禅会寺の由来


曹洞宗 護国山 禅会寺(ぜん え じ)

新西国中通三十三観音霊場

禅会寺の創立
 禅会寺の正式の呼称は、山号は「護国山」、寺号は「禅会寺」と
いいます。山号とはそもそも中国の寺院は山中に建立されたところ
からつけられた号(となえ)だそうで、日本ではそれに倣い(ならい)
中国式に寺院の名につけられるようになったとのことです。
「開山」とは、寺を初めて開くことをいい、「開基」とは、寺の基
礎を作ることをいい、ふたつがあいまって寺院の創立ということに
なるわけです。
 禅会寺の開基は、最上(斯波)満家といい山形城主第四代の人です。
 禅会寺は満家の開基ですが、その年代については2説あり、ひと
つは応永年間(1394〜1428)の説です。応永年間といっても、満家
が隠居したのは応永22年(1415)ですから、それより後ということ
になります。もうひとつは嘉吉元年(1441)の説で、こちらが定説
となっています。
 禅会寺の開山については、大石田の名刹(めいせつ)、曹洞宗黒龍
山向川寺四世の竹室和尚を迎えての開山となりますので、竹室和尚
が禅会寺第一世であり、御開山様と仰がれておられます。


続いて禅会寺略譜