夜汽車-1

1970年(昭和45年)3月まで、国鉄真岡線(現・真岡鉄道)にはC12形蒸気機関車が牽く貨物列車が走っておりました。
機関庫は真岡駅にあり、小山機関区(晩年は水戸区)のC12が3週間おきに交代で真岡機関支区に駐留していたそうです。
C12の1日の動きは、午前8時30分に真岡発下館行き貨890列車を牽いて下館に向かいます。下館に着くのが9時頃だったそうです。
下館で貨物の入れ換え作業があって10時半頃、下館発真岡行き貨9893列車を牽いて真岡に戻ります。
真岡駅で貨物の入れ換え作業を行い11時半頃、真岡発下館行き貨9894列車を牽いて下館に向かいます。下館着が12時すぎ。下館で貨物の入れ換え作業があって休憩。
C12は午後19時すぎに、下館発茂木行き貨891列車を牽いて下館駅を発車し茂木へ向かいます。
この列車は真岡駅と益子駅で貨物の入れ換え作業があり、茂木に到着するのが21時すぎ。すぐ貨物の入れ換え作業を行い、折り返しの茂木発真岡行き貨892列車になります。同列車が茂木駅を発車するのが21時40分、途中で益子駅で貨物を増結し真岡駅に到着するのは22時40分すぎだったそうです。

このC12が牽く貨物列車も1970年(昭和45年)3月5日が最後の運転になりました。
この日は朝から冷たい雨が降る、3月にしてはとても寒い1日でした。
最後のSL列車・茂木発真岡行き貨892列車が発車する21時半頃からみぞれになってきたそうです。「レールが濡れて天矢場越えが心配だったよ」と、最後の列車を運転したS機関士(2000年夏茂木駅の駅長を最後に引退)が当日を回想しながら話してくれました。
同列車の機関助士だったAさん(現・SLもおか号の研修係り)は「発車前に茂木の日通さんから大きな花束をもらってよ、花なんて初めてだったからうれしかったよ」と語っていました。

1970年(昭和45年)3月5日21時40分。みぞれが降る冷え込んだ夜の茂木駅にC12193号機の「ヴォーッ」といういつもより寂しげな汽笛が響いたそうです。
ホームで見送ったのは駅員と日通の関係者が数名、最後のSL列車にしては寂しい発車でした。



あの日から25年後、夜の茂木駅は鉄道ファンで賑わっていた。
真岡鉄道では、毎年7月の第4土曜日と、8月の第4土曜日に「銀河ロマン体験号」が運転されるようになったからだ。
7月の「ふるさと茂木祭り」と8月の「市貝温泉祭り」の臨時夜行列車だ。
特に7月の茂木祭りでは、茂木駅の発車を前にした蒸気機関車の上空に、見事な花火の大輪が花開くさまは、
日本で唯一最高のSLの牽く夜汽車の風景だ。

真岡鉄道夏の風物詩。
夜汽車の世界を絵にしてみた。


「老兵並び立つ」 真岡駅 2000年8月
8月の夜行列車には、市貝武者行列の一行が真岡〜市塙間を乗車する。
車内はまるで戦国時代にタイムスリップしたようだ。
薄暗いホームでは、スローシャッターでストロボを焚くと綺麗に写る。
85ミリF2をF4に絞り、30分の1秒でストロボ撮影。


「夜汽車」 益子付近  1998年7月
夕暮れの雰囲気を表現するため、西の空に露出を合わせて撮影した。



「夕暮れの発車」 市塙 1998年8月
ヘッドライトを強調するため、スノークロスフィルターを使って撮影する。
85ミリ開放で30分の1秒の露出を切る(フィルムはRMSを800に増感)



「暗闇の世界へ」 市塙 1998年8月
車内の明かりがもっとほしかったが、薄暮の時間帯は露出もきつくなるのでむずかしい。
85ミリF2開放で30分の1秒の露出を切る。(フィルムはRMSを800に増感)




「夜の終着駅」 茂木 2000年8月
夜の俯瞰は大変危険なので、大きな懐中電灯が無いと転げ落ちる。
85ミリF2開放で2秒間露光。(フィルムはRHP3を800に増感)




「光る軌道」 茂木  1998年7月
雨で濡れた線路にヘッドライトの光が写った。
35ミリF2開放で8秒間露光。
(フィルムはRMSを800に増感)


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