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3人の出会い
●(1)1968年、当時大学3年生の細野氏が高1の幸宏さんが軽井沢のダンスパーティで出会う。
 2人は各々のバンドのメンバーとして会っている。細野氏は独言癖があり、ぶつぶつつぶやいていたという。集まったメンバーがお茶漬けを食べようということになったとき、箸がなくてスプーンが用意されると、「ぼくスプーンでご飯食べるの初めて」と誰に言うこともなくつぶやいていたという。(松本 弘毅)
●(2)1975年、大学院生の坂本氏と幸宏さん。
 このときすでに幸宏さんはサディスティクミカバンドのドラマーで、海外ツアーにも参加経験があった。一方、坂本氏はアルバイト程度のスタジオミュージシャンもする一介の院生だった。ヒッピー坂本氏は当時からファッショナブルな幸宏さんを見て「音楽するものがあんなにチャラチャラしやがって」と思い、幸宏さんは長髪で薄汚く、いつも難しそうな本を小脇に抱えてくる坂本氏を「むさ苦しいやつだ」と思っていた。好対照である。(松本 弘毅)
●(3)1975年、坂本氏と細野氏が大滝詠一氏のレコーディングで会う。
 ごめんなさい。細かい話は知りません。(松本 弘毅)
  ★うー、こういうほほえましい話はいいですね。(^_^) 何かの本で読んで、何となく雰囲気は覚えてましたが、こうして読んでみると興味深いです。あと、「クラフトワーク」のライブ会場で、幸宏さんが坂本さんを見かけたという話を聞いたことがあります。(nakanaka)

七人の侍
幸宏氏曰く、ライディーンの一番最初に思いついたときのイメージは故・黒澤明監督の名作「七人の侍」らしく、曲の合い間に入っているあの「馬が駆ける音」もここから来ているらしい。
 その「七人の侍」のイメージは幸宏氏が「ライディーン」の続編と位置づける「I TRE MERLI」(『テクノドン』に収録)に色濃く受け継がれている。(七篠権平)
  ★黒澤明監督とYMOはこんな結びつきがあったのですね。幸宏さんと日本映画と言えば、大林宣彦監督、小津安二郎監督がぱっと浮かびますが、黒澤監督は、YMOの方々にどんな影響を与えたのでしょう。「I TRE MERLI」を「ライディーン」の続編と位置づけている、とは存じませんでした。何かのインタビューで言っておられたとか、でしょうか。何となくそういう記憶もあるのですが。。。(nakanaka)
  ★2003年5月24日の「掲示板」に、七篠さんが書き込みをして下さいました。
「あれはライブベストCD「ONE MORE YMO」の解説ページの「I TRE MERLI」の欄に書かれていたものです。ちなみに「『RYDEEN』初期イメージは『七人の侍』」という発言は先日放送されていたテレビ東京系列の「そして音楽が始まる」という番組内でおっしゃってました。」
わざわざご丁寧にお返事いただき、まことにありがとうございます。管理人のほうが学ばせていただいているサイトです。m(_ _)m(nakanaka)

九死に一生
 1971年7月30日、岩手県雫石町上空で千歳発羽田行き全日空機と自衛隊機が空中衝突するという事故が起きる。乗員・乗客162名全員死亡。
 同日、当時はっぴいえんどのメンバーだった細野晴臣と鈴木茂が千歳空港で乗る飛行機を選んでいた。
 日航機と全日空機、出発時間は同じだったが、日航機のほうが先に離陸するため、日航機を選択したそうだ。そして東京に帰ったあと選択肢の一つだった全日空機が墜落したというニュースを知ることになる。
 このとき細野氏は「お爺さんもこんな気持ちだったんだろうか」と思ったという。

 ちなみに、細野氏のお爺さんとは、1912年に沈没した伝説の豪華客船、タイタニック号の日本人唯一の乗客にして生存者である細野正文氏である。(七篠権平)
  ★七篠さんより、訂正のご投稿をいただきましたので、差し替えさせていただきました。ありがとうございます。それにしても、、、人間って本当に不思議な「縁(起)」(=関係性)の中で生きているんですね。ああ、でも、考えただけでも恐ろしい。細野さんや鈴木さんがいない世界なんて。。。(nakanaka)