**規則と遊戯と恋愛

 「眠り王子」においても、天稟の雅というべき王子が、大事な戦に際して、自らの本領 を発揮するどころか、しどけない姿で眠るばかりで、内外の期待を裏切ってゆく。王子を 眠りから引き戻すべく、王子にかしずく幼なじみで許嫁の「私」の嘆きと喜びの献身にも かかわらず、王子はますます深い眠りに入ってゆくのである。あるいは「典雅ないきどお り」は、技法に長けた男からの求愛と誘惑に対する乱れるような文字で書かれた返答であ る。「着衣のきみは気も遠くなるほど醜悪だ、とか言いながら」背中のボタンをはずしに かかり、「あらがうほどに匂い立つきみの色香」、「きみにはできるだろうか、燃えてし かも燃え尽きぬこと」との求愛と誘惑に対して、「私」は「できるわよ、私にはできるわ /火の霧に包まれた躰から心を早駆けで逃がしておくこと/窯でひとつに融けながら頭と 頭は北京とアルゴイに隔てておくこと/そうよ、コーカサスで見出されたあなたの新しい 妹は、探湯の奥義をきわめた身よ」と啖呵を切りながら、遊戯の徹底抗戦に挑む。一方、 男は「私」の独白のトーンが上がるにつれて、徐々に希薄さを強めて、あたかも花の匂い が敷き詰められた庭園というミクロコスモスの複数次元の広がりとともに、差し引かれる 独身者と見なさねばならない。

 天使のように語り、誘惑することに遊戯を含ませ、悪徳やアレゴリーの土星的なメラン コリー気質の撹乱をすること、求愛という罠との駆け引きに、あらゆるテキストの常套句 を引っ張りだし、その襞を重ねること。つまり「(恋愛の)フィギュールは連辞の外に、 物語の外にあるのだ。復讐の女神エリーニュスたちのごとく、興奮し、衝突し、静まり、 蚊の飛行ほどの規則性もみせず、立ち戻り、かつ遠ざかる」(ロラン・バルト)に対し、 この求愛に続くシークエンスは、遊戯であるがために規則を前提にし、規則の受容こそが 遊戯を作動させる。規則は人を立ち止まらせるようにはたらくのでなく、差異の戯れの温 床としての規則を予感させるのである。あるいは恋愛のフィギュールが存在の喜びや絶望 に深く沈むのに対して、求愛は声ではなく、遅れて届く謎めいた表象で構成されていて、 意味につなぎとめられた存在から表象の暗躍するナンセンスな悪夢の上での応酬となる。 際限のないぺらぺらなイメージ(アリスが踏み迷うトランプの世界)で示される罠と脈絡 を欠いた規則(例えば独身者)に遭遇することが知に課せられる
 一般に規則は、他者との関係の混乱と崩壊への防波堤であったり、合理的な保身術ある いはまた私たちが進むべき道筋を暗に指示するものかもしれない。その場合の規則は、安 易な物語を成立させるものであったり、同一性の確立であり共同体の強化に深く関わるも のである。差異の隠蔽と出来事のシステム化として体制となってゆくに対して、遊戯の規 則は、差異の増殖であり、出来事の展開といえよう。だから遊戯の規則は遊戯の進行とと もに変化し、誰もそれとして明示しえない時間的なズレを内在する機能なのである。
 遊戯は存在から存在への跳躍運動、断片的な痕跡を読み取る想像力で特徴づけられる天 使的な視差のなかでの飛行なのだ。