門デフ会津を走る-1

1973年4月16日の午後、会津若松駅にちょっと変わったC11がやって来た(無火回送)。
回送表には4月10日早岐機関区と書いてあった、1週間かけて九州から運ばれてきた転入機C11254号機には門デフが付いていた。
正式には「ヴィッテ式デフレクター」といい、九州地区に多く見られるデフで「門鉄式除煙板」略称して「門デフ」と呼ばれるデフレクターが付いていたのだ。
一般的なワグナー式のデフに比べ、小さくタンク機C11に付けるとぶかっこうに見えた。
「なんだべなこいつは」と機関区の整備士たちも変な転入機の前に集まり、不思議そうに見つめている。
そうなのだ、会津では初めて見る門デフだった。

当時国鉄では1975年末のSL全廃に向け、蒸気機関車が4年に1度行われる全般検査(全検)をやめていた。
経費削減が目的だが、おかげで検査切れのSLは、どんなに調子が良いカマでも即廃車の運命が待っていた。
C11254号機は1972年4月の松浦線無煙化により仕事を失い、佐々機関区の庫外で1年間休車状態で留置されていたが、幸いな事に1970年小倉工で全般検査を受けていたため、はるばる会津の地で全般検査期限を使い切るために運ばれてきたのだった。
このC11254号の他に、4月14日同じく早岐区からC11192号。6月には行橋区からC11197号と3両の九州のカマが、この年会津機関区に転入してきた。
これら3両の九州のカマの中で、このC11254号だけは遠くからでも識別が付く異色機だったので、当時の私は254号に会うと「ちぇっ門デフか」と軽口をたたいて嫌っていたのを思い出される。
当時は気に入らないカマだったが、今あらためて見なおして見ると、とてもスマートな感じに写っているのは不思議なものだ。
2000年秋、2つ目の異色機C11207号がJR北海道で復活し話題になったが、C11の門デフ機の魅力もお楽しみ下さい。

C11254号機、会津を走る。


軌道試験車を牽くC11254 会津若松駅 1974年4月撮影
 


只見線 西若松付近  1973.6.17




会津若松 キ151とC11254  1973.12.25
クリスマスの早朝に出動したラッセルが機関区に戻って来た、本務機C11254にとっては初のラッセル仕業だった。




会津若松  1973.12.25
九州育ちの彼には、この日が初めてのラッセル体験だった。
254号機のラッセル仕業は、この後74年12月末までに3回、翌75年1月に4回、
最後が2月11日で計9回運転された。



会津線 門田駅  1974.3.15




会津線 湯乃上-桑原間  1974.3.24
「冬の第2大川橋」


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