<日本企業>

東ティモールで活動する日本企業
「第3回東ティモール支援政策戦略会議」から

文珠幹夫

 2002年11月5〜6日、住民投票後の騒乱時に燃やされ、その後再建されたホテル・ティモール(旧マコタ・ホテル)において、在東ティモール日本大使館主催で「第3回東ティモール支援政策戦略会議」が開かれた。支援政策戦略会議と銘打たれていたが、内容はUNMISET、UNDPなどの国連機関、日本政府、自衛隊、JICA、市民団体(NGO)、企業の発表会の域を出なかった。ここでは、日本企業が東ティモールでどの様な活動しているかについて、会議での報告と配付資料をもとに記しておきたい。


出席した企業

 日本政府は、東ティモールがインドネシア支配をうち破るまで敵視政策をとってきた。しかし、1999年「住民投票」後、突然東ティモール支援を始めた。その意図を探る上からも支援の直接の現場にいる企業の活動についてみておきたい。
 会議に出席した企業は、以下の5社である。

(株)日本工営
(株)パシフィック・コンサルタンツ・インターナショナル
(株)大日本土木
(株)飛島建設
(株)東亜建設工業

民事再生法申請をした企業もあるが、東ティモールから撤退はしていない。

JICAのプロジェクト

 東ティモールでの日本政府無償援助はJICAを通じて行われている。上記企業の活動はJICAと密接な関係があるので、まず、JICAの活動について配布された資料(注1)から見てみよう。
 JICAの「重点分野の基本的方針」として(1)人材育成・制度づくり(2)農業・農村開発(3)インフラ整備の3点とある。その詳細は、以下の通り。

ディリ:上水道施設リハビリ、コモロ発電所リハビリ、ディリ港リハビリ、東ティモール大学工学部ヘラキャンパス・リハビリ、東ティモール大工学部・ベコラ工業高校支援(専門家)
マナトゥトゥ:トラクター15台及び維持管理、上水道取水施設改善、上水道施設改善、ラクロ潅漑施設改善、低地農業パイロット、CARE農村開発事業 (注:CAREは医療支援NGO) 
バウカウ:トラクター15台、農業開発パイロット
ラウテン:AFMET保健医療事業、Yayasan HAK農村開発事業、CARE農村開発事業 (注:AFMETは日本の医療支援NGO、Yayasan HAKは人権NGO )
マヌファヒ:Yayasan HAK農業開発事業
各地及び全般:13地方発電所リハビリ、15都市上水道施設改善計画、ディリ〜カサ間道路リハビリ、医薬品供与、開発調査(農林水産業開発計画調査)、国家開発計画策定支援、研修生約200名(日本、マレイシア、タイ、フィリピン、シンガポール、インドネシアで)

 重点分野として3点上がっているが、重きは(1)、(2)より(3)にあるように思える。日本政府がしきりに「日本の顔が見える支援」などと喧伝しているが、やはりインフラなど「日の丸」を見せつける支援が主目的と考えられる。
 次に、上記日本企業の活動内容を見てみよう。

各企業の活動

(1)(株)日本工営
 ODA問題を研究調査している方ならよくご存知の企業である。やはり東ティモールにも入っている。この企業は現地政府への案件提案(そして現地政府が日本政府に援助要請)を行うことで有名である。東ティモールでは案件提案ではなく「東ティモール港湾緊急復興事業」を行っている。対象となっているのはディリ港である。資料(注2)には次のような工事を行っているとある。
 第1期(2000年〜2001年)は航路標識およびFender(防舷材)の補修。
 第2期(2002年〜2003年)は西コンテナヤードの整備。
 復興事業の成果として、ディリ港を国際港へとし24時間の稼働、貨物料金の低減化・寄港船舶への吸水による収入とある。
 現在、東ティモール政府の収入源の一つとして、ディリ港による貨物取り扱いによる収入が上げられている。その収入は国家予算の20%程度(約1,400万ドル)と言われている。
 なお、東ティモールには商業港が6カ所ある。稼働中はディリ港、コム港(ラウテン県)、マカサル港(オエクシ県)、ビクエレ港(アタウロ島)の4カ所である。他にカラベラ港(バウカウ県)、スアイ港(スアイ県)がある。なお、漁港は各地に結構ある。

(2)(株)パシフィック・コンサルタンツ・インターナショナル(PCI)
 配付資料から見ると、主に東ティモールでの道路状況を調査していると見られる(注3)。他に、ディリ〜アイレウ間の中間の道路のり面改修を行っている(写真参照)。興味深いデータもあるので、少し引用しておきたい。

○東ティモールの道路事情(全域ではなく、道路踏査した範囲)
・ 国土の発展状況に符合して、北部の湾岸道路は舗装状態が良好。道路幅は4.5m〜 5.5m程度で狭いものの、路肩に余裕があり両面通行の機能はある。
・ 南北縦断道路は山間部で線形が厳しく、道幅も狭い。舗装も北部は良好だが、南部に入ると未舗装が多く、路肩部の滑り崩壊が起きている箇所がある。
・ 南部の湾岸道路では、西部は比較的広いが、Viquequeより東部は道幅は狭い。南北縦断道路と南部湾岸道路は時速20km〜30km程度でしか走行できない。小型車両の通行しかできない道路レベルである。
・ 南北縦断道路の南部では道路陥没や路肩崩壊箇所が見かけられる。(Ainaro,Same分岐点、Baucauより26km,33km,63km、Lagaより13km,14km,34km、Afaloicai-Bahatata間車両通行不可 計8カ所)
・ 南部湾岸道路では、橋の通行不能が見受けられ、河床のの迂回道路を通行している状況。(Cassa-Suai間、Cassa近く、Bebui川 計3カ所)

 これらの報告は、私自身車で行き来した時の状況と符合する。なお、地方での道幅の広い道路は、旧日本軍が軍事作戦用に東ティモール人を強制労働させて作ったと言われている。一方、道幅の狭い道路や、山間部の(車両がやっと通れる)道路はインドネシア軍が軍事作戦用に作ったと言われる。

(3)(株)大日本土木
 昨年7月5日民事再生手続きに入り、10月22日(株)日本鋪道の支援を受けグループの一つとなった。しかし、東ティモールから撤退はしていない。 主に、水関係の仕事をしている。資料(注4)には次のような工事を担当しているとある。

・2000年マナトゥトゥでの送水管工事及び農業水路緊急リハビリ工事
・2001年マナトゥトゥでの農業水路リハビリ工事(Phase1)
・2002年ディリでの上水施設リハビリと改良工事(処理水量6,000t/日の急速濾過による浄水処理施設、総管路延長15km)(コンサルタントは(株)東京設計事務所、(株)PCI)

 大日本土木は、雇用や労働環境の問題で東ティモール人労働者から抗議を受け、ストライキになった事がある。その現場にいた人から聞いたが、交渉はかなり険悪なものであったとのことである。後でも少し触れるが、日本企業の雇用感覚はあまり誉められたものでは無い。

(4)(株)飛島建設
 2000年初期から東ティモールで主に道路関係の改修工事を行っている。資料(注5)には次のような工事を行っているとある。

・ ラガ近郊、マウビシ近郊緊急道路改修工事(2000.5〜2000.7)
・ ディリ、国連ビル改修工事(2000.12〜2001.5)
・ ディリ、保健省薬品倉庫新築工事(2001.5〜2001.10)
・ ディリ、在東ティモール日本国連絡事務所改修工事(2001.12〜)
・ ディリ〜アイナロ〜カサ道路改修工事その1〜その4(2001.5〜2002.12)
・ リキサ、東ティモール地域開発研修センター(2002.9〜2003.1)

 2002年9月に飛島建設の方とディリ港近くで話をしたことがあるが、その時ディリ港の工事をしているとのことであったが、資料には書かれていない。工事に伴う苦労話も聞いた。ディリ港の水深は6mほどで大型の船舶の入港は難しいとのことであった。

(5)(株)東亜建設工業
 東ティモールに来てまだ3ヶ月の企業である。本格的な事業はこれからとのことである。マナトゥトゥで事業を行うらしい。調査した段階での報告が口頭であった。
 東ティモールでの地元企業の情報が少ない。コンクリートの品質は重要だが、技術者や実績の情報が無い。技術者のレベルの問題もある。簡単な工事なら東ティモール人労働者で可能だが、技術が必要な事には近隣の国(オーストラリア、フィリピン、マレーシア)に頼らざるを得ない。土地の賃貸や砂利・石の取得に関しロイヤルティや課徴金を明確化して欲しい。

企業が訴える問題点

 以上が5社が東ティモールで行っている事業や調査である。
 これら企業が東ティモールで活動する上で問題点として上げている事項を見てみよう。どの企業も、東ティモール人労働者の質(技術、知識)を問題にしている。簡単な作業なら問題は無いが、仕上げの品質確保や技術が必要な事柄に関して技能労働者が不足しており、これらについては近隣の国(フィリピン、マレーシア、シンガポールなど)から技術者や技能労働者を派遣せざるを得ないと報告している。協力企業(下請け企業)についても同様の事が報告されている。また、基本的なデータが不足していることも上げている。工具などの盗難があり作業に影響するとある。さらに、政府から許可を得ても、事業を行う地域で、土地の貸借や砂利などの採取で問題となったことを報告している。労働保険や工事保険のことを上げている企業も有る。
 東ティモールで活動する前に、東ティモールの事情を少し勉強されれば良かったのではと思える。インドネシア支配時代の「教育」がいかなるものであったか、行政機構や産業、経済の構造がいかなるものであったかを知れば、東ティモールの人々の置かれている立場が理解できると思える。東ティモール人は独立を自らの手で勝ち取ったのであり、そのプライドが有ることも理解されるべきと思う。事業を行う上で技術や知識が必要なのは当たり前だが、東ティモールの人々によく説明し理解を求めるべきである。いきなりトップダウンで海外から技術者や技能労働者を雇えば反発を食らうのは当たり前だろう。また、地域の慣習を知らずに行えば反発も受けるだろう。(東ティモールに限らず)人々の信頼を得る事が肝要と思う。地域の人々との交流をはかったことでトラブルや盗難が無くなったと報告した企業があった。
 その反省も有るのか今後の課題として、技術の移転に伴う労働者や職員のトレーニング・教育とその予算措置の必要性を上げている。学生の受け入れを上げている企業もある。

労働契約の問題

 今回の、会議で問題があると思われたことがあった。労働契約に関する問題である。東ティモールでは法律が未整備であるので労働契約の基準は不透明である。10月にディリ世銀事務所で労働契約に関する会議が開かれていた。国連(UNDP)、東ティモール政府、政党、NGO、企業家が集まり労働規約に関して詳細な議論が行われていた。東南アジアでは労働規約は使用者側に有利に作られている。スハルト時代のインドネシアなどは労働者の権利などは皆無に等しかった。
 今回の会議で、ある出席者から「3ヶ月以上の労働契約を結ぶと、1ヶ月の退職金を支払わねばならない。だから、2ヶ月の契約にしている。2ヶ月の契約なら2日間の退職金と月1日の有給休暇で済む。日雇いなら何もしなくてもよい」との発言があった。
 労働省のアドバイスとのことであったが、労働者の権利をないがしろにする発言である。東南アジアの国の中にはストライキがあれば直ぐに警察や軍がそれを弾圧する。まさかとは思うが、企業の利益を優先し労働者の権利を侵害する事など断じて無いようにしてもらいたい。1999年9月まで苛酷な弾圧下にあった国である。弾圧・抑圧をはねのけて独立したことを、東ティモールに進出した全ての企業、人々は胸に刻んで欲しい。

東ティモールに対する認識

 また、日本政府は過去の東ティモール敵対政策を先ず反省・謝罪し、東ティモールのことをよく勉強してもらいたい。在東ティモール大使館の「東ティモールの対外政策」の中に「尼(インドネシア)側にとってもはや重要性なし。但し、国内独立運動への波及は警戒」とある。インドネシア側が戦犯法廷に関しサボタージュを行っていること。戦犯の軍人を次々無罪放免していること。強制連行された難民帰還問題、特に誘拐同然に連れ去られた子供たちの帰還の問題。東ティモールへの賠償問題など重要かつ緊急な問題が山積している。西パプアやアチェ問題などの原因や意味、人権問題などを考慮しているの大いに疑問である。さらにオーストラリアに対し「これまでの独立解放支援につき熱い信頼関係有り」など、唖然とする無知をさらけ出している。世界中で唯一、東ティモールの「インドネシア併合」を認めた国であり、現在はティモールギャップの石油利権ほしさに画策している国である。東ティモール解放闘争を支援したのはオーストラリアの心ある人々であり、断じてオーストラリア政府ではない。
 また、事あるごとに在東ティモール日本大使館の福島臨時代理大使らは「オール・ジャパンでゆきましょう」と繰り返す。長年東ティモールに関わってきた私たち市民団体は、日本政府を批判・告発し続けてきた。決して日本政府のために東ティモールを支援しているのではない。彼らの言う「ジャパン」がどれほど東ティモールに被害と苦痛を与えてきたか猛省を求める。★
 
注1 「JICAの対東ティモール復興支援のレビュー」
「JICAの東ティモールにおける今後の取組」「東ティモール中期的開発のフレームワーク」「JICAの東ティモール支援」(JICA)
注2 「東ティモール港湾緊急復興事業」[(株)日本工営]
注3 「第3回東チモール支援政策戦略会議」資料((株)パシフィックコンサルタンツインターナショナル 道路開発部)
注4 会議配付資料 [(株)大日本土木]
注5.「第3回東ティモール支援政策戦略会議 円滑な援助プロジェクトの実施に向けて」[(株)飛島建設]


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