季刊・東ティモール No. 24, February 2007

東西の対立に引き裂かれるコミュニティ
〜ディリ市ベボヌック地区ファウララン通りから

中村葉子(聖心侍女修道会、在ディリ)


ベボヌックで暴力事件が発生する度にうちの修道院の庭に避難してきた住民

 今回の危機は国軍と警察の対立に始まり、与党フレティリンと野党との対立、政府と教会の対立、東部出身者と西部出身者の対立、武術グループ間の対立、合法的にディリ市に住んでいる住民と非合法の住民、過去の恨みつらみに基づく対立、などなど、これ以上の対立はないだろう、と思われるほどの対立を生んでいます。
 私たちが住んでいるベボヌックのファウララン通りは、そのうち、東部西部、合法的非合法的居住をめぐっての対立が今も根強く残っている地域の一つです。家の焼き討ち、空き家になった家の略奪、大きな石で家や人を襲う、などの暴力事件が数ヶ月続きました。その悪名の故に、一般市民はもちろん、タクシー運転手、公務員、司祭などの誰もが、今もこの通りに入ってくる勇気がありません。この通りを車や徒歩で通れるのは、カルメル会とうちの二つの修道院のシスターだけです。通りの半分は東部出身者の陣地、半分は西部出身者の陣地です。この危機発生後、私が感じている最も大きなフラストレーションは、悪事を働いていることが明白なこうした青年たちに対しても、笑顔で「Bons dia!」「Boa tarde!」などと挨拶していなければならないことでした。「悪いことはやめなさい」と強く意見することはシスターの誰にもできないことでした。略奪されている家を目の当たりにしても、酒を飲んで、刀を振りかざして、トタン屋根や電線などを盗んでいる場に、勇敢に出て行くなどしたら、どんな目に遭うかわからない、忠告が更なる悪事を呼ぶかもしれない、などの懸念があったのです。両グループの青年たちは、私たちシスターには気持ちよく挨拶します。
 こう説明すれば、皆様にも今回の東ティモールの危機の性格が幾分お分かりいただけると思います。歴史にも政治にもずぶの素人の私の意見ではありますが、この危機は、数世紀に亘り他国の支配下で抑圧され続けてきた民族にとって、当然とも言える現象ではないかと感じています。支配者に対し抵抗し続ける中で学んだ術は、暴力や疑惑、自分たちの中での対立などでしかなかったのでしょう。また、人間らしい衣食住からかけ離れた生活を強いられてきた人々には、自分よりいささかでも裕福な人々・集団を受け入れる余裕はないのです。2007年を迎えた今は、こうした対立のうち、武術グループ間の衝突で殺人事件などが時折起きています。
 それでも、私は毎日、なぜか心満たされた日々を送っています。これほど支離滅裂な政治、社会不安が存在する中でも、一般市民の表情には東ティモール人特有のゆとり、人の良さ、落ち着きが消えていないからです。特に子どもたちのエネルギーは世界一ではないかな、と思うほど、彼らはきゃっきゃっと笑いながら遊び回っています。危機に乗じて東ティモールの石油その他に目をつけて派遣された多国籍の軍、警察が車で通るたびに、「うぉー」と歓迎の挨拶をする姿にだけは苦笑せざるを得ませんが、この子どもたちの存在こそが私たちを東ティモールとの更なる連帯に誘う最大の要因となっています。
 ファウラランの住民間の対立は昨年のクリスマス直前の12月14日、突然、雪が解けるかのように消えました。それまで厳しい表情で石の投げ合いを繰り返していた青年たちが仲良く地面に座って肩まで組んでいます。そして30日、大統領のイニシャティブで行われている『国民和解』の集いがこの地区でもあり、事態は本格的に良好な方向に向かい始めました。今はまだこの家に帰ってこられない住民の何人かが時々、部落長を訪ね、帰還の助けを得ている段階です。こうした人々の中には歴とした略奪経験者も多くいるので、彼らの帰還が簡単に実現するかどうか今ひとつわかりません。どうか、政治的信条という、多くの発展国では死語になりかけている高い理想があるがために、対立から立ち上がれていないこの国の人々が、寛容と真の民主主義を学ぶことができますようお祈りくださいませ。★


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