1038 南極の石

私より3、4歳年上のAさんは超一流の、本物の探検家です。学生時代に、ヒマラヤのアンナプルナ峰遠征、、大学院生の時には、ヤルン・カン初登頂。ヒマラヤの8000m峰を2つ以上も初登頂したのは世界でも数人のはずで、ヤルンカンは日本人が初登頂した最高峰です。

しかし、ヤルンカンでは手足の指をほとんど凍傷で失いました。が、その後も、中国西域、混論・天山山系、ヒマラヤ山脈を横断縦断。今もネパ−ルやブ−タンの山々を駆けめぐって氷河を調べています。世の中にはマスコミなんかで有名になることなど拒否して、すごい人がいくらもいます〜というすごいAさんです。

寡黙で静かなAさんですが、口先だけの騒々しい私ですが、なぜか気があって、二人であれやらこれやら楽しく語りあう交友が続いています。その後Aさんは山口を去って名古屋に。が、だからと特に年賀状も出すなどの交信もしていません。が、最近10数年ぶり再会し、昨日からの話の続きのように話ができました。これが男の友情というものです (-.-;)y-~~
~数少ない共通項は二人とも四国生まれ(高知と松山)、ユ−モア感覚がある ネクタイが嫌い ということくらいで・・・・不思議。

ヒマラヤで大暴れのAさんは南極では2度は越冬し、3回も行っています(三回目は観測隊長として)。「もう南極はええワ」というのが口癖ですが・・。
一度目の南極行きは学生時代の25歳の時。第10次南極観測隊に参加し越冬。その時にはついでに、隕石も発見: 『いっぱい拾った?』 『いっぱい拾った』 『・・・・・・・・』

 

それから16年後には26次の隊員として参加し、「みずほ基地」で2度目の越冬。この時は内陸を4000キロを踏破する内陸調査の隊長として。あわせて「あすか基地」建設、氷床の最高峰、「ド−ムふじ」を踏破 (現在は「ド−ムふじ」という基地になっています)

26次で南極出発前の会話。『みんなにスキ−もってくるように言ってある』  『???』  『雪上車が壊れたら歩いて帰れるよう 』 『マイナス60度の南極を歩いて!』 『方角は分かるから』 『・・・・』

そして、無事帰宅後の最初の会話は
『最近の若いやつ根性ない。南極にパンツはいてくるっ! 僕なんか山に行く時はパンツはいことないっ!』『????』『履くから洗濯せなあかん 仕事が増えるだけ 』 『・・・・・・・・』 それに 『一週間に一度は風呂に入りたいとか言う。根性ない 1月1回で充分! ヒマラヤでは三ヶ月は入らんね 』

なお、「みずほ基地」は氷の下深く埋まっていたそうです。地下ですから、洗濯の水、風呂の水、それから、トイレの産物は流せません。凍らせて固まりにして 物によっては肩にかついで 地表に捨てにいったそうです。蟻ですね。


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その26次の時、内陸調査の最後は、セルロンダ−ネを廻って、長い旅行を(難渋したそうですが)しながら「あすか基地」に戻ってきました。(「あすか基地」からはヘリで「しらせ」へ。)

この2つの石はセルロンダ−ネで集めた石です。ともに石英の結晶が見えます(=火山活動で造られて石です)。両方とも、もう少しで水晶になったかもしれません。が、とにかく、今は氷の南極大陸もかつては火山の大陸だったことがよく分かるという証拠の石です。
ガラクタはいっぱい持っています。この2個の石も、他人から見ればガラクタに見えるかもしれませんが、私にとっては大切なお宝の、南極の石です。

2005年最初のペ−ジが「思い出話」で、しかも、「人の褌で相撲をとるような話」で・・・反省していますが、Aさんに限っては二つ目の非難はあたっていません。

 

Aさんその後元気ですか 新聞に載ってましたね

朝日新聞の連載 『ニッポン 人・脈・記 南極に行きたい』 昭和基地で遭難死した4次隊の福島隊員に因んだ記事の中頃に A さんの事が書かれていました (2007年6月18日 夕刊)。
・・・・遭難しかかった村石は、吉田と自分の生還について「幸運が99%、残りは経験の有無」という。位置がわからなくなったとき、山の経験のある吉田と村石は動かずに天候の回復を待った。野外経験の乏しかった福島は、戻ろうとして歩き続けて力尽きた。

村石の言う1%の経験をどう観測隊員が共有するか。観測隊に3度加わったAは、危機対策マニュアルづくりを思い立つ。荒天で野外に出るときの注意点は。自分の位置がわからなくなったときはどうすべきか。予防策には山の知恵が生きていた。

Aは両足の指すべて、右手の指4本を根本から2cmほど残して、ヒマラヤで失った。Aは1次越冬隊長の西堀栄三郎、北村泰一と同じ京大山岳部の出身だ。当時、未踏峰だったヤルン・カンの頂上アタックの2人に選ばれ、79年6月、8505mの初登頂に成功した。だが、下山中に友を失い、寒さと酸素不足の中をさまよった。生死の境の経験を、仲間の命を守るために生かしたい思いが、マニュアルづくりにつながった。

探検の色が濃かった初期の南極観測には、山岳部出身者が多かった。しかし、山の経験者は次第に減り、危険を感知して対応する隊員の力もかつてに比べ陰りが見える。昭和基地内の生活はだんだん都会生活に近くなり、今ではTシャツにサンダルで過ごせる。・・・・・

 

そして今朝、6月21日の新聞を見ると、第49次南極観測隊の記事に弟の名が

弟は職業はかなり一流のカメラマン・シャ−ナリストではありますが、雪氷学を得意技としており、おまけに山男でもあり、探検要素の強いセルロンダ−ネ山地調査の人材として、南極行きを頼まれていたようでもあり・・・・。おめでとう。夏隊のセルロダ−ネ山地調査の隊員として参加するようです。しかし、セルロダ−ネはAさんが23年前に探検した場所。ええなぁ〜。

 

103812.jpg (13868 バイト) 49次隊に参加した弟は無事南極から帰ってきて、
これがセルロンダ−ネを走り回っての地質調査で集めた岩石の一つです。

大人の手のひらくらいあるズッシリ重い角閃石

 

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中には直径が4,5mmはあるガ−ネット(石榴石)の大きな結晶が詰まっていて、表面からも突き出しています。これが透明な深紅色だったら・・・できれば、ルビ−だったら・・

その弟は第50次の隊員としてまたセルロンダ−ネに行くことになっています。今回は火成岩の調査・・・・火成岩なら大きな水晶が期待できるかも!と楽しみにしています。

来週の月曜日、11月16日に日本を出発してへ南アフリカへ。そこから輸送機に乗って、一気に南極のセルロンダ−ネの氷原に着陸し、テント暮らし(昭和基地とは全く別の場所の僻地です)。では、今年も迎えの飛行機がくるまで、元気で楽しく頑張ってくるように。

セルロンダ−ネは氷だらけですが、鋭い岩壁の山岳風景もあって、なかなかよいとこだそうです。

                
                 と、書いて一年がすぎ、今日は2008年11月9日、第50次の南極観測隊が出発する時期が近づいてきました。
                            弟は第50次の南極観測にも参加します。気をつけてね

 

それからまた一年たって、2009年の三月初め

それまでは電話で一度、メ−ル交換を一度だけのOさんから 『いま暇ですか?』 と電話かかってきました。お互い近くに住んでいるんですが、初めてお会いしました。ガッチリとした体格、穏やかな話しぶり、評判通りの良い感じの方でした。

南極はどうでした?弟は役に立ってました? 面白かったですよ!他の5人は初めてだったので弟さんがいなかったら・・・という感じで助かりました。Oさんは第50次南極観測隊のセルロンダ−ネの地質調査に参加した、隊員です。

三ヶ月の南極暮らしはどうでした? 気温は−7度〜−14度くらいで、時々雪もふって、風が吹くと厳しいですね。 

どうやって南極まで行くんです? シンガポ−ルで乗り換えで、シンガポ−ルからはヨハネスブルグまで直行便で13時間くらい。そこから南極へは大型輸送機で6時間半くらい。荒れた天候でも平気で氷原に着陸。大した腕前です。

そうそう、集めた石は別便で日本に送られてくるんですが・・・気がついたらポケットにこれが・・・はいこれが南極の石ですっ! 有り難い事です。、

 

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南極の石です。

 

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金色にキラキラしてるのは金です? 残念〜雲母です。その青っぽい色の部分がサファイアのはずです。いっぱいあるでしょう! 指輪になりそうもないけど化学的にはサファイアが詰まった石です。

Oさんは、ベトナムからラオスからミャンマ−から・・・東南アジアはもちろん世界各地で石拾いをしてきたそうです。

ボルネオのチェンパカのダイヤモンド堀りを見てきました。ボルネオなら宝石はザクザク出ますね。ダイヤはだいぶん採れます? 卵くらい大きなのも出た事があるそうで。 行きたいですね。 私もまた行きたいです。

それから二人であれこれ話して愉快な時間を過ごしました。男同士の話っていいですね〜 \(^o^)/

 

それからまたまた一年たって、2010年の三月に

第51次南極観測隊に参加していた弟が「しらせ」に乗って日本に帰ってきました。弟はセルロンダ−ネ地質調査チ−ムの一員として3年連続して南極に遠征。

今回は、セルロンダ−ネからスノ−モ−ビルでの過酷な旅で初めて昭和基地に行き、「しらせ」に乗ってゆるゆると日本に帰ってきたようです。ホテル並の昭和基地と違って、テント暮らしでの、セルロンダ−ネでの3年連続は相当苦労もあったようで、ホッしたというか、燃え尽き寸前の疲れもあったようで。ご苦労さんです。

3年連続で隊員として南極に行った人はほとんどいないはずだし、・・・せっかくだから「南極冒険旅行物語」の本でも書けばよいのにと思うのですが、雑誌に写真を載せてるくらいで、惜しいなぁ〜 


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南極で拾った隕石

第51次のセルロダ−ネ山地調査隊は、国際隊で、隕石集めもしたそうで・・・南極での本格的は隕石拾いは↑に書いたAさん達がパイオニア。

大きさは拳くらい。左上の黒く見える部分は、隕石が地球の大気圏で溶けて黒なったそうです。この石ができたのは46億年前、46億年前と言えば、我が太陽系が誕生した頃であり、その時に太陽系誕生とともにできたのか、それとも宇宙のどこかを漂っていたのか、・・・

ついでですが、太陽系が無い時は太陽系のあたりはどうなっていたのか?とか言う話をつきつめていくと、どうしていいか分からず、天文学は嫌いです。

地球はどんな物質でできているか?そして、その物資はどうやって出来たのか?はギリシア以来、人間が追求してきたことであり、この隕石を調べるとそういうことの手がかりとなるわけですが、連坊先生なら「そんな事をして何の役に立ちますか!」で仕分け間違いなしですが、「何がどうなってるん」を追求する事自体が目的であり、人間は考える葦であり・・・それ以上でもなく、それ以下でもなく。

見たからと言って、どうと言うこともありませんが、南極の石の報告を終わります。

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