◎日暮里〜青森
え〜と、外環から東北道に入ったらしい。道は混んでいるというほどではなかったけれども、けっこうトラッカーが走っていたのでした。しばらく走って、最初の休憩、サービスエリアへ。星が綺麗。ちょっと東京から離れるだけで違うんだね。ここで夕飯がまだの方は食事をとりました。
またしばらく走って、次の休憩、サービスエリアへ。すでに宮城県に入っている。買い物と給油。ここでなかなかナイスなアイテムを発見!変わったカップアイスクリームである。バニラを除いた7種類(コシヒカリ、日本酒、抹茶、ヒマワリ、ずんだ、みそラーメン、ごま)を買い込む。なかでもみそラーメンアイスは大ヒットであった。
◎恐山
恐山に行く途中で、恐山冷水という水を飲む。そして、いよいよ恐山へ。
☆恐山一口メモ。
恐山って言って真っ先に思い付くのは、なんていってもイタコさんだよね。あの、おなくなりになった人の霊を降ろす、口寄せってやつ。でも、このイタコさん、いつもいるってわけじゃないんだ。大祭(今年は7月20日〜24日)とその前後数日は約20人のイタコさんが総門を入った所に小屋(?)を並べているのだけれども、普段は2〜3名の方しかいらっしゃらないらしいです。しかも、要予約!ちなみに料金(お布施だったかな?)は2〜5千円だそうです。
さて、土産物屋さんを覗いた後、500円の入山料を支払い、いよいよ中へ。恐山は硫黄の匂いと、荒涼とした風景、吹きつける強い風といった要素がかもし出す、独特な雰囲気がございました。地蔵殿、不動さん、そして賽の河原を経て極楽浜へ。それから、林崎大明神へと廻りました。うん、確かに敬虔な気分になれる所というものはあるものです。
お山を出て、アイス(霊場アイスって名前だったかな?アイスと言うよりシャーベットでしたが、おいしかったです)を食したあと、我々は恐山を後にしたのでした。
◎三内丸山遺跡
遺跡に向かう途中で朝食兼昼食をとる。その前後私は熟睡してたので、よく覚えてないっす。そして、遺跡に到着。それにしても良い天気。暑い...。
この遺跡は、縄文時代前〜中期の遺跡です。柱の土台の跡など、公開されている遺跡は、それぞれドームに覆われていて、クーラーが効いているので、快適に見学することができます。その他に野外には復元された建物や住居などを見る事ができます。そして、展示室では、出土品や、発掘の様子を示したジオラマや、縄文人の復元(想像)図等を見学する事ができます。もちろん我々はそれらを一通り見学したのでした。
あとは宿へチェックインだ。
◎宿
宿は、十和田湖畔の、「十和田パークホテル」というホテルでした。どんなところかチェックインしてみるまでわからなかったので、かなり不安がありましたが、なかなか良い所でした。部屋も、湖に向いた部屋でしたし。
風呂に入ったりした後、食事。なかなか豪勢な料理だったんだ、これが。品数が多くってさ。それと、鍋の蓋が兜の形になってたりしてなかなか凝ってたし。そうそう、旅行会社からビールの差し入れがありました。宿の予約の際になにやらあったらしいです。
丁度その日は花火大会が行われておりました。部屋からは見えないといわれていましたが、実際にはしっかり部屋の窓から眺めることができました。そういえば、約一名、行きの車の中で「みそラーメンアイス」を食べた方が、なるとの形の花火を見て悶えておりました。よほど「みそラーメンアイス」が忘れられない味だったのでございましょう。
しばらくして、TRPGを始めました。腰越氏がマスターで、ソードワールド。結局夜中の1時半頃までやったかな?結局シナリオの導入部位までしかすすまなかったのでした。
翌日もあることだし、この日はこれでお開き。
◎大石神ピラミッド
なんと!この日本に、しかも青森にピラミッドがあるというのだ!我々はその地、新郷村へと一路向かった。そこで我々が目にしたものは!(たたた〜たたたたた〜(あ、これは違う番組の効果音だ))
看板に導かれ、車がすれ違うことも難しい、細い山道へと分け入ってゆく。ピラミッドのポイントは2個所。まず我々は、標高の高い方に位置する、ピラミッドの本体へと向かった。最後の200mは、車を降り、歩かねばならない。急な傾斜の小道を上り切った我々の前に、とうとうピラミッドがその雄姿を見せつけ...。
・・・なにこれ?
そう、そこで我々が目にしたものは、大きいといえ、どうみても只の岩にしか見えないものだったのだ。
「次いこ、次。」我々は早々にその場を立ち去ったのであった。この日も好天で暑かったのだ。短距離とはいえ、山登りは暑かったのだぞ。
それにもめげず、我々は次のポイントへと向かった。狭い道で車を数度の切り返しでUターンさせ(谷に落ちるんじゃないかと、見てて怖かったぞ)、来た道を少々下る。
こちらは、太陽石、鏡石など、なかなか見ごたえのある巨石であった。
う〜ん。まあ、こういうのが好きな人は見に行ってね。万人にはお勧めしないけど。
◎キリストの墓
次に我々が向かったのは、同じ村内にある、キリストの墓!なんと、この日本にキリストが来ていたと言うのだ。
駐車場に車を停め、早速キリストの墓に向かう。そして、たしかにそれは存在したのだ。キリストの墓と、その弟の墓である。句の投稿箱の側にあった立て札を読むと、磔にされたのは、実は身代わりの弟で、キリスト様自身は、日本まで逃れ、この地で長寿を全うし(なんと106歳!)、娘までもうけたというのだ。本当だろうか?我々は墓の近くにひっそりと佇む伝承館(入館料200円)へと足を踏み入れた。
そこには、生まれた子供の額に十字のマークを描くというこの地域の風習、ヘブライ語にも通じるという民謡(ナニャドラヤ)、竹内文書、等という衝撃的な展示があったのであった。たしかにキリストはこの地に至っていたのだ!
それはともかく、伝承館で売っていたアイスはおいしかったし、ドリンクヨーグルトはとっても濃くておいしかったのであった。
<閑話>
ここは、個人的に以前から一度は訪れてみたいと思っていたところだったので、今回の旅行の行程の中に含まれていると知って私はたいへん嬉しかったのだ。思えば私が初めて、彼の地がキリスト縁の地と知ったのは、「ヤマトタケルの冒険」(ゆうきまさみ著)を読んで、であった。このマンガの単行本が発売された時には、池袋の旭屋書店で行われたサイン会に、模試を抜け出して(ってことは高3だったのか、私)行ったっけ。
いかん、全然話題がずれた(すでに客観的なレポートを書く努力を放棄している)。
<閑話休題>
◎帰途、日暮里へ
キリストの墓を後にして、途中のガソリンスタンドで給油して(農協系だからサービスが悪い、とか、安くない、などその後いろいろ言った記憶がある)、帰途についたのであった。昼食に馬肉料理、という案もあったのですが、時間も無かったので、すぐに高速へ。東北道をひたすら南下。途中3箇所のPA、SAで夕食や休憩。さすがに帰りは渋滞にちょっと捕まったりして、日暮里駅についたのは22:30頃になってしまいました。そこで私は降りてしまったのでわかりませんが、矢島さんをレンタカー屋に呼び出してたようなので、お見送りにつづいて、お出迎えにもいらっしゃったのでしょうか?