季刊・東ティモール No. 24, February 2007

ビブリオテカ・イリオマール
2006年9月訪問記

中口尚子(東ティモール図書館活動基金)

ディリ到着―ちょっと不安な一日め

 予定通り昨年9月17日にディリに到着。2003年末からイリオマールに住んで図書館を開き、翌年8月に帰国して以来の初めての訪問である。(イリオマール図書館開設については、季刊東ティモールNo.16, October 2004を参照)イリオマール図書館を支援しているTNCC(東ティモール日本文化センター)の高橋氏の年二回の定期訪問のおり、絵本や手紙を届けてもらう以外に確実な連絡手段がなく、つたないテトゥン語で書いている手紙ではこちらの意向が伝わっているか心もとない。やはり直接現場に行って自分の目で見て、直接話をすることが必要だと常々思ってはいるが、一週間ではイリオマールに一泊ぐらいしかできない。職場で10日の休みを確保することができたので、2年ぶりにイリオマールの図書館を訪問することにした。
 空港に到着して携帯電話の電源を入れたとたんに日本から電話が入ってきた。オイクシの孤児院を支援している人から「お小遣い」を預かっていたので、空港のドアから出ると手渡すように指示があった初対面の大学生の姿を探す。キョロキョロしている私に聞きなれた声。大阪東ティモール協会の文珠さんがシコ君と迎えに来てくれていた。預かり物を無事に手渡したあと、シコ君運転の車にオイクシの彼女たちも乗せて空港をあとにした。
 少し前からディリに滞在していた文珠さんの話によると、20日にデモが予定されていて、イリオマールへのドライバー探しや、事態の推移によっては帰路の交通手段が難しいなど、翌日イリオマールにレンタカーで出かけようとしていた私には着いて早々の「心配事」のおでましだった。それでもシコ君のおかけで夜にはドライバーも見つかり、デモが始まった場合、長引いた場合などを想定して打ち合わせもして、予定通り翌朝出発できることになった。

イリオマールへ出発

 朝早いうちにディリを出たほうが安全と、6時に出発。時間より少し早めにやってきたドライバーのジョニ−、そして彼が一人では不安だと連れてきたアラウはかなり緊張気味。いつものべコラを通る道は避けて、海岸から山に入っていく道をいく。ディリから少し離れると緊張感は薄らいだ。ジョニーのほうは無口で、私が話しかけてもよく話すのはアラウだった。二人で話しているので、私は気を使うことなく久しぶりのイリオマールへの道のりの風景を楽しむことができた。といっても乾季の今は山は黄土色。相変わらず木が少ない山が多い。途中メティナロ付近ではUNHCRの配ったかまぼこ型のテントがたくさん並んでいるかなり広い避難民のキャンプが見えた。
 ロスパロスの手前、AFMET(日本の医療関係のNPO)に立ち寄ってもらったが、あいにく会いたかった日本人スタッフKさんはディリに出かけていて留守だった。ほかのスタッフにKさん宛のメモと「ビブリオテカつうしん」を託して先に進んだ。ロスパロスには11時前に到着、いつもの食堂で昼食をとることにした。いつものとおり、注文してから食事が出てくるまでかなり時間がかかったが、ここは人の出入りもあり、ロスパロスのメインロードに面しているので、車の往来も見えて、それだけのことだがここではそれが貴重な情報源だ。
 昼食の後、行きなれた道をイリオマールに向かう。相変わらずの悪路だが、少しでこぼこが改善されている箇所もあった。イリオマールには3時前に到着。車が図書館の前に着くと車の止まる音を聞きつけて中から副図書館長のアンセルモが出てきた。

2年ぶりのイリオマール

 とりあえず、図書館に持ってきたものは荷物から出して、近くのマリアの家に行くと昼寝の時間らしく呼んでもだれも出てこない。出てきたのはケータロー(私がイリオマールに住んでいたときねずみ対策セキュリティに飼っていた猫)だった。2年前と大きさは変わっていない。ケータローはのどを鳴らしながら擦り寄ってきた。どうやら私のことを覚えているらしい。ケータローと感激の再会をしていると、中から眠そうな顔のマリアが出てきた。私は図書館の隣の部屋(CDMC:マカレロ地方言語文化センター)に泊まるつもりをしていたが、マリアたちが「一人で図書館に泊まるのはよくない」というので、3年前に初めてイリオマールに来たときと同様マリアの家に泊まることになった。
 自分の荷物をマリアの家に運んで、ひと休み。結婚して図書館から家が近くなった図書館長サビナを訪問する。出産を一ヵ月後に控えていたが、中学校の先生は続けているらしい。サビナが結婚したのは私が2年前にイリオマールを去って間もなくのこと。結婚式の写真を見せて欲しいというと、教会で司祭の前で誓いを立てている場面のような写真を見せてくれた。写真を見たときは顔がよく見えなくて気がつかなかったが、あとで挨拶に出てきたサビナの夫を見て納得。この地域のリーダーのひとり。水牛プロジェクトのときも立ちあってくれたことがあった。あのころサビナの荷物を持って一緒に歩いている姿を何度か見たが、年齢が離れているように見えたので親戚の人だとばかり思っていた。
夜になって電気がつくとサビナがコンピュータを持ってマリアの家にやってきた。図書館には古いノートパソコンが2台あったが、そのひとつが壊れてしまい、そのことをサビナはとても気にしていた。パソコンのことは半年以上前に高橋さんからの報告があり、壊れたコンピュータはすでに処分しているとばかり思っていた。
 イリオマールには4泊して、3日間で図書館の現状把握と図書館員の育成の続きをすることが今回の訪問の主な目的。図書館の仕事については、第一印象はよくできている。有給の図書館員の一人リノ(セルベリーノ)が9時から13時まで、そのあとアンセルモが17時まで働いている。土曜日は二人で13時まで、日曜日は休館。
3日間の人の出入りを見ていると以前より大人の姿が目につく。それでも全体的に見て多いのは小学生で、中学生も来るが図書館を始めたガスパルさんの家(小学校の前)のときと比べると少ない。ただ、ほんとうに読みたい人(子ども)が定着しているという印象を受けた。大学生くらいの青年が多いのはディリから避難して帰ってきているせいのようだ。3日めにロスパロスのラジオ局の二人のスタッフが取材のためにイリオマールに来ていて、図書館でも仕事をしていた。若い方のひとりが自己紹介して、ロスパロスにきたら是非立ち寄ってほしい、Radio Comunidade Lospalosといえばだれでも知っているから、と教えてくれた。

図書館の一日

 イリオマール二日めの朝、市場に行ってみる。相変わらず市場は火曜日と木曜日の朝だけ。ディリへ仕入れに行けないためか、以前よりも物は少ない。増えたのはチンゲン菜のような葉ものの野菜。以前イリオマールに住んでいたときには野菜不足で体調を壊したことがある私は、マリアに野菜を買おうといったが、マリアの反応は以前のようではなかった。それぞれの家でも作っているようだ。マリアの家の裏にもまだ大きくなっていないが、苗が植えられていた。
 朝食の後、ロスパロスからまだ帰ってこないジャコブ(CCDMのコーディネータ)の家に行き、図書館の建物の鍵を借りてくる。図書館のある建物は外からのドアが4つ。4つの部屋をそれぞれ行き来できる中のドアが4つ。バスルームへのドアと図書館の小部屋へのドア。合計10枚のドア全部に鍵がある。借りてきた鍵の束で開いたのはCCDMのほうの部屋だけだったので、そこで待っていると午前9時、リノが出勤してきた。図書館の入り口にボードをかけて“loke(開館)”の表示にして、サビナが縫ってすべての窓にかけてあるグリーンのカーテンと窓をあけて、軽く掃除をする。掃除をしている間にすでに子どもたちが入ってきた。掃除をしているリノの写真を撮っていると、子どもたちが写真に入ろうとリノの周りをうろうろするのでリノは掃除ができない。それでも「毎日掃除をすること」は、実行されているようだ。
 図書の数もかなり増えて約1200冊になっている。本棚も部屋の大きさに合わせて壁を最大限使った形で二つ増えていた。子どもたちが本を読む部屋の机と受付のカウンターもできていた。並んでいる本を見てみるとポルトガル語の本が増えている。ポルトガルのNGOからの寄贈だそうだ。かなり傷んでいるものもある。中身はわからないが教科書のような感じのものが多い。大学生には役に立たないものと聞いたので中学生や高校生向きのものかもしれないが、サビナに聞くと大人用だという。全体的に傷んでいる本がけっこうあるので、いくつかを取り出して修理することにした。修理をしながらとりあえず一日めは様子を眺めることにした。そして翌日にミーティングを開くことにして、ジャコブと通訳のためにトマスにも参加してもらうことにした(ジャコブは中学校の校長先生でトマスは英語の先生)。
リノの仕事ぶりを見ているとカウンターで来館者への対応と本の整理をして、手が空くと新聞を読んでいる。新聞といってもかなり以前のものだ。サビナがやってきたので昨日アンセルモに見せた甲南女子大学のボランティアグループIBJからのアルファベットの表(このアルファベットの表はだいぶ前に彼らがリクエストしてきたことを話したのを覚えていたIBJのメンバーが作ってくれたものだ)や手紙などを見せた。二人は隣の部屋の壁の空いたところにアルファベットの表や日本語とインドネシア語で書かれた挨拶の表などを張っていく。前に送った写真入りの手紙なども壁に張ってある。図書館員も子どもたちも同じように興味深そうに眺めている。
 サビナが学校に行ったあと私も帰ってきているはずのジャコブを尋ねて中学校に向かった。ジャコブは私が来ていることはすでに知っていて「今から図書館に行こうと思っていたところだ」と言った。翌日のミーティングの話をすると、トマスも明日の朝には帰ってくる予定で、午後は先生たちのポルトガル語のクラスがあるので午前中がいいと提案してくれた。自分とトマスは明日のクラスより上のクラスなので昨日ロスパロスに行っていた、と少し自慢げだ。リノが明日のクラスに参加予定だが、ポルトガル語しか話せないポルトガル人が図書館にやってきて対応していたので、この2年間で彼らのポルトガル語はかなり上達したようだ。

図書館の課題

 午後からはアンセルモがやってきた。マリアが昼食に呼びに来たのでいったん食事のためにマリアの家に戻り、時間が惜しかったので昼食の後すぐに図書館に戻った。アンセルモには2年前にもいろいろ教えていたので、その延長で今回も伝えたいことがいろいろある。午前中見ていてわかったことは、翻訳の作業はあまり進んでいないこと。図書の数は増えていて本棚も大きくなったが、並べ方は適当である。それに修理の必要な本が多いこと。短い滞在中にどこまで伝えることができるかはわからないが、この次にここに来るのはいつになるかわからない。とにかくできるところまでやってみようと、まず自分で修理を始めた。そしてアンセルモにも来館者の対応などの合間に時間があれば、翻訳作業をすることを勧めた。アンセルモは言われるとすぐにインドネシア語に訳してある本を持ってきてテトゥン語に訳し始めた。図書館の奥の部屋には作業途中でおいてある本もあり、中には2年前のままのものもあった。私がおいていったものはすべて捨てずにおいてあるようだった。蚊取り線香の受け皿にしていた空き箱までそのまま置いてあった。虫が巣にした跡もあり掃除が必要だった。手付かずのものはアンセルモたちにはどのように扱っていいのかわからないのかもしれないと思った。私は掃除をしながら、そこにあるものについてアンセルモに説明を始めた。
 私が図書館の中をあれこれ見ていると、アンセルモは自分たちの仕事ぶりを伝えようと、説明を始めた。来館者の記録、図書の分類や記録、ラベル添付などはしっかりとできていたし、それらは年に二度の報告でもわかった。そのことを褒めるとうれしそうな表情になって、さらにいろいろなものを出してきて見せてくれた。
 気になったのは、図書の分類は2年前に図書館を始めた段階で図書館にあったコレクションによって私がつくったもので、それは日本の教会での活動の中で子どもを対象につくった文庫での分類を基本に東ティモールの言語事情を考慮したものだった。2年経った今、図書の数が増え、初めのころには少なかった大人向けのもの、言語としてはポルトガル語が多くなっていた。分類の方法を多少変える必要がある。ただ今回は時間もなく、分類については将来的に変更する必要があることを伝えるだけにした。とりあえず、図書をもう少し分類に合わせて本棚に整理できるようにすることが必要だと考えて、翌日みんながそろったところでもう一度説明することにした。

図書館ミーティング

 翌朝は朝食のあと洗濯をしようと思ったが、マリアが「あなたは図書館の仕事があるのだから、洗濯は娘たちに任せなさい」といってくれたので、お願いすることにした。マリアの3人の娘たちはディリの家を焼かれてイリオマールに戻ってきていた。マリアが時々自慢して話していたディリの家にあった電化製品も、娘たちの身の回りのものもすべて失ってしまった。そして、何よりそんな物騒なディリに娘たちは返せない、ロロモヌ(西の人たち)はひどいことをする、と何度も私に話した。
3人の娘たちは私が滞在中、家事を手伝うほかは家の裏の小さな畑を耕したり、畑の木の下でギターを弾いたり、友人たちと集まってバレーボールをして過ごしていた。ディリで学生生活を送っていた大学生や高校生た ちは当分ディリに帰ることはできないだろう。かといってイリオマールで勉強を続けることはできない。何人かの大学生が図書館に来たが、自分たちの勉強に必要な図書はないことを知り、がっかりしていたという。それでも何人かの大学生らしき青年たちが図書館で本を読んでいる姿を見た。時間があればこの大学生たちに翻訳を手伝ってもらえるのにと、何度か声をかけてみようかと思ったが、相手のこともわからないし何より短い時間にやることが多すぎる。今回はアンセルモたちやマリアの娘たちに少し話しただけで、手伝ってほしいといえばいい返事は返ってくるが、具体的な話はしていないし、実現は難しいだろう。
 午前中にミーティングをする予定だったので、9時前に図書館に行き、話し合う内容を整理した。そのうち、リノ、アンセルモ、サビナがやってきた。3人がそろったので、IBJにお礼の手紙を書くようにというと、仕事そっちのけで手紙を書き始めた。サビナはひらがなで自分たちの名前を書くことを思いついて練習を始めたが、あとで見てみるとサビナとアンセルモはかけていたがセルベリーノは難しかったらしく途中まで書いて断念した跡が見えた。アンセルモは下書きをしてから、書き直していた。三人の真剣でお互いに相談しながら手紙を書いている姿は見ていてほほえましい。
ジ ャコブとトマスが授業を終えて中学校から来てくれて10時半頃からミーティングを始めた。まず私が気がついたことを話した。毎日図書館が開かれていて、設備も整い図書が増えていることなど、彼らがよく働いていることはわかった。私の友人たちもこの図書館を見てほめていたことも伝えた。次にこれからの課題について話した。翻訳を続けること、本を分類別に並べること、傷んだ本を修理することなど。図書館員のしごとはとても大切なことを今一度繰り返して話した。これらのことは2年前にも話していることだ。次に図書館員たちの話を聞いた。彼らは翻訳を続けてコンピュータにデータを入れたいが、コンピュータを使えないと話した。以前に高橋さんとカメラで活動を記録する話もしていたが、うまくいかずその後どうなったかわからない。確かに使い捨てのカメラを預けて活動を記録しようという話はあった。ディリの関係者たちとの連絡がうまく取れないことも課題のひとつ。とくに今はディリに出かけることができない。テトゥン語のテキストを寄贈してくれるグループのシスターテスのところには一度行ったがそのときは留守でその後行っていない。
 課題はたくさんあることがわかったので、できるところから取り組んでいくことにした。コンピュータについてはサビナの家に保管しているので使いにくい、というアンセルモとリノの意見に加えて、コンピュータやプリンターを保管するのに適した環境ではないこともわかった。ジャコブやトマスも図書館の格子つきの高窓がある小さな部屋に置けば盗難の心配もないとアンセルモたちの意見を支持したので、サビナもしぶしぶ図書館に保管することに同意した。コンピュータやプリンターにはいつもカバーをすること。たとえ高窓から覗いても見えない場所にしまうことなどが決まった。以前にトマスがTNCCのコンピュータを使い始めたとき、夜間に中学校に泥棒が入ったことがあった。コンピュータはトマスが持ち帰っていたので無事だったが、学校の窓が壊され、ロスパロスからも警察が来て大騒ぎになったことがあった。ミーティングの後にプリンターを使えるほうのコンピュータにつなぐことになり、電気のつく夜に基本的な使い方を教えて欲しいという話になった。本の分類と整理については帰るまでに少しやれそうだった。修理もできることから少しずつやってみることになった。ミーティングの最後に記念撮影をして、ジェネレーターでコンピュータを使い始めたが油切れで中断。夜にジャコブとコンピュータにプリンターにつないでみて、とりあえずプリントできたが、コンピュータが起動するときいやな音がした。
 昼食の後、少し休んで図書館に向かった。先生たちのポルトガル語教室のため、図書館員はいないけど、私が仕事をしながら開館しようと思いながら歩いていると、後ろからアンセルモとリノの声がした。ポルトガル語の先生は帰ってしまってクラスはなくなったと言う。「なぜ?」と聞くが「わからない」という答え。たぶん遠くからもポルトガル語を学ぶために各小学校の先生たちが集まっていたはず。それでも、ここではそういうことはよくあることなので、それ以上聞かなかった。アンセルモたちが図書館を開けて、午後も「loke(開館)」となった。

イリオマール最終日

 翌日もリノが9時にきた。本の修理で針と糸を使ってする作業があるが、昨日のミーティングで「以前に教えたのになぜしていないのか?」と聞くと、会計からお金を出してもらえないからという返事。針と糸は安いものなのでお金がないわけではないと思うが、問題は会計のシステムなのだろう。会計は以前はガスパルさんだったが今はフェリシミーナ(中学校の先生)がやっている。もともとボランティア図書館員なので、彼女が会計として関わってくれていることはいいことだと思っているが、いつも来ているわけではないので、必要なときにお金が出てこないのかもしれない。
キオスに行って針と糸を買ってくる。なるべく太く長い針を探したが2本だけしかなかった。それでリノに本の修理をしてもらう。アンセルモもリノもあまり器用なほうではないようだ。出来ばえはいまひとつだが、何度もやればそのうち上手になるだろう。
 昼過ぎ、アンセルモがやってきたので昨夜の「コンピュータ教室」に来なかった理由を聞いたが、この人たちがやりたいといっていても、そのときになって姿を現さないことが日常茶飯事になっているので、聞いている私自身が質問が形式的になっていることに、よくないなぁと思う。今夜こそ集まるのでもう一度やってほしいという。最後の夜なので遅くまではできないが、昨夜のコンピュータ起動のときのいやの音も気になっていたので夜に再度「コンピュータ教室」をすることになった。
 午後からはアンセルモと図書の移動。昨日から三つの本棚をにらみながら考えていたのはどのように分類して本を並べたらわかり易くなるか。アンセルモに指示しながら本を動かしていく。本棚にどの分類かを表示してもらう。これからどのような図書が増えるかによって分類の仕方も変わっていく。ポルトガル語の本については傷み方も気になるが、内容についてはまったくわからない。数が多ければいいというものではない。本が増えれば本棚がもっと必要になる。部屋も手狭になってくる。
 夕方近くなり、ジャコブのバイクの後ろに乗せてもらって携帯電話が受信できる場所まで行く。バイクで15分ほどロスパロスに向かう道を行く。山の高い見晴らしのいいところでバイクを止めて、「この辺を歩いてみて」といわれるので、崖の上の岩の上をうろうろする。予定されていたデモは回避されたという情報はすでにイリオマールに届いていたが、文珠さんに電話をしてディリの様子を聞くために通話を試みる。つながったが、文珠さんにはこちらの声が聞こえないようだ。ジャコブが「もう少し先にももう一箇所ポイントがある」というので、またバイクに乗る。そこでやっと文珠さんに電話が通じる。来るときの心配はなくなったようだ。ジャコブも私の携帯でディリのドンボスコの学校で働いているお兄さんに電話する。電話を済ませてイリオマールに戻るころは薄暗くなってバイクに半袖で乗っていると寒い。途中で(元?)図書館員のひとりと会って、バイクに乗ったまま握手。ジャコブは一言二言情報交換をして先に進む。
 夜、いつもの低いうなるような音の後に電気がついた。リノともう一度見ておきたいというジャコブも加わって、コンピュータを立ち上げようと試みる。でもここでもうひとつのコンピュータも使用不可であることが判明。TNCCのコンピュータが届くまでは当分コンピュータ無しの状況となった。

イリオマールを後にしてーロスパロス

 夜のうちに荷物を整えておく。マリアの娘たちがトラックのドライバーに声をかけてくれているので、おいていかれる心配はない。マリアは「前の席に座れるように話してあるから大丈夫だ」と請合ってくれる。いつものことたが、何時に出発するのかはわからない。7時かもしれないし、8時かもしれない。遅くても9時ごろまでには来るだろう、という感じだ。8時前にトラックはやってきた。ジャコブが出発前に来るといっていたが、まだきていない。トラックはちょうどサビナの家の向こうまで行ったので、途中で止めてもらってサビナに別れを告げる。途中で乗客の情報が入ったのか、またもとの道を戻っていく。マリアの家の前を過ぎてかなり先まで走っていく。途中ジャコブが出てきてここでも会うことができた。ジャコブが私を降ろす場所をドライバーに話している。こうやってあわただしい別れでイリオマールを後にした。まるで一週間もしたらまたイリオマールに戻ってくるかのような出発だった。
 ロスパロスへの道は順調だった。途中、携帯電話がつながる場所で車は止まり、何人かの人が降りて電話をしていた。イリオマールでも今では何人もが携帯電話を持っているらしい。懐かしい風景が後になり、昼前にロスパロスについた。ロスパロスではイリオマールへ帰るために車を待っていたオリンダ(中学校の先生・ボランティア図書館員)とフェリシミーナが車を待っていた。私の姿を見て驚き、今からディリに帰ると話すと残念そうだった。
 宿について昼食の後、昨日イリオマールの図書館で会ったイヴァンを訪ねてRadio Comunidade Lospalosへ行ってみる。昼休みでしまっていたので宿に引き返す。途中の道でバスが止まっていたので、泊まっているところを伝えて、翌朝迎えにきてもらうことにした。7時にきてくれるという。今は安全のため夜中の出発はないようだ。2時過ぎにもう一度Radio Comunidade Lospalosへ行ってみると今度はイヴァンがいて、上司のアルフレッドを紹介してくれた。今回ここを訪ねてたのはロスパロスのだれか(どこか)に仲介してもらって、高橋さんの年二回の訪問以外にイリオマールと連絡をとれないかと考えてのことだった。インターネットを使うことは二年前から話していたが実現していない。ディリまで出てインターネットカフェを使っての通信はイリオマールの人々にとってはかなり高額の手段となる。今回もアンセルモからインターネットの使い方を教えてほしいというリクエストがあったが、短期の滞在ではどうしようもない。それより、サビナが携帯電話を持っていたのでこれを利用するほうがよさそうだ。そのほかに手紙くらいのものなら、高橋さんの定期訪問以外のルートを開拓できないかと、イヴァンたちに相談してみた。「でもそれなら・・・」とアルフレッドがロスパロスの役場に連れて行ってくれた。そこでDistrict personel officerを紹介してもらい、彼宛に手紙を出せばそれを、定期的に開催されるラウテン県のミーティングのときにイリオマールのChefe do postoに渡すことことができるという。なるほど、と思いつつも、POBOXがなくても “District Administration of Lautem” でほんとうに届くのだろうか。
 宿に戻って、夜になって気温が下がる前に水浴び。まだ時間はあるが、AFMETへ行く車(ミクロレット)はすでにこの時間ではないので、せめて電話でもと思いKさんに電話をかけた。以前はAFMETでは外の敷地内の一定の場所で受信ができるだけだったので携帯電話には連絡が取れなかった。けれど今回はKさんの電話につながった。建物の中でも受信できる場所があるようだ。面識もないのに会ってお話したというとKさんはすぐに宿まで来てくださり、いろいろお話を聞くことができた。以前に日本に一時帰国していたシスターに託して、AFMET経由・ロスパロスTNCCオフィス経由でイリオマールに届け物をしたことがあり、今回それが届いていたのを確認したので、こちらのルートも手紙などを届けるのに使わせていただきたいとお願いすると、快く引き受けてくださった。

ディリへ帰る

 翌朝、約束どおり7時に来たバスに乗り込んだ。バスには籐の家具や自転車やヤギも屋根の上に乗せられて、私の荷物もその中にくくりつけられた。バスは私を乗せてそのまままっすぐロスパロスの町を出た。思っていたより早くディリに着きそうだ。途中メティナロの避難民キャンプでかなり人数が減ったことと、べコラではなく海外沿いの道路で降されたことを除けばいつもと同じバスでのロスパロス−ディリだった。
遅い昼食のあと、まず大神学校へ向かった。ディリにいる間に行きたいところはあったが、今回は10日間の休みをとるために日曜日にディリ着、月曜日ディリ発というスケジュールになったため、ディリでは動きが取りにくい。行きたいところはあるけれど、日曜日は休日なのでまず連絡がとれなし、あいていないところが多い。堀江神父さんはまだブラジルから帰っておられないようだが、手紙を持っていって、大神学校の中の様子を写真に収めることぐらいできるだろうと出かけた。神学校の中は難民キャンプというより、小さな町か村のようだった。ここにもUNHCRのテントが並んでいて、中庭に面した廊下や手すりにも人々の生活がみえた。神学生が手紙を預かってくれて、「神学校の施設は人々に提供されている。私たちは自分たちにできることをしているだけ。東ティモールに東も西もない。」と話してくれた。テントで生活している女性にテントの中を見せてもらった。彼女は「写真は撮らないでね。恥ずかしいから」といい、これから始まる雨季のことか、見上げた空がどんよりと暗かったせいか「雨が降ることが心配」と話してくれた。確かにテントの中は薄いシートが一枚敷いてあるだけ。マラリヤなどの病気が普段以上に蔓延するのは目に見えている。そこで生活している人にはカメラは向けられなかったが、子どもたちはここでもカメラがあると近づいてくる。聖堂の前で遊んでいた子どもたちが笑顔でカメラに収まってくれた。
 翌日は日曜なので公的な機関はお休み。私はシスターテスのMary MacKillop Instituteも近くにあるべコラ教会のミサにでかけた。時間は覚えていなかったが、たぶん7時からだろうと、6時40分ごろホテルを出た。ベコラの聖堂はすでにいっぱいだった。入り口の近くに立っていると、そばの女性が詰めてくれて座らせてくれた。ミサの司式はギルヘルミーノ神父(昨年夏に来日したこともあり、今年の公聴会の折にも松浦司教とともに会った)、ミサのあとで9か月ぶりの再会を喜びあった。これからシスターテスに会いに行くというと、案内してくれた。昨日は電話してもつながらなかったので、もしかしたらオーストラリアに帰国しているのかもと思っていたが、シスターとも会うことができた。これから出かけるのであまり時間がないといいながらも、イリオマールの図書館の様子を話し、支援の継続をお願いすると、以前に寄贈していただいたあとに発行されたテキストなどを寄贈してくださるとのこと。私がカメラでイリオマールの写真を見せると、オーストラリアの支援者にぜひ見せたいと、さっそくパソコンでイリオマールでの写真を全部取り込んだ。

あわただしい最終日

 翌日はもうディリを発つ日。前夜のうちに会計を済ませて、正午にホテルから空港への車も頼んでいたので、午前中いっぱいは動ける。ホテルを出て歩きだすと、タクシーが横に止まって、中から「ロスパロスはどうだった?」と聞かれた。タクシーの客引きにしては、なぜ私がロスパロスに行ったことを知っているのだろうと、とドライバーの顔を見るとジョニーだった。シコ君がイリオマール行きのドライバーとして連れてきた彼は普段はタクシーのドライバーをしていたのだ。ジョニーのタクシーに乗ってCAVRに向かった。知人から頼まれていた証言集を買うことが目的だが、ついでにイリオマール図書館への寄贈のことも話してみた。はじめは各図書館にはすでに全種類の証言集を届けているという返事だったが、コンピュータのデータで実際にイリオマールに寄贈されたのはテトゥン語とインドネシア語の数冊で、全種類ではなかったし、図書館なので全言語をそろえたいというと、今は全種類がないがそろったら寄贈するといってくれた。サビナたちもそのうち来るといっていたので、とりあえずサビナの電話番号を連絡先に伝えた。
 次に向かったのはシャナナ・リーディングルーム。以前にマネージャーをしていたオーストラリア人はすでに帰国して、後任はティモール人のアントニオ。ABITL(東ティモール図書館情報協会)のことを聞くと、あまり活動はできていないとのこと。問題は資金がないことだという。ミーティングを開くときにはイリオマール図書館にも連絡して欲しいと、ここでもサビナの電話番号を渡す。ただし、通話ではなくSMS(メールのようなショートメッセージ)をお願いする。ティモール人の彼はイリオマールの通信事情がわかっているので、すぐ了解してくれた。ABITLの中心メンバーはあまり変わっていなかった。メンバーの一人東ティモール大学の図書館員に電話すると、「今から出かけるけど、今すぐに来るなら待っている」といってくれたので、タクシーで急ぐ。
 彼とは以前に数回会っただけだが覚えていてくれた。すぐに図書館を開けて中を見せてくれた。現在の蔵書は、英語が約42,000冊、ポルトガル語が約25,000冊、インドネシア語が約15,000冊、テトゥン語が12,000冊、計9万4千冊。二年前(英40,000、ポ10,000、イ10,000)に比べと増えているが、またまだ少ない。ただ、テトゥン語が一万冊以上あるというのには驚いた。廊下にはまだ整理されていない本が山積みになっていた。前回も今回も図書館は開いていなかったので、学生たちが使っているところを見たことはない。今回の目的はイリオマールとABITLをつなぐことだったので、イリオマール図書館の現状を伝えて、シャナナ・リーディングルームのアントニオに頼んだことを彼にも頼んだ。また、図書館員としてのスキルについても、イリオマール図書館のメンバーがここにきて図書館員の仕事を学びたいなら、一週間ずつ来てもかまわない、とも言ってくれた。彼も出かけるところだったし、私も時間がなかったのでいろいろ聞きたいことはあったが、お礼を言って図書館をあとにしてホテルへ戻った。
ホテルの部屋でいそいで最後の荷造りをして、今回初めから最後まで本当にいろいろお世話になった文珠姉弟にあわただしく挨拶して車に乗り込む。8日間の東ティモールでの日程がすべて済んだ。到着した日は、予定通りに日本へ帰れるのかと少し心配もしたが、イリオマールでの日々も往復の道もディリでの時間も、今回は実にスムーズだった。空港でチェックインしたあと、空港のすぐそばにある避難民たちのテントの群れを見ながら、ディリであった人たちのことばを思い出していた。イリオマールの人たちが今は怖がっていてディリに来られないと、私がかわりに伝言している言い訳を言うと、彼らは同じように「みんなティモール人なんだから、怖がっていてはいけない」と言った。
 東ティモールに関わっていて見えてくる課題の山と、加えて今回の騒動。図書館の支援ひとつをとっても課題はたくさんあって、もう少し長期で滞在できればと欲も出るが、今度はいつ来られるかすらわからない。それでも2年前に東ティモールから離れるときは、次はいつ来ることができるのだろうという思いで気持ちが重くなったが、今回はなぜか心地よい充足感のほうが大きかった。★


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