さよなら列車-1

1974年10月31日をもって会津線(会津若松-田島間)の貨物列車。只見線(会津若松-只見間)の貨物列車。日中線(会津若松-熱塩間)の混合列車。磐越西線(会津若松-野沢間)の旅客列車の一部を牽引していたC11形蒸気機関車が、DE10形ディーゼル機関車に置き替えられた。
31日はストが予定されていたが直前に回避された、だが乗務員のやりくりがつかず、日中線は普通どうり運転されたが只見線が坂下までの貨レ1往復。会津線は田島までの貨レ1往復が最終列車となった。
最後の牽引機は只見線がC11192号機(会津坂下行き貨1493→1492列車)。会津線はC11197号機(田島行き貨8393→8392列車)。日中線はC1180号機牽引の熱塩行きの混合列車だった。
式典も無く、HMも付くこともない静かな最終日となった。

さよなら運転は、3日置いて福島民報新聞社主催の団体臨時列車「さよなら民報号」が、11月3・4日にC1163・オハフ61×6両・逆C1180で会津若松-熱塩間をそれぞれ2往復。(日中線さよならSLのヘッドマーク付き、熱塩に転車台が無いため双頭列車)
福島民友新聞社主催の臨時列車「さよなら民友号」が、11月5・6・7・8・9日の5日間にC1163・オハフ61×2両で、会津若松-熱塩間をそれぞれ1往復。(ヘッドマーク無し、9日はC1180が牽引)
最終日が11月10日の臨時列車「日中線さよならSL号」C1163・オハフ61×6両・逆C1180の編成で、会津若松-熱塩間を1往復(日中線さよならSLのヘッドマーク付き)と8日間に10往復、約5000人の人々が最後の蒸気機関車に乗った。沿線で手を振っていた人々も入れれば、数万人もの人が蒸気機関車との別れを惜しんだ。

左は、11月1日に会津若松機関区の掲示板に張り出された張り紙。





 1974年11月3日
さよなら運転の朝。会津若松の機関庫では出発の準備がいそがしく行われていた。

二組の夫婦が機関車を磨いていた。
「今日はめいっぱい磨いてやんねば」
煤けていた車体が黒光している。
「事故も無く良く頑張ったね」
やさしく機関車に話しかけていた。
この夫婦にとって汽車は子供のような存在だったようだ。




機関車が入線すると鉄道ファンが身を乗り出してカメラを向けた。



「双頭列車のさよなら運転」 会津若松付近 C1163逆後C1180 



上三宮-加納間 C1163逆後C1180



加納駅を発車するさよなら列車。 C1163逆後C1180



加納駅前には、SLの写真を売る露天も出た。



喜多方駅を発車するさよなら列車。 C1180逆後C1163
左に見えるのは、急行「ばんだい」と急行「あがの」


さよなら列車-2へ