ビブリオテカ・イリオマール
−東ティモール図書館活動報告―

東ティモール図書館活動基金 中口尚子

中口尚子さんは、今年8月末まで東ティモールのラウテン県イリオマールで、民間による子どものための図書館開設・運営に携わった。さまざまな問題に直面する試行錯誤の毎日。その報告を一挙掲載する。


小さなイリオマールの小さな図書館

 東ティモールの人々でさえ場所を知らなかったり、首都ディリから遠い辺鄙なところというイメージしかないような小さな町イリオマールに、おそらく公に開かれている子どもの図書館としては最初の図書館ができた。
 イリオマールは東ティモールの東端ラウテン県の南西に位置し、イリオマール図書館はこのイリオマールの中心であるイリオマール・サトゥ(Iliomar I:「サトゥ」はインドネシア語の1)という町(というより村)にある。ディリからは車で休憩なしで約7時間、公共の交通機関を使えば、1日〜2日かかるところである。
 私がこのイリオマールに8ヶ月ほど住むことになったのは、いろんな条件が重なった結果だが、きっかけとなったのは、東ティモールで使うために友人のコンテナで運び込んだ段ボール箱3つの絵本たちだった。この絵本の使い道を探していた時にTNCC(東ティモール日本文化センター)代表の高橋道郎さんと出会い、その1ヶ月後に高橋さんから「イリオマールに図書館をつくることにしたので手伝ってください」と言われ、そのまた4ヶ月後にはイリオマールの住人となっていた。
 最初の段ボール箱3つの中身は約50冊だったが、イリオマール行きを決めて本格的な準備をした一ヶ月の間に友人やフィリピンの山村で図書館活動をしてるNGO、アジアの国々の子どもたちに絵本をおくる活動を続けておられる安井清子さんからの寄贈もあり、加えて東ティモールでテトゥン語のテキストを作っているグループからもたくさんのテキストや辞書を寄贈していただいた。昨年12月にイリオマールで図書館兼住居として家を借りて、図書館の準備を始めたときの図書の数は約200冊、「図書館」というにはあまりに少ない数ではあるが、図書館や絵本というものがない世界、教科書すら持たない子どもたちにとって、突然現れたビブリオテカ(図書館)は未知の世界への入り口となった。
 外国人が猫を一匹連れてイリオマールに住み始めたというだけで、子どもたちだけでなく大人たちも興味しんしんで眺めている。たぶん「ビブリオテカ」はイリオマールのほとんどの人にとってこのイリオマール図書館自体をさすものかもしれない。それが「図書館」といえるものかどうかは別として、彼らの多くは他に図書館というものを見たことがないし、ディリでもインドネシア語で図書館といえばとりあえず理解してもらえても、「ビブリオテカ」というと「何それ?」と聞かれることが多かった。

東ティモール図書館事情

 今年になって東ティモールに「東ティモール図書館情報協会 (ABITL)」が設立され、図書資料の管理の標準化、専門性の発展、情報のコーディネーションとその普及、東ティモールのアイデンティティの促進、読書と識字の重要性の促進などを目的として歩み始めたばかりである。参加しているのは国立東ティモール大学図書館、ディリ大学図書館、シャナナ・リーディングルーム、バウカウにある図書館、受容真実和解委員会などの団体及び個人だが、現在東ティモールに図書館がいくつあるのか、それらの図書館の状況などはまだ把握されていないようだ。
 ある町にはNGOによってつくられた図書館があるが、実際にはずっと使われておらず、建物の鍵の所在すらわからなくなっているという話を聞いたことがある。また別のある町には、オーストラリアの雑誌に載っていたという図書館があるらしいが、その町の出身者でありABITLのメンバーである人にたずねたところ、「図書館はない。そのような話は聞いたこともない」というのである。私がいつもディリからイリオマールに向かう途中で時間待ちする場所の向かいにはユニセフが支援してできている子どもたちのスペースがある。そこにはたくさんの本がおいてあるが、手にして見たところほとんどが英語ですっかりほこりをかぶっていて使われている様子はない。
 大学の図書館は一般には開かれていない。国立東ティモール大学の図書館は所蔵資料数が約6万冊(内英語約4万冊、ポルトガル語約1万冊、インドネシア語約1万冊)、私立のディリ大学の図書館の所蔵資料数が約千冊(内英語が約400冊、ポルトガル語が少しで残りはインドネシア語)だそうである。かなり大雑把な数字ではあるが、大学の図書館ですら資料数は非常に少ない。蔵書の質についてはわからないが、おそらく海外からの寄贈が多いのではないだろうか。それに加えて東ティモールには言語の問題がある。現在の大学生が一番理解できる言語はインドネシア語であるが、海外からの寄贈は英語やポルトガル語が多いようだ。

イリオマール図書館のシステム

 当初は図書の登録など準備期間を経て図書の閲覧を始めようと考えていたが、興味しんしんで覗き込む子どもたちを見て変更。家中の掃除をして荷物を解いて図書館として使う部屋に置いてあるベッドの上に本を並べてた。家の扉の横に図書館の看板をつくって開館の表示をすると、遠巻きに見ている子どもが多い中で何人かのグループになって小学生の高学年らしき子どもたちが家の中に入って本を手にした。まもなくクリスマス休暇となり、友人を迎えにディリに行ったり、TNCCの会議でロスパロスに行ったりして本格的に図書館をオープンしたのは1月5日、クリスマス休暇もすんでイリオマールに帰ってきていた若者たちもすでにディリや他の町に戻り、連日のサッカーの試合でにぎやかだった図書館の前のグラウンドは小学生の姿だけとなった。
 グラウンドの向こうには小学校がある。興味を持って図書館を眺めている子どもは多いが、子どもたちと図書館の間にまだ距離がある。さっそく小学校に行き、先生たちに図書館をアピールし、子どもたちを見学につれてきてもらえるように依頼した。何人かの先生たちが子どもたちを図書館に連れてきてくれた。1年生クラスは先生が一緒でも半数が図書館の入り口まで来ないで少し離れたところから見ている。先生が入るように言うとますます遠くに逃げていく。こちらが見ていないと少しずつ近づいてくる。まるでゲームをしているようだ。
 イリオマールの中心にあるこの小学校は5年生が2クラス、他の各学年は1クラスずつで1年生から6年生まで7クラス。教室の数が少ないので、午前は低学年、午後は高学年が登校してくる。子どもたちは休み時間と登下校時に図書館にやってくる。椅子がないときは子どもたちは床や外の段のあるところに座って本を読んでいたが、しばらくして先生たちが中学校から机や長いすを運んできてくれて少し図書館らしくなった。
 図書館のシステムとして、子どもたちは図書館でのみの閲覧。先生たちとカテキスタ(カトリック教会の教理教師)には教材として、また先生たち自身が勉強してもらうために貸し出しをすることにした。はじめのうちは土曜日と日曜日を休館日としたが、休館日の土曜日にたくさん子どもたちがやってくるのでまもなく日曜日のみの休館となり、午前と午後各3時間ずつ開けることになった。組織的に宣伝したほうがいいという人々の助言もあって、イリオマールの各学校(イリオマールには中学校が1校、小学校が分校も含めて9校、昨年できたばかりの幼稚園がひとつある)の校長先生と各村(suco)のリーダーたちに集まってもらうことにした。1月中旬、説明会の日は村のリーダーたちのロスパロスでの会議があり、先生たちだけの集会となったが、先生たちは積極的に意見や要望も出してくれて、イリオマールの人々のためのイリオマールの人々による図書館作りの第一歩となった。

パブリックミーティング

 まもなく毎日たくさんの小学生が利用するようになった。少し離れた中学校からも休み時間を利用して図書館に来る子どもたちが増えていたが、ある日何冊かの本がなくなっていることに気がついた。はじめは低学年の子どもが間違って持って帰ってしまったのだろうと思っていたが、先生たちの協力もあって後に判明したのが、中学生によるかなり知能犯?ということで、盗難防止の対策として、図書館の模様替え、読む場所の指定、そして記名制(利用者の氏名と本の番号を記入)の導入となった。これが結構たいへんで、低学年の子どもは氏名を書くのに時間がかかるし(1年生は書けない子どものほうが多い)、今持って行ったかと思えばすぐ次の本を取り替えに来る。私ひとりだけでは手に負えなくなって、すぐに図書館員を必要とする事態となった。このとき、すでにボランティアで手伝ってくれていたのは、中学校教師のサビナ先生と小学校教師のアンセルモ先生の二人だった。
 2月になり図書がベッドの上から本箱へと移り、盗難騒ぎで頭を悩ませていたころ、TNCCの高橋さんが定期訪問でイリオマールに来られた。TNCCのイリオマールでの支援として、図書館より前に始まっていたCCDM(マカレロ地方言語文化センター)の活動(マカレロ語の辞書やイリオマール地方の歴史書や詩集の編纂など)があったが、今回の高橋さんの訪問の優先課題は始まったばかりの図書館の体制確立で、イリオマールに到着後すぐにCCDMのメンバーと東ティモール国防軍レレ副司令官を交えての打ち合わせとなった。そこで翌日イリオマールのリーダーたちや先生たちに集まってもらって会議をすることになった。集会にはイリオマールのリーダーたちほとんどと先生たちがたくさん集まって熱心な討議が行われた。イリオマール図書館を公的な施設として継続させるために、はじめの段階から責任者は現地のスタッフにしたいという意見は受け入れられ、図書館長と副図書館長を推薦した。すでに図書館の仕事を手伝ってくれているサビナ先生を図書館長、アンセルモ先生と隣に住むマテウス先生を副図書館長に、と名前を挙げながらも内心私は若い女性の図書館長が通るだろうかと不安だった。東ティモールの社会、ましてやイリオマールという中心部から離れた地域のことである。一人一人の胸のうちはわからないが、地域の実力者であるレレ副司令官の「女性がリーダーになることはいいことだ」という賛同が影響したのか、この人事は承認され、12人の図書館員たちも任命された。さらにイリオマールのリーダーや学校・協会・警察からメンバーを出してもらって運営委員会も出来てしまった。

東ティモールおはなし応援隊

 入り口に閉館の表示をしる図書館の休み時間でもお構いなしに子どもたちはやってくる。子どもたちの絵画教室もはじめ、図書館員たちの養成も図書館員たちが増えた分だけ大きな仕事となった。図書館のシステムもイリオマールの現実にあわせて考えなければならない。夜はサビナにコンピュータを使っての仕事も教え始め、何を優先するか、あと数ヶ月で引き継げることができるのかを考えることも出来ないくらい忙しくなっていた。
 そんなある日、夜遅くに玄関の外で日本語が聞こえた。ディリに住む友人が仕事でイリオマールに来てその帰りに立ち寄ってくれたのだ。その友人は翌日安井清子さんが来るという知らせを運んでくれた。イリオマールには電話がないし、たいていの場合訪問者は突然やってくる。幸い私がイリオマールに滞在中私を遠くから訪ねてくれた人で会えなかった人はいなかった。そして突然やってきてもすぐに私がどこにいるかがわかるくらい小さな社会なのだ。安井さんとはEメールで連絡を取り合っていたが、私が送ったメールの返信を見るのは返信を送った数週間後というのでは直前の変更などを連絡するのは不可能だ。翌日の午後は安井さん一行の到着を今か今かと待っていた。もしかしたら今日ではないのかも、と思いかけたころ安井さんたちは到着した。この日、2月25日はカトリック教会の典礼暦の「灰の水曜日」で教会に行く日なので学校はお休み。図書館も休館日だったが、珍しいゲストに子どもたちが集まってきた。
 安井さんとは3か月ぶり二度目の再会。同行者の細野さんは絵本をポルトガル語に翻訳している大学のボランティアグループのメンバーで、高木さんはそのグループの顧問の先生。大学ではポルトガル語を教えておられる。細野さんも高木さんもはじめての東ティモール訪問ではるばるイリオマールまで来てくださった。
 高木さんは短い滞在だったが、よく食べ、よく眠り、小学校のポルトガル語の授業を見学したり、隣のガスパルさんとガスパルさんが担当しているCCDMの仕事に関して語り合ったりと、何もないイリオマールでの生活を堪能しておられるようだった。安井さんと高木さんと私は同世代ということもあって夕食後はおしゃべりに花を咲かせた。高木さんは3泊してディリに戻り翌日は帰国という日程で、レンタカーで一足先に帰られた。
 安井さんは一週間の滞在期間中、プロフェッショナルらしく大活躍。二人の同行者を得てすごい量の絵本を持ってこられたと聞いていたが、そのほか安井さんのかばんの中からはまるで「ドラえもんのポケット」のようにいろんなものが飛び出した。イリオマール図書館にはすでに安井さんから頂いた絵本がたくさん入っていたが、私が日本を発った後ポルトガル語やインドネシア語に訳された本を今回もたくさん持ってきてくださった。次に出てきたのが手作りの指人形で絵本「ぐりとぐら」シリーズ(なかがわりえこ・やまわきゆりこ著/福音館書店発行。英語版はチャールズ・イー・タトル出版発行)の「ぐり」と「ぐら」やクマなど本当にかわいい人形で、ぬいぐるみなどめったに見ることのない子どもたちは憧れの目でこの人形たちを眺めていた。このぐり・ぐらはまだ服を着ていなかったので、安井さんは「服を作ってあげてください」というが、イリオマールでは簡単に布は見つからないし、出来れば絵本と同じ色でつくりたいと考えていると、安井さんの荷物の中から赤と青のフエルトが出てきた。安井さんは滞在中にお得意の「踊るお猿さん」も二匹作ってくださった。「私、お裁縫が苦手でこれしかつくれないんですよ」といわれるが、この「お猿さん」なかなかのひょうきんもの、楽しそうに作っている安井さんにつられて、「後で時間に余裕ができたら」と思っていた私もぐり・ぐらのコスチュームをつくってしまった。
 このほかにも安井さんは優秀な細野助手に手伝ってもらって、紙芝居風の「これなーんだ」という絵の一部を見せて何かを当てるゲームやステンドグラスのような飾りもつくって、準備万端。子どもたちがやってくると安井さんは覚えたてのテトゥン語で絵本のストーリーを展開する。読んでいるのではなく、安井さん自身が絵本の世界に入って語っているのだ。はじめは恥ずかしそうだった子どもたちもどんどん集まってきて、日ごとにその数は膨れ上がった。「これなーんだ」もおおうけ。乗りやすいのは高学年と中学生。毎日同じ出し物だが、同じ子どもたちがやってきて楽しんでいる。そのうち子どもたちは安井さんのせりふを覚えてしまう。安井さんは子どものいない時間はせっせと創作活動、子どもが来るとレパートリーの出し物や日本語の歌で大サービス。おかげで図書館はすっかり子ども図書館らしくなった。細野さんは安井さんの助手の傍ら日本語の本を英文に翻訳してくださった。彼女はポルトガル語訳のボランティア活動のメンバーだが、実は専門は英語。
 あっという間に安井さんたちの滞在期間は過ぎてしまった。安井さんたちはまさしく「応援団」ならぬ「おはなし応援隊」だった。彼女は絵本を持たない国々の子どもたちだけではなく、私にもパワーをいっぱい運んでくれた。

ボランティア図書館員

 先生たちのボランティア図書館員制は、それぞれの都合のいい時間を月曜日から土曜日の午前と午後で割り振ってもらってローテーションを組んだが、まじめに来る先生と休みがちな先生、中には名前だけで一度も来ない先生もいた。はじめはまじめに来ていた先生の中でも周りの様子を見て、さぼり始める人も出てきて、「図書館員」の出勤率は30パーセント前後。これではとても私の帰国後の図書館の継続は無理なので、何度かミーティングを開き、図書館と図書館員の大切さと必要性を説明し、それでもやる気がなければ名前だけの図書館員はやめるようにといったところ、少なくともミーティングの場では出席者は全員続けたい意思を表明した。ミーティング直後は出勤が一時的に増えるが、しばらくするとまた同じことの繰り返し、そして来られなかった言い訳はそれぞれ巧みである。私自身がボランティアということもあって表向き不平を私には言う人はいなかったが、やはりボランティアだけでやって行くのは難しいのかもしれないと思い始めていた。もちろんわかってくれる人たちもいた。サビナ先生とアンセルモ先生は少しずつ図書館の仕事を覚えていたが、彼らも仕事を持っているので毎日来るわけにはいかないし、他の先生たちが来ないことによって彼らの中でも私の帰国後の不安が生じ始めていた。学校でさえ先生の無断欠勤は日常茶飯事なのだから、「これが東ティモール」とあきらめる、あるいは気長に待つしかないのかもしれない。けれども毎日子どもはたくさんやってくるし、私一人では対応しきれない。それに私には子どもの対応以外にやるべき仕事がたくさんあった。図書館の清掃、図書の整備、リスト作り、翻訳作業、そしてそれらの仕事を現地のスタッフに覚えてもらうこと。朝から寝るまでどんなに頑張っても一人の人間にできることはたかが知れている。

一時帰国

 季節は雨季で毎日のように雨が降り、日本の梅雨のような日が続いたころ、イリオマールで風邪が大流行した。社会全体の衛生概念が幼稚園並みというイリオマールで子どもが大勢集まる図書館は強いばい菌がいっぱいだったと思う。なにせティッシュとかトイレットペーパーというものを使う習慣がない所である。もちろん手に入れようと思ってもここでは手に入らない。鼻をかむのは手を使って飛ばすだけ。おとなと違って上手に飛ばせなければ顔に残り、それを手でこする。汚れた手は服やその辺にあるものでこすって終わり。その手で本を触るのだから後は想像にお任せする。私も例に漏れず風邪をひき、この環境の中で疲れと偏った栄養状態も重なって、日本から持って行った風邪薬を飲みつくしても治らずにいた。休館にして寝ようと思っても、休館日も休み時間も関係なくやってくる子どもたちの声で休んでいられない。
 図書館を開けることができても、体がだるくて何もする気になれない日々が続いたある日、ディリに出かけなければならず、いつものようにトラックの荷台に上がろうとして、体が持ち上がらないことに気がついた。荷台から引っ張ってもらってようやく乗る。ロスパロスでの待ち時間にカノッサ会のシスターたちのクリニックへ風邪薬をもらいに行った。シスターたちの修道院を尋ねて、久しぶりにシスターたちに挨拶をした後、看護婦のシスターがクリニックへ私を案内してくれて病状を聞いた。症状とイリオマールでの生活を話すと、1時間近く説教を聴くことになった。彼女は私に生活改善が必要なこと、ディリで定期的に検査を受けるようにと勧めてくれた後、一週間分の薬を無料で出してくれた。
 このまま予定通り残り2ヶ月を過ごしても、図書館を開けるのが精一杯という体力ではどうしようもないと、いろいろ迷った結果一度帰国して体調を整えて出直すことに決めた。1ヶ月図書館を閉めることがどのような結果になるか不安もあったが、新しい図書館の建築も遅れていたし、私がいない間どのようになるかを見てみるためにもいい機会かもしれないと考えた。一時帰国の前にサビナ、アンセルモ、マテウスの正副図書館長たちとCCDMのコーディネーターであるジャコブ先生、それに通訳をしてくれるトマス先生を交えてミーティングを2回開いた。このミーティングでサビナ先生は私の留守中も図書館を開きたいと強く望んだ。私は鍵をサビナ先生に預け、戸締りを彼女自身が行うこと、掃除をすること、2名以上の図書館員がいることを条件に開館を許可した。もうひとつ確認しておきたかったことは1ヵ月後の私が戻ってくるころには完成しているはずの新しい図書館について。そこでは私は図書館員の養成と後方の仕事に徹することを決めていた。つまりボランティア図書館員たちが出勤しなければ図書館は開けられないということだ。のこり2ヶ月の間に仕事をとりあえず全部伝えるために、アンセルモ先生にこの期間は謝礼を出してでも毎日来てもらい、少なくても一人は図書館の仕事を知っている状況をつくることになった。以前アンセルモ先生は自発的に週に2,3回ボランティアに来ていた。しかし、彼は往復3時間歩いて通っていて、他のボランティアたちにやる気がないのを見ているうちにその影響を受け始めていた。彼は学校での先生としての仕事もボランティアで収入がないので、少しでも収入があればもっと積極的に図書館の仕事をするだろう、という話をマテウス先生は私にしていたのだ。そして、新しい図書館で新しく始めるために、2月のパブリックミーティングで彼ら自身が決めたことを確認するためにも、彼らの伝統的なやり方で開館式をしてすることになった。

新しい図書館

 6月8日、一ヵ月間の日本への一時帰国の後、友人の牧山孝子さんとともにイリオマールへ戻った。セキュリティ猫ケータローはひとまわり大きくなっていて、預けていたマリアさんの家に迎えに行くと、喜んで我が家へと走りかえった。私の留守中、サビナ先生とアンセルモ先生は週1,2回図書館を開けていたようで、掃除もいき届いていた。ノートを見ると開館は午後が多く、来館者の数は少なかったが、翌々日から図書館を開くと、「図書館が開いてるよー」と他の子どもたちに叫んでいる声が聞こえて、また毎日たくさんの子どもたちがやってきた。
 一方5月中にできるはずだった新しい図書館はまだできていなかった。聞くとお金をすでに全部使ってしまって続けられないのだという。とりあえず建物の半分の図書館の部分は床が未完成のまま使うことができるというので、これも予定より1週間遅れで6月26日に新図書館オープンのための拡大運営委員会とパーティをすることになった。1週間前になり招待状を作り始めても、建築はなかなか進んでいないように見えた。「引越しはいつできるの?」、委員会やパーティもまたまた延期かと心配するのは私だけのようだったが、建物の祝福のために神父に約束をしていた日掃除に出かけたが、まだまだ建築現場そのもので祝福は無理とわかり、サビナ先生は神父に断りに行かなければならず、さすがに彼女もいらいらし始めた。
 それでも、まだドアの取り付けや窓のガラス取り付けが行われている中、前日には引越しを強行、最後の数日はジャコブ先生自身が大工仕事をしていた。サビナ先生いわく、彼は大工より大工仕事が上手だという。確かに家の中の電気や大工仕事はいつもジャコブ先生がやってくれる。前日は夜暗くなってからも、会議のためのイス運びや建物の周りの瓦礫を片付けるために図書館員の先生たちが駆り出されていた。こうして二日前までは建物も未完成、周りは瓦礫の山だった新しい建物は、CCDMの事務所となる半分は窓ガラスなしドアの取ってなしのままではあるが、一応図書館をオープンできるまでになった。
 パーティのための資金集めや、当日の食事準備のリーダー権争いなど問題はいろいろあったけど、始まってみるとなかなか立派なセレモニーであった。はじめの祈りから始まって、図書館基金との契約書の確認と署名、鍵の贈呈、テープカット、記念のタイス(東ティモール伝統の織物)の贈呈のあと、図書館に入って委員会の開始、ケーキカット(よく見ると本の形をしていた)のあと、飲み物とケーキでブレイクタイム。そのあとミーティングが再開、サビナ先生やイリオマールの行政の長であるアビリオ氏は、自分たちの図書館を自分たちで継続していくためにみんなの協力が必要なことを力説。地域のリーダーたちからも賛同の意見が出されてミーティングは盛り上がったが、肝心な図書館員たちはおとなしいし、女性たちはほとんど食事の準備に回っている。ミーティングが終わり、食事となり、この盛り上がりが継続することを願いながら閉会。

働き手は少ない

 翌々日の月曜日、図書館員は相変わらず来ない。ためしに一日は開けてみる。場所が変わって小学校からは少し離れたが、いつもどおり午前の授業が終わるとまず低学年がどっとやってきた。スペースが広くなったこともあって、とくに午前中は図書館員が2人は必要。翌日からしばらくディリに出かけたので、1週間は休館となり、その後は図書館員がいるときのみ開館することになった。アンセルモ先生はほとんど毎日やってきたが、午前中は学校があるので午後だけである。子どもたくさん来る午前中は閉館となることが多くなった。私はドアを開けて中で作業しているので、入り口が「TAKA(閉館)」となっていても、子どもたちは「開いてる?」とやってくる。そのつど、「まだ先生が来ないから、開けられないんだよ」と答えなければならないのはほんとうに残念だった。
 そのころ私がしていた作業は、日本語の絵本のテトゥン語訳とタイトルのテトゥン語訳だった。図書のリスト作りには日本語のままのタイトルでは困る。はじめはローマ字表記にしようかとも思ったが、日本語の絵本は私が帰ったあと何語であっても訳されることはないだろうと思うと、せめてタイトルだけでもテトゥン語に訳しておこうと考えてはじめたのだが、タイトルだけでも意外に難しい。このタイトルの作業が終わった8月のはじめ、図書館員が来なくても図書館を開けることにした。簡単な物語なら何とか意味のわかるような訳をつけることはできたし、少しずつ作業は続けたが、もし訳ができても私の帰国後図書館が閉まったままでは意味がない。せめて開けられる今のうちに開けておこう、と思うようになっていた。アンセルモ先生も「今はアナスタシア(私のクリスチャンネーム)に教えてもらいながら一緒に仕事をしているからいい。けれどたとえ給料がもらえても、一人だけで図書館の仕事を続けるのはいやだ。」といい始めていた。確かにサビナ先生でさえ、図書館に来ていてもあまり仕事をしなくなっていた。夜のコンピュータの仕事は熱心だけど、アンセルモ先生にだけお金を出しているのと、彼のほうがどんどん仕事を覚えていくのが面白くないようだった。
 それでも学校が休みになり、私の帰国が近づくとサビナ先生とアンセルモ先生はほとんど毎日図書館に来るようになった。この二人が図書館にいて、なおかつ子どもがやってくると、図書館は本当に生き生きとしていた。カウンターの仕事をサビナ先生に任せて読めない小さな子どもにアンセルモ先生が本を読んであげることもあった。サビナ先生が私に見せようと幼稚園児の子どもたちに踊ってくれるように頼んだりすると、子どもたちは喜んで歌いながらダンスを披露してくれる。こんな状態が続けられればいいのに・・・と願わずにはいられなかった。

専従スタッフ誕生〜最後の引継ぎ

 荷物をまとめ、家の中も整理していよいよイリオマールでの仕事を終える日が近づいていた。高橋さんの8月の定期訪問にあわせて17日朝8時からパブリックミーティングが開かれることになった。前日午後イリオマールに到着した高橋さんに休む時間はなかった。その日の夕方の事前ミーティングの前に私は高橋さんに必要な報告を済ませ、夕食後は明日の打ち合わせ、翌朝6時にはレレ副司令官が泊まっている彼の兄弟の家に出かけて行って、寝ている副司令官を起こして打ち合わせ、こうして開かれたパブリックミーティングで二人の有給専従スタッフが選出され、サビナ先生は図書館長、アンセルモ先生は副図書館長に留任。マテウス先生に代わってセルベリーノ先生が新しく副図書館長となった。アビリオ氏の「図書館は教育に必要なもので、図書館の仕事は先生の仕事の一部であり、当然しなければならない仕事である」という話やレレ副司令官の図書館員に立候補しながらさぼっているのはけしからん、というお叱りの言葉もあり、少しはお灸がすえられて他の図書館員たちも専従スタッフを支えてくれることを期待しつつ、何とか継続できる形となって一安心。
 翌朝18日、ディリに向かうTNCCの車に荷物を詰め込んでイリオマールをあとにした。ディリで残っている仕事はサビナ先生との買い物と引き継ぎ。オイクシにおくる絵本の訳貼りも残っていたので、残り二日も結構忙しかった。19日午後、約束の時間より早くサビナ先生がホテルにやってきて2日間の打ち合わせをした。ホテルの私の部屋はまだ訳貼りの作業の途中で、サビナ先生は図書館同様の私の部屋を見てやや呆れ顔。翌日はファリンテル・デイ(東ティモールの祝日)で、商店が休みになるかもしれないと気づき、まず買い物に出かけた。買い物が済んだあと一休みした喫茶店で前から聞こうと思っていたサビナ先生の生年月日を聞いてびっくり。なんとこの日はサビナ先生の誕生日で、本人も私のメモ帳に書きながら気がついたのだった。ちなみに二人の副図書館長も同級生、同じ年齢だという。まだ20代後半の若い三人が中心となってイリオマール図書館をぜひ盛り上げていってほしいと思う。
 その晩と翌朝最後の訳貼りをして、約20冊の絵本をシスター・ルシアに渡した。彼女はオイクシに赴任する前の休暇で実家に帰るのを延ばして待っていてくれた。シスター・ルシアはテトゥン語になっている絵本を見てとても喜び、前に渡していた本とともにオイクシにもって行き、すぐにでも本を管理する人を探したいと語ってくれた。
 午後からはサビナ先生とともに、彼女を紹介するためにシャナナ・リーディングルームとメアリー・マッキュロップというグループ(テトゥン語の辞書や教科書を作っているグループ)のシスターたちのところへ行った。シャナナ・リーディングリームにはできたばかりの東ティモール図書館情報協会の中心的メンバーであるニコルさんがいて彼女にサビナ先生を紹介することが目的だったが、ちょうどそこで働いているスタッフの一人がサビナ先生の高校時代の同級生だったので、彼女はさっそくこれからいろいろ教えてもらう約束をしていた。ニコルさんは私たちを裏方のスタッフたちにも紹介して、その仕事場も見せてくれた。これらの引継ぎや出会いを通してもサビナ先生は自分のこれからの役割を再認識したようだった。2日間で買った本や寄贈してもらった本などの荷物を持ってイリオマールに帰っていくサビナ先生を見ながら、約8ヶ月の私の仕事が終わったことを実感した。
 本当に彼らが図書館を継続していけるのか、という不安が消えたわけではない。継続していくために日本からできる支援はどんなことか、どのように彼らをサポートしてゆけばいいのか。未知なことだらけである。私自身何一つとして確信はない。私がイリオマールを離れる段階で図書は約500冊ほどになっていたが、まだまだ足りないし、本を供給し続けなければ図書館は死んでしまう。その図書館の管理についても課題は山積している。そのうえ日本からイリオマールの人々に連絡を取るのは容易なことではない。けれど私はすでに彼らと同じ船に乗ってしまったようだ。多くの人たちの善意がそれを後押ししてくれている。そして、私はそれらすべてを動かしている大きな力を感じている。この船はどこに向かっているのか、私がどこまでいけるのかわからない。“ビブリオテカ・イリオマール号”はまだ船出したばかりである。★


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