東ティモールの正義---展望

松野明久

インドネシアの最高裁がインドネシア人将校を全員無罪にしたことで、国際社会が期待したインドネシア国内プロセスによる人道に対する罪の追及は失敗に終わった。東ティモールでは来年5月国連の撤退にともない、重大犯罪部(検察の一部)が事実上閉鎖を余儀なくされる。東ティモールにおける正義はどこへ行くのか、これからを展望したい。


アビリオ・ソアレスの収監

 元東ティモール州知事でクパンに住んでいたアビリオ・ソアレスは、インドネシアの特別人権法廷で有罪判決が出た者のうち、最初に刑に服することになった。ソアレスは、最高裁が4月に禁固3年の下級審の判決を維持したことで刑が確定し、7月17日、ジャカルタに自ら出頭してチピナン刑務所に収監された。
 ソアレスは「自分はスケープゴートだ」と無罪を主張し、インドネシア国軍や民兵を非難した。また、ソアレスの弁護士は違憲立法審査を申請した。違憲立法審査は、インドネシアでは反テロ法で有罪判決を受けたバリ島爆破事件の被告が申請し、その言い分が受け入れられた経緯があり、ソアレスの違憲立法審査請求もどういうことになるか、確実な予想はたたない。
 東ティモールのシャナナ大統領、東ティモール議会、ロンギニョス検事総長は、ソアレス収監について、彼は無罪であるなどと書いた手紙をインドネシア政府に送った。インドネシアはこれに反発し、ハサン・ウィラユダ外相が、東ティモールの大統領はおろかインドネシアの国会ですら司法プロセスには介入できないとコメントした。(TEMPO Interactive, 21 July)

インドネシア裁判の失敗

 8月6日、インドネシアの最高裁は、1999年の東ティモールの騒乱の責任を問われて下級審(特別人権法廷)で有罪判決を受けていた4人のインドネシア人を全員無罪としたと発表した。検察によれば判決には7月29日に出ていた。しかし最高裁の発表では2週間前となっていて、はっきりしない。
 インドネシアの特別人権法廷は2002年3月にスタートし、18人を起訴し、6人を有罪とした。有罪となったのは、バリに司令部をおき東ティモールを管轄していた第9管区(ウダヤナ)司令官アダム・ダミリ少将、1999年7月に東ティモール司令官に着任したヌル・ムイス大佐、ディリ司令官スジャルウォ中佐、ディリ警察署長のフルマン・グルトム、東ティモール州知事のアビリオ・オゾリオ・ソアレス、民兵組織アイタラク司令官で統合派軍組織の副司令官エウリコ・グテレスの6人だ。
 最高裁は、東ティモール人2人だけを有罪とし、インドネシア人全員を無罪とした。エウリコ・グテレスは10年の刑を半分の5年にされ、アビリオ・ソアレスの3年の刑はそのまま維持された。
 最高裁の判決は、インドネシアが国内プロセスによる正義の確立に失敗したことを明白にしたため、国際社会から批判をあびた。国際的な人権団体や東ティモール関連団体、インドネシアの人権活動家たちがこれ批判したのはもちろんだ。インドネシアの法律扶助協会(PBHI)のヘンダルディ氏は「インドネシアに正義はない」ときっぱりと言った。米国、オランダ、ポルトガル、ニュージーランドも国連の場で不満を表明した(Antara, 9 August)。ニュージーランド政府は、国際法廷設置を呼びかけるまでにいたった。東ティモールのホルタ外相もさすがにこの結果はインドネシアにとってよくない結果をもたらす、などと間接的な批判をした。だからといって国際法廷の設置には反対すると付け加えたが。海外のメディアもこの判決には批判的な論調だ。
 しかし、こうした海外からの批判を、インドネシアは強気ではねかえそうとしている。8月12日の閣議のあと、ユスリル・マヘンドラ法務人権相は「われわれはアメリカがベトナムでしたことに満足していない。それについてはまだ調査されていない。また、われわれはアメリカがイラクでしていることについても満足していない。ただアメリカに不平をいうほど強くないというだけだ」と、アメリカを批判した。(AP, 13 August)また、大統領選に出馬して閣僚を辞任したバンバン・ユドヨノの後継者、ハリ・サバルノ臨時政治治安担当相も、「これは裁判所の判決だ。アメリカは自分のことをやっていればよろしい」などと述べた。(AFP, 12 August)

国軍が政治に復帰

 インドネシア大学の政治学者アリブ・サニットは、国軍は再び政治舞台の中央に躍り出ようとしており、スシロ・バンバン・ユドヨノが大統領になればさらにその傾向は加速する、と述べた(Jakarta Post, 13 August)。彼の発言は、東ティモール裁判と平行して進められていたタンジュン・プリオク事件に関する特別人権法廷でも軍人が無罪となったことを受けてのことだ。
 タンジュン・プリオク事件は、1984年9月12日、ベニー・ムルダニ国軍総司令官の時代、ジャカルタの港湾地区タンジュン・プリオクでイスラム教寺院(モスク)を国軍(厳密には警察。当時警察は軍組織の一部)が侮辱し、イスラム活動家を逮捕したことに対する住民の抗議デモに国軍が発砲し、多数の死者を出したというものだ。首都ジャカルタで白昼堂々とおきた発砲事件で、当局は死者二十数人と発表しているが、犠牲者側は数百人の死者がいると疑っている。この事件は、80年代におけるスハルト政権による政治的イスラムの弾圧という文脈でおきたもので、スハルト政権崩壊後、復権した当時のイスラム活動家らの圧力が増し、裁判が実現したものだ。しかし、当時の北ジャカルタ司令官ルドルフ・ブタル・ブタル少将(当時中佐)が4月末に10年の刑を言い渡されたあと、この裁判でも無罪判決が続いた。
 9月20日の大統領選の第2ラウンドで、ユドヨノは大統領になった。ユドヨノ自身、かつて東ティモール作戦に3回参加した経験があり、東ティモール問題で軍人を裁判に差し出す可能性は少ない。(実際、9月19日投票前日、インドネシアの夜のテレビ番組で、ユドヨノの東ティモール作戦参加は当然輝ける経歴の一部として紹介された。)ユドヨノは大統領選のキャンペーンを国軍OBネットワークに依存した。軍内改革派のチャンピオンとして知られる彼だが、実際には改革をリードするリーダーシップを発揮したことはほとんどない。彼の重要な後援者はアメリカに反発したユスリル・マヘンドラだ。国会の指定席を手放すなど、部分的な改革はあるものの、国軍は本気で政治から撤退するつもりはないとの見方が一般的だ。さらに、インドネシアは国連安保理の常任理事国になりたい希望を表明した。東ティモールのホルタ外相も、最大のイスラム教徒人口をもつ国としてインドネシアを安保理常任理事国に推薦した。

国際社会の次の手は

 東ティモール問題でインドネシアをあまり追及したくない国際社会ではあるが、インドネシア特別人権法廷が設置された経緯は、国際法廷をしないかわりにインドネシアが自分で国際基準にてらして裁判を行うという「約束」だった。今、その「約束」が完全に裏切られたわけだから、国際社会としてもこれをだまって見過ごすことはできない。
 国連事務総長は、おそらく専門家グループを指名し、彼らにインドネシアの裁判プロセスと東ティモールの裁判プロセスをレビューさせ、今後いかなる措置をとるべきか総会に勧告させるという道をとるのではないかと見られている。専門家グループは、カンボジアの紛争後の正義のあり方についてすでに先例がある。それに準ずると、3人程度の専門家が指名され、3〜4ヶ月でレビューの仕事を終え、報告書を事務総長に提出する。この専門家グループは、国連が来年5月に東ティモールから撤退した後、重大犯罪部をどうするかということについても勧告を行うことになるだろうから、秋には仕事をスタートさせないといけない。
 専門家グループ設置は、人権団体も歓迎している。しかし、インドネシアと東ティモール両国政府は、専門家グループに反対だ。インドネシアは専門家グループができた場合、インドネシアへの入国を拒否するとまで公言している。
 国際社会で議論されているもうひとつの方法は、国際真実委員会(International Truth Commission)というものだ。アメリカが5月に公にしたアイデアで、8月の安保理でもアメリカは再びこのアイデアに言及した。具体的な内容は発表されていないが、国連が設立する真実委員会がこれまでのデータを整理して人道に対する罪について一定の見解を出すというものだろう。インドネシアの裁判で無罪、ないしは不起訴とされてきた将校たちの責任を明確にし、何らかの措置を国連に勧告することが考えられる。ただし、これは裁判ではないので、有罪判決で投獄、という道をたどることはない。
 真実委員会は、インドネシアの「被告」たちの立場を聞くことなく、一方的に彼らを「有罪」と決めつけるようなものであって、人道に対する罪といった重大な問題について、裁判なしで判断を出されることにインドネシアは反発するだろう。この点に関してだけは、インドネシアの反発はむしろ正当なものと言えるのだが、だからといって裁判で決着をつけることにインドネシアは反対なのだ。
 この構想の背景には、ユーゴスラビアやルアンダの国際法廷が非常に費用のかかるものとなっていること、インドネシアの非協力が明白で実際に裁判ができそうにないこと、主要国がインドネシアとの関係を悪化させたくないこと、などの理由がある。旧ユーゴ国際法廷はこれまで13億ドルかかり、さらに10億ドルは必要だろうと見られている(Asia Intelligence Wire, 25 September)。

重大犯罪裁判の将来

 東ティモールの重大犯罪裁判は、これまでに58人に判決を下した。内55人が有罪で、3人が無罪となっている。起訴された者のうち75%に相当する279人が、インドネシアにいるなどして東ティモールで裁判ができない(国連事務総長報告、2004年8月13日)。インドネシアは国連暫定行政と犯罪人引き渡しについての協力を含む覚書を交わしたが、インドネシア国会がこれを批准しなかったため、起訴された者の引き渡しは一件も実現していない。
 重大犯罪部(検察)は、来年5月に終了することを前提に、11月中に起訴を締め切る予定だ。そして5月まで残された裁判に全力を投入する。しかし、インドネシアにいる者を中心に積み残しがでるのは必至だ。また、1999年に東ティモールでおきた殺人事件だけでも1400件ほどあるとされているのだから、60人近くが有罪判決を受けたところで、実質的に正義を確立したとは言いがたい。大半の者は裁判を免れたことになり、一部有罪となった者は不運だった、という印象を残すだけだ。内外の人権団体は、重大犯罪部の継続を求めている。
 東ティモールで重大犯罪裁判をモニタリングしているNGO「司法システムモニタリング・プロジェクト(JSMP)」の推察によれば、重大犯罪部は111人のスタッフをかかえ年間500万ドルの予算を使っている。この額は、裁判所側の費用を含まないとはいえ、旧ユーゴ法廷が年間2億2300万ドル、ルワンダ法廷が1億8000万ドル使っているのと比べればはるかに小さい額であり、東ティモールの重大犯罪裁判が資金的な負担だという論理はおかしいのではないかと疑問をなげかけている。(『重大犯罪部の将来』JSMP、2004年1月)

展望

 結局のところ、政治的意思さえあれば、国際法廷で処理するのが一番すっきりしている。東ティモール(重大犯罪裁判)とインドネシア(特別人権法廷)の2トラック方式は、基準のずれ、インドネシア側の不履行など問題が多く、紛争処理史に汚点を残すことになるだろう。東ティモールの重大犯罪裁判は、裁けない大物がみなインドネシアにいることで、正義を確立した感覚を国民にもたらさないだろう。むしろ、逃げた者は得をしたという極めてマイナスの印象を残す。重大犯罪部は多くの努力をしたことは誰しも認めるところだ。それがこの結果では、司法関係者の努力は報われない。★


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