季刊・東ティモール No. 24, February 2007

報告書「ディリのギャングと若者集団の調査」

A Survey of Gangs and Youth Groups in Dili, Timor-Leste
Research: James Scambary,
Research Assistants: Hippolito da Gama, Joao Barreto
Sep. 15, 2006

解説・要約 松野明久

 昨年の騒乱で注目を浴びたマーシャル・アーツ・グループ(護身術集団あるいは武術集団)や暴力的な若者集団についての報告書『東ティモール、ディリにおけるギャングと若者集団の調査』が出た。これはオーストラリア援助庁(AusAID)の委託を受けて行われた調査の報告書だ。独立以来、各地で暴力的な事件にシラット(Silat)というマレー・インドネシア系の護身術を学ぶグループがかかわっていることは知られていた。しかし、具体的にどういうグループがどういうネットワークをもち、どことどういうライバル関係にあるかといった事情について、部外者が知ることはできなかった。今回の報告書は、あまり詳しいものではないけれども、網羅的に素描しており全体が見渡せる点がありがたい。以下、報告書から重要な部分を紹介しよう。


報告書の趣旨

 報告書は犯罪集団を治安管理の観点から描いているのではない。趣旨は、犯罪集団とそうでない集団を区別し、そうでない集団に対してはむしろ支援すべきだという「青少年対策」の勧告にある。したがって、若者たちが集まっているだけで何か変なことをしているといった偏見にとらわれてはいけないという、部外者に対する戒めにもなっている点をまず、基本的なこととしておさえておきたい。

集団のタイプ

 報告書は各地に存在する自発的な青少年グループを以下の7つのタイプに分類している。武術集団というのは全体の一部にすぎないことがわかる。

(1) 政治的分派。与党フレテリンに対する不満から出きた抵抗運動の分派で、コリマウ2000、CPD-RDTL、サグラダ・ファミリア(聖家族)、Orsnaco(オルスナコと読む)がある。
(2) 武術集団(マーシャル・アーツ・グループ)。この集団は15-20団体あり、2万人の登録会員、9万人の非登録会員がいるとされる。東ティモールの青年人口を23万人とすると青年男子の7割が何らかのかたちで武術集団に関わっていると言える。
(3) 魔術グループ。テトゥン語では「カカロク(魔術)」または「イシン・カネク(傷ついた体)」グループといい、「7−7」「5−5」「3−3」「12−12」といった数字を並べたグループなどがある。もとは地下運動グループであり、ほとんどが活動停止している中で「7−7」はサグラダ・ファミリアとも関係をもち活動している。数字は集団所属の証しとして上腕部に入れた瘢痕(はんこん)の数を表している。
(4) ギャング。市内地区(bairo)を基盤とした民族集団別のギャング。かつては抵抗運動の闘士だった(らしい)人物を中心にでき上がった組織犯罪を行なっている集団で、ベコラ地区のSintu Kulao(シントゥ・クラオ)、Lito Rambo(リト・ランボ)といった親分がもつグループが有名だ。昨年来の騒乱でいろいろな事件を引き起こしているのはこの手のグループだ。
(5) 若者グループ。さらに3つの下位のタイプに分類される。(a)市内地区を基盤とした大きな若者集団でアイロク・ララン地区の「ブラド(Burado)」、タイベシ地区の「アイトゥリ・ララン(Aituri Laran)」などがある。スポーツを主旨とする集団だが、街頭の清掃や地域の治安管理などの奉仕作業も行なっていて、暴力事件には関与していない。(b)元抵抗運動指導者を中心にしてつくられた市内地区を基盤とした若者集団で、ベコラ地区の「ショキ(Choque)」、アウディアンの「ブロックM(Blok M)」などがある。スポーツや音楽を主旨としているが、中には活動があやしいものもある。(c)必ずしも市内地区をベースとしない小さな男子だけの集団。ギターを引いたり、酒を飲んだりする同好会的な集団で、カンプン・アロルの「スレボル(Slebor)」、ビラ・ベルデの「グリーン・ビラ」などまじめなアーティスト・グループもある。このタイプの集団はたばこや酒をもらって店の治安を守ってやったり、音楽をして小金をもらったりしている。しかし、こうした「支払い」も自発的なものばかりとは限らない。
(6) 近所で集まった男子の集団。最近になってできたものが多く、夜集まっては酒を飲み、問題を「探している」。(4)のタイプとあわせ、彼らこそ、この間の暴力事件の主要なアクターとなっているもので、ゆすり・たかりの類いで生き延びている。9月におきたバイロピテの中国人商店焼き打ちの犯人も彼らだと考えられる。
(7) 教会の青少年グループ。

主だった集団の紹介

 以上のタイプの団体のひとつひとつについて報告書はわかっていることを書いている。しかし、ここではそのうち主だった集団についてのみ簡潔に紹介したい。

政治的不満からの分派

CPD-RDTL

 「東ティモール民主共和国擁護評議会」という意味のよく知られた組織で、1999年に設立され、東ティモールは1975年の独立宣言時から独立を達成しており、憲法、国旗、国歌は当時のものを使用すべきだと主張する。また、国連暫定行政を認めず、制憲議会もボイコットし、今日の政府の正統性も否定している。6,600人の支持者がいると考えられ、不満を抱く元ファリンティル兵士やサグラダ・ファミリア(以下参照)と関係をもつ。

コリマウ2000(Colimau 2000)

 人類学者のマシュー・リブス(Mathew Libbus)によると、エルメラ県ハトリア郡レイメア・クライク村に勢力基盤をもつとされ、貧しい、読み書きのできない農民や若干の元ゲリラを支持者としてもっている。「死んだ独立運動の闘士たちが生き返り人びとを導く」という信仰をもち、現在の政府を認めないという立場だ。リブスによると、コリマウということばはケマク語の「お互い憎しみ合う」という意味だそうだが、ボボナロ県の東南の端にはコリマウという村がある(ブナク語地域)。指導者はオゾリオ・マウ・レキとブルノ・ダ・コスタ・マガリャインス。現在「国民統一運動(MUN)」という団体名に変えようとしている。この団体は西ティモールにいる元民兵たちと関係があると疑われている。昨年8月14日、ボボナロで武術集団との対立を引き起こしている。

(注記)請願者たちのディリでの大々的なデモの最終日(昨年4月28日)、デモは暴徒化したが、それにコリマウ2000が関わっていると批判したのはラモス・ホルタだった。

サグラダ・ファミリア(Sagrada Familia)

 バウカウ県ラガを拠点とし、ゲリラの司令官L−7(コルネリオ・ガマ)が1989年に設立した。カトリックとアニミズムが混淆したような信仰をもち、赤いリボンをつけると身が守られると信じている。当初はインドネシア支配に抵抗するのが目的だったが、独立後は現政権の正統性を認めない立場だ。元ゲリラ兵士や仕事のない若者たちを支持者にしている。2002年11月27日にバウカウ警察を襲撃したのはこの集団だ。

(注記)聖家族とはヨセフ、マリア、イエスの家族を言う。バルセロナにあるガウディ設計の奇抜な教会の名前として知られる。カタルーニャ語だそうだ。

オルスナコ(Orsnaco)

 マヌファヒ県トゥリスカイを拠点とし、指導者はルイン・ファルール。かつてはフランシスコ・シャビエル・ド・アマラル(現ASDT総裁)が代表だった。この団体についての情報はあまりないが、コリマウ2000と関係があり、数千人の支持者を擁していると考えられる。

SF75(Forcas Falintil)

 マシュー・リブスによると、アイレウを拠点として全国に支持者がちらばっているが、きちんとした組織を欠いており、また民衆の支持もない。2002年6月、このグループの40人がスアイの警察を襲撃し、市場で人びとを刀で脅したとして拘留されていた彼らの仲間の釈放を求めたという事件があった。カイコリやマタドロのいざこざに関係しており、サグラダ・ファミリアとよくけんかしているようだ。

武術集団

ケラ・サクティ(Kera Sakti)

インドネシア語の「聖なる猿」という意味の名前をもち、1995年に設立された。6,700人の会員を擁し、その38%は女性だ。自らは純粋なスポーツ団体だと主張するが、報道によると、ライバルの武術集団であるPSHTやコルカと衝突を繰り返している。最近の暴力事件に関わっているとみなされているが、実際のところははっきりしない。ただ、人びとのイメージはよくない。

コルカ(Korka)

KorkaとはKmanek Oan Rai Klaran(大地の子の誇り)の略語で、東ティモール最大の武術集団であり、1万人の会員を擁している。暴力事件を起していると常に批判されており、昨年8月アイナロで50軒の家を焼き払った事件に関わっている。2005年以来、正式にフレテリンに参加し、サメやアイナロでPSHTとライバル関係にある。

PSHT

 PSHTというのはPerguruan Silat Setia Hati(忠誠シラット学校)というインドネシア語の略語で、テトゥン語では「ネヘク・メタン」(黒い蟻)という名称でも知られる。指導者はインドネシア人で、グループはSEPROSETILという警備会社を運営している。コルカのように正式な政党との関係はないが、民主党(PD)と社民党(PSD)に近いとみなされている。インドネシア時代から問題を引き起こしていたとされ、最近では、ベボヌクやコモロ地区の騒動に関与しており、ペルムナス(公営住宅地区)やフディ・ララン地区の東部人が居住していた家の破壊に関わっているようだ。治安組織にも入り込んでおり、警察や軍から武器の横流しを受けていると言われる。

カンフー・マスター(Kung Fu Master)

 1965年(ポルトガル時代)に東ティモール最古の武術集団として結成され、7,700人の会員を擁する。全土に会員がいるが、とくにはバリデの神学院、メティナロ、ヘラ、ビダウ・タフ・ララン、マンレウアナ、バイロピテ、デルタ、タシトル、カンプン・バルに多い。暴力事件には関与していないと主張するが、グループのリーダー、マヌエル・ロペスは警察と軍の衝突がティバルであった際、殺されている。2006年7月の初め、クン・フー・マスターはコルカと組んでPSHTとスアイで衝突したと疑われている。

魔術グループ(Kakalok groups)

7−7(セブン・セブン)

 単純に「7」と呼ばれることもあるこのグループは、インドネシア時代の地下グループに起源がある。ベコラ、タイベシに主たる地盤があるようで、メンバーは薬を注入して体を見えなくできると信じられている。創始者のロダックは今でも山の中のどこかに生きているとされ、その弟子の一人がL−7らしい。また、この団体はサグラダ・ファミリアに関係しており、ギャングのリーダー、リト・ランボもこの団体の創設者の一人らしい。タイベシなどの闘鶏場を仕切っており、中には民兵もいて、今でもインドネシアにいると言われている。最近の騒乱ではバイロピテやコモロの騒動に関与していると考えられる。

5−5

 「聖アントニオ」という名前でも呼ばれる地下グループが起源の団体で、皮下に薬を注入することで無敵の力を得、相手を命令に服従させることができると信じられている。かつてエウリコ・グテレスがメンバーだったこともあるらしいが、それは彼がかつて抵抗運動のメンバーでもあった時期の話だろう。ただ、民兵と関係あるという人もいる。

(注記)インドネシア時代、ベロ司教が「聖アントニオ」のグループを異端として非難していたことがあった。12世紀にリスボンで生れたアントニオは弁舌の才能ゆえ諸国を伝道して回り、遭難に対する守護神ともなっている。リスボンでは愛・恋を成就させてくれると信じられており、6月13日の聖アントニオの日は大々的な祝日。みんながイワシを焼いて食べることで有名だ。

12-12

 同様に地下グループに起源をもち、薬を皮下に注入することで無敵の力を得ると信じられている。セル(細胞)に別れていて、組織として把握しにくい。

ギャング

リト・ランボ(Lito Rambo)

 (リトというのはおそらく名前の後半部分で、ランボというのはシルベスター・スタローンが演じたアメリカ映画のヒーロー。)リト・ランボはバウカウ出身の元ファリンティル兵士で、7−7の創設者の一人という人もいる。ベコラを拠点とし、アウディアンあたりで恐喝・ゆすりなどをしていたが、最近の騒乱でメティナロ・ヘラの避難民キャンプにいる。民主党青年部のリーダーであるらしい。

コマンド(Commando)

 ロスパロス出身の「コマンド」と呼ばれる親分がつくった、コルメラを拠点として、恐喝・ゆすりなどを行なっている東部人のグループ。殺人の請負などもやっていたという話もある。ある情報によれば、指導者が2001年のバイロピテの騒動で殺されたとされる。

ラファエク(Lafaek、わに)

 ロスパロスとケリカイの人間(東部人)によって構成され、コモロのバラット・ベトに拠点をもっている。昨年8月には彼らがコモロの西部人を襲撃したとされる。

レフット(Refut)

 ファタルク語(ロスパロス)で台風を意味するが、名前はボクサーのチャンピオン、オトネル・レフットからとったもの。コルメラを拠点とし、現在は各地の避難民キャンプに分散して住んでいる。ある人によると、彼らはディリに出てきているロスパロス人の互助組織以上のものではないという。                                                                                                                                                                                                                         
シントゥ・クラオ(Sintu Kulao)

 名前の由来はベコラのクラオ地区のシントゥ(おそらくJacinto)ということだろう。西部人のグループで、ベコラ、ビダウ、タイベシ地区の大半の騒動に関係しているとされる。レイナド少佐に繋がっているとされる。2005年のクリスマス前、カメア・ハス・ラランのライバル集団を襲撃し、一人を殺害するという事件を起し、それで警察に何人かが捕まり、残りはレメシオ(アイレウ県)に逃げた。リト・ランボ率いる東部人のグループと常にライバル関係にある。

ガヤ・アナク・サダル(Gaya Anak Sadar)

 元抵抗運動の闘士であるアメウ・ヴァン・ダム率いる「意識ある子のスタイル」という(奇妙な)インドネシア語の名前の団体で、コモロ橋の上流域のマンレウアナ地区を拠点とし、国防軍の請願者グループと関係がある。(ヴァン・ダムはベルギー出身のアクション俳優ジャン・クロード・ヴァン・ダムのことだろう。)コモロ、アイムティン、スリクマスなどの地域の騒乱の多くに関与している。マンレウアナは西部人の居住区と考えられている。シントゥ・クラオと関係があるらしい。

若者グループ

 報告書は22の若者グループを紹介している。中には名前が不謹慎だったりして評判がよくないものもあるが、総じて暴力的な事件には関わっていない。ただ、組織としてではないが、メンバーが暴力に加担していたりということはあるようだ。以下、表にしてみた。

番号 名前(意味) 拠点 設立年・経緯 活動
Choque(衝突) ベコラ 1989年、Francisco Binaraga(ボディビル選手でサンタクルス虐殺で死亡)が創設 スポーツ、警備会社運営。Joao da Silva (Joao Becora)がリーダー。最近「透明性と正義のための青年連合」(UJTJ)を率いている。
Mankodo(殴られてあざだらけ) ベコラ、クルフン・ シマ 1996年 スポーツ。
Dalan Klot(狭い道) ベコラ インドネシア時代 市場清掃、スポーツ施設・遊び場修復。Choqueと協力関係。
Jopal (Juventude Palapaso)(パラパソの ツ年) パラパソ 2003年 スポーツ、文化活動。
Slebor(反逆) カンプン・アロル 1995年 音楽。ロスパロスのGalaxy Boysと共演。近所の評判は悪い。
Green Vila(ビラ・ベルデの英語) ビラ・ベルデ 1999年 音楽、壁画描き。人びとのイメージはよくない。
Nelfocoganagi ファロール? 女子(中学生ぐらい)グループで、歌や踊りが中心。
Samfrus ビラ・ベルデ 1996年、地下グループとして 音楽、スポーツ。
Has Bongkok(曲がったマンゴー) バイロピテのプルムナス(公団住宅地区) サンタクルス虐殺前、Korentiという団体。その後改称。 音楽、飲酒。評判は両方あり。
10 Aldeia Freche Group(フレシェ村グループ) バイロピテ 2000年 若者グループというより地区住民のグループ
11 Luro Mata/OBOR(挑発すれば打ちのめすぞ) ファトゥハダ 2004年 地区の警備、音楽。
12 Juventude Aituri Laran(アイトゥリ・ラランの青年) タイベシ 2000年 サッカー、経済活動(自助ビジネス団体を設立予定)。
13 Juventude Colmera(コルメラの青年) コルメラ インドネシア時代、2000年に ト編 ごみ箱設置、ノン・フォーマル教育、スポーツ、警備、女性も多い。
14 El Diablo(西部劇の題名か。スペイン語で 悪魔」) バイロピテ 2004年 子どものためのコンピューター教室、英語教室。
15 Fender(ギターのブランド名) ファトゥハダ 2002年 音楽、教会コーラス、スポーツ。
16 United Gembel ファロール 2002年 音楽、演劇、手工芸、木彫。サヘ解放研究所と関係あり。
17 California クルフン 1980年代、地下グループとして設立 スポーツ、勉強。
18 Gang Potlot(鉛筆小路、Slankが住んでいたジャカルタの地名) ファトゥハダ インドネシアのロックグループ「スランク」のファン・クラブとして 音楽。会員の一人が5 do Orienteのメンバー。
19 Jomar (Juventude Marconi)(マルコニの青年) マルコニ 2000年 スポーツ。会員の中に強烈な反東部意識をもつものがいる。
20 Burado(共同釜は統一への道) バイロピテのアイロク・ララン 2006年8月20日 女性会員はスポーツ、ダンス、歌、募金、葬式時の食事。男性会員はスポーツ、飲酒、車バイク修理の組合。
21 Fudido(Fucked) バイロピテのアイロク・ララン   近所の評判は悪い。しかし、実際はそうでもなさそうだ。すでに名前を変えている。
22 PLUR(Peace, Love, Unity, Respect) バイロピテのフレサト 2004年 80人中30人は女性。道路の清掃、社会的弱者の支援。音楽、スポーツ、壁画描き。

勧告

 東ティモールのこうした状況はポスト・コンフリクトにおいては珍しいことではない。南アや北アイルランドでは、かつての抵抗運動の闘士が犯罪者で、紛争後、ギャングに転身した例も見られる。しかし、最初からギャングなのではなく、チャンスがあれば、そのように変貌するということなのだ。したがって、若者グループの「移行」を補助しなければならない。政策的な選択肢は次のようなものがある。

青年センターの設立
 市内地区(bairo)単位で青年センターをつくり、青年たちの自発的な運営にまかせられるようにもっていく。最初は、パイロット的にいくつかの地区で限られた青年グループと活動を組織してみるといい。

雇用
 ブラドが行なっている車・バイク修理組合のようなコミュニティに基礎をおく自発的なビジネス・イニシャティブを支援する。

青年基金
 ユニセフの報告書『国家青少年政策への提案』は青年基金を提唱している。青年グループが提案する企画に対して競争的に資金を配分するというもの。ユニセフは教育省で管理すると提案しているが、東ティモールではNGOにプロジェクトを委託し、NGOが直接地区レベルの青年グループと関係をもって実施に当たるのがいいだろう。

政治参加
 若者たちは既存の政党に不満を抱いている。青年グループの中には「学生連帯評議会」や「東ティモール女性グループ(GFFTL)」のようにしっかりとしたビジョンをもったものもあり、若者層の政治参加を促進するチャネルとして機能しうる。また、例えば、「青年大使」を各地区で選出し、全国レベルに彼らの声を反映させることも考えられる。★


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