<政治>

与野党の溝、深まる
「国民統一プラットフォーム」と「開かれた統治」政策

松野明久

 東ティモール主権回復から1年、フレテリン政権はどのような状況にあるのだろうか。88議席中55議席を有するフレテリンは、若干の少数友党の支持もえて、安定多数を誇る。無力感にさいなまれる野党は、フレテリンの「傲慢さ」を批判するが。


政権に対する不満

 フレテリン政権に対する不満はどういうものか。人々の声からひろってみると、だいたい次のようになるのではないか。
 第一に、「無策ぶり」があげられる。明確な経済政策、開発政策は打ち出されず、失業問題は一向に解決しない。
 これには言い訳もある。現在の政府予算の策定にあたっては国際通貨基金や世界銀行の監督があって、政府の好きなようにできるわけではない。そしてその監督は、政府が積極的に産業育成することにブレーキをかける方向に作用している。
 しかし、世銀やIMFだって外国投資は歓迎するだろうし、政府もそれを求めているが、この点についてだけでも実績はほとんどない。おそらく通常であれば、開発5カ年計画といったものの策定に取り組んでいていいと思うのだが、それも見えない。国民も今まだ苦しいのは理解するとして、雇用をどう確保するのか、政府が展望を示さないことに苛立っているのだ。
 第二に、フレテリン一色の人事があげられる。現在までに政府のほとんどのポストは埋まった。主要なポストはフレテリン党員、またはフレテリンに非常に近い人物が埋めている。問題なのは、郡長(全国65郡)を全部上から任命したことだ。県知事はすでに任命されている。つまり、地方自治とは名ばかりで、県知事、郡長はみなフレテリン政権の出先機関と化している。
 とにかく独立したばかりということもあり、政権と政府との線引きというのも実際には難しいのだろう。政権をとった政党がどの程度政府人事をいじれるか、というのは国によっても違う。ただ、フレテリンは、国造りのスタートにあたって国民がフレテリンを選んだのだから、フレテリンの考えるように国造りをするのが国民の意思だと、考えている。しかしどう考えるにせよ、県知事、郡長の任命制は民主主義の観点からは正当化されないだろう。野党はこれを憲法違反だと非難している。
 第三に、首相マリ・アルカティリの個人的キャラクターがあげられる。アルカティリはフレテリン設立当初からの党内実力者だ。彼は1975年の初代内閣発足の時、政治担当大臣としてフレテリン政治の中心に位置していた。その他のポストはいわば技能を買われたテクノクラート・ポストだったのだ。彼にとってル・オロは弟分。そんなル・オロをフレテリンの新党首にしたのは、中で戦ってきた者たちに対するフレテリンとしての敬意を表現する必要があったのと、そもそも党首などというのは名誉職に過ぎないという、フレテリン設立当初からの「伝統」があったからだ。
 したがって、彼は「人気」というものをほとんど気にしない。党をがっちりと固め、そこに基盤があれば権力は揺るがないと考えているようだ。人気で競えば、シャナナやラモス・ホルタにはかなわない。
 しかし、首相ともなると、実際には人気というのは大事なものだ。いやがおうにも、人々はそこを見る。テレビやラジオ、新聞での彼の発言や態度。彼の発言には皮肉が多く、また「フレテリンは政権党なのだから当然だ」式の発言は、人々には傲慢とうつる。
 一方で、彼の行政手腕を高く評価する人は、とくに専門家、国連スタッフの中に少なくない。ティモール・ギャップ交渉で見せた彼のタフ・ネゴーシエーターぶりがとくに名高い。
 第五に、海外亡命者組、とりわけモザンビーク・コネクションの支配に対する反発である。アルカティリ、アナ・ペソア、ロジェリオ・ロバトは確かにモザンビーク亡命組、ロケ・ロドリゲスはアンゴラ。ポルトガル亡命組も多い。とにかくポルトガル語政策と相まって、ポルトガル語圏とのコネクションが強いというのが現政権の特徴だ。彼らの傾向として、東ティモールにおけるインドネシア色をできるだけ薄めたいというのがある。インドネシア支配の残滓と映るのだろう。しかし、住民はこれだけインドネシアとの経済関係に組み込まれた現状で、インドネシア的だからという理由で便利なことを放棄する気はない。インドネシア語もしかり。過去24年間の発展について自覚がない、と批判されるのはこういうところだろう。

国民統一プラットフォーム

 ASDTと並ぶ野党第一党の民主党(PD)の党首、フェルナンド・デ・アラウジョは、3月24日、声明を出して、首相マリ・アルカティリに対する5項目の不満を表明した。5項目とは、(1)内閣改造を議会に報告しなかったこと、(2)ボボナロ県知事解任及びその際のひどい発言、(3)郡長任命は憲法違反、(4)「開かれた統治」政策は政府と政権のちがいをあいまにするもの、(5)移民法の外国人の政治活動に関する条項(11条)である。声明は、首相が議会でこれらの質問に答えるよう議長にアレンジを要請するものであった。
 それからしばらくたった4月7日、フェルナンド・デ・アラウジョの呼びかけで野党8党が集まり、「国民統一プラットフォーム」(Plataforma Unidade Nasional)を立ち上げた。野党連合のスタートである。
 これをテレビで見たアルカティリは、「まるで宴会を描いた喜劇でも見ているようだった。インドネシアと協力していたやつもいるし、ポルトガルと協力していたやつもいる。あとの連中はまだ非常に若い。もっと早く走らなきゃと無理しているようだ。もし宴会に呼ばれたら、行くよ」と、例の皮肉をこめた調子で評した。(Talitakum, 56号)
 もちろん、立場が違う8政党が何でどう団結するのか、明らかではない。今のところ「反フレテリン」で固まっているだけだ。

「開かれた統治」政策

 「開かれた統治」(Governacao Aberta)というのは、英語でいえば「Open  Governance」。現実にやっていることは、首相以下大臣たちが揃って各県を訪れ、住民と直接に対話する集会をもつことだ。国のトップが民衆の意見を聞く、というのが趣旨だそうだ。野党はこれを「選挙運動の先取り」であり、中央集権化につながると批判している。
 国のトップが民衆の意見を聞く、というのは今の東ティモールでは必要なことだろう。地方にはテレビも新聞もない。政府はディリにいて何をしてるのやら、と思われている。地方の住民にしてみればトップが地方にやってくるのは歓迎のはずだ。
 問題は、じゃあ、地方の住民の声がなぜ中央に届かないのか、ということを問うているかどうかだ。地方行政はまだ未熟で、しかも県知事、郡長まで中央からの任命とあっては、地方行政は中央の出先機関にしかならず、住民の意見を中央に届ける役割を果たさなくなるのは道理。そこで中央が地方に出っ張って行って意見を聞き、それを中央から地方への命令として発するということになる。これは明らかに、中央集権体制であり、「開かれた政治」は中央集権体制だからこそ必要なメカニズムとなる。
 地方の住民にしてみれば、あらゆることが中央に直訴しなければ実現しないという事態にもなりかねない。そして中央とはフレテリンである。つまり、フレテリンの中枢にコネがなければ話が通らない、となってしまうのだ。 なぜ、フレテリンは地方政治制度が地方の住民の意見を吸い上げる仕組みをもつように作ろうとしないのか。ここが野党の批判点である。
 「選挙運動の先取り」というのは、どうだろう。フレテリンは選挙は2007年まで行わないと言っている。2003年というのは選挙運動にしては早すぎる。しかし、大臣たちが揃って地方行脚するイベントは、実質的に地方の意見をじっくり聞くというよりは、やはりパフォーマンスだろう。事実上、フレテリン指導部の顔見世興行となっているわけだ。
 そもそも、議会制度が、比例代表制を中心としているため、地方選出議員は各県に1人しかいない。それもフレテリンがオイクシを除いてすべて支配している。その議員たちは地方選出とはいえ、フレテリンの指名を受けなければ当選しないだろうから、フレテリン中央指導部の方を向いている。つまり、地方の利益を反映する仕組みになっていない。

排外主義のあらわれか?

 今年に入ってからいくつか、排外主義のあらわれともとれる動きがあった。長年外国支配を受け、国連暫定行政時代の外人の氾濫ぶりに辟易した東ティモール人の正直な気持ちなのかも知れない。しかし、現政権の「センス」というのはこれでずいぶん疑わしいものになったと言うことができる。
 2月14日付『ジ・オーストレイリアン』紙は、オーストラリアからの援助品がディリ港に何ヶ月も積みおかれたままになっていると書いている。NGOの援助物資は無税が原則だが、輸入品となると30%近い税金がかけられる。援助物資であることを証明する書類があっても、当局が信用しない場合、積みおかれたままとなってしまう。
 ロータリー・インターナショナルは、寄贈された32台のオートバイをダーウィンからディリに運んだが、あらゆる証明書を提出したにも関わらず、純粋に輸入されたと同じ税額に当たる9684ドル(豪)の請求書を渡されたという。内閣に訴えたが、聞いてもらえなかった。12月14日に到着したバイクは、2ヶ月近くおかれ、結局ロータリーはそれらをダーウィンへ返送してしまった。今年も同じようなバイクの寄付イベントがあるが、東ティモールへはこういうことが二度とおきないという保証がない限り、寄付しない方針だ。
 また、新しく成立した移民法の第11条の問題がある。外国人はデモに参加するなど政治的性質の活動をしてはならない、ときわめてあいまいな規定になっている。(首相のマリ・アルカティリ、外相のラモス・ホルタはかつて来日した際、インドネシア大使館や領事館へのデモに参加したことがあるのだが。)
 さらに、到着時のビザ代25ドルはまだ理解できるとしても、滞在税ともいうべき1月につき30ドル、レギュラーな滞在でない者(つまり観光客?)は1月につき50ドルを出国時に課すという、いかにも「外人は要りません」というメッセージなのだ。
 政府は、インドネシア人の不法滞在者を取り締まるためだというが、外国人の就労は雇用者からの証明書がなければ認められないとか、証明があっても許可される就労分野を限るとか、いくらでも方法はあるはずだ。援助のために来ているNGOスタッフも不法就労者と一緒にされてはたまらないだろう。
 また、こんなやりとりもあった。
 「東ティモール司法モニタリング・プロジェクト」(JSMP)というNGOが、1月に東ティモール軍(F-FDTL)がハトリアにおける民兵の襲撃かと思われた事件に関連して50人を逮捕したことを法的根拠がないと批判した際、タウル・マタン・ルアク司令官が、外国人は東ティモール人に人権についてとやかくいう資格はない、と激怒した。しかし、50人中31人が逮捕後1週間、ディリ地方裁判所につれてこられた時、全員の釈放を求めたのは検察だった。そして裁判官は検察の言い分を認めた。検察は軍とこの間連絡がとれなかったと問題を告白した。31人は軍によってベコラ刑務所に入れられたが、現行犯でもないのに事前の逮捕状もなく、また拘束後72時間以内に拘束の是非を裁判所が判断するという憲法規定も適用されなかった。つまり、テクニカルには軍は確かに法的手続きをはずれていた。
 タウルの反応は、あたかもそれを指摘しているのが「外国人」だという認識だ。現実には、裁判所で検察に敗北したのであり、裁判官だって外国人ではない。JSMPについて、軍と一緒に現地に行って住民と話をしてくれ、そうすればわかる、などと言ったわけだが、問題は、同じことを検察や裁判官に彼が言えたか、ということだろう。
 「今東ティモールにはたくさんの外国人がいて人権について言っている。しかし、多くの国はインドネシア側についていたわけで、したがってティモール人に人権を説教すべきではない。今ではそういう連中が人権についてしゃべっている」とかなり感情的なリアクションだった。(Timor Post, 22 Jan)★


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