106 ボルネオの旅(2)Last Daughter

ボルネオ島の赤道直下の街、サマリンダから、冷房もなく、時々パンクする中古のバスに乗ってはるか南の、東カリマンタン州のバンジャルバルへ帰る途中の出来事です。
窓から吹き込む風も、気温37度では気休めです。時々やってくるスコールで窓を閉めると、体中から汗が流れ落ち、せっかくの熱帯の風景を見る気力がだんだん無くなっていきます。『もうどうでもいいから早く着いて!』とボンヤリ居眠りをしながらかわすしかありません。

サマリンダを朝9時に出て、太陽が西に傾き始める頃、食堂と何軒かの店がある、山間の小さな村に、2度目の休憩のためにバスは停まりました。
ドーナツに似た揚げパンを買って、コーラを飲みながら、どの家にも植えてあるマンゴウや、名も知らない草花を眺めながら、やっと涼しくなった道をブラブラと散歩していると
日本から来ましたか?』 と日本語で話しかけられました。

 

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『村の近くにも日本の兵隊さんがいました』 『日本語を聞いたのは久しぶりです』

太平洋戦争のおり、石油をはじめ多くの天然資源を確保するため、日本軍はボルネオ島にも数万の兵を送り、占領します。しかし、いったんオーストラリアにまで後退したアメリカ軍はニューギニア島、セレベス島、そして、ボルネオ島へと反攻し、日本軍を追いつめていきます。戦い、飢餓、そして、マラリアのため、生きて日本に戻ったのはほんの僅かの人でした。また、この戦争では、多くの日本人も、そしてインドネシアの人々の命も失われました。

『もう、日本語は忘れました』
と思いだし思いだし、日本語で話しかけてくれました。話し声を聞いて、家族もでてきました。そして、これが私の Last Daughter と紹介してくれました。写真ではうまくお伝えできないのですが(夕暮れで、手持ちで1/15秒でもアンダーでした)、大変美しい15,6歳の娘さんでした。抱いているのは彼女の子供かもしれません。

この世には様々な人々が生き、そして様々な暮らしがあります。バスの窓から、どんどん小さくなっていくみんなに手を振りながら、偶然の出会いの幸せを感じながら、同時に 「きっともう2度と会うことはないだろうな」 と妙に感傷的な気分が押し寄せてきました。

サマリンダからバンジャルバルへの15時間の暑いバスの旅の一日の出来事です。

 

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ボルネオ島は赤道直下にある、面積が日本の2倍もある、世界第4位の大きな島です。北部はマレーシア領とブルネイ王国で、そして、インドネシア領はカリマンタンと呼ばれています。

高温多湿の熱帯の島ですが、石油を始め豊かな地下資源、そして木材などの天然資源に恵まれ、近代化の波もおしよせています。しかし、リゾート地として整備されているマレーシア領ボルネオとは違って、マラリアもあり(命取りになる熱帯熱マラリアのほか、デング熱、得体の知れない病気もあります)、交通の便も悪く(飛行機と海沿いに走るわずかな道路のみ)、カリマンタンの旅には、元気と根気が必要です。