<書評>2つあります。

神の慈しみの島
東ティモール 〜草の根医療チームの記録

著者:亀崎善江
出版社:女子パウロ会
2003年12月25日発行
400円
評者 河原田眞弓

この「草の根医療チームの記録」は単に活動記録だけに留まらない。東ティモール東部にある第三の町、ロスパロスとその近くのフィローロを拠点とした10年間に及ぶ東ティモールでの定点観察記録であり、日本人ボランティアたちの心の成長記録、そしてまた、東ティモール支援グループの歴史の、一側面の記録でもある。
 長く海外との交信が閉ざされていた東ティモールに転機が訪れたのは1989年、インドネシア政府が東ティモールを部分解放したときだった。その年、ローマの教皇ヨハネ・パウロ2世が首都のディリを訪問。教皇の短い滞在の直後、教皇に窮状を直訴しようとした学生たちがインドネシア軍に捕らえられ、拷問にあったことがニュースとなり、とりわけカトリックのメディアで大きく取り上げられた。東ティモールは人口の約9割がカトリックだと言われている。1989年、ベロ司教と同じサレジオ会に属するスロイテル神父がいち早く東ティモール視察を行なった年、日本各地のカトリック教会内部でも東ティモール支援の気運が高まった。翌1990年には、ウォーカソンで集めたお金を携えたカトリック京都教区の青年代表が、スロイテル神父に同行して東ティモール入りを果たしている。同年、アメリカ大使モンジョ氏の訪問に際し、直訴しようとした青年たちが、またもやインドネシア軍に弾圧されるとのニュースが報道される。部分的解放とはいえ、外部との接触が可能となった東ティモールからは、内部の惨状が少しずつ報じられるようになってきていた。
 部分的解放によって繋がることになったカトリック教会のチャンネルを通じて、支援活動が強化されていった。そして1991年、何人もの司祭・修道女・支援グループの仲間等が東ティモールへ「潜入」するに至った。
 共に東ティモール支援に携わって来た者としては、やはり第1回目の訪問記録が興味をそそる。東ティモールが晴れて独立国家と成り得た今だからこそ書ける「潜入」の事実。いったいどれくらいの人が危険を冒してこの国を訪れたことだろう。10数年間の記憶が走馬灯のように駆け巡っていく。
 著者は医療活動を通じて、現地の人々の健康状態とその移り変わりを掴んだだけでなく、インドネシア政府の政策の現状とその移り変わりをも感じ取っていく。著書のあちらこちらにさりげなく織り込まれているインドネシア支配下の東ティモールの状況と人々の反応。東ティモールの人々の現状を理解するにつれ、著者の憐れみと悲しみの気持ちは怒りに変わり、それが東ティモールへの情熱と勇気へと変化していく。著者は初めての東ティモール訪問時、既に60代後半であったと思われるが、年齢をちっとも感じさせない。それどころか、精力的に診察を引き受け、活動し続ける様からは若々しいエネルギーすら感じる。出会った人々との関りを大切にし、関りを通して自分の姿を見つめ直し、時には反省し、その人々から学び続けていく姿勢。人間は色々な間違いを起こしながらも幾つになっても成長し続けていけるのだということを実証しているかのような著者の生き方に感嘆する。
 日本人ボランティアたちの心の内面が成長していく様にも共感を覚える。著者が記すように、東ティモールの民衆と関ることは、誰のためでもない、自分自身のためなのだ。今まで自分で自分を束縛していた女性が東ティモールで新しい経験をし、自信を得、自分自身の束縛から自由になっていく姿。東ティモールでの医療ボランティア活動をとおして人生の指針を見出していった医者と若い医学生たち「東ティモールに魅せられ、東ティモールによって生き返らせてもらう」というこの心の成長の経験は、たぶん、東ティモール支援に関った多くの人々の間に共通するものだろう。東ティモールの話を自分の周囲の人に話していると、「何があなたたちをそんな風に東ティモール支援へと駆り立てるのか」とよく聞かれる。インドネシア政府による厳しい弾圧のうえに、厳しい気候条件や生活条件等、様々な悪条件に耐え、諦めることなく希望を抱き続けて献身している東ティモールの人々。その姿が私たちに尊敬の念を起こさせ、支援に駆り立てたのだ。東ティモールの人々の姿を見ていると、自分自身の姿勢や生活を振り返らざるを得なくなる。東ティモールに比べればずっと自由な国で生活している私は何をしているのか、と。
 海外支援の有り方については、いつのどんな時代にも賛否両論が巻き起こる。しかし、正しい答えは存在するのであろうか?「ともにいてくれてありがとう」という地元の人々からのメッセージを受取って、著者とその仲間たちは「患者一人ひとりを個々の人格として尊重し、状況や感情を共有しながら、人間として『ともに有る』こと」という医療者としての基本姿勢を再発見する。そして地元の人々が渇望しているのは「劣悪な生活環境と貧しさの中で、痛みを和らげてくれるだけでなく、苦しみの時間と心を分ち合ってくれる人間の存在」だと気づいていく。それは全ての人間に当てはまることではないか? 活動する上で様々な矛盾を抱え、焼け石に水と知りつつも、「第3世界の結核は一人の完治から。一人でも治ったら他の人々の目覚めになる。」という言葉に励まされ、活動を続けた著者たち。活動は、現地にプライマリーヘルスケアの拠点としてのAFMETを設立することで結実するが、現実の中での矛盾と葛藤が消えることはない。
 この記録は、海外支援に携わる全ての人たちに対して示唆を与え、考える機会を提供してくれる。
 医療チームの活動とは直接関係ないが、著者が出会った何人もの「日本語を話せる老人たち」についても、もっと知りたいと思った。第2次大戦中日本軍の占領下で強制的に日本語を習わせられた世代である。彼等は幾つもの戦争を経験し生き延びてきている。彼等の体験や気持ちは如何なるものか?この質問は次の機会にするとしよう。

リビング・フィールド 。

著者:三枝洋
出版社:光文社
2004年1月25日発行
1,800円
評者:大阪東ティモール協会運営委員

緻密かつ大胆な作品構成と仕掛けで読者をうならせるエンターテインメントの6編。 〔収録作品〕ミンミン・パラダイス、バルカン・ドール、ベトコン・マスク、チモール・アモール、阿片王、リビング・フィールド。「チモール・アモール」は、インドネシア占領下の東ティモールを舞台に、ジャーナリストの活躍を描いた物語である。
 柚子原(ゆずりはら)譲、通称フォトジャーナリスト「ジョー」に、漫画『シティーハンター』の冴羽遼のような容姿を期待してはならない。短 で手足が短く、色白の丸いお腹の中性脂肪で体重は80キロを超えているのだから(笑)。 急斜面の漆黒の断崖、人が一人かろうじて歩ける幅の道を踏みしめ、友を背負い、駆け下りて行くジョーがいる。だが、「脚が短い分、重心は低い。そう簡単に転びはしない」。読者はそんなジョーを時に頼もしく思う。ユーモラスな逆説。
 冒頭、ジョーが口ずさむ口笛は「ホテル・カリフォルニア」だった。失われた夢の残滓ー。歴史の渦中に飛び込んだまま、消息不明となった旧友。彼らとの再会は果たされるのか?あのときの「スピリット」の行方を求めて彷徨が暗示される。 頁が進むにつれ、ジョーの過去が少しずつ断片的に積み重ねられて行くあたり。取材事件の動機、歴史的背景の説明も含め、近現代史の引き裂かれた矛盾を縦走しながら、入り組んだ時制の出来事を処理する、三枝氏の手腕に注目したい。この『リビング・フィールド』所収の6編は、主人公ジョーの心の軌跡を巡って展開される連作なのだ。ジョーの視点で語られる、緻密な「逆説の世界のリアル」こそが、作品最大の「読ませどころ」になっている。そのエンターテインメント性にも感心した。
 世界は一つに繋がっているというが、いったい全体、どんな具合に繋がっているのか?地理学的にも離れ、もつれに縺れて錯綜したこれらの出来事を、記憶を使いオーバーラップさせながら、手繰り寄せ、原因と結果の因果関係にまで糸を解きほぐして行こうとするジョー。彼を突き動かす欲望とは果たして、何か? 「あなた方は何に人生を賭けているのか?」という一文に出会う。自分の目で確かめなくてはならない、撮影したい特別な対象がある。それは、見たい、聴きたいだけの欲望・好奇心だけではあるまい。
 「本当のジャーナリストは、ヘロイン中毒の者より始末が悪い。命懸けで何だってする。「知る」という、贅沢な麻薬に酔うことを知っている輩だからな」と。 あらぬ誤解や虚偽の情報操作に埋もれた中の「リアリティー」を、鋭く嗅ぎ出す嗅覚・直感が、一瞬の機転を生む。紙一重の差で、ジョーと仲間の生死を分けていくのだ。 ならば注目の、作品【チモール・アモール】ではどうか? 1995年10月、ジョーは東ティモール・ディリ空港に単独で降り立つ。観光開発会社の調査員という偽装のもとに。山岳部ゲリラ・フレテリン(東ティモール独立革命戦線)のメンバーと接触し、取材すること。インドネシア最大の援助国・日本へ、託されたメッセージを持ち帰り報道すること。それが、今回依頼されたミッションだ。
「やがてジョーは、すれ違う人たちの、妙に静かな雰囲気に気がついた。じきにそれが皆の目にあることが分った。アフリカや他のアジア地域でも同じ目をした者たちがいた。長く被植民生活を受けた者が持つ独特のもの。感情を抑制し、けして心の内を見せない。笑いかけても、ただじっと見返すだけで、けして反応を示さない。ジョーは彼らの放つ排他的な臭いに、息苦しさを感じ始めていた」。 ジョーがサンタクルス墓地に立つシーンが印象的だ。歴史の十字路・分岐点。彼がチモールの問題を己のジャーナリストとしての使命に引付けて回想する場面だ。
 「(サンタクルス虐殺)その銃撃現場を、居合わせた英国人ジャーナリストがビデオ撮影した。彼は兵士に逮捕される前に墓の中にテープを隠し、英国ヨークシャーTVのドキュメンタリー番組で発表した。ジョーは映像を東京で見た。そしてサンタクルスの虐殺を知った」。
 これは他ならぬ著者・三枝氏の肉声と、深い感慨が込められているようにも思うが、如何であろうか?虐殺を世界に知らしめたマックス・ストール氏、人々の視聴を再び東チモールに振り向かせた男に対し、同じジャーナリストとして激しくインスパイアされるものがあったのではなかろうか?ジョーは多くを語らないが、三枝氏のキャリアのなかでの十字路・分岐点を連想させるに足る意味で、私は興味深く、この箇所を読んだ。
 氏も実際にそこに立ち、そこから何かを得たのではあるまいか、と。
 「ジョーは墓地の中を歩いた。人影はなかった。西へ傾いた太陽が、十字架をオレンジ色に染め上げていた。セバスチャン・ゴメスと横木に記された十字架があった。まだ新しい花束が捧げられていた。独立派のこの男は、墓地での虐殺が起こる2週間前に、教会においてインドネシア軍に殺害された。虐殺事件の被害者となった人々の行進は、当初彼の為のものだったのだ」。抑制されてはいるが魂の震えが伝わって来る。簡潔だが力強い文章だ。
「虐殺地は、ここばかりではないのだ。だが、サンタクルス虐殺につながる彼の死がなければ、軍による残虐な行為が世界に知られるのは、さらに遅れることになったにちがいない」。「苦渋にみちた真実、それは歴史の逆説」。
 ただ、残念に思うのは、この作品【チモール・アモール】は玉石混淆と言えばよいのか、正直、文章の質自体、部分により大きな差がある。意表をつく導入部/セリフにちりばめられた状況説明も唐突で、うまくこなれていない印象を受ける。ストーリーの展開上、〔やむを得ないのだが〕モノローグのような東ティモール問題の概略説明が続く。その意味で他の5編が、内容と手法が無理なく、コンパクトに合致した印象を受けるだけに【チモール・アモール】が見劣りする。
 他にも気にかかる点が幾つかある。著者の実際の取材活動が想像以上に困難だったのではないか。作品の構成自体にバランスの悪さを感じる。ゲリラの指令官はジョーにこう語る。
 「我々は、いくら圧力をかけても消して屈しないという証に、存在しなくてはならないのだ。あくまで、我々は独立を要求し続ける。これから私の言うことを記録してほしい。今まで、いったいどれだけの犠牲者が出たことか。ジャーナリストよ、書き残してほしい」。期待は膨らむ。しかし、その後が続かない。ゲリラ・キャンプでの平板な描写。「二日後、部隊の移動の日がきた。すでに司令官のインタビューもすませ、撮影も終えていた。声明文も預かった。成果はあった。ノート、フィルム、テープなどをひとまとめに梱包した」(!?)
 ジョーはメ成果はあったモという。けれども何も書かれていない。どのような成果があったのだろうか?  他者と自分とが関わることで生まれるドラマがここには皆無なのだ。出会わなければそれは生まれない。
 司令官は無味無臭だ。これでは作者の「それっぽい傀儡」、なんちゃって司令官のようではないか。身を賭してまで危険をかい潜り、やっと「出会えた」男。これでいいのかジョー!彼でなければ語りえない、体験の内奥からの肉声を聞きたい。当事者の目線を通してのみ明らかにされる真実があるはずだ。でなければ現地に潜入してまでインタビューを録りにいく意味が無い。公式発表ばかりではつまらない。ジョーよ、答えてくれ!君はどんな質問をぶつけ、彼は君に何と答えたのだ?
 人とひととが出会う衝撃、波紋と言っても良いし「摩擦」でもいい、出会う以前と後とでどう変わったのか内面の影響が何も語られていないのが不自然。プラスマイナスゼロなのだ。これでは「出会わなかった」というに等しい。作品全体から受ける大味な印象はこの辺りにもあるのではないか。
 その意味ではこの作品に実名で登場するラモス・ホルタやジョゼ・グスマン、ドミンゴス・ソアレス神父より、そして上記に述べたゲリラの司令官よりも、遥かに危険を顧みずジョーを導いた花売りの少女や、タクシー・ドライバーの青年ミニモ への、著者の思い入れは深い。セバスチャン・ゴメスを含め、独立を願った若者たちの、勇気への称賛であろうか。ジョーの東ティモール往還、その決死行のエンターテインメント性は見事で、三枝氏はその観点に絞ってのみ作品を完成させることができた。そう納得できなくもないけれども。
 例えフィクションだとしても、「本当のこと」を書かなくては残らないだろう。「本当のこと」しか残らないだろう。ここで言う「本当のこと」とは、「内面の現実」と言っても良いし、「魂の真実」と呼ばれるものを指す。 文体の強度に現われる「魂の真実」。この事は他ならぬ三枝氏自らが、実証してみせていると思う。
 何気なく見えている景色が、読者に最大の興奮を生む。ジョーが切り取るまなざしの「力」、に。一瞬も見逃さない。ここに著者が周到にカムフラージュした伏線を!(ストーリーの種明かしは出来ないけれども)短い、さりげない文章が、何と自信に満ち溢れている事か! 裏打ちされた「本当の言葉を」! 収録された六篇のなかでは、表題作の「リビング・フィールド」が、一等抜きん出ている。 これらの短編は三枝氏の緻密な「逆説の世界のリアル」その世界観が完璧なまでに昇華されている点から言っても注目されてよい。熱帯雨林の奥に異界が開かれて行く。樹間から人物たちが動き出す。どこからだろうか?「シューベルトが懐かしい口笛にのって聴こえてくる。」不吉なトッケイ(大ヤモリ)の鳴き声は、数えて九回目に、吉兆に変わる。猛毒のコブラは、クメールの祖霊・ナーガ(蛇神)に変容する。人毛で出来た鳥の巣の正体は?満月を呑み込む龍ム皆既月食。「ジョーは立ちつくした。夜空には弾筋を教える曳光弾が、派手な銃声とともに発射されていた。血の色に染まった満月を背景に、怪しいまでに幻想的な光景だった」。 神話的な心象風景。地上の万物生きとし生けるものの世界。その中で人間もまた流転をくり返している。ジョーが辿り着いたのは、まさにそのような転生の果ての世界だったのだろうか?ここではない何処か。この時代でない別な幸せな時代。その意味でこれは著者・三枝氏の「見出された時〔時代〕」の夜想曲 であり、「生きものの記録」なのだと思う。


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