ここでは、小林弘明による、ゲリラ的なもしくは間欠的な詩に対する実践が為されている。したがって、あくまで希望としては、これらには情報的な要素はなく、その流通が表現されるはずであるが、かといって見せ物として見せるだけの固定された形があるわけでもない。個人のある意味では真実の、あるいは動物的な生命力であった欲望と有機的で代表という機能であった権力は、主体なき主体であり、関係概念として希薄に拡がることで、絶対化と神秘化の形態によって見えにくく、また恐ろしいものに変容している。ここでは、連鎖としての反=欲望、不規則に拡がる機能の素子としての反=欲望、有機体へのミクロな視点の導入による反=権力、表象不可能なものによる反=権力が実践されるだろう。この極めて不自由で、恐怖にこわばった顔に隠されたうそが真実なるものとつりあっていることが、あきらかになるかもしれない。