C58の思い出
C58の思い出
会津若松駅の北側に大きな貨物ヤードがあった。
磐越西線、只見線、会津線から集まった貨物を行き先別に分ける所だ。
そこで働いていた機関車がC58形蒸気機関車だった。
会津のすばらしい風景の中を走るC11とは違い、いつも地味な入れ換え作業を担当していたシゴハチ、
会津のシゴハチの思い出を紹介します。
シゴハチの前に付いているのが「ヒ600」控車(ひかえしゃ)だ。
入れ換えの時、連結開放の作業がしやすいように、機関車と貨物の間に連結されて使われていた。
元々は鉄道連絡船に貨車を積み込む際に、重い機関車を連絡船に乗せたくないためスペーサーの役目に考えられた車輛で、
明治時代?の2軸貨車を改造して作られた木製車輛、会津若松区に2両残っていた。
C5816 1973.4.6
磐越西線(手前)に平行して引き上げ線があり、シゴハチが貨物を引き上げる。
C58354 1973.11.23
引き上げた貨車をシゴハチが力強く一気に押し途中で急ブレーキをかけると、連結作業員が「ガチャン」と貨車を切り離す。
切り離された貨車は、扇状に開らかれた貨物ヤードを惰性で走り貨車を行き先別に仕分けるのだ。
この単純な作業を1日何十回も繰り返す、それがシゴハチの仕事だった。
C58354 1973.12.16
入れ換えをするC58231の横を、日中線に向かうC1119が走り抜けていった。
C58231は関西のカマで重油タンクがコブの後ろに付いていたが、会津では一度も重油は炊かなかった。
1973.12.21
「初雪の朝」 シゴハチは客車の入れ換えにホームに向かう。
C5816 1973.12.9
引き上げ線の下に連絡通路があり、機関庫に行く?近道だった。
C58231 1974.3.2
「春の会津若松駅」
構内一面にマーガレットが咲きほこっていた。
C58328 1974.5.26
「ピィー」軽い警笛をならしながら入れ換えをするDD155の横を、日中線に向かうC1163が発車して行った。
1974.6.1 シゴハチに替わりこの日からDD15が貨物ヤードに姿を見せた。
会津若松の入れ換え作業は、私が子供の頃は8620形蒸気機関車が頑張っていたが、
1968年からC58形蒸気機関車が担当するようになった。
晩年は夏季余剰のラッセル用DD15形デイゼル機が(5月〜9月間)肩代わりするようになっていた。
1974年5月25日、シゴハチに替わり東新潟区からDD154、DD155が会津若松区に転入、
6月中にC58からDD15に入換仕業を交替する事がすでに決まっていた。
1974年6月4日を最後に会津若松の貨物ヤードからシゴハチのけむりが消えた。
会津のシゴハチは本州地区で最後まで働いた、C58形蒸気機関車でもあった。
会津では地味な仕事ばかりのシゴハチだった。
さよなら運転なども無いまま終焉したのは少し寂しい。
シゴハチ達は、磐越西線上戸駅の引き込み線に留置されていた。
1974.9.8
シゴハチ達の横を特急「あいず」が走り抜けて行った。
彼らはこの駅で冬を越し、1975年春それぞれの保存先に旅立って行った。
磐越西線上戸駅 1974.9.8
C5816は宮城県志津川町。C58231は山形県上山市。C58328は福島県三春町。
C58354は宮城県利府町にそれぞれ引き取られ静態保存された。
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