「父兄会」、「主人」といった言葉があります。上の「1」に上げた明確な例とは異なって日常会話の中でも良く出てくる言葉です。たとえば、学校の行事ビデオ。「子供たちを助けて父兄は……」とナレーションが入ります。でも画面に映っているのは母親らしき女性がほとんど。「父兄」はどこにいるの? 「父兄」が「父母兄弟」を縮めた言葉としてもおかしい。ここは「父母」が適切です。家族が登場するビデオで画面は左に妻、右に夫の2ショット。ここでテロップが左下に「○○子さん」、右下に「主人・田中▽▽男さん」と入ると、やはりおかしい。「田中○○子さん、▽▽男さん(夫妻)」なら納得できます。安易に使う「主人」も考えてみればおかしな言葉です。
-
-
被写体をたたえる作品を作ることは多々あるでしょう。そんなときに「家柄が良い」とか、「良い血筋」、あるいは「もと士族だから」といった言葉をつけて誉める場合があります。無意識に使う人もあれば、血統優先の競走馬の例から思いつく人もあるようです。他愛ないと言ってしまえばそれまでですが、考えてみるとやはりおかしい。何をもって良い家柄というか、何を基準に血筋の良さを語るか、ましてや「士族」などは古い明治憲法的な言葉です。
余談になりますが、筆者の母は、地域の中で自慢げに「もと士族」という人がいると、「うちは山賊だ、士=四よりも、山=三のほうが上だ」と」茶化すそうです。そこで私もオマケの意味で「それでも分が悪い時には、うちは盗賊の子孫だ、盗=十なら士=四より多いから」と言っておきました。後で聞けば「もと士族」と言う人には「うちは山賊と盗賊の両方の子孫だ」と言い、「藤原家の末裔だ」と自慢する人には「うちの祖先はスサノオノミコト(天照大神の弟)」だと言っておいたとのことです。
-
-
差別用語のことでは「表現の自由」や「豊かな言葉論」を理由に反対の意見もあります。最終的には一人一人の意識の問題になってきますが、筆者としては言葉によって傷つく人、痛みを感じる人があることは忘れないで欲しいことをつけておきます。