さよなら列車-2

 1974年11月10日
東北最後のSLが今日限りで姿を消そうとしている。かのマッカーサー元帥は「老兵は消え去るのみ・・・」といっていたが、別れはやはり寂しい。
日中線最後の日は別れを惜しむファンで大いに賑わった。
最後のサヨナラ臨時列車は超満員で通路まで人があふれていたが、私は6号車(オハフ61)の一番後ろの席を確保して最後の1日をドキュメント風に撮影しながら、ラジカセで最後の音を記録する事に決めていた。
駅に停車すると、首にカメラを架けて待ちかねたように線路に飛び降り、「パチ、パチ」と写真を撮りまくる。人から見ればいっぱしの新聞記者気取り撮影する子供に写っただろうが、私としては、最後の勇姿を1枚でも多く写真に残して置きたいという正直な気持でシャッターを押していたのだと思う。

1899年(明治32年)7月15日、郡山〜会津若松間に岩城鉄道が開通したから75年間毎日走り続けた会津のSL達、赤字国鉄の合理化、スピード化で引退するのは口惜しかった。
C11からバトンを受けたDE10形ディーゼル機関車は喜多方〜会津熱塩間で17分間の時間短縮になると国鉄はPRしていたが、1日3往復で200人程度の客を運ぶ超ローカル線で17分の時間短縮がどの程度の意味があるのか私にはわからなかった。

右は、1974年11月10日の福島民友新聞の切り抜き。







最後の運転に向けて乗務員も緊張していた。 会津若松駅



拓本取りを手伝う車掌さん。 喜多方駅



鉄道ファンでいっぱいだった押切川橋。 上三宮付近



加納駅では園児達が出迎えていた。



加納駅では、さよなら列車を囲んでの記念撮影が続いた。 C1163逆後C1180



日中線沿線では随所で車の渋滞が起きた! 熱塩駅付近



終着駅の熱塩では、小学生達が「ほたるの光」で見送った。 



満員の車内から、皆んな身を乗り出して別れを惜しんだ。
別れを告げる汽笛が、何度も何度も鳴り響いた。 村松-喜多方間



夕日を浴びて喜多方駅を発車するさよなら列車。  C1180逆後C1163



さよなら運転を終えて機関庫で休むC1180とC1163。 会津若松機関区

後日、C1180号は故郷の岡山県津山市に帰り静態保存された。
C1163号は、喜多方市の日中線村松駅跡に静態保存されている。


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