ゆきと闘う

私が子供の頃、故郷の会津では毎年雪がいっぱい積った。
暖冬が続き冬の平均気温は30年で2度も上がったが、積雪量は半分以下に減ったようだ。
1973年12月末の降雪で、只見線は川口から先が雪のため一時不通になった。
この日から連日のようにキ100形ラッセル車がC11と共に出動していたのを思い出される。
当時会津若松機関区には、このキ100形ラッセル車(キ151、キ195、キ216、キ240)が4両配備されていて。磐越西線、只見線、会津線、日中線の除雪に活躍していた。
積雪が50センチを超えると、キ100形はC11に後押しされながら出動する。雪を掻き分け、両サイドの翼を広げて雪を跳ね上げながら線路を除雪する。
あの頃会津では、始発前の深夜に出動し午後戻ってくるという運転パターンが多かったが、1日2往復する日もあった。
紹介する写真は、会津のSL最後の冬にゆきと闘うラッセル車の勇姿だ。



前日からの積雪が50センチを超えた、この冬最初の出動だ。
 会津若松区  1973.12.23



転車台に乗るキ151。 
会津若松区  1973.12.23



往路はC11がラッセル車を押し、復路は牽っぱて帰ってくる双頭ラッセルの出発だ。
キ151とC11197 会津若松区  1973.12.23



3日続いた吹雪がやっとやんだ、「ゴォー」と低い唸り声をたてながらラッセル車が帰ってきた。
会津若松付近 キ151を押すC11254  1973.12.25



転車台が無い線区、または転車台が雪に埋まって使えない線区に入る場合はこのような双頭スタイルで出動する。
C11192とキ216 会津若松  1974.1.20



キ100は機関庫には入れてもらえず、いつも阿弥陀線で待機していた。
出動のため、入換機のC58354に牽き出されるキ151。
会津若松区 73.12.25


 
日中線の除雪を終えて帰還したラッセル車の左を、日中線に向かうC11が発車していった。
会津若松  1974.1.20



吹雪もおさまった頃、只見線の除雪を終えたキ240とC11252が帰ってきた。 七日町  1974.2.2



石炭も空になるほどの厳しい仕業だったようだ。 キ240とC11252 七日町  1974.2.2



撮影してすぐ退避したが、除雪した雪のかたまりが背中を直撃した。
只見線 西若松-本郷間 キ240を押すC11204  1974.2.11 


  
柿の枝が飛ぶほど猛烈な吹雪が吹き荒れていた。両翼を広げ除雪するラッセル車がやって来た。
会津線 門田-西若松間 キ151を押すC11254  1974.2.11 


キ100形は1936年から造られた単線用の鋼製ラッセル車で、正式には「雪かき車キ100形」という。
38豪雪(1963年)の時には、新潟から借りてきたキマロキ編成(ロータリー車)が活躍したという話も聞いたが、
私は見た記憶が無い。

会津には配備されていなかったが、当時は他にキ550形複線用ラッセル車、キ700形広幅雪かき車(ジョルダン式)もあった。
写真は名寄駅構内を除雪するキ719(旭)+49651  1974.12.28


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