****アレゴリーのダンス

 ええ、そうね、これはまるっきり無根拠な遊戯
 卵とガラス玉の陣営に分かれて交互に千々に砕けながら
 恥じらいは カウントで揮発する
 流血はご法度、汗はいい、涙はどう? 悲嘆ぬきで少しだけなら‥‥‥
 戦いの法悦を煽るのは、そのかみの烈しい夏に覇をきったアマツォーネたちの肖像
 <花束の平手打ちはカローラ・N、マリルイーゼ・Fの失われた名誉、最強の同志エリザベート・Hは戦 線を離脱せり>
 消耗の戦術が通じないなら、脳天杭打ちで記憶の面影を一掃したい!

           「典雅ないきどおり」

 求愛に対しての過激な遊戯の宣告を聞けば、色男の攻撃も屈折せざるをえないだろうし、 やがては呟きのように、自らに割り当てられた余白の沈黙となり、鳴り響く言葉の強度と 連動する。独白とも対話ともいえないフィギュールは、欲望を煽る一方で孤独を深めるの である。この孤独は恋するものが襲われる悲しみや喜びのなかで沈み込む孤独ではない。 はじめから深みとか遠近感を失った空間で、そして記号と事物の混合からなる疑似テキス トのなかを烈しくステップする装いは、独身者を過剰な沈黙へと追い込み、フィギュール を遊戯のなかに解き放つのだ。
 「壮麗受胎」は受胎告知という様式に遊戯を作用させることで、種々の言説と事物が発 生し通過する規則の場への変容過程を核心としている。

 ね、はっきりさせましょう、彼はあなたと結婚しません。たしかにあの時は便宜上、彼 も求婚したかもしれません、「聖き婚姻」なる雅語をすべすべした白磁の耳に囁いたかも しれません。どうか本気になさらないように。独り身を謳歌する彼のどこを叩いたら、結 婚の2文字が転がり出てくるというんです? ‥‥‥
  さて百合の花が届いたら、次はどうすべきか。列席者をうら悲しくさせる田舎の婚礼 など蹴散らして、出奔なさい。ひとり野をさまよって獣のようにおし黙っていても、どう せかまびすしい世間がたちどころに奇想の宝石箱をひっくり返して、仮説の意匠をひけら かしてくれるでしょうから。たとえば、鳩の薄闇の刻、龕燈返しになった空から一条の光 が降ってきて、穿たれた三つめの窓より射し込むと、‥‥‥ほらごらんなさい、壮麗なる 受胎をめぐる壮麗なる思弁の唐草模様が、端から端まで目も綾に絡まりあい、縺れるに縺 れてゆくさまを。          
 「壮麗受胎」

 概念的で、図式的な表象である一方で、腐朽、衰亡の歴史を担い、廃墟に散乱する忘れ られた真理の断片であるアレゴリーによって、遊戯が意を得て活発化するのである。アレ ゴリーといういわば規則によって遊戯が成立しているのではなく、判じ絵としてのアレゴ リーの埋められぬ不可知性の周辺にあるいは「寓意のリング」に跳躍するように---それは ダンスになってゆくのだが---遊戯が白熱してゆくのである。そして求愛とは独身者そのも のであり、暗い謎、古い律法を備える象形文字としてのアレゴリーでもあるのだ。その求 愛への返答は、アレゴリーが起源との深い隔たりで刻印されているように、判じ絵のよう な人物の意図を解しかねる様子に、宙に吊られ啖呵を切るような遊戯をもってしか着地で きない。アレゴリーが逆説的に見えざる規則になっているにしても、この遊戯を遊戯たら しめているのは、様式から逃れ去ろうとする反復的な緩急を持った運動=ダンス---これ を生成的規則といえるかもしれないが---そしてそれによって内在化する肉体あるいは詩形 式である。