<教育>
障害者の教育、元ファリンティル・メンバーの職業訓練

文珠幹夫

 社会や国家の復興、再建途上では経済やインフラに優先順位が与えられる。東ティモールでも同様に農業振興による経済再建が唱えられている。また、政府によると子供や社会の将来を考え、教育にも高い優先順位が与えられていると言う。しかし、その実はどうであろうか。予算配分など十分とは思えない。教育の中でも、視覚、聴覚、歩行など障害を受けた人々への配慮はどうなのであろうか。一方、復興の「不安定要因」にされてしまった感のある、闘いの英雄、元ファリンティルの人々への配慮はどうなのであろうか。


障害者の学校

 東ティモールの町中や村落部を歩いていると、障害を持った人々に出会うことがある。特に子供達を見たとき、この子達の教育や養育はどうなっているのかと思っていた。村落部では、学校に行かせることも無いようであったからだ。
 ディリには障害者の施設と学校があると聞いた。ディリのファツハダに障害を受けた子供の施設が2000年4月にNGOによって設立されたらしい。訪問したことがないので詳しいことは不明だが、まだ規模は小さく数名の子供を預り、十数名の子供達に教育と食事を与えるに留まっているらしい。
 同じディリのタイベシに東ティモール唯一の障害を持つ子供の学校SDLBがある。設立は、インドネシア支配時代の1990年11月である。この学校もNGOが設立した。現在校長のリジア・ダ・コスタさんが寄付を集め、ディリの市内や周辺の村々をまわって障害を持った子供達を探し、親を説得しながら教育を始めた。当時、彼女は障害者教育の専門教育を受けていなかったが、1999年ジャカルタに行きそこで障害者教育を勉強した。しかし、1999年9月の騒乱で、学校はインドネシア軍と民兵によって破壊された。2000年、彼女は共に活動していたインドネシア人神父から、学校の再開をしてはと促された。彼女は一人で再開を決意し、破壊され何も残っていない学校の再建を始めた。ハンディキャップ・インターナショナルとティモール・エイドの協力を得て校舎が再建された。再建と言っても屋根をつけ、黒こげの壁を塗り替え、金網だけの窓、ドアを取り付けたくらいの修復である。
 そして、再び障害を持った子供を捜し、親を説得するところから始めた。現在、教員は校長を含め3名。専門教育を受けたのは校長だけである。彼女が他の2名の教員の指導をしている。そのためそこで教育を受けることのできる子供の数は限られている。小学教育と中学教育をしたいらしいが、現在小学校の教育しかできていない。生徒数は小学生33名。中学生は11名いるが自宅待機の状態である。教育用の設備はほとんど無く、授業で用いる点字板や白い杖など備品はサンプル程度しかない。
 政府からは教員の給与のみ。それ以外の補助は全くない。視覚・聴覚・足の障害を持った子供達は一人で登下校はできない。そのための車が必要だが、寄付でもらったのは80年代製の日本製マイクロバスのみ。走行距離はなんと70万キロ(月まで往復できる)。走行はほとんど不可能である(注1)。寄付をする側も、もう少しましなのをと思うのは私だけであろうか。現在送迎のみ政府が車を出している。
 校長の希望は、教員に外国で専門教育を受けさせたいこと、障害を持つ子供を捜すためと送迎用にまともに動く車が欲しいことである。もちろん教育・トレーニング用の備品の充実もである。そして何より子供達のメンタルケアのできる専門家の診察と助言が必要とのことである。

職業訓練校

 東ティモールでの失業問題は、国連(UNTAET)や政府の無策もあり高止まりしたままである。特に元ファリンティルのメンバーにとっては深刻である。以前にも季刊・東ティモールで指摘したが、元ファリンティルのメンバーに対するUNTAETと政府の扱いは酷いものであった。東ティモールの人々にとって英雄であるにも関わらずほったらかしにされた。彼らの多くは長年山岳部でインドネシア軍と対峙し、その間教育を受けることもなかったため就職が困難である。
 その彼らに職業訓練の機会を与えている所の一つが、ディリ・コモロにあるドン・ボスコの職業訓練所である。カトリックの団体であるサレジオ会が運営している(注2)。インドネシア占領・支配時代から運営されている。当時はインドネシア政府や軍から圧力を受け続けた。1999年9月の騒乱では焼き討ちにあっている。昨年から校舎の再建を行い、今年始めにほぼ再建された。建物の再建には「日本から草の根援助の支援(注3)があった」と所長のアドリアノ・デ・ジーザスさんが話していた。
 研修生は現在50数名で、ほぼ全員寄宿生活を送っている。年齢は10代後半から30代である。その内、約20名が元ファリンティルのメンバーである。研修と生活費は無料である。訓練内容は、木工、金属加工、電気工事、ブロックなどの建築材料製作などである。しかし、設備は古く、金属加工の機械類や電気工事実習用の設備は30年前の日本の工業高校を思わせるものも多い。
 アドリアのさんの話では「読み書きのできない元ファリンティル・メンバーも多い」「彼らにはゆっくりと繰り返し、理解してもらうまで説明し指導している」とのことである。彼らに敬意を払っている様子がうかがえた。
 訓練を受けている所を見学したが、どの研修生も熱心に作業に取り組んでいた。その中に、昨年ストリートチルドレンの調査の時出会った青年がいた。16才になる彼は5年間ディリ港の廃船の中で生活していた。昨年、ストリート・チルドレンのシェルターを運営しているNGOに救われたが、今年からこの職業訓練校で木工の訓練を受けていた。昨年会ったときのやや荒んだ表情とは打って変わって明るい表情をしていた。彼から声をかけられなければ気づかないくらい顔つきが変わっていた。他にまだ4名訓練を受けていると話していた。
 ここでの訓練を終了すると週給15ドルをもらって仕事ができる。製作しているのは、焼き討ちされ再建途上にある学校の壁材となるブロック、机や椅子、そしてバスケットボールのゴールポストなど体育設備もつくっている。日本の篤志家のある団体が小学校再建支援を行っているが、そのための机や椅子の一部もここで作られている。また、卒業生の中には数人で組んでビジネスを始める者も出てきているとのことである。
 しかし、悩みもあるとアドリアのさんは話した。最大の悩みは運営資金の問題であり、2番目はトレーナーの技能向上を図ることである。東ティモール内ではトレーナーの技術を磨くことは困難であり、外国に留学させたいとのことであった。

注1)ディリで車の修理をしている日本の方が格安で修理を申し出られている。ただし、何とか動く程度までしか修理は困難とのこと。
注2)サレジオ会の職業訓練所はバウカウのファツマカにもある。他にも人々の自力更正で訓練所を作っている地域がある。
注3)82,500ドルの支援で建物を再建、拡張。


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