第53回(1997年)国連人権委員会
インドネシア政府陳述和訳

インドネシア共和国国連大使
アグス・タルミ
議題の項目7における陳述

議長、

 わが代表団の陳述は、議題の項目7「人民の自決権、および植民地ないしは異民族支配、または外国占領下にある人民へのその適用」に関連したものです。

 国連憲章の11条と国連総会決議1514 (XV)と1541(XV)は、明らかに、自決権を非植民地化という文脈においています。植民地主義に対する闘争の時代、自決権は植民地を終了させ、新興独立国を誕生させる必要があるという観点から、まったくその観点からのみ、考えられていたものです。この前提に立ち、インドネシアはその憲法において、世界中の人民、とりわけアジア・アフリカの植民地下の人民の闘いを支持してきました。まったく同じ精神にもとづき、インドネシアはパレスチナ人民の、自決に対する不可譲の権利を行使し、民族独立を維持し、領土的保全を回復しようとする闘いに対し、完全なる支持を与えてきました。パレスチナ人民に民族独立と国家を与えることは、地域のすべての人民と国家の平和、安全、安定という究極の目的を達成する前提条件であります。したがってインドネシアは、進行中の中東和平と、当事者間においてこの文脈で調印されたすべての合意、また国連決議、とりわけ安保理決議242、338、425にもとづいてマドリッドで行なわれた和平プロセスの下支えにしたがってなされた約束、そして「平和のための土地」の履行を完全に支持します。

議長、

 約350年にも及ぶ植民地支配の苦い経験を味わい、わずか50年前に解放戦争によって民族独立を勝ち取ったインドネシアは、エスニック集団間の緊張を売り物にする者、また分離主義のアジテーターといったかたちの、植民地主義の遺産に直面しています。さらに悪いことに、これらの分子は、陰に陽に、外国の支援を受けているのです。この背景にてらし、インドネシアは国家が分解するのを防ぐために、人民の基本的権利として自由、安定、国家の一体性、独立、領土的保全に最大の重要性を付与しているのです。

議長、

 東ティモール問題についてですが、わが代表団はポルトガルについて、はたしてポルトガルは東ティモールを放棄したあとその施政国たることを主張することができるのだろうかという、当然なる疑問を抱いています。われわれは彼らに去るようには頼みませんでしたし、逆に、もどってきてこの混乱した状況を解決するよう求めました。1975年8月26日、時のリモス・ペレス総督がディリを去ったとき、彼は戻ってくるとは決して約束しませんでした。実際、ポルトガルはその武器・弾薬をひそかにある特定のグループ、フレテリンに渡すことによって、内戦を助長しました。そのことによってポルトガルは、事実上その施政国としての責任を放棄したのです。ポルトガルは責任を果たせなかったことによって、東ティモールの施政国と見られるいかなる権利をも、道徳的にも法的にも、喪失したのです。私はこの栄誉ある委員会に対し、もうひとつ述べたいことがあります。それは、事実を考慮し、いわゆる東ティモール問題といわれているものに付随する歴史的過程、地政学的、文化的、経済的現実を客観的に評価していただきたいということです。地理的に、東ティモールはティモール島の東の部分です。ポルトガルはオランダが1618年に西部のクパンに地歩を築くまで、島全体を支配していました。オランダはポルトガルを東へと徐々に駆逐し、1618年にポルトガルとオランダで島を東西分割する条約が結ばれました。しかしこのインドネシアの土地を分割する権利を誰が彼らに与えたというのでしょうか。ポルトガルとオランダに対する反乱の長い歴史をもつティモール人はまったく何も言えませんでした。この歴史的事実を理解することによって、はじめて委員会は、東ティモール人民が国連決議の本質と精神にしたがった非植民地化過程を通じ自決権をすでに行使したということ、そして東ティモール人民の圧倒的多数が真に望んでいることは、この州を平和と自由のうちに発展させたいと思っているという真実を受け入れることができるでありましょう。

 1996年のノーベル平和賞がジョゼ・ラモス・ホルタに与えられたことについて、インドネシア政府はこの賞がいかなる基準で与えられたのか疑問であると公式に述べました。というのもフレテリンは、1975年11月28日に東ティモールを掌握したとき、同胞の東ティモール人に対する筆舌につくしがたい大規模な残虐行為に責任があり、ラモス・ホルタはそのフレテリンの重要な指導者のひとりだったからです。この点に関し、ベロ司教自身、ノーベル平和賞を授与されたとき、フレテリンの残虐行為を公に非難しました。フレテリンの恐怖政治の犠牲者の血で汚れた手をもつラモス・ホルタがノーベル平和賞の受賞者となったということほど皮肉なことはないでありましょう。このことだけをとっても、ラモス・ホルタは東ティモール人民の正統な代表者などと主張することはできません。また実際、東ティモール人の正式な、あるいは非公式の指導者たちがホルタの授賞を拒否しております。

 統合以来、インドネシアは東ティモール人の基本的権利を擁護し促進することを誠実に願い、また実施してきましたが、それは、生活のすべての面で東ティモールの開発をさらに促進しようという継続的な努力に反映しています。つまり、経済的、政治的、社会的、文化的、宗教的権利の保護と促進においてです。この点に関して、1996年6月にEUが承認した「共通の立場」のようないかなる政治的圧力、外国による施策を拒否することが、インドネシア政府の政策です。このインドネシアの立場は2億人の国民から完全な支持を得ており、また東南アジア諸国連合やイスラム諸国機構の全加盟国によっても支持されています。

議長、

 結論すると、インドネシア政府は三者会談を通じ、公平で包括的な東ティモール問題の解決を見いだすために、国連事務総長に常に協力する用意がありました。しかし、また同時に明かなことは、時計の針はもうもとにもどせないということです。非植民地化はすでに実施されました。いかなる解決法もこの事実を認めなければなりません。これこそ、1984年に国連事務総長の仲介によってインドネシアとポルトガルを含めた三者会談が始まった地点であります。われわれは新しい事務総長が彼の周旋を継続するという強い決意でいることを歓迎します。彼の新しい私的代理、ジャムシード・マーカー大使は、今月末にインドネシアを訪問する予定です。この点に関して、二度、1987年と1991年にこうした公平で包括的な解決がほとんど見いだされかけたことがあることをこの委員会に説明するのは意味のあることだと思います。しかしながら、残念なことに、ポルトガルは国連事務総長の仲介のもと双方が同意した取り決めに誠実にしたがおうとはしなかったのであります。(終)


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