランサさんだけ訪問されて、うちは来ないのかねえと言っているということだった。
 マリアナさんは今回初めての訪問。前回(8月)は、本人が被害を認めていないという事情から訪問は行なわなかった。日本軍兵士の「妻」にされたという意識で、被害を受けたという風に考えていないのだ。その日本軍兵士は、東ティモールを去るとき、彼女を連れていこうとしたそうだ。しかし、彼女の意思で残った。今回訪問してみると、おみやげはよろこんで受け取ってもらえた。もし、訪問することで迷惑になるようだったらやめることにする。

ボボナロ県とエルメラ県

 12月5-7日、今度は西部へと向かった。被害者は3人。もっていったものは同じだ。
 日本へ2度来たことのあるマルタさんは、倒れて以後寝たきりになっていた。とくにこの2ヶ月は起き上がることもできず、体中床ずれができていた。食欲はあるということだが、食べさせてあげなければならない。
 エルメラ県のラサウン村は、またさらに遠い。そこにいるイネスさんは、最近病気がちで、遠出はできないという。かつて連れて行かれたオアト村にまで連れてってもらえないかと言ったが、それはできなかった。
 同じ村のマダレーナさんは、だいぶ前から話すことができなくなっていた。認識はするし、なにやらたくさんしゃべりたいようなのだが、ことばによるコミュニケーションがかなり難しい。
 ところで、ボボナロ県のメモ村には、なくなったエスメラルダさんの夫がいるので、訪ねてみた。昔のことをむしかえすといって調査を内心快く思っていなかったところのあるおじいちゃんだが、今回の訪問を大変喜んでくれた。

コバリマ県、アイナロ県、マヌファヒ県

 12月18-22日、アンジェリーナさん、エディオ君、徳恵利子さんは、南部の3県を回った。8人を訪問した。もっていったものは同じだ。
 コバリマ県のジェラルダさんは、以前はお孫さんと暮らしていたが、けんかしたらしくて、今では前の家にひとりで暮らしている。病気がちであまり出歩けないので、近所の子どもたちが水を汲んだり薪を集めたりしてくれ、一人で料理をしているということだ。
 クレメンティナさんは、以前訪問したとき、すでに病気で家の奥に寝込んだような状態になっていた。今回も状況は同じだが、家の外に出てきて話をしてくれた。おみやげにもっていったブラウスをすぐに着てくれたので、一緒に写真を撮った。最後に、これからもときどきお米をもってきておくれ、と言われた。
 スアイの町に住むフランシスカさんは、行ったら、大変悲しそうにしていた。わけを聞いたら、お嫁さん(息子の妻)が突然死んでしまったということだった。背中が痛い、目が見えにくいとう問題がある。
 アイナロのマリアナさんは、いつもはとっても明るく元気な人なのに、今回はとても悲しそうだった。それもそのはず、家が火事で燃えてしまったのだ。ろうそくの火が蚊帳にうつったらしい。マリアナさんの家はとても伝統的なりっぱな感じの家だった。その火事で、松浦司教ととったツーショットの写真も燃えてしまった。また、それがほしいというのが彼女の伝言だった。
 サメのビルジニアさんは、これまでとっても元気だったが、ひと月ほど病気になった。その後回復したようだが、目が見えにくいのと背中が痛いのは相変わらずだ。
 アリシアさんは、訪問したとき、また畑に出ていた。アリシアさんの畑は家のすぐそばにあってていねいに耕されている。アリシアさんはもう来ないのかと思っていたらまた来たねと言って、喜んでくれ。いつも病気がちで、食欲もあまりないこの頃だという。
 パルミラさんは、畑仕事のほかに、ヤシの葉でかごやござを編んだりする名人で、それらはWAMの東ティモール展示にも生かされている。今回会ったところでは、目もよく見えないし、健康も万全ではないが、大病はしていないということだった。
 マルガリダさんは、病気がちで、少しだけ話をした。

ディリ

 12月17日、ディリ市内のサラさんを訪問。サラさんは、息子たちと何かをめぐって対立しているらしく、一人、屋根が崩れかけたような家に住んでいる。昼間は外を出歩いて、物乞いなどして生活を支えているという。あまりの状態のひどさに調査チームのみんなもびっくりした。とにかくディリ市内に住んでいるのに、電気などなく、家には壁もない。今回、サラさんがせめて壁のある部屋で練れるようにと、家の片隅に壁でかこった「部屋」をつくってあげた。部屋は完成し、1月に訪問したときには、中に寝床が敷いてあった。
 サラさんは、家の状況もさることながら、一人暮らしだというのが気になっていた。1月に訪ねたとき、近所に同じような一人暮らしのおばあちゃんがいて、食べ物を分けあったりするほど仲が良いということがわかった。その人は太鼓の名手で、外国人の前でも演奏したことがあるという。★


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