No.21「続・形容詞で飾らない言葉表現を」 

(稿:三石あき)



【序】前2回に続いて

「JVA会報」の8月号では、JVA10周年全国交流会での山崎登NHK解説委員の講演を、そして9月号では「形容詞で飾らない言葉表現を」のタイトルで、聞いていて分かりやすいコメント(ナレーション)について紹介しました。この号では、もういちど形容詞、修飾語をできるだけ使わないコメントについて述べます。

 (1)「ディテール」にこだわって

 「彼は本当にやさしい人よ」、「すごく厳しい稽古なのね」、「きれいな花だねー」…といった言葉は、日常の会話ではごく普通に使われます。それでお互いの気持ちは伝わり、会話は成立します。それはそれでなにも問題ありません。
 ところがビデオ作品のコメント(ナレーション)として「彼はやさしい人です」、「厳しい稽古に耐えています」、「一面きれいな花です」が次々と出てくると、見る人には印象の薄い言葉に聞こえます。ここは「どうやさしいのか」、「いかに厳しいのか」、「どんなにきれいな花なのか」を映像作品のナレーションとして具体的に表現して欲しい。それには、ディテールを具体的に分かりやすく表現することが望まれます。
 「ディテール」などと外来語を使わないで、という声が聞こえてきそうです。国語辞典で「ディテール=Detail」という言葉を見ると、『こまかなところ。細部』となっています。これをビデオ作品の表現にあてはめると、愚弟的な事象事実ということになるでしょう。「やさしい人」というなら、その人のやさしさを具体的に示す。「厳しい稽古」は、どんなに厳しいかを具体的に見せる(あるいは言葉で表現する)ことが大切です。



 2)芸に厳しい母を語るに

 では、「厳しい稽古」をどう伝えるか。そのような映像を作る、映像に語らせることが重要ですが、ここでは言葉で表現する場合について。言葉の前に「非常に」とか、「信じられないくらいに」とかの言葉で厚化粧するのではなく、聞く人がイメージできるような表現の例を紹介しましょう。

 俳優の梅沢富美男さんが、芸にかける母親の指導の厳しさを次のように語っています。

(NHK ETV〔シリーズ日本の母〕から話の要旨を)

【印象的だったのは、『私が死んだ時には泣いたらダメよ。絶対に泣かないで頂戴…。』<中略>
 僕が九州で公演をやっている、その本番5分前におふくろが亡くなったんです。みごとなもんですね。芝居は5分前にはベルが鳴るんですが、その途端に電話がかかってきて、『今亡くなりました』と。
 今だから言えますが、放心状態になるし、涙があふれるくらいに…。ずっとそばにいて苦労してきた親が死んだんですから悲しくないわけはないんです。でも悲しいと言っている場合じゃないんです。舞台に出なければ…。出て行って笑わなければいけないんです。 笑った顔を見せなければならない、それをやれっていうことですね。『私は女優なんだから、アンタは女優の子供なんだからやんなさい』って言うんです。最後の試練なんですね。『ちゃんと演じてきなさい。教えたでしょ。役者は痛い、痒いなど顔に出さないのよ。役者は真顔で好きだとか、嫌いだとか、泣いたり、笑ったりできるんでしょ。じゃあ、やんなさい。お客さんが望むならね。お客さんが、お母さんが死んだら泣きなさいと言うなら泣きなさい。でもお客さんは高い金を払って、アンタの笑顔を見たい、芸も見たい、踊りも見たい、歌も聴きたいんでしょ。だったら一生懸命やんなさい…。』
 …それができないんだったら役者じゃない、ということなんでしょうね。最後の最後まできつい試練を与えてくれた、ということですね】


以上