377 自然保護の夜明け、八代のナベヅル

「松に鶴」の絵、舞鶴、鶴丸、鶴見のように鶴がつく地名も各地にあって、昔は日本中に鶴はいたようです。しかし、明治になって鶴やカワウソのような大きな動物は次々と消えていきました。一つは近代化が進み、生息地が消滅したからでしょう。しかし、その根底には江戸時代は 『誰の物でもない物は皆の物。皆の物は大切にする』 の不文律で何となく自然が守られていたのに、法治国家になって 『誰の物でもない物は、早い者勝ち。法律を守れば何をしてもいい』 の風潮が広まって、それが生物の絶滅をさらに加速させたと想像しています。

世の中には 「法律が整備されたアメリカはすすんでいる。日本は法の整備が不十分、遅れている」 と勘違いな事を言う人がいます。法律が多いのはそれだけ、犯罪が多いのを宣伝しているようなもので、恥ずかしい事です。それに、法ができれば、法の隙間を狙ってという悪事がさらに増えます。アメリカが滅びるとしたら、きっと訴訟騒ぎと無数の弁護士のせいと思っています。できるだけ法律が少なく、できれば給料が多い国が良い国です。

しかし、皆の物は大切にする心が薄れても、近代への道を歩みはじめた以上は、何とかしなくてはなりません。

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山口県熊毛町八代(やしろ)は静かな山間の町です。町の高台から町を見下ろしてみました。盆地状に田畑が拡がって、舗装道路つきあたり付近に学校や役場があり、町の中心です。

明治20年(1887)、ハンターが八代村にやってきました。鶴を撃とうとしましたが、村の人々は、体をはって鶴を守りました。この騒ぎを知り、山口県は県令87号を発して、直ちに県内での鶴の捕獲を禁止しました。こうして近代日本の自然保護は始まりました。
この出来事は、翌年教科書にも載り、世間の関心を集め、1889年には北海道でも鶴の捕獲を禁止する法令が制定されました。しかし、その間にも1905年には日本オオカミも絶滅してしまいました。
八代村の人達の思いが実を結んだのは、31年後の大正8年(1918)でした。この年、史跡名勝天然記念物保存法が制定されました。そして、村の人々の行動を称えて、八代のナベヅルは天然記念物の第一号となったのでした。

 

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熊毛町八代は徳山市の近くで、自宅がある山口市からは1時間少しで着きます。11月末、仕事の帰りに寄ってみました。
ナベヅルは警戒心が強く、最低、半径60mは見渡せる場所だけに降りて来るそうですが、エサを食べる間も、時々あたりを見回していました。休みの日には3千人くらいも見物客来るそうでツルも大変です。その日は,見物の人も3,4人で、幸いにも3家族11羽もツルを見られました。レンズがなくて、豆粒のようにしか写せなかったのが残念です。
ナベヅルは肩までの高さが1mくらいと小型のツルですが、本物はやっぱり優雅な鳥です。

八代のナベヅルは今も大切に守られています。しかし、八代は今危機的な状況にあります。
実は、飛来するツルの数は明治以降増えていましたが、1940年に355羽に達した後は、減り続け、今年2000年は、たったの19羽しか来ませんでした。環境庁も文化庁も天然記念物第一号でもあり、強力に支援しています。しかし、残念な事に、元々ツルにとっては狭い山口の八代では、昔のように数が増す可能性は少なく、やがては熊本の八代に向かうようになると予測しています。

ナベヅルのもう一つの飛来地は熊本県の八代市(やつしろ 偶然にも同じ字)です。熊本の八代では、飛来するツルは特に最近急速に増え、今年はとうとう1万3千羽を越えたそうです。
熊毛町八代の鶴は減りましたが、ナベヅル自体は安心な数まで回復し、絶滅の危機は去りました。熊毛町八代で始まった努力もまた報われた事は間違いありません。

それにしても、2世紀に渡って鶴を大切に守ってきたのに―――。優雅な姿を眺めながら、来る21世紀もまた熊毛町八代が、鶴が舞う里であるように と思わずにはいられませんでした。

 

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八代のナベヅルは3月になると北へと帰って行きます。いったん八代を飛び立った鶴は、私が住んでいる山口市の上空まで来て、上昇気流を待って、さらに高く舞い上がり、朝鮮半島へと向かっている事を最近知りました。
わずか20羽足らずの鶴で、しかも、数羽づつの家族単位で、高い空をやって来るので、そんな事はあまり期待できないのですが、3月の暖かな日には、ちょっと嬉しい気分で、時々空を見上げています。

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