町田市小野路町鎌倉街道硬化面層
  推定鎌倉街道上道本路の遺構・・・1

※ここで掲載している遺構は古道研究家の宮田太郎氏が発見したものです。

鎌倉街道と呼ばれてきた道は、関東各地に現在でも沢山遺されています。ホームページの作者は、その鎌倉街道と称する道の幾つかを見て参りました。関東各地の至る所にある鎌倉街道ですので、別に珍しいものでも無いのかも知れません。逆に考えれば、それだけ人々に親しまれてきた街道と言うことができるのではないでしょうか。

その鎌倉街道が造られた中世当時の姿とはどのようなものであったのでしょうか。掘割状遺構というものが推定される鎌倉街道の道筋の山林などに見られることがあります。鎌倉街道が使用されていた中世当時の姿に最も近いと言えるのが掘割状遺構であると思います。その掘割状遺構が考古学の発掘対象となり、近年数々の古道に関連した発見がもたらされています。

道の発掘により中世(古代も)当時の道路面がどのようなものであったのか、少しずつわかってきているようです。ここでは町田市小野路町の山林内で発見された鎌倉街道上道本路と推定される道の断面を見て行きたいと思います。

町田市北部の小野路町は多摩丘陵の自然が比較的多く残されているところです。左の写真は小野路町北部の尾根にある伝鎌倉街道と称されてきた道です。幾つかの鎌倉街道上道の案内書等には、この道が鎌倉街道の原型に近い姿で残るものと語られているようです。街道好きな人には一歩一歩踏みしめて中世の往時を偲びながら歩きたいところだと思います。道の周辺は緑がとても美しく、ここが東京都内であることを忘れてしまいそうなところです。
町田市小野路町北部の伝鎌倉街道の道

この道は多摩市の恵泉女学園の南側付近から町田市側に入り、山林の尾根上伝いに進み、小野路宿の途中へとぬけるものです。道の一部は右写真のような深い切通し状になっているところもあります。尾根上を掘り込み直線的に進む道は確かに鎌倉街道の特徴を示しています。しかし、私が初めて訪れたときに感じたことは、埼玉県内に残る鎌倉街道跡の掘割状遺構と較べて大変狭い道であるということです。幹線道路としての鎌倉街道上道と考えるには少し疑問も残るところなのです。
小野路町の伝鎌倉街道の切通

道幅は上の写真の切通し状のところで1.5〜2メートル位で、掘り込みの上幅でも3〜3.5メートル位です。埼玉県内に残る鎌倉街道跡の掘割状遺構は下幅3〜6メートル位で、掘り込みの上幅としては8メートル位あるものが平均的な道路遺構の規模でした。小野路町のこの道を鎌倉街道だと考えて、鎌倉に向かう新田義貞の大軍勢が、ここを通過するには狭くて困難を強いられたのではないかと想像してしまいます。

町田市小野路町北部の伝鎌倉街道の道

鎌倉街道上道多摩丘陵編の作成中に資料を集めていると、宮田太郎氏という古道研究家がいることを知りました。宮田氏の研究論文は大変興味深いものが多く、これまでの定説を覆す内容のものも見受けられました。

右の写真は上の写真の伝鎌倉街道から少し離れたところにある山林内を撮影したものです。写真の付近は踏跡程度の細道が通り、道の片側は掘割壁のような地形が見られます。ここは私が小野路町の鎌倉街道を尋ねてきた時に最初に迷い込んだところだったのです。
伝鎌倉街道から離れたところにある細道

鎌倉街道を紹介する案内書は決して多くは在りません。中世鎌倉街道の研究者も歴史学全般から見れば極めて少ないものと思われます。鎌倉街道の案内書を書かれている芳賀善次郎氏はよく知られていますが、芳賀氏の『鎌倉街道探索の旅』は昭和50年代の出版物です。大方の案内書で説明されている鎌倉街道の道筋は芳賀氏の書かれたこの出版物を基にしているものではないかと思われます。

中世の鎌倉街道が現在の市街地を通る部分では、昔のままの姿を求めるのは不可能な状態です。唯一、市街地から離れた山林などに、鎌倉街道と伝えられている道が残っていたりします。ここ小野路町もそのよな鎌倉街道が伝えられてきたところです。

近年、この美しい小野路町の山林の鎌倉街道とは違う道筋を描いた研究論文が幾つか見られます。古道研究者の宮田氏は『多摩のあゆみ』の中の論文として「考察・鎌倉街道の輸送工法痕跡」というのを書かれていて、その中で「町田市小野路宿北方山林内の遺構」と題して、台風で崩れた崖のことに振れられていました。

町田市小野路町北部山林内の崩れた地層に現れた道路遺構

宮田氏は台風で崩れた崖の地下1〜3メートルほどの位置に厚さ1.5メートル以上の相当な厚さの硬化面層が露出していると語られています。私は鎌倉街道上道多摩丘陵編を作成当時から、その崩れた崖がどこなのか探し求めていましたが、なかなか見つけられませんでした。そして昨年(2002年)ようやく詳しい情報を得てその場所を拝見することができました。上の写真はその崖を撮影したものです。

崖は道を縦に割った姿で片面が崩れていて、その崩れた地層に左の写真のような大変興味深い模様が現れています。左の写真の上下部分で、ちょうど私の背丈ほどあり、写真の地層全てが道路遺構ということのようです。

写真の中で一際目立つのが、緑の苔が付いているバンドの部分でその境目にハッキリとした筋が付いているのが確認できます。

推定鎌倉街道の硬化面層

右の写真は上の写真の緑苔の付いているバンド部を更に近づいて撮影したものです。一定の厚みを持ってこの緑色の層は道路底に敷かれている土のように見えます。研究者の言う灰青色の粘土質土というのが、この部分のことを言っているのかも知れません。研究者の論文によるとこの土は異質の土を撹拌して創られている特殊なものだそうです。古い時代の道路遺構などには良く見られるもののようです。これは古い時代の舗装工事技術なのかも知れません。
推定鎌倉街道の硬化面層

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