季刊・東ティモール No. 23, November 2006

巻頭言

長期化する対立

 無為に時が流れていくような感覚がある。政府がこれといった方策を打ち出していないことに加え、いつ混乱が終わるのかわからない展望のなさ、もはや永遠に修復できないのではないかというあきらめが、深く、静かに、蔓延しつつある。
 国連独立委員会報告書は、事件の経過を丹念に再構成し、なるほど、誰がどこでどのような手続き違反を犯したのか、われわれに教えてくれる。政府はこの報告書にもとづき、責任を明確にし、反省し、処罰すべきは処罰し、更迭すべきは更迭し、制度の見直しをはからなければならない。こうしたことは、政府が機構としての信頼を獲得するために、最低限やらなければならないことだ。
 しかし、一方、東部人・西部人の対立がこれほどまでに深くなった原因について、国連報告書は何も書いていない。この問題は東ティモール人自身に、とりわけ指導者たちに、投げ返されているということだろう。東ティモール社会にもたらされた深い溝と傷。東ティモール人が誰に委託することもできない問題が、そこにある。しかるに指導者たちは、そのことにほとんど取り組んでいない。その無頓着ぶり、無感覚ぶりに、言い知れぬ悲しみと怒りを感じるのは、私だけだろうか。
 扇動されやすい無知な国民を教育すればいい、と思っていないだろうか。試されているのは、政治家の、指導者の、政治文化の規範の示し方だ。ロジェリオ・ロバトのやったことはあまりにもお粗末だ。警察機構を自身の権力の砦とし、民兵を培養した。マリ・アルカティリもそれを弁護した。いや、フレテリンが党としてそれを弁護している。レイナド少佐もおかしい。英雄気取りでいて、潔くない。彼は政治的目的を達した。逃げ隠れせず、裁きを受けるべきだ。また、今回の報告書で明らかになったことは、野党議員レアンドロ・イザークも武器を所持していて、タウル司令官宅襲撃の首謀者と通じていたことだ。社民党も懺悔しなければならない。シャナナはかろうじて法的責任を免れているが、最近の彼の沈黙は一体なぜなのか、不思議で仕方がない。国民和解を唱道する彼がなぜ東西対立が深まる現状を座視できるのか。
 結局、危機から半年たった今、エリート政治家の誰もが反省の弁を述べてはいない。彼らは反省を呼びかけている。しかし、自分では反省していないのだ。これでは国民は安心できない。相手に負けたくないという1974年以来のライバル意識が、第一世代のエリート民族主義者に亡霊のようにつきまとっている。その構図に、若い世代は辟易しているように思われる。愚かさに気づくのにどれくらいの血が流れればいいのか。ディランの歌を知らない世代ではないはずなのだが。(ま)


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