*「K」は奇想である
「K」は奇想である。カフカの作品に偏在しているようなKという 独身者が、二階の窓辺にいつものようによりかかっていて、鬼っ子のような「私たち」が 通りかかるの見ていて、ふと手を振るわけである。「私たち」は運命の啓示でもあったよ うに、二階に引き寄せられ、Kの異常な愛---謎めいた求愛、「私たち」へのフェティッ シュな欲望、そして欲望する書記機械としてのK---の前に追い詰めら、身を投げ出すの である。しかし、Kは、謎めいた求愛として、あるいは欲望する書記機械として機能するのが、誰であるかは「私たち」には明らかにされないばかりか、徐々にその存在は希薄化し てゆくのである。「私たち」は、「問うことは挑発でした。久しいこと書き散らされるの は切れ切れの断片ばかり、白い右手が机の下で力なく萎えるのを盗み見て、浮足立った私 たちはやみくもに挑発しました」と、Kを知るための捨て身の問いを繰り返すが、問いは 機能を不能に追い込んでゆくばかりで、その実質を明らかにすることはない。そして、K は切れ切れの断片のように、謎めいた問いとして「私たち」から遠のいてゆく。