<法律>

外国人の政治活動を禁止する出入国・管理法を国会で可決
アチェ人が適用「第1号」になる恐れも

和田等


 外国人労働者の流入を阻止したいという意図や、昨年10月のバリ島での爆弾テロ事件以降に高まったテロ攻撃への警戒感、東ティモールにおけるアメリカやオーストラリア、ポルトガルの権益に対する攻撃を示唆する動きがあると国連平和維持部隊が明らかにしたといった事情があるからなのだろうか。あるいは、東ティモール当局が外国人に対する不信感を高めたせいからなのだろうか。12月にディリで発生した暴動に関して、確たる証拠は見出していないとしながらもフランシスコ・グテレス(ルオロ)国会議長は「背後で外国人が関与していた疑いを捨てきれない」と発言したことにも見られるように、東ティモール政府内には外国人恐怖症にとりつかれてしまった人たちが多数存在するのかもしれない…。そうとでも思いたくなるような出入国管理・政治難民法が5月6日に国会で可決された。全議員88人のうち賛成が70、反対2、保留2で、野党第一党・民主党や社会民主党、ティモール闘士連合(KOTA)、ティモール民主連盟(UDT)、ティモール社会党の5党の各議員14人は採決の際に反対の意思を表示すため、国会を退場している。


外国人の権利と義務

 この出入国管理・政治亡命法(以下、入管法)で大きな問題点として浮上しているのは第2章「外国人の権利と義務」にある11条と12条。同法11条では、「外国人が政治的色彩を持つ活動に従事することや国内問題に直接的あるいは間接的に関わることを禁じる」と規定されている。さらに、外国人が政治的色彩を持つデモや行進、集会、会議を組織したり参加することを禁止し、結社の自由も認めず、東ティモールに滞在する同国人や第三者に対していかなるの国の政党や党派の思想や構想、活動計画を広めたりそれに従うよう影響力を行使したりすることも禁止している。
 これにより東ティモールに在住する外国人や受け入れを認められた政治亡命者は、いかなる政治的発言も封じられるのと同然となる。たとえば、自国政府の圧政を逃れてきた政治亡命者がその抑圧的政権からの解放を求めて東ティモールで支持を訴えることができなくなることも考えられる。より具体的な例をあげれば、スリランカのタミール人が自国で迫害を受けているとして東ティモールへの亡命が認められても、東ティモールとスリランカが良好な国家関係を築いていた場合、このタミール人亡命者が東ティモールでスリランカ政府のタミール人抑圧政策を批判してそれをやめさせるよう支持を訴えることはできなくなる。海外に避難した東ティモール人が避難先の国で、東ティモール人に対する人権侵害をやめるよう訴えて歩いたようなことは東ティモールではできなくなるわけだ。かつてインドネシアにいた東ティモール人が味わった苦汁を今後は別の国の亡命者が味わうことになりかねない。東ティモール政府にしてみれば、亡命者を受け入れてやるのだから、人権尊重とか自国での民族解放といった主張はすっかり捨ててしまいなさいとでも言いたいのだろうか。
 実際、独立回復1周年記念式典の際にインドネシアからの独立を求めるアチェの人たちを支援する小規模なデモが実施され、「メガワティ大統領は(アチェを攻撃しないという大統領選挙時の)約束を守れ」などと書かれた横断幕を掲げてその主張を伝えようとする動きが起こった。このデモ参加者は警備にあたっていた警察官らに追い散らされ、大きな混乱にはいたらなかったが、その後の東ティモール政府指導者の言動をみると憂慮に値するものがある。
 ラモス・ホルタ外相は、インドネシアの主権と統一を脅かすようなアチェや西パプアの独立運動を東ティモールは支援しないとして、アチェの独立支援デモが起こったことに遺憾の念を表明。アチェ人が政治難民として東ティモールに滞在しているとの認識は持っていないし、アチェ人が独立を求めるデモを実施することも容認できないと言明した。
 東ティモール国家警察のパウロ・マルティンス長官は、外国人は東ティモールで一切の政治活動にかかわるべきではないと述べ、アチェ支援デモにアチェ人や外国人が参加していなかったかについてや、デモの背後関係についての調査を行なうよう出入国管理を担当する警察官に指示するとの方針を示している(注:出入国管理局は今年から警察の管轄下に置かれることになった)。まだ入管法が発効していないにもかかわらず、警察庁長官がデモに参加した外国人に対する調査をほのめかしたことは、すでに警察は入管法の施行を前提に先走りしようとしていることを意味する。そこにはまだ法的根拠が与えられていないにもかかわらず、である。権力機関が法の統治の概念を無視して「暴走」するーー。その危険性が芽生えつつあると感じるのも単なる杞憂でおわってくれればいいのだが…。
 また、もし入管法を先取り適用する形で東ティモールに滞在するアチェ人がインドネシアに強制送還させられるようなことになれば、迫害を受ける恐れもあり、法的手続き面での問題を残すのみならず、人権面でも汚点を残すことになってしまう。憲法の10条で「東ティモールは民族解放を求める人々の闘いに連帯を表明し、民族や社会の解放、人権の擁護、民主主義や平和を求める闘争に身を投じた結果として迫害を受けた外国人に法律に則って政治亡命の権利を付与する」と、民族解放闘争への連帯を表明し、人権が尊重される国づくりをめざしていこうとの決意に基づく、独立運動の原点ともいえる精神はどこに行ってしまったのだろうか。

政府の「拡大解釈」とNGOの批判

 一方、外国人による政治的な宣伝の禁止の概念が拡大解釈されれば、出身国での選挙に対する在外投票権を持つ東ティモール在住外国人に対する政党の広報はできなくなる。たとえば、2004年までに日本で国政選挙が実施されることになり、自民党の支持者(民主党、保守党、公明党etc.の支持者と置き換えることも可能)が東ティモールに派遣された自衛隊員に対して政策広報を行ない投票の依頼をしたとしたら、違法とみなされるわけだ。いかにおかしな規定を持つ法律かがわかるだろう。
 また同法12条では、「内務省は首相の決定により、合法的な見地から国家の利益や国際関係を脅かす恐れのある会議や集会、芸術的・文化的なデモンストレーションを外国人が催すことを禁止することができる」と規定している。要するに、東ティモールに滞在する外国人に沈黙を強い、政府にとって「都合が悪い」とみなした外国人を首相の自由裁量で一方的に追い出すことができるわけだ。インドネシア占領時代の抑圧からの解放を求めて闘ったときの理念はどこへ消えてしまったのだろうか。東ティモールはインドネシア占領時代の抑圧的な体制を「反面教師」にして国づくりをしていこうと決意したのではなかったのか。東ティモールの将来に厚い暗雲が漂ってきたように感じるのは、思い過ごしなのだろうか。この件に関して、長年東ティモールの連帯運動にかかわり、2001年から東ティモールに滞在し非政府組織(NGO)活動にたずさわっているアメリカ人のチャールズ・シャイナーさんは、東ティモール政府と議会にあてて手紙を書き、次のように訴えながら入管法の「抑圧的な」規定に対する懸念を表明している。
 「もし外国人が市民権にかかわる事柄についての自分の意見を平和的な手段によって表明することが許されないというのであれば、次に同じようにして権利の制限を受けることになるのは誰でしょうか(東ティモール人自身にほかならないのです)。多くの東ティモール人が長い歳月をかけて犠牲を払ったおかげで獲得した自由をそうもあっさりと捨て去ってしまおうというのでしょうか。もし私たちが東ティモールという国や人びとを信じてここ(東ティモール)にやって来て、人権や正義、平和をすべての人が享受できる社会の実現に向けて、これからも続く東ティモール人の自決権を求める闘いを支援しようとすることは歓迎されないのですか。たとえば、ティモール海に埋蔵している石油や天然ガスに関して、私たちがオーストラリア政府に東ティモールの主権を尊重し東ティモールの天然資源を盗み取るのをやめてほしいと抗議することも歓迎されないのですか」と。

外相の批判と大統領の拒否権

 一方、さきごろラモス・ホルタ外相は、入管法の政府案が外国人の権利を制限する方向で策定を狙っていることを手厳しく批判し、マリ・アルカティリ首相との対立を招いたが、同相の批判の論拠は次のようなものだった。
 「こうした規定はインドネシアによる不法占領からの解放をめざした東ティモール人の24年間の闘いの精神に反するものだ。外国での滞在を余儀なくされた東ティモール人は自らの滞在国でインドネシアの占領に反対する行動をおこない、東ティモールの解放、独立を訴えてきたが、それによって国外退去措置に処された者はいなかった。具体的な例をあげれば、90年代にインドネシアのスハルト大統領(当時)がドイツを訪問した際に、ポルトガルに滞在していた東ティモール人が観光ビザでドイツに行きインドネシア軍の東ティモールからの撤退を求めるデモを実施したが、それによって国外退去になった者はいなかった。こうした解放闘争の歴史を踏まえたうえで、入管法の政府案を批判しその改定を求めたのだ」。
 しかし、そのホルタ外相も米国訪問から帰国後の5月15日に開いた記者会見において、「外国人の政治活動を禁止している国は多数ある。民主主義を掲げるアメリカもそうだし、ヨーロッパ諸国の中にも外国人による政治活動を禁止している国がある。だから東ティモールが外国人の政治活動を禁止しても、それが即非民主的な政策で、世界の常識から逸脱しているということにはならない」と、先の発言と比べると大幅にスタンスを後退させている。
 東ティモールでは法律は国会で可決された後、大統領の署名を経なければ発効しないので、入管法がそのまま施行されるわけではない。シャナナ・グスマン大統領は拒否権を発動して、入管法の署名を拒否する意向と伝えられる。その場合、同法は国会に差し戻され、再度審議がおこなわれることになるが、政府の追認機関となり果てている現在の国会がどこまでの修正に応じるかーー不安を抱きながら見守るほかないのだろうか。
 東ティモールの憲法ではインドネシア占領時代の抑圧的な体制を反面教師にして、東ティモール人に対してのみならず、いかなる人(EVERYONEとの表記がある)に対しても「言論・表現の自由」(第40条)、「報道・マスメディアの自由」(第41条)、「集会・デモ実施の自由」(第42条)、「結社の自由」(第43条)を保証すると高らかに謳いあげているにもかかわらず、その理念は独立1年を前に早くも色褪せてしまうのだろうか。
 「国連がアドバイザーとして残る2004年前半までは、それでも東ティモール政府がとんでもない方向に走り出すことに歯止めをかけられるのでしょうが、その後はどうなっちゃうのかわからないというのが本音で、不安を感じますね」(東ティモールの地方部で活動する非政府組織の外国人スタッフ)との懸念の声も聞こえてくるこのごろである。


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