2 化石への意志
少年の頃、化石ハンマーを持って一日中山を歩きまわり、手にした水成岩を一撃して、まっぷたつに割れ たその中心に巨大なウニの化石を発見したときの感激、 それがぼくにはいまだに謎だ。以来ぼくは、あの奇蹟を求めて、すべてを化石のように掌にのせてハンマー で割ろうとしてきたのか。唯一の正義がその行為にあるかのように、そこに輝く中心があるかのように‥‥‥世界を掌にのせて言葉の剣で斬る、それがぼくの希望の発生点とでもいおうか。 「中心志向」より
水成岩という言葉をするどく叩くことで、根源的なものが現れた。しかも化石という内的な秩序の現前があったのだ。この体験を反復するように、あらゆるところに転がっている言葉を、言葉という剣で叩くのである。「空に言葉を打ちこむ、立ちあがる死体」。物が立ち上がり、声にならぬ声で語り始めるのである。私の存在の起源、宇宙の存在の起源を語るのは、現実に意識する私ではありえない。少なくとも、それにつながっているのは、古いものであるに違いない。沈黙していた石が、私の力の偶然の出会いで、内的な秩序を語ったという考古学的効果は、吉増剛造の起源とも響き合ながら、宇宙言語ともいうべき不在の言語に及ぶのである。
吉増剛造にとって、世界は広がりを持った空間なのではなく、あるいは、分節化された建築物でもなく、それ以前の沈黙する石のような強度なのである。ハンマーの一撃で、その強度は輝く中心を開くはずであり、ビッグバンの充満した無限の密度をもつ輝きなのである。
中心に関しては、ひと世代まえの飯島耕一とは、具体的な体験の相違から、持つ意味が異なっている。/空は石を食ったように頭をかかえている/物思いにふけっている。/もう流れ出すこともなかったので、/血は空に/他人のようにめぐっている/
覆いがたく露呈してくる空白感、足元から押し寄せてくる不在は、頭をかかえるように光を後退させ、ネガティブに存在をおしとどめた。世界と私は互いに影のように佇むのである。ここでの石は崩壊した瓦礫のように不毛であって、すくわれない記憶なのである。しかも、それは、戦争を通過してきたあまりに個人的で人間的な記憶なのである。
吉増剛造は、「あの大戦争が終わるときに、意識が明るくなってそこで戦争が終わることによって僕の生は始まるのですよね。頭脳の柔らかいフィルムに無数の傷がつくようにして生まれてきて、それにこだわっているらしいです」。と語っているように、大戦争の終わりは、おそらく反転してビックバンのように白い輝きになっていて、吉増剛造自身は、白い輝きの傷、そこから疎外された物と意識されているのである。内部に輝く中心を隠しているかもしれない石は、吉増剛造自身である。輝く中心は始源的なもので、その傷であり痛みとして生がある。逆に傷であり痛みとして、輝く中心と繋がっている。したがって、「ジーナ・ロロブリジダと結婚する夢は消えた。/彼女はインポをきらうだろう」と書き始めることは、自分の存在のうすっぺらさ、無意味さ、傷という余計な附属物、女根的存在に対応している。男根的存在たる輝く中心から見れば、吉増の生は、腐敗した物であり、死骸として糾弾することで確認できうるものであった。吉増から受ける荒々しいものとは、余計な付随物たる女根から立ち上がる意志力なのである。輝く中心を志向する意志力なのである。付随物を死骸として放擲し、傷であり痛みを通路として輝く中心への運動なのである。(繰り返すようだが)言葉は実にこの運動体に他ならない。荒々しさの現れとしての言葉は、物質的なものとなっている。言葉と輝く中心とが求心的運動をしていて、入れ子状に関係し合っている。言葉を経て、輝く中心へと行き着こうとする、荒々しい言葉の奔流、脳髄の汗が流れるのである。
それは、重量感を持ちつつ、ある方向への過剰な傾きにある。痛み、根源的な痛みの反復であり、しかも次々と疾走するために、質量を帯びるともに、同一性の引力を振り切る反復しえない反復なのである。つまり、吉増は、言葉の現れる先へ先へと走り続ける。それは、言葉が形成する力学系の包囲の速さとの関係を「ぐずぐずしていたら言葉の属性として終わってしまう」とし、言葉からさえも離れようとしていた。
剣の上をツツッと走ったが、消えないぞ世界
「朝狂って」
純粋な強度、あるいは大いなる軽さは、このきわどいバランスをこなして、世界の向こう側に跳躍するのである。その早急さは、死をくぐり抜けて、言葉を次々投擲してゆく機能として自らの存在を滑り込ませるのだ。そして、吉増剛造は、言葉に対して完全に透明になろうとするのである。「発光物質のように多声界が、肉のあらゆる空間を占領する」精神と声の肉への優位が「ああ言葉よ自殺したい」という死の欲望となり、言葉に対して不透明な肉体を截り落とし、無限の軽さと、無限の速度を得ようとする。
ぼくの眼は千の黒点に裂けてしまえ
古代の彫刻家
魂の完全浮遊の熱望するこの声の根源を保証せよ
ぼくの宇宙は命令形で武装した。
魂の完全浮遊は、淀むことのない言葉の生産、なんらかの構築的な生産ではなく、純粋な強度量の生産の中で実現されるべき物である。その生産を行う吉増剛造の意志力とは、命令形に他ならない。命令すること自体で、詩が成り立ち、命令した結果は次々延期されてゆく。!で示されるように意志と言葉は一瞬にして炸裂し、千の黒点として、言葉の生産の無数の種子となる。こうした高速の回転、無数の!をあらゆる方向に放射しながらの高速の回転は、輝く中心の反復なのである。