●「本田覚さんのご逝去に寄せて」」
- 本田覚さんがご逝去されたことを知り、心が痛みます。松本さんの会に見えなかったので、どうしたのかと思っていましたが、まさかお亡くなりになったとは知りませんでした。JVAやAV研究会では積極的に活動され、新郷ビデオサークルでも貴重な方であったと思います。本田さんが撮ってくれた写真が今では貴重な贈り物になりました。
(長野県佐久市/中沢 裕)
- 本田覚さんが亡くなられたことを知り、驚いています。JVA全国交流会で始めてお会いしてから何年になるでしょうか。気さくに声をかけていただいてホッとした記憶があります。
一昨年の秋、「HOW TO VIDEO編集編」をTVKで紹介できないかと送ってくださいました。お電話の感じが実に好印象でした。ビデオクラブを紹介するコーナーで、JVA活動の一環として紹介させていただきました。
思えば、直接お会いするよりも、お電話での会話の方が多かったことに気がつきました。それでも、たとえば私が何かお願いすれば、すぐに良い方法はないかと一緒になって考えていただけるだろうという印象があり、それほどに距離を感じさせない方でした。
(TVKテレビ神奈川/宮崎麻里子)
- 本田さんが亡くなられて、もう2ヶ月が過ぎました。先月号で田村事務局長の真心あふれる弔文が載りましたが、まさに、言葉に尽くせぬ思いが残りました。
去る1月23日、私たちJVAの松本顧問が、永いNHKのお勤めを定年退職されたことで有志による慰労会がNHK青山青山荘で催されましたが、本田さんはその同じ日の夕方、6時14分、順天堂大学の病室で息を引き取られたとのことです。24日の朝、青山荘のロビーで、その悲報を聞かされたときは、ショックのあまり、一瞬言葉もでませんでした。亡くなられた本田さんは、この松本顧問を慰労する会の実行委員の一人でもあったのです。
こよなくJVAを愛し、ビデオ仲間に誰、彼の区別なく心を開いて親しく接する方でしたが……。
私が本田さんと知り合ったのは、北海道大会の時ですから、さして古くはありませんが、その受付やら、懇親会の席などで、当時は役員でもなんでもなかった本田さんが、夢中になって皆さんの面倒を見て駆け回っているのです。私にとって大きな感動でした。
それ以来、お互い気心が通じてのお付き合いでした。私などにも高齢者ということで、いつも気を配ってくださったのです。
昨年、AV研究会で「奥の細道撮影会」が企画されたときのことです。私は数年前に町内の旅行で一度行ったルートですから、あの時は下見として、今度は本番の撮影だと張りきったものの、集合場所が東京深川方面の地理に疎いため、上野からタクシーの予定でいたところ、本田さんから、夜遅く電話があって、「深川方面、よく知らないでは心配だから、上野着の時刻を知らせて欲しい。改札口で待ってあげるから」というのです。しかし当日朝になって、私が急に体調を崩したため、不参加で、せっかくのご好意も無になってしまいましたが……
昨年、宮崎大会のときだったと思いますが、二人で雑談の折、「関さんが死んだときは、オレ葬式に行ってやるよ」とニコニコとさりげなく、私も「ウンありがとう。そいつァ嬉しいなァ」とこのときの会話は冗談でもなく、ふざけでもない暖かい友情でした。
それなのに、本田さん、なぜ先に死んだ。しかも私よりはるかに若いんじゃないか! と思わず叫びたくなりました。
告別式の日を確かめてJRのチケットを一旦買いましたが、もし、過ぎた後になって、お通夜にも行ってあげればよかったと悔いが残ってはと思い、急いで前日のチケットを買い求め、葬儀場に近いホテルを予約しました。
現地に着いてみると、すでに田村さん、熊谷さん、瀧本さん、いずれもご夫婦で受付やらその他忙しく動いておられました。そして埼玉、千葉など比較的近い会員の方々は、沢山お見えになりました。また告別の当日には故人と特別に親交のあった方々が、遠方から駆けつけて、生前の人柄が偲ばれました。
お通夜に出席したことで、本田さんの奥さんからもいろいろとお話を聞くことができました。5年前に腹を上から下まで切り開く大手術をして、やっと命を取り留めたんだと……。知らなかった。健康体でもないのにJVAの行事には夢中になって動きまわったんですね。奥さんも「本人があまり熱心なので、何も言わずに見ていましたが、出かけるたびにハラハラしておりましたと」と。
しかし、すべては終わりました。
遺族席の奥さんの顔を見て、私は心の内で「本田さん、さようなら」を言いながら、涙が流れて止まりませんでした。
戒名は「眞寳覚映居士」。坊さんが棺の前で説明しました。
「覚映の覚は本田覚の覚、映の一字は映像の映です。本田さん、天国に行ってもビデオを楽しんでくださいね」と言いました。
多くの仲間にすべてやさしく付き合って、誰からも愛され、そして惜しまれながら旅立った本田さん、今、天国から過ぎし生涯を振り返って、きっと悔いはないと思います。
本田さん、どうぞ安らかに。 合掌
(茨城県日立市/関 太郎)
|