只見線-1


只見線は、会津若松から上越線の小出までの135.2キロの長いローカル線だ。
1974年10月31日まで只見線では会津若松-只見間88.4キロを1日1往復(時々臨貨が走り2往復の時もあった)会津若松-坂下間21.6キロを1往復の2本の貨物列車をC11形蒸気機関車が毎日牽引していた。

会津若松を出発した列車は、市街地をうかいするように進み湯川の鉄橋を渡ったところで減速し西若松駅に到着する。
西若松駅を出た列車は、しばらく会津線と併走して進み大きく西にカーブし会津線と分かれる。
のどかな田園地帯を走り長い長い大川橋(437メートル)を渡りきったところが、焼きものの町会津本郷だ。本郷を発車した列車はしばらく田んぼの中を走り次の駅会津高田に到着する。高田は日本三大お田植祭りで有名な町。高田を出た列車は大きく北にカーブして根岸、新鶴、と穀倉地帯を走り会津坂下(あいずばんげ)に到着する。坂下は漆器で有名な町だ。
会津盆地の南半分を大きくU字を描いて走った只見線は、坂下をすぎたあたりから山間に入る、塔寺までは25パーミルの長い登り勾配が続く。
右窓からは時々会津盆地が見渡せるが、塔寺をすぎるといよいよ山と渓谷が有名な只見線らしくなり会津柳津に到着する。
会津柳津駅には会津で走っていたC11244が静態保存されている。柳津をすぎると右窓下に濃い緑の只見川が姿を見せるがすぐ見えなくなり、小さいトンネルを何度かくぐりぬけ滝谷駅に到着。
滝谷駅を発車した列車は、大きく右にカーブしながら深い谷の滝谷川橋にさしかかる。ここは昔から有名なSL撮影地で駅から近いせいもあって只見線の人気撮影地だった。(只見線-3へ)


只見線の貨物列車を牽くため、C11240が機関区を出発する。  1974.9.22



西若松駅は通学路にもなっていた。 C11254  1974.9.30



西若松駅に到着したC11312と交換で、キハ23が出発していった。  1974.10.5



稲穂が垂れる田んぼの中で、汽車を撮影する鉄道ファン。 
西若松付近 C11254  1974.9.22

  

刈り入れが終わった稲は、しばらく田んぼで乾燥する。
あかとんぼがいっぱい飛んでいた。 西若松付近 C11312  1974.10.2



「収穫の日」 乾燥した稲を脱穀していた。
西若松付近 C11204  1974.10.13



日は西に傾き、夕暮れの気配が迫ってくる頃、西若松駅をC1163が発車していった。 
 1974.10.29

当時私は自転車で通学していた、西若松駅は学校帰りに良く寄り道した駅だ。
この頃になると、あと何日しかC11は走らないとわかっていたので、
1枚でも多くの写真を撮っておこうと毎日のように寄り道した。


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