第4章 主婦論争半世紀の再考
2003年1月ウェブサイトで主婦論争を検索すると、4464件もある。いやーまいった!
1998年石原里沙の書いた『ふざけるな専業主婦』、99年の『くたばれ専業主婦』、その翌年の『さよなら専業主婦』が延々と議論を呼び、第4次主婦論争などと呼ばれている。しかし私は、第4次は既にその15年前1983年に始まっていると書いたことがある。(小松満貴子『私の「女性学」講義−ジェンダーと制度―』四訂版pp223−233)
「主婦とは何か」は近代以後の女性史でも現代の家事労働論でも繰り返し問われてきた。
いわばフェミニズムの政策を考える上で根幹をなすテーマとなっている。(1)
このように半世紀に亘って続いているのは主婦の抱えている問題が決して解消されていないからだ。女性=主婦思想は根強く、女性は結婚して専業主婦になるのが幸せという神話がある。それは企業が女性の結婚退職を退職金を割り増しして祝ったり、学校教育でも家庭教育でも女の子は主婦予備軍とされたりしていたのを見てもわかる。
ここに主婦と言う概念は、「16世紀頃からの日本の合法的家族形態であった妻妾同居の一夫多妻制のなかで正妻を呼んだ呼称」(2)とは異なり、大正期以後専ら家事を担当する妻を呼んだ近代の歴史的産物である。アン・オークレーは近代家族の指標として家事分担の担い手としての主婦の誕生をあげているが、(3)瀬地山角は再生産労働の専従者たる女性を近代主婦とし、再生産労働だけで飽和しない主婦を現代主婦という。(4)
しかし子どもを産むことは労働力の生産であるが、なぜ夫が次の日に働けるように掃除・洗濯をして体力・知力の維持増進を図ることを再生産労働などとマルクス主義の用語で表現するのであろうか。これは家族の営みをすべて資本制生産様式の中でのみ位置づけることになる。家事の省力化がいかようにもできる今日、夫はなんら妻の世話にならず労働力の再生産を果たせるし、すべて外部化することだってありうる。家族生活はそれ自体自己目的と考えられので、殊更再生産労働と言わなくてもよいと私は考える。主婦=再生産労働者の図式から抜け出すとき主婦論争は終わるのではないだろうか。
主婦論争は経済社会の発展段階において回避できない歴史的必然なのであろうか。
わが国では、石垣綾子によって主婦論争の口火が切られたのは1955年(昭和30年)であり、アメリカでベティ・フリーダンが『女性性の神秘』(日本語訳書のタイトルは『新しい女性の創造』)を書いてその後の市民運動としての第二期フェミニズム運動のきっかけを作った時が1963年だから、それより8年も日本の方が早かったのである。日本の55年から61年までの論争のあと、75年から国連を中心とするフェミニズム運動により女性の社会活動への参画と男性の家事・育児・介護の分担が要請されている。つまり伝統的とされた性別役割分業を解消することが政策目標となっている。そうなると当時の論争に対する歴史的評価も異なるであろう。本章は、それに光を当てなおしてみるのと同時に、この状況下で主婦論争はどう変容しているか考察するのが第一の目的である。また第二に現在、年金制度や税制において主婦のための特別な措置が撤廃すべきかどうか論議されているが、主婦論争と制度改革との関係を考えてみたい。
1 第一次主婦論争とその時代背景
石垣綾子はアメリカでベティ・フリーダンに会っているのだろうか。何が彼女にあの「主婦第二職業論」をあの時期に書かせたのかを探るため、私は『石垣綾子日記』とフリーダンの本を改めて読んだ。その結果、これまで同じ調子の主張と解釈されていた両者がかなり異なる背景で、まったく別個に専業主婦批判をしたことが明らかになってきた。
石垣綾子は1926年23歳でワシントンにゆき、翌年和歌山出身の画家で片山潜らの社会主義研究会に参加していた石垣栄太郎と会い、29年12月結婚した。その後30年代から40年代にかけて全体主義、帝国主義が台頭し国際関係が緊張する中で反戦活動に参加し、多くの著名ないわゆる文化人らと親交を深くしている。なかでもアグネス・スメドレーやパール・バックという中国研究の第一人者と近しく中国支援の反戦活動も行っている。また文化人類学者のマーガレット・ミードとも会っている。ミードは、南太平洋諸島のフィールド・ワークで男女の性別分業は決して生来的のものではなく、民族や地域によって異なり、後天的なものであるから変えることのできる生活習慣であることを明らかにしたので知られている。彼女との交際にも拘らず石垣の主婦論は性別分業を肯定するものであったのは、ミードをはじめニューヨークで親交のあった女性の多くが仕事をしながら家事もこなしていた主婦だったことによるのではないだろうか。日米開戦後は敵国人として監視され、生活も困窮したようであるが、45年の終戦後は戦勝国のなかでの豊かな生活を経験している。ところが間もなくFBI(アメリカ連邦捜査局)の社会主義者、共産主義者への思想監視が強まり、51年栄太郎が連行され、国外退去を条件に釈放されたので、その6月綾子も共に帰国した。当時の日本は敗戦後の疲弊しきった飢餓的経済状態だったが、朝鮮戦争の特需をきっかけに漸く立ち直る過程にあった。家庭電化製品の普及もまだ始まらず、中産階層の主婦といってもやっと日々の食料の買出しを免れる程度で、掃除、洗濯、炊事や衣服の手入れに追われる毎日だったはずである。確かに生活合理化運動があり、電気・ガスのエネルギーも普及し、主婦が日常和服を着ることもなくなっているので、従来より家事時間を減らすことはできたが、ゆとりを持て余すことなどなかった頃である。
『婦人公論』誌は敗戦後すでに47年8月に内野薫の「犠牲にたおれる主婦」を、48年7月に舟橋すみ子、美作まさ子のルポ「主婦は解放されたか」を掲載している。また家族法が専門の中川善之助らが50年10月号に「おくさま稼業論是非」を書いている。石垣論文の掲載されたのは55年2月号であるが、この年は第一回の母親大会が開かれ、原水爆禁止の平和運動や主婦連の物価値上げ反対等の消費者運動に多くの主婦が参加し、政治的勢力を持つようになっている。『婦人公論』は「主婦に捧げる特集号」に石垣論文を掲載している。その概要は既に他の機会に書いているので繰り返さないが、彼女が女性も職業を持って経済的に自立してこそ一人前で男女平等だと主張するのは、夫栄太郎と社会主義に共鳴し、自分自身アメリカで執筆や講演活動で自活していた経験に基づくものであろう。日本の55年(昭和30年)は、昭和20年代の混乱から脱して中間層の中年主婦に余裕ができる変化があった。また従来の婦人解放論はとかく主婦を説明しえず、その位置づけも不明確であった。そのことが、石垣の主張をきっかけとして論争が盛り上がる背景となっていたといえよう。
それに対してフリーダンの主婦論は、資本主義経済の成功、資本制生産様式のもたらした生活の豊かさが男性中心に展開されたことへの抵抗だということができる。臨床心理学者である彼女は、郊外の芝生の庭付き住宅に住む中産階級の主婦たちの共通した悩みに大戦後10年経つうちに気がついた。20世紀初めは第一期フェミニズム運動により参政権も獲得し、対戦中仕事をもつ女性も増加していたのに終戦後生活が豊かになるにつれていつの間にか女らしさを賛美する風潮に追われて家に帰り、その結果家事はフルタイムの仕事になった。彼女はいう。「女らしさを賛美する人たちは、女性のもっている創造力をうまく使おうと性愛と母の務めを必要以上に強調した。そして家族に対する女性の責任は重くなり、社会に対する責任にとって代わった」「主婦たちが感じている空虚さ、また家の外の世界から孤立しているという不安、こうした得体の知れない悩みをまぎらわそうと彼女たちはなおさらわなの深みにはまり、変化のない家事に励むようになる」(5)ここではわなと言う言葉がキーワードである。彼女は郊外の主婦の消費態度に関する調査を引用し、実業家たちが主婦の消費者役割を強調し家財道具や電化製品を使うことで「機械を監督し、時間を節約しそれでいて自分がしたという誇りを持たせるものだ」と言っていることに注目した。そして「戦時に働いた女性も戦後はPTAで活躍する以外は女らしさと個性を家政に発揮することで自分は男性と同等だと考えようとした。しかし電化により家の仕事は少なくなり自分を“怠惰でずさんな主婦”と考えてやましい気持ちにかられた。それ故彼女の何かやりたいという気持ちを物を買う方向にうまく変えなければならなかった」と解説する。(6)そして主婦であることがひどい虚無感を主婦に与え、収容所の捕虜がその生活に順応して精神的にも捕虜になりさがっているのと同じように、女らしさを賛美する風潮に従って生きている主婦はわなにかかっている、と主張した。しかしフリーダンはそのわなから抜け出すために主婦は職業をもつべきだとは言わなかった。まず「女性をおとしいれたわなから、女性を救い出す手がかりになるのは教育である」とし、自ら42歳のときにコロンビア大学の社会心理学科に戻った。彼女の本が出版された翌年の64年には、雇用の場における性差別を禁じた公民権法第7条が可決されたが、職場で実効性を確保するためには運動が必要だと考えた女性たちとフリーダンは「女性のための全米連盟」NOW(National Organization for Women)を組織している。NOWは設立目的の第一節に「男女が平等のパートナーとなり、社会の本流に参加できるように行動をおこす」とあり、「性別役割を根本的に見直すことが必要で、これは社会の仕組みを変えることにつながる」と既に述べている。(7)これをみれば現在の国連を中心とする性別役割分業の撤廃による女性の地位向上運動は、やはりフリーダンらの60年代以来の運動から来ているものであり、わが国の主婦論争とは異なる流れであるのがわかる。
石垣論文の価値はむしろそれに続く主婦論を誘発したことにあると思われる。彼女の問題提起を受けて55年4月から59年9月までに『婦人公論』誌上だけでも30篇の主婦に関する記事が見られる。仮に現在に至るまで数えれば膨大な数の多様な主婦論が展開されているが、その論調の源流はすでに第一次の主婦論争の中にほぼ見られる。
2 主婦論争の系譜
第一次論争(55〜59年)に見られる主婦解放への道筋は次の三つの図式に分けることができる。
@ 主婦の職場進出➩経済的自立➩精神的自立➩自己責任による生き方の選択(石垣綾子ほか)
A
家庭経営者としての自覚➩家事のエクスパートとしての技能熟達➩家事の経済的評価の確立➩精神的自立➩夫・子ども・社会からの認知と自己責任による行動(坂西志保ほか)
B
主婦の社会運動体としての自覚➩社会的貢献への自信➩精神的解放(清水慶子、平塚雷鳥ほか)
それは第二次(60〜61年)に磯野富士子の「婦人解放論の混迷」(『朝日ジャーナル』60年4月、および「再び主婦労働について」『思想の科学』61年2月)において主婦の家事労働の価値が問われたとき、第一次の@は無償論にAは有償論に容易に結びつくものであった。Bは第二次論争には噛み合わないが、主婦は夫に扶養され経済的自立はなくても精神的自立はあり、社会的貢献の道はあるという立場のようであるから、強いて言えばAの有償論シンパといえるかもしれない。実はこれはむしろ第三次の「主婦こそ解放された人間像」という武田京子に直結する。つまり武田の言う「主婦は100%生活人間として解放されているが、その論理をあくせく働いて自由のない仕事人間の男たちや働く女性にも拡げるべきだ」と主張したのであるから。まさに主婦社会運動体説なのである。
その後わが国の主婦論争について多くの紹介があるが、それらは論争の終止符が打たれたのか、まだ続いているのか、どこまでを言うのか人によってさまざまである。生活科学調査会編『主婦とは何か』(医歯薬出版株式会社 1961)が55〜60の5年間のみをさしているのは出版の時期から言って当然であるが、この5年間を連続して捉え、第二次は「主婦論の展開と深まり」と表現している。しかしその後出た本の分析では、上野千鶴子の『主婦論争を読む』(勁草書房 1983)のように3期に分けるのが一般的である。私も前掲書において同様に第三次までを見た上、83年以後を第四次としている。
第三次の武田論文は主婦のアイデンティティを正面から問題にしているのであり、労働論から言えば、アンペイド・ワークである市民活動にも家事にも勤しめる立場を謳歌したという意味でわが国の高度成長経済社会のおとし子ともいえる。また私は、83年以後は各種の主婦研究会が開かれ、多くのメディアで一般の主婦が性別分業解消論を踏まえて実感を述べるようになったのは新たな展開なので第四次としたのである。
その外に法制史が専門の大竹秀男は主婦論争を55年から88年の間において五次まであげる。(大竹秀男『現代の家族』弘文堂 1994 pp102−109)第四次は均等法施行を前にして長谷川三千子が書いた「男女雇用機会均等法は文化の生態系を破壊する」という論文(『中央公論』84年5月)に対し多くの反論がでた時期をさし、第五次としては人気タレントのアグネス・チャンの子づれ出勤を作家の林真理子が「プロの職業意識に欠け、大人の世界のけじめをわきまえない非常識だ」と非難し、マスコミに賛否両方からの投稿が続いた87年から88年をさしている。しかし前者の長谷川の主張をめぐる議論は、性別役割分業肯定か否定かの議論である。後者は、働く女性の子育て論争であるのに、大竹は「主婦=母」と位置づけるかのごときもので、「女性=母性」論以上の誤りとなる。(8)
主婦のアイデンティティは母であり、母親役割と主婦とは切り離せないと考える人が多いことは、第一次に梅棹忠夫が書いた「妻無用論」(『婦人公論』59年6月)に対して母役割をどうするという抗議が殺到したのを見ても分かる。主婦の母親役割を強調するのは日本的特徴だと瀬地山角も述べている。(9)この時期の論争は、子連れ出勤是非論を超えて、保育施設での集団保育の是非、父親不在の子育てへの批判などに発展したが、決して主婦論というべきではないであろう。子のない夫婦は多いし、シングル・マザーも増えている。私は前述のように83年以後の主婦の経済的自立と精神的自立をめぐって議論の場が大衆化している時期を第四期とし、それは現代主婦のアイデンティティ・クライシスを示すものとしている。それ故次節では現在の主婦論争をとりあげる。
3 性別役割解消論の体制化と主婦論争の変容
性別役割解消の政策目標
第一次において論壇に登場した人々は、島津千利世が「家事労働は主婦の天職ではない」とした以外は、性別役割分担を当然のことと考えていたようである。石垣への反論は殆どが家庭管理者=主婦とするものなのでいうまでもないが、賛成派のなかで梅棹忠夫は「今後の結婚生活は同質化した男と女の共同生活というようなことに次第に接近していくのではないか」(「女と文明」『婦人公論』57年5月)と性別分業の解消を予測したにも拘らず、「妻無用論」では「---家庭の文化の進歩は、他方に家事労働の専門業者による職業化を進めた----家事労働が専門業者に肩代わりされてしまえば、―妻は夫にとって必要なものではなくなってくる」としているのであるから、妻たる主婦について家事担当にその存在理由をおいているのである。それ故にこそ第二次主婦論争は、磯野富士子の婦人解放論の混迷」(『朝日ジャーナル』60年4月10日号)をきっかけに主婦労働は価値を生まないのかという家事労働論へシフトし、燃え上がったのである。このなかで正面から主婦労働=家事労働に疑問を投げかけ、「男女の家事労働はあっても主婦労働は存在しない」としたのは井手弘子ぐらいである。(「主婦の価値とはなにか」『週間読書人』(株)読書人 60年4月18日号)第三次の武田京子は家事労働プラス市民運動に主婦の本質を見出すのであるから、決して性別分業廃止論ではない。このように第三期までの主婦論争は性別分業の現実を肯定した上にあったといえる。
ところが第二期のフェミニズム運動を背景に75年の国際女性年の世界行動計画が性別役割分業の解消を掲げ、第一期女性解放運動以来の機能平等論を否定したことと同調し、日本政府も後述のように政策目標として男女共同参画社会の形成をかかげるようになり、主婦論争は変貌する。それは国民の「夫と妻は分業すべきかどうか」の意識調査で反対が徐々に増加していることと関連していると言えよう。(10)
兼業主婦の時代
わが国の主婦(有配偶女性)の労働力率は、統計を取り始めた当初家族従業者が主な時代なのでかなり高かったが、産業構造が大きく変わっていく中で60年代から70年代に過半数を割り、75年には第一次石油ショックの影響で45.2%にまで減少するが、それを底としてその後急速にサービス産業化の流れと共に雇用労働として増加し91年には53.2%になり、2000年代まで半数を割ることはなかった。(11)ただ平成不況の影響で2000年には49.7%になって以後半数をやや割っている。しかし女性の潜在的な労働力率は25歳以後有配偶率の高い30歳台40歳台でも85%前後の高率なので機会さえあれば就職したい主婦がほとんどであろう。
従って第三次までは、主婦論は専業主婦を想定していたが、第四次になると兼業主婦論が主流になっている。例えば98年の新聞投稿欄には48歳の会社員の女性が新聞の折り込みのパート募集に応募用紙がついていて記入欄に「家族の了解」欄があったことに疑問をていしていた。いわく「主婦がパートに出るのにどうして家族の了解が必要なんだろうか、その応募用紙で家族の了解「無」の人は採用をためらわれるのか」。それに対して28歳の会社員から「ごもっともと思う半面、フトまったく逆の場面を考えてしまう。夫が突然妻の了解なしに会社に辞表を出したとしたら、妻として了解を得てほしいと思う。私は再就職のとき夫には風呂の掃除、子どもの保育園送りなどの家事協力の条件を提示して頼んだ」という趣旨の投稿が1週間後に出ていた。(12)均等法施行以後主婦の再就職支援事業は、国、自治体レベルでも盛んであり、86年には金森トシエ・北村節子『専業主婦の消える日』(有斐閣)がでている。このように第四次以後は主婦が一生有償労働につかないことは考えられなくなり、アンペイド・ワークの評価を横目で見ながらいかなる働き方をすればよいか、夫と家庭生活上の調整をどうとっていけばよいかを主題にしているのである。しかも主婦の職場進出は体制化しているので、働きに出ることを地域や家族にお願いしたり、後ろめたく思う必要はないと感じ、いかに地域活動や家事・育児・介護を分担すればよいかを論議する段階になっている。しかし根底には性別役割意識が解消されたわけではなく、働き方を選ぶにしてもそれを肯定するか否定するかで異なってくる。前の第3章で家族を定義したように、ここで主婦の機能を改めて問うなら、夫との共同生活を維持することであり、生活のために糧を稼ぐことも家事も必要であることを前提とする。第二次主婦論争のテーマである主婦の家事労働の評価、とくにアンペイド・ワークの評価は夫婦の関係にも微妙な影響を与えるであろう。傾向としては、性別分業肯定派はパート等の就業形態➩家事労働有償評価の要求➩家事は主婦が担当、性別分業否定派はフルタイム就業で家計分担➩家事の有償評価は必ずしも求めず➩家事は共同分担を主張となるのではないだろうか。
4 主婦の座優遇政策をめぐる論議
わが国は男女共同参画社会の政策目標を掲げながら、税制や社会保障制度では家父長制家族を肯定し個人単位ではなく家族単位で課税や保険料の設定・給付がきめられている。
税制
現在所得税の配偶者控除、同特別控除があり、公的年金制度では第3号被保険者として妻は保険料を支払わないでも基礎年金が得られる。その理由は第1に所得のない人から徴収がむずかしいこと、第2に家事を担当して働き手を支えている内助の功に報いるためと言われている。しかしこれには当初から異議が唱えられていた。96年10月の経済審議会行動計画委員会の雇用・労働ワーキング・グループ(代表は慶応義塾大学教授島田春雄)の報告書は、「給与所得者の配偶者の取扱いに関する見直し」が一つの柱になっていた。それによるとまず「所得税制における配偶者控除(配偶者の年間収入が103万円以下)、配偶者特別控除(同141万円未満)の撤廃、そして次に給与所得者の配偶者で年間所得が130万未満の者は第3号被保険者として自分で保険料を払わなくても国民年金から基礎年金を受けている制度の見直し、第三が企業の配偶者手当の廃止の提言をしている。95年の社会保障審議会、97年の政府税制調査会でも社会保障制度を世帯単位から個人単位に切り替えることが望ましいとされている。(13)次々にこのような声があがってくるのは、わが国が財政危機にあるのに主婦優遇策があるのはその就業抑制を招き高齢社会の経済基盤を危うくするという認識があるためである。全国婦人税理士連盟が94年に出した『配偶者控除なんかいらない』(日本評論社)に出ている試算によると配偶者控除を廃止すれば所得税の増収分は約二兆円になると言う。(14)しかし同時に控除廃止が生活の圧迫になる層があるので、基礎控除をいまの2倍の70万ぐらいまで引き上げることを提言している。そうすればパート130万の壁は135万に引き上げられるという。厚生労働省からは、専業主婦は収入がない(または少ない)のに支払いを確実にするのは難しいという心配の声が聞かれた。また働く女性たちからは自分たちが納めた厚生年金のプールから同じ雇用労働者である男性の妻への保険料まで支払わされるのは不公平だと言う声が上がっていた。国の財政赤字が追い風となって2005年(平成16年度)から配偶者特別控除は廃止されることになった。
相続における妻の優遇-
主婦の座優遇は、遺族年金や寡婦控除等死別の妻が離別の妻より優遇される点や、妻の法定相続分が遺留分として守られていることもある。かって子と妻が相続人であった場合、妻の相続分は三分の一だったのが80年改正で二分の一になったことを想起すれば、わが国の制度上配偶者は家計を共にしていたものとして特別の配慮がなされているのが分かる。財産の所有名義が夫になっている場合が多い日本では、被扶養者であった妻の生活を擁護する必要もあった。これは継続して就業し、十分経済的に自立している妻が増加しても取扱いは変わらない。
民法上相続権のある配偶者は法律上の配偶者であり、事実婚、いわゆる内縁の妻を含まないことに異論はない。(15)このように法律婚による妻の座は、その妻が家事労働をやっていたか否かに関係なく守られている。したがって妻=主婦=家事労働者とはいえない。夫婦は制度上互いに扶養する義務があるにしてもフルタイムで働いていても社会的に奥さんと呼ばれ、家族を代表するものにはならない。主婦は、「経済的に自立し家事もほとんど引き受けている人」「パート等で働き、家事・地域活動をほぼ一人で引き受ける人」「家事のみやっている人」「家事と地域の市民活動をやっている人」「家事はやらず社会活動中心の人」「家事も市民活動もせず趣味や遊びに暮らす人」「病気など何らかの理由で家族とは精神的絆のみある人」「仕事だけで家事は殆どしない人」など法的に妻の座さえあれば何でもありなのである。それ故にこそこの主婦のアイデンティティを問う論議は燃え上がったり、下火になったりしながら永遠に続くように思われる。
5「主婦復権論」の意味
第四次主婦論争は90年代以後の特徴として男性学の出現、男性のジェンダー問題への発言が多くなってきたことがある。近代の産業社会の中で男性が男性規範に拘束され、働き蜂になっている現状を見すえ、フェミニズム運動と情報社会化という文明の潮流によって変化している女性の生き方に男性も反応せざるを得なくなったのである。その多くは新しい社会システムをともに構築しようとする論調であるが、最近、新日本主義、皇道思想の流れで、従来のジェンダーに固執する主婦論が一部の世論の支持を得ているようである。その急先鋒が林道義の『主婦の復権』(講談社 1998)である。本書は、主婦はいま自信を喪失しているので、「主体的に生きることができるよう」「健全な家庭を築くための中心としての主婦の価値をもう一度見直そう」という趣旨で書かれたという。その主な主張を見ておこう。林はいう。「主婦というあり方自体がかたよりと悩みをはらんでおり、そのことに対する夫の無理解があり、しかもそこにフェミニズムがつけこんで誤った理論を宣伝するという三重構造が主婦たちを取り巻き悩ましている」「フェミニズムは母性本能を神話だと否定し、{「働け」イデオロギー}によって主婦を圧迫している。それはいずれも根本的に間違っている」とする。彼はその2年前に『父性の復権』(中央公論社 1996)を出しているが、伝統的家父長制家族を肯定するのではないことを示すために「主婦は夫の収入に「依存」しているのではなく、夫が外で働くように家の中の仕事を引き受けているのであるから、夫もまた主婦に依存しているのであり、「依存」ということを言うなら相互に依存しあっている」(16)夫婦が相互依存関係にあることは私も第3章で述べている通りであるが、その依存の仕方が問題なのである。
彼はフェミニズムを、社会主義婦人解放論者、近代主義フェミニズム、ラディカル・フェミニズム、マルクス主義フェミニズムの四つの陣営に大別し、それぞれの主婦評価に対して強く反論している。それはかなり見当違いも多い。私はフェミニストを自認しているが、彼のあげた四種のいずれにも属していない。しかし「母性本能はすべての女性に生まれながらに備わった本能ではない」ということに共鳴し、固定的性別役割に反対する。しかし一家団欒に反対するものではないし、基本的に個人は、反社会的でないかぎり、言い換えれば他人に迷惑を及ぼさないかぎり主体的に生活形態を選択することができると思っている。女性も自分で人生を選択し、結婚をするかしないか、子どもを産むか産まないかを選ぶことができるのが望ましいし、他人の主体性を尊重して社会生活上の責任を果たすことが必要である。人生には必ず自立できない時があるからライフステージやその人の健康状況、生活に応じた相互の支え合いが求められる。いわば自立を目指して互いに支援し、努力していくプロセスが人生だと思っている。
私がフェミニストの分類でどこに属するのかは他人がきめることで意に介していない。現在の開発に伴う環境破壊・弱肉強食の経済至上主義のシステムが、男性を生き辛くしていることは否めない。フェミニストは、男がもっぱら有償労働に従事して家族を扶養すると同時に、家族に対しては代表権と支配権を維持し、社会的に表立つことにより地位追求者になってしまう状況を変えていきたいと考えている。つまり性によって生き方が決まるのではなく個人の意思できめ、家族関係も合意できまることを求めるのである。次に主婦の経済的自立との関連については、いまさら言うまでもないが、経済的に自立していなければ、生活の糧を提供してくれる相手の意思に従わざるを得なくなる。そこには自己決定の自由はなく、精神的自立もむずかしくなる。他人の直接または間接的強制のもとに自己決定の自由なくしてきめた事には責任がとれないであろう。もちろん経済的に自立していても精神的自立のできていない男女は多い。しかし少なくとも経済的自立は人間の自由と尊厳に無関係とはいえない主体的自己決定のための前提である。『主婦の復権』の著者は、主婦は結婚・出産で仕事をやめ、家庭にあって子どもを育て、子どもが成長し、巣立ってからしたければ再就職すればよいというのである。これは主婦労働者撤退の勧めであり、日本経済が現在主婦労働にいかに支えられているかという(働く女性の6割近くは有配偶者である)事実を無視している。また主婦たちの「空の巣症候群」なども理解していない上、職場の再就職者の待遇格差、既婚女性差別を肯定するごとき暴論である。日本政府が95年に批准したILO156号条約「家族的責任を有する男女労働者の機会及び待遇の均等に関する条約」にも男女雇用機会均等法にも反する意見である。結婚前どんなに良い仕事をしていても主婦になればやめるべきあるならば、結婚・出産したい女性は少なくなり、晩婚化、少子化はますます進行するであろう。彼は専業主婦が社会的に評価され夫からも承認されるようにという主張であるが、マクロ経済からいっても主婦労働の総撤退は日本の経済基盤を危うくすることは明らかである。フェミニズムは決して主婦個人を抑圧するものではなく、真の解放を目指すものであることに『主婦の復権』論は気づいていない。
私が唯一同意する点は、子どもを生み育てることを多くのフェミニストが「再生産」と表現することに反対し、「子どもを育てることは資本のための労働力を作り出す再生産の仕事ではなく、一回ごとにかけがいのない個性的営みなのだ」ということだけである。この本はフェミニズムに対する独断と偏見・誤解に満ちた挑戦であるにもかかわらず、著者の言によれば、多くの女性に歓迎され大きな反響があるということなので、ここでは今更と思いながら紙幅をさいた。それこそ「一般の女性が惑わされないように」望みたい。
私は本書が出た年の日本女性学会で会員たちに感想を聞いたが、ほとんどが全く関心を示さなかった。しかし長年『わいふ』誌を編集してきた田中喜美子・鈴木由美子は、直ちに『「主婦の復権」はありうるか』(社会思想社 1999)を出して詳細に反論している。まず「林氏の事実誤認について」指摘し、主婦の現実について間違った結論に達していると反論している。痛烈な批判は正鵠を得たものであるから関心の向きには一読をすすめたい。ただ彼女たちは、「過去30年間日本の女性の現実を大きく動かしたのは、フェミニズムの理念ではなく、はるかに現実的な他のさまざまの要因によるもの」(同書178頁)とするが、歴史的・世界的に見ればフェミニズムの流れが産業構造の変化や人々の性規範意識にも大きく影響していることを認めるべきであろう。
6 新・専業主婦論争へのシフトと今後の展望
こうみてくるとこれまでの主婦論争は常に女性の仕事をめぐる論議であった。しかし最近の石原里紗の98年の話題の本以来、活字以外にインターネット・ディベイトやテレビ(舞台となるメディアも変わった!)での論議は「新・専業主婦論爭」といわれ、働くことをいわば裏返して論議が続いている。そこではフルタイムの仕事を持ち経済的に自立して働いている主婦は論外になっているところが21世紀の傾向と言えるかも知れない。「新・専業主婦論争」のウェブ・サイトには2003年1月末で530件もある。その主流は、山田昌弘「警告!専業主婦は絶滅する」(『文芸春秋』2001年2月号)などいづれも「専業主婦は夫の不良債権」?などと、専業主婦の存在を危ぶむ議論である。高失業時代、夫の経済力だけを当てにして「幸せな専業主婦になるという展望は次第に現実性を失いつつある」のは確かであろう。(17)
他方アンペイド・ワークが具体的に評価されるようになって21世紀の主婦論争は男性の参加によって絶滅することなく、その声は大きくなったり小さくなったりしながら続くであろう。主婦は事実婚を含む結婚があってこそ存在する。その相手の選択にはセクシュアリティとジェンダーが要因となる状況は、21世紀になって急激に変わるとは思われない。しかし女性の働きやすい社会的条件整備がもっと進めば、仕事を継続しながら出産・子育てをする女性は増加するであろう。アンペイド・ワークが評価されることによって家事の分担や夫婦財産契約を考えるカプルが増えるかもしれない。生活費負担の形も変わることが予測できる。男性も主夫経験をするものが多くなれば、主夫論争が起こるかといえば、それはまずないであろう。近未来では自分の意思で選んだ主夫であってみれば、慣習や外部の事情でやむをえず専業主婦になった場合とちがって、アイデンティティ・クライシスはおこらないであろう。家庭がすべて自立した人間の生活共同体となれば、主婦論争も起こらないであろう。それにはなお半世紀以上かかるかもしれない。
繰り返すが、主婦論争がもう起こらなくなるには、次のような条件が必要なのではないだろうか。
@
家父長支配的な家族を前提とした制度の撤廃
A
主婦が子育て責任を果たしながら働くことのできる社会的条件整備
B
男女とも自主的に選択して働くか働かないかを選択可能なこと
C
専業主婦(夫)になることが本人の納得した主体的選択であること
D
夫婦で公平な家事分担ができること
E
配偶者選択におけるジェンダー問題(夫婦同氏の原則など)の解消
注
(1) 1980年代の論文は55年から75年までの論争しか扱っていない。たとえば日本女性学研究会の会誌『女性学研究』創刊号1980年10月に掲載された上野千鶴子の「主婦論争を解読する」も、翌年第2号の桂容子の論文「主婦消滅論」も75年までに発表された文を対象に分析している。それは国際婦人年以後の国際的フェミニズム運動の展開の前なのである。
(2)今井泰子「<主婦>の誕生―主婦概念の変遷―日本の場合」日本女性学会学会誌編集委員会編『女性学』創刊号 新水社 1992pp49−65
(3)Oakley, Ann, Housewife Allen Lane, 1974 岡島美花訳『主婦の誕生』三省堂 1986
(4) 瀬地山角『東アジアの家父長制―ジェンダーの比較社会学』勁草書房 1996pp60-66、 pp185−187
(5) フリーダン、B三浦富美子訳『増補 新しい女性の創造』pp172−173
(6)同上p154
(7)同上 p284
(8)
なお大日向雅美『母性の研究―その形成と変容の過程、伝統的母性観への反省』川島書店 1988参照
(9)
近代主婦の誕生と良妻賢母主義については瀬地山前掲書 pp143−159 pp165−167 参照
(10)
72年から97年にかけての性別分業意識の変化については『平成10年版厚生白書』p22 図1−20 参照、ライフデザイン研究所の2001年の調査では女性の59.4%、男性の49%が「どちらかといえば反対」を含め「夫が外で働き、妻が家を守るべき」という考えに反対している。株式会社生活情報センター『女性の暮らしと生活意識データ集2002年版』p193 図表4-3-3 内閣府調査でも2002年調査では女性の51.1%、男性の42.1%が夫と妻の役割分業にどちらかと言えば反対を含め反対している。朝日新聞 2002年9月8日付け朝刊
(11)『女性労働白書 平成13年版』付表18
(12)朝日新聞 98年7月9日及び13日付「ひととき」欄)
(13)99年度の税制改正を前に日経新聞が連載した「税制改正の視点」においても「今後の税体系および歳出構造は明確な理念に基づいてデザインさるべきである」として応能原則ではなく{払うべき者が払う}のが本来の姿だ」と強調していた。日経新聞 98年9月8日付け
(14)同書 pp163−168 参照
(15)高木・松倉編『親族相続法 改訂版』三省堂 1988 p349
(16)同書 pp152−153
(17)にもかかわらず若い女性の間には近年「男は仕事と家事、女は家事と趣味(的仕事)」という分業志向があり、それは「新・専業主婦志向」ともいわれる。こうなるとジェンダー・フリーな配偶者選択は遠のく。もっともこれが両者の主体的な選択であるなら葛藤を生ずることは少ないであろう。しかしそれが真の人間解放になるのか疑わしい。
参考文献
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生活科学調査会編『主婦とは何か』医歯薬出版株式会社 1961
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国立市公民館市民大学セミナー記録『主婦とおんな』未来社 1973
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神田道子「主婦論争」『講座 家族 第8巻』4章4節 弘文堂 1974
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国際女性学会編『現代日本の主婦』日本放送協会 1980
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目黒依子『主婦ブルース』筑摩書房 1980
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桂容子「主婦消滅論」日本女性学研究会『女性学年報』第2号 1981
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武田京子『主婦からの自立』汐文社 1981
*
上野千鶴子編『主婦論争を読む』勁叢書房 1982
*
伊藤雅子『主婦的話法』未来社 1983
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アン・オークレー岡島茅花訳『主婦の誕生』三省堂 1983
*
金森トシエ・北村節子『専業主婦の消える日』有斐閣 1986
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大竹秀男『現代の家族』弘文堂 1994
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瀬地山角『東アジアの家父長制』勁草書房 1996
*
林道義『主婦の復権』講談社 1998
* 田中喜美子・鈴木由美子『「主婦の復権」はありうるか』社会思想社 1999
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石原里紗『ふざけるな専業主婦』ぶんか社 1998
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同 『くたばれ専業主婦』ぶんか社 1999
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同 『さよなら専業主婦』ぶんか社 2000
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山田昌弘「警告!専業主婦は絶滅する」『文芸春秋』2001年2月号
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中公新書ラクレ編集部『新・専業主婦論争』中央公論新社 2002