<書評(2)>

青山有香著
『<ナロマン>東ティモールの正義、和解、そして未来』
かもがわ出版
2003年1月1日発行
199頁、1600円(税別)

評者:松野明久(大阪東ティモール協会)


 著者は、アメリカのオレゴン大学にいたころ、東ティモールのことを知り、卒業して帰国すると同時に、日本で東ティモールの活動に参加するようになった。住民投票の監視に参加してからは、西ティモールに連れて行かれた難民たちに焦点をあてて取材を繰り返し、難民問題については日本でもっとも情報通になったのではないかと思う。
 取材の方法は「体当たり」作戦。その奮闘ぶりは、本に書かれた彼女の取材の軌跡からもよくわかる。その当たりの文章のスタイルが、要点が整理された文章よりも、むしろ現実の不条理さを感覚として伝えているように思えて、興味深い。
 なんといっても、西ティモールの難民の実態は、メディアからかくされていた。西ティモールの難民の実態を知ろうと思う人は、まず本書を読むべきである。

★   ★


 2点、指摘したい。いずれも、著者が遭遇した、アタンブアでの国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)職員3人の殺害事件についてのものだ。
 ひとつは、現場の感覚をもっていた人はかなり事態を予測していたということだ。著者は救援団体の人たちとも親しく交流していたが、民兵が殺害されるだろうということまで、彼らは言っていた。(実際、民兵指導者の殺害が事件の引き金になる。)現地の治安の一義的責任はインドネシア当局にある。しかし、著者の状況の記述から考えると、こういう場合、救援活動の一時的停止を考えてもよかったのではないかと思う。UNHCRの治安に対する見方は、甘くなかったかという疑問が頭をよぎる。
 この点については、私も苦い思い出がある。私は住民投票の際、ディリで投票管理官をつとめていたが、各地であれこれと事件が発生する情勢をうけて、国連の治安担当官によるブリーフィングを受けた。この西洋人の警察官は、まるで政治というものがわかっておらず、治安を表面に現れた現象、つま山刀をもっている者がうろうろしているとか、街が平静だとか、そんな程度の「分析」とやらをスタッフに披露するのだ。治安情勢の波は、いわば「暦」に左右されており(何と言っても計画的なのだから)、政治の展開を見ることが治安管理の第一歩だということが、わかっていない。あまりに不満に思った私は「治安は政治。それがインドネシア政治のレッスン・ワンだ」とコメントすると、別な警官が憮然とした顔をして、「君はジャーナリストか」などと皮肉を言った。
 さらに、1999年秋、ニュース・ステーションに出ていた私は、緒方貞子難民高等弁務官が西ティモールを訪問し、エウリコ・グテレスも同席しての記者会見をしているといった映像を見て、これは問題だというようなコメントをした。この番組を見た東京のUNHCRの事務所のある人が、私に対して憤慨した様子で、「緒方さんは一生懸命がんばっている。国連はこういう人も相手にしなければならないこともある」と言った。
 それはそうだろう、と私も思う。しかし、エウリコ・グテレスはすでにこの時点で、ほとんど戦犯にも等しい非難を海外から浴びており、彼が緒方さんと同席するということ、その姿をメディアを通じて流すということが、インドネシアにとっていかに戦略的な得点だったか、知らないわけではあるまい。完全につけこまれていた、と言われても仕方がない。
 私が懸念したのは、エウリコ・グテレスと同席していたというメディア対策上の問題だけではない。何よりそのことが、国連がつけこまれているはっきりとした証拠だったからだ。西ティモールにいた難民たちは、インドネシアのやり方をよく知っているがゆえに、このメッセージをはっきりと読みとったはず。つまり、西ティモールの難民キャンプという新たな戦場において、国連(UNHCR)は最初から敗北のサインを出していたということなのだ。
 殺された職員は、殉職した英雄のように言われている。私はむしろそれは悲しい。本当に国連の上層部が何もできなかった、とは思えないからだ。

★   ★


 もうひとつは、軍の行動に関するものだ。
 著者はアタンブアの治安を管理するインドネシア国軍兵士に、なぜ襲撃事件が防げなかったのか聞いた。答えは「軍上層部からの発動指令がなかったから」というものだ。「それがないと勝手に動けない。それが軍のシステムなんだ」と。
 このくだりは、もうちょっと掘り下げてほしかったが、実は重要なポイントだ。今、インドネシアで行われている東ティモール裁判では、残虐行為はすべて現場兵士と民兵が勝手にやったこととされており、上層部は責任をまぬがれている。サンタクルス虐殺もそうだが、こうした弾圧事件が指令もなく行われるとは考えられない。かつての東ティモールでは、独立派の動きに対してはあらゆる手段をつかって未然に防ごうとしていたくせに、統合派の暴力については起こったあとでも出動をサボタージュしたりした。こういう「選択的出動」は作戦であり、出動しないのは不作為の罪に問うべきものだろう。
 著者は、この時のアタンブアの様子を、住民投票後の騒乱で民兵が思う存分「天下」を楽しんだ、あの時を思い出したと書いている。ちなみに、著者は住民投票後の騒乱の中、ダーウィンへ国連機で脱出を余儀なくされた、という経験をもつ。

★   ★


 本書は、西ティモールの難民の状況についての貴重な報告であり、雰囲気も含めて読むに値する。ただ、取材という観点からすると、もう少しポイントをおさえてつっこんでほしいと思う。争点となっているポイントについて、事実を確認する、証拠をとるといった綿密さがほしいと思う。次なる作品に期待しよう。★


季刊・東ティモールホーム10号の目次