会津の春-2

機関区めぐりと蒸気機関車。
SLブームの中で最初にはまったのが機関区めぐりでした。
沿線にどんなすばらしい風景があっても、ひたすら機関区を目指しました。
阿弥陀線に野ざらしになっている、二休車(検切れの廃車待ちの車両)にレンズを向け「パチリ!間に合って良かった」
そして駅の発車の写真がいつもの定番コース。
今思うと何て無駄な事をしていたのだろうか、我ながら寂しい鉄道写真です。
C50、C62、D52など最後の勇姿を撮影出来ましたが、廃車になる車両のペースが早く、そして多くの汽車達が会う前に消えて行きました。

中学3年の高校受験が、私には鉄道写真を見直す転機になりました。
SLを撮りに行きたくても、行けない1年間でした。磐越西線のサヨナラD51の日は模擬試験でした。
「OO高校に受かったら、1眼レフのカメラを買ってやっからな・・・」母の言葉にはげまされ、ただひたすら机に向かい春を待った1年間でした。
当時、会津若松駅では入れ換え作業をするC58形が夜遅くまでドラフトを響かせて働いておりました。
深夜、きばなしに蒸気機関車という雑誌を見ながらシゴハチのドラフト音を聞く、「今日は16番だな、あの音は・・・頑張れよ(待ってろよ!)」諸先輩の秀作を見ながら考えました。「春になったらあの線に行こう」。「このアングルはまねして見よう」。
少しずつ、考えながらシャッターを押す準備がこの時期に芽生えたいたように思います。
今何を撮るか(記録するか)それは機関車だけ撮るのではなく、その土地で働く人々の表情、情景。農業の近代化で変貌する田園風景や、会津の風俗や美しい風景などを写すこが大事なのではないだろうか?
その風景や情景に汽車を入れて撮る事により、「その時代とすぎゆく時間を写し込む」それが動力の近代化で消えていく汽車達を正しく記録していくうえでのはなむけになるのではないだろうか?
高校時代の私は、遠征に出かけても機関区にはあまり立ち寄りもしませんでした。
今しか撮れないSLの走る風景、それを追い求める日々が始まったのでした。
終焉に向かうSL達には、もう数年しか時間が残されていない。首には、いつでもすぐにスナップできるようにOM1(オリンパス)がほこらしげにぶら下がっておりました。



「春うらら」
 会津線 西若松-門田間 C11252  1974.5.2




会津線 桑原-上三寄間 C11197  1974.5.2




会津線 上三寄駅 C11197  1974.5.2




「湯野上駅の桜並木」
会津線 湯野上駅 C11289  1974.5.3




「新緑の第3大川橋」 
会津線 桑原-湯野上間 C11289 1974.5.3




「新緑の桑原」 
会津線 桑原付近 C11289  1974.5.3



「第1大川橋」
会津線 桑原付近 C1119  1974.5.3



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