927 樹齢教の旅(23)吾川村のひょうたん桜

四国の山は高く、谷は深い。松山市と高知市を結ぶ国道33号線を走るとそれがよく分かる。
松山市を出て、三坂峠(720m)を越え、高原の久万町へ。その先は、石鎚山(1981m)から流れ出る面河川(おもご)沿い渓谷の道を走っていく。ますます谷は深く、山は高くなって、見上げても、見上げても、急峻な山の頂と小さな空しか見えない、美川村、柳谷村を通って、柳谷のすぐ先で愛媛県から高知県へ入る。それから、しばらく走って、松山から約1時間半、高知県吾川村(あがわ)に到着する。

 

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吾川村からは、仁淀川を右に見て、吾川村の中心あたりで左折する。アクセルを離すと、車が下がりそうになる、狭い急な道を約15分走ると、20軒ばかりの家が、急な斜面に散在する部落に着く。『吾川村のひょうたん桜』はこの大藪の部落のはずれに立っている。

エドヒガンザクラ。蕾がやや細長く、「ひょうたん」 のように見えるので「ひょうたん桜」と呼ばれている。
根回り約6m、樹高30m、エドヒガンとしては決して大きくはない。しかし、周りには茶畑と山の畑しかない、あとは全て空の、広々とした場所に、伸びやかに、健やかに立つ姿は美しい。


9274.jpg (34514 バイト) 幹には大きな空洞。片側の太い枝は朽ちて失われている。満開の時も、淡い華やかさで、樹齢約500年とされる、老齢のエドヒガンザクラである。

太い幹には注連縄がまかれ、根元には小さな祠が祀られている。そして、この木の近くにはひょうたん桜から採った苗が植えられている。
この木が部落の人々に大切に、守られてきた事がよく分かる。

 

樹齢教の旅は、ひとそれぞれの想いでする旅である。しかし、私にとって許せない事もある。それは樹医と樹医を認める考え方である。

私たちは、大きな樹木の前に立つ時、驚き、あこがれ、また、歓びを感じることがある。それは、樹が持つ、ヒトが決して越える事ができない、その齢や大きさや姿に依るだけではない。傷ついた樹皮や幹や枯れ枝があって、しかし、春には芽吹き、花を咲かせ、・・・の生きる姿、そして、それらを支えている生命の力に感動するのである。
そして、
老いていく、傷ついている姿は悲惨な、除去すべき姿なのあろうか。老いていく、傷ついている姿こそ樹が生きてきた証、命の証である。誕生から死までの全てのできごとが生命の姿であって、どの断面も等しく価値ある時間である。樹医はそのような生命のあり方、本質を理解しない愚かな人々である。

あるいは
傷つき衰え枯死寸前の樹木を手入れして、生き返らせるのは立派な行為、善意の行為であって、非難されるところは無い。それが人間であれ、ほかの生き物であれ、目の前に傷つき苦しむ姿があれば、それを助けるのは人として果たすべき行為である。しかし、それは人間のル−ルとしては正しくとも、それはあくまで人間中心の勝手な思いこみであって、地球のル−ル、自然のル−ルでは無い。野生の生命への干渉はしない。が、守るべきル−ルである。それぞれの生命はつきても、子孫を残すことによって生命は連続していく。

 

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春には桜祭りも開かれて、村おこしにも貢献しているひょうたん桜。小さな苗木も売られていました。儲かりますか? 儲からんね−

ひょうたん桜にも惹かれますが、それより目の前に広がる風景に心惹かれます。桜の木の根本に腰を下ろして眺めると、深い谷があって、山々が連なって、四国の山の風景です。大藪の部落の人々に守られながら、こんな風景の中で、穏やかな終焉を迎える幸せな『吾川村のひょうたん桜』です。

 

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