No.22「ナレーション余話・自分の声を恥じるなかれ」 

(稿:三石あき)



〜前3回コメント&言葉に続いてナレーションがテーマ。コラムふうに考えてみます〜

 (序)ナレーションを入れたい
 「ビデオを撮る→見る」→余分な映像を捨てるべく「映像をつなぐ」→気持ちよく見れたらと「音楽を入れる」/基本情報があればと「テロップを入れる」→テレビのようなビデオにしたいと「ナレーションをつける」。
 こうして自分の声までナレーションが入れば、ビデオマンとして“一人前”になったような気にもなります。しかし、ここまで進むのは容易ではない。というよりも、私にはナレーションはどうも……と躊躇する人が多い。「声が悪い」、「方言が抜けない」、「イントネーションがおかしい」、そして「アナウンサーのようにはしゃべれない」と。こう思うようになるとビデオの制作活動は行き詰まる。残念なのは、あきらめた時に、音楽垂れ流しの自己満足ビデオが出来上がる、というケースです。


 (1)自分の声と言葉に自信を持とう
     ここで発想を変えたらどうでしょうか。
  • アナウンサーのような声ばかりが良い声ではない、と居直ってみるのです。テレビの世界、タレントはもとよりナレーターもみんな美声とは限りません。たとえば自然番組のナレーター等で活躍する柳生博さん、美声ではないが読み(ナレーション)に説得力があります。
  • 方言は豊かなことば表現のひとつだ、と捉え方を変えてみます。同じモノが所によって呼び方が違うという場合もあれば、ブリ(魚)のように成長段階で異なる名前になるケースもあります。また、その地方独特の言葉もあります。著者の知る例でいえば、宮崎弁の「よだきい」が面白い。「大儀な」とか「しんどい」とか、「くたびれた」とかを総合したような言葉であって、それらとも少しニュアンスが違うのが、「よだきい」です。私などケンカのときに出てくる広島弁の「オドリャー」は、ほかの言葉では置き換えにくい言い方のひとつです。
  • 変則的なアクセントやイントネーションは個性的文化のあかしだ」と。大阪弁を中心にした関西のことばはテレビの世界をカッポし、今や違和感を持つ人も少なくなりました。堂々と使えば怖くない、世の中に通じるということでしょうか。
  • どんな言葉表現もビデオを見る人に通じるかどうかが大切です。方言やイントネーションを気にしないといっても通じなければ意味がありません。要は、ひとりよがりの表現でなく、分かってもらえるかどうかを基準にナレーションすれば良いのです。そしてナレーションのよしあしのカギは「説得力」、どんなに美声でもホントらしく聞こえなければダメ、ということです。


 2)美声に勝つナレーション
 「説得力のあるナレーション」、それは美声かどうかではなく、言葉をどんなに飾るかでもなく、映像表現の基本を踏まえて、見る人が「ホー」、「なるほど」、「そうなのか」と耳を傾け、ビデオの中に入り込めるような言葉表現です。
 そのためには、
  • ビデオ作品の狙いをきちんと把握し、文意を理解してナレーションすること。
  • 自分の声と言葉に自信を持つこと。ナレーターがおどおどしていては聞くほうはもっと不安です。
  • 顔出しで読むときは必要ならメモを見ても良い。見ないで間違うよりも、見て正確なほうが信頼される。
  • 長い文章はナレーターには読みにくく、聞く側には分かりにくい。センテンスを短くしたい。
  • トチリやすいのは、長いセンテンスの、意味不明の言葉、そして「らりるれろ」の多い文。要注意。
     等などに注意しておく必要があります。次回もこのつづきを。


  • 以上