back next list random home back next list random home back next list random home

                                                            

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10

                                フレームが表示されなかったら、こちらをぽちっとな。

Gainesville 2006

You Wreck Me♪

エディ・ヴェダー:初めてトム・ペティの新曲を聴いた時、それはまるでクラシックな歌に聞こえた。

デイヴ・グロール:彼らに関しては慣れ親しんだものという感じで、ああいう風になりたい、なってみたいというバンドだった。

スティーヴィー・ニックス:たしか、トム・ペティを聴き始めたのは1977年ごろで、78年には大ファンになっていた。
   もし、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズが「フリートウッド・マックを抜けて、こっちに入りなよ。」と言っていれば、
   入ったでしょうね。

リック・ルービン:(??)凄いプレイヤーに、凄いバンド、その相乗効果。ソングライティングも凄いし、
   もちろんライブパフォーマンスも。いくら演奏しても、あとからあとから、凄い曲が出てくる。

ジャクソン・ブラウン:ロックンロールとは、自由、不屈の精神、そして希望を追い求めることなんだ。
   そして、最も大事なのは真実を伝えること。

ジミー・アイヴィーン:ロックの時代における、世界に名を轟かす偉大なソングライターだ。

ジョージ・ハリスン:彼の音楽に対する姿勢が良いサウンドを作り出し、それを詞からも感じ取ることが出来るんだ。

ジェフ・リン:なんと言っても凄いのは、ハートブレイカーズが常に、ビッグになり続けることだ。
   しかも30年もやっていてね。他の誰にも、できたことじゃない。

ジョニー・デップ:格好良いじゃん。要は、イカしてるんだと思う。分類するなら、「トム・ペティ」っていう項目しかないだろうね。

♪Down South♪

トム:ぼくはフロリダ州ゲインズヴィルで生まれた。もちろん、アメリカ。この小さな町で1950年に生まれた。
   いかにもの南部の町で、農業が盛んだった。
   それに大きな大学もあって、ありとあらゆる種類の人々と、交流が持てる。
   ぼくが成長するには、この町の大きさで十分で。二つしかない映画館だって、ご立派なものだった。
   ぼくはウェスタンが好きで、夢中になっていた。
(映画「リオ・ブラオー」)
   いつの頃も、ギターがお気に入りだった。何せ、カウボーイはみんなギターを弾くからね。

Elvis

トム:ぼくは10歳か11歳だったと思う。伯母がやって来て言うんだ。エルヴィス・プレスリーの映画を撮影している、って。
   伯父が映画会社に務めていたんだ。それである日、撮影現場に連れて行ってくれた。
   通りは見物人でいっぱいだった。エルヴィスは映画そのものの雰囲気で現れた。
   それまであんな人を見たことが無かった。それで、伯父が言った。「エルヴィス、私の家族だよ。これは甥、それから…」
   そしたらエルヴィスは「へぇ」って。そのまま行ってしまったよ。それがぼくの人生を変えた男だった。

   翌日、ぼくはさっそく町に出てエルヴィスのレコードを探した。あの音楽にやられてしまった。
   ぼくがレコードをかけると、両親はどうかしてしまったのではないかと心配し始めた。
   見た目も、ロックン・ロールはニ倍、格好良く見えた。何せギターを弾いていたのだから、完璧さ。
   ぼくはせいぜい5年生ぐらいだったけど、1950年代の音楽を聴いていた。子供としちゃ、変わっていたな。
   別にミュージシャンになりたいと見夢見ていたわけじゃなくて、ただ聴くのが好きだった。

(1964年エド・サリバン・ショー)

トム:ぼくが13歳の時、ビートルズがやってきた。彼らがエド・サリバン・ショーに出演した数分間で、
   何もかもがクリアになった。これこそ、ぼくがやるべき事であり、その方法だってね。
   あの時から、すべてが変わってしまった。
(The Kinks登場)
   ぼくらの仲間4人は、とりあえず髪を伸ばした。それから、当然ギターが欲しくなった。
   父がしてくれたことで一番嬉しかったことだが、35ドルのギターを手に入れてきてくれた。
   そうでもしないと、「欲しい、欲しいと」言い続けただろうからね。
(Stones登場)
トム・リードン(初期バンドのギタリスト):トムは私が知る限り、もっとも強くロックにとりつかれた男だった。
    大概は女の子に夢中だっていうのにね。

トム:ぼくはグループを結成したかった。全員がそれぞれの楽器を演奏できるバンドだ。
   今でも忘れられないのが、はじめて仲間がぼくの家に集まって、全員の楽器を一つのアンプにつないでみた時のこと。
   音がほとばしり出たとたんに凄いことになった。凄まじいサウンドだったんだ。一生の内でも、一番の轟音だろう。
   「ワァオ!すげぇ!これが音楽ってやつだ!」

   バンドは、ダンスパーティに出かけた。ひどく緊張しながらお揃いの青いシャツを着て、演奏を始めてみた。
   そうしたら、上手く行ったんだ。みんな気に入ってくれて、ぼくらは3曲演奏した。そうしたらお客はもっとやれと叫ぶ。
   だからその3曲をまた演奏し始めた(笑)。
 
  なかなか良い滑り出しだった。エピックスは好調だった(??)。

トム・リードン:バンドは少なくとも、1週間に5日は練習していた。

トム:最初に報酬得た時、母はぼくが金を盗んできたのかと思った。
   本気で、ぼくが犯罪に足を突っ込んだじゃないかと心配していたんだ。

What’s in a name

トム:エピックスっていうのはイマイチな名前だから(??)、ぼくらは思いつく中でも一番ひどい名前を選んだ。
   マッドクラッチ。(笑)

♪Depot street♪
トム・リードン:マッドクラッチ。なんと言うか、汚らしくて、おんぼろな響きの名前だ。
   普通の人には理解できない名前だな。

トム:ぼくらは本気で、バンドで食って行こうと考えていたから、曲づくりへと発展する必要があった。
   オリジナルを演奏したかったんだ。ぼくがベースで、トムがギター。ジム・レナハンがリード・シンガー。
   そしてもう一人ギタリストと、ドラマーを探していた。

トム・リードン:リパム・ミュージックという地元ゲインズヴィルの楽器屋に、メンバー募集広告を出した。

トム:応募してきたドラマーを、彼の家でオーディションすることになった。

ランドル・マーシュ:私は農場の中に住んでいて、演奏するには完璧な環境だった。
    それで彼らが来て一緒にプレイし、ちょっと休憩となった。そう、サウンドはかなり良かったよ。
    それでギタリストが二人は必要だという話になった。私は奥の部屋にいる友達は、ギターを弾くと言った。

トム:(マーシュが)こう言うのが聞こえた。
   「マイク、お前リズムギターを弾けるか?」

Mike

トム:すると、声が返ってきた。
   「うん、できると思うよ。」
   その部屋に居たのが、マイク・キャンベルだった。
   あいつは、裾を切り落としたジーンズを着ていたけど、あれ以来見てないな。

マイク:それがトムに会った最初で、あいつはベースを弾いていた。

トム:マイクは80ドルの日本製ギターを持っていた。この時点でぼくらは一斉に視線を落とした。
   「うわぁ。こいつじゃ、だめだ。」ってね。マイクが “Johnny B. Good” を演奏し始めると、
   ぼくらはもはやドラマーどころじゃなくなった。

マイク:(笑)…。

トム:歌が終わると、ぼくはすぐに言った。
   「おい、バンドに入るんだ。」
   「ええ、でも…」
   「でもじゃない。入るんだ。」
   その場ですぐに、ぼくらは友達になった。

♪Cry to me♪
トム:問題は、マイクがフロリダ大学に進学するために、カレッジへ通っていた事だった。
   それでぼくは言った。「本当に行きたいか?」
   マイクは「さぁねぇ…」
   今にして思えば、どうしてあそこまで積極的だったのか不思議だけど、とにかく学校なんてやめてしまえと迫った。
   「一緒にバンドを組もうぜ。それでレコードを作るんだ。この仕事なら、しこたま金が稼げる。
   フロリダ大学に行くよりも、よっぽど良い金になる。」

   次にマイクが訴えるのは、兵役をどうするのかという事だった。ベトナム戦争中だったからね。
   学生なら、徴兵を免除されたんだ。当時のマイクは間違いなく、今とおなじぐらい凄いプレイヤーだったから、
   ぼくは逃してなるものかと思った。

マイク:ぼくが兵役につこうとしたら、トムは焦って話があるって言うんだ。

トム:こっちにだって良い手立てがあったわけじゃない。お手上げさ。それでも、ぼくは言った。
   「心配するなって。兵役なんてどうにかなるさ。」

マイク:実際、どうにかなっちゃって。今に至る。

♪Don’t do me like that♪
マイク:良く考えると、トムはとくにやりたい訳でもないカバー曲をやることもあった。
   でもぼくは、トムにはオリジナル・ソングを書く才能があると思っていた。(??)

トム・リードン:私たちはマイク・キャンベルにハーモニーを歌わせようとしたが、ひどく恥ずかしがり屋で駄目だった。
    せっかくマイクロフォンを置いても、遠巻きにしていた。それでも、素晴しいギタリストで、指が口ほどに物を言った。

トム:次の段階は、ゲインズヴィルで一番、払いの良いクラブだ。ダブズ。ダブズ・スティアー・ルーム。
   それまでバーで演奏したことは無かった。エピックスはティーンエイジャーのダンスパーティ止まりだったから。
   ぼくらはバーで働くには若すぎたし。週に6日。全部で500ドル。
   でも、店の本当の呼び物は6人のトップレス・ダンサーだった。
   バーに行けば、否応なしにトップレス・ダンサーがどんなものか、思い知らされる。

トム・リードン:私たちが2,3曲演奏した所で、両側にダンサーたちがやってきて、踊りながら脱ぎだした。
   バンドの連中はみんな真っ赤になって、互いに顔を見合わせ…

トム:つまりその…何と言うか…

トム・リードン:しまいには演奏が完全に止まってしまった。

トム:プロのミュージシャンってのは、悪くないなと思った。

ランドル・マーシュ:バンドは自分たちの曲を演奏した。店とは、トップ40に入るような曲をやってほしかったのだろうけど、
    ニール・ヤングみたいな曲を。店長はNo.1の曲をやれと言ったけど、彼の音楽はぼくらにとってはヒーローだったから。
    サンタナとかもあったけど、特に違いはなかったな(????)

トム:ダブズで演奏していた時期、ある晩、ある人のアパートにいると、手にレコードを抱えた男がドアを開けて、やって来た。
   髭はぼうぼう、伸ばした髪は肩まであった。
   ぼくが「それで、名前は?」と尋ねると、
   「ベンモント・テンチ。」
   「ベンモント・テンチ…?あのピアノを弾いてたガキじゃないよな?」
   「うん、あれはぼくだよ。」

Benmont

トム:ベンモントとぼくは、あいつがまだ子供のころに知り合っていた。
   せいぜい11か12歳のベンモントは、リパム楽器店に来てビートルズのアルバムを演奏し始めた。
   オルガンでアルバムの最初から最後まで演奏した。あれはぼくが聴いた中では、最高のキーボード奏者だった。

ベンモント:ぼくは楽器屋に行くと、どうしても弾かずには居られなかった。誰かがやめろと言うまでね。
    実際、言われたけど、「ぼうや、もういいよ。」

    ぼくは寄宿舎学校の休暇で戻ってきていて、年齢が足りてはいなかったけどバーにライブを見に行った。
    凄かったんだよ。ある晩、バーのステージに…いや、ただの店の隅っこで、ステージなんてもんじゃなかったけど。
    とにかく、そこに居たトムには、何かがあると分かった。何か伝わるものがあったんだ。

トム:「信じらんねぇ!」ぼくはベンモントに言った。
   「お前、今なにしてんの?」
   「ニューオーリンズの学校に行って、バンドをやってる。今は休みで戻って来てるんだ。」
   「まじかよ。明日の晩はどうしてる?」
   「べつに何もないけど。」
   「じゃぁ、俺たちとプレイしようぜ。」
   「どのくらい?」
   「5時間。」
   「でも、リハーサルは?」
   「リハなんてしなくても、どうにかなるだろ。」

マイク:ベンモントはすごく良かった。ぼくらとは違って、本格的な音楽教育を受けていたからね。

トム:ぼくらはリハも、一緒にやった経験もなく、5時間うまく演奏し切った。

♪I can’t fight it♪
ベンモント:あの時代の音楽活動は、本当に素敵だった。ビートルズみたいに(??)、ただただ音楽が好きな男が集まって、
    つるんで、友達同士で音楽を作る。あれこそ、ぼくがやりたいことだった。

トム:夢にも思わなかったことだけど、あの時ぼくの人生に、世界で一番と言うべき二人のプレイヤーが加わったんだ。
   そして自分がやりたい事が本当にできるようになった。

B.Y.O.F. (Build-Your-Own Festival)
(cf:B.Y.O.B , bring your own booze:各自お酒は持参願います)

♪Wild eyes♪
トム・リードン:私たちはマッドクラッチ・ファームを根城にしていた。そして若い連中をもっと招待して
    ミュージック・フェスティバルを開催すれば、楽しいだろうという話になった。
    マイクが「ここでやれば」というアイディアを出した。ファームは10エーカー。
    そこで敷地内を片づけて、人を招待し、食べ物を用意し、街じゅうにポスターを貼った。
    すると、せいぜい100人くらいかと思っていたら、1500人も集まってしまった。

ランドル・マーシュ:最初にやったとき、警察が来た。
    「お前ら、一体ここで何やっているんだ?許可は取ったのか?」
    「いや、別に…」
    「次回はちゃんと許可を取れよ。」
    「次はね。」

トム・リードン:2回目には15ものバンドを招待し、南部じゃ有名になっていた。

ランドル・マーシュ:大ごとだった。他の州からも人が集まったのだから。あれが絶好調の時期だった。
    なにもかも自分たちで計画して、やり遂げて行った。良い時代だったよ。
    ゲインズヴィルっていうのは、完璧な場所だった。ヒッピーたちの町もあるし、高レベルの大学もある。
    いろいろな人が居て、いろいろな経験ができる。本当にクールなところだった。ぼくらにはこの上ない町だったね。

Fast Forward

トム・リードン:半年ほどでジムがバンドを抜け、トムがヴォーカルになった。

ジム・レナハン(ハートブレイカーズ・ライティング・デザイナー):すべての曲はトムが書いたんだから、
    何も私が歌うこともなかっただろうさ。(???)

トム:ぼくらはゲインズヴィル始まって以来の、有名人になっていた。そろそろ、ここから飛び出す頃だと思っていた。
   さしあたってはレコードを作るのが目標だ。レコーディングの機械を持っている知り合いが居て、車で来てもらった。
   ある日の午後、ベンモントの家のリビングにすべてをセッティングして、録音は上手く行った。
   ぼくはLAへ売込みに行く覚悟を決め、大量のテープとともにLA行きのドライブへと旅立った。
   ミシシッピー川から西へ行くだなんて、初体験だった。大冒険さ。

   最初に行ったのは、プレイボーイ・レコードだった。プレイボーイ・バニーのマークがあるオフィスだ。
   300マイルも旅して来て、ぼろっちいぼくらはオフィスに通され、そこでふんぞりかえっていた男に、
   持参したプレイヤーでテープを聞かせた。彼は30秒も聞かずに、
   「もう充分だ。さっさとこのオフィスから出て行ってくれ。」

   ぼくらは、こりゃ難義なことだと思いながら町に出直した。翌日はキャピタル・レコードへ出かけた。
   担当部署に回され、「デモ・テープがあると良いんだけど。」と言われたので、答えた。
   「これが、デモなんですけど。」…時間の無駄だったと思いつつ、キャピタルを後にした。

   ぼくはレコード会社の電話番号を調べるために、電話ボックスに入った。ふと見ると、地面に紙が一枚落ちている。
   拾い上げて見ると、そこには25ものレコード会社の名前と、電話番号が書いてあった。
   ぼくは嬉しかったのと同時に、落ち込んでしまった。嬉しかったのは番号が分かったから。
   落ち込んだのは、「一体どれだけの人間が、俺らと同じことをしているんだ?」と分かってしまったからさ。

   MGMってのは大物だ。とりあえず、担当の男が聞かせろと言うので、テープを聞かせた。
   彼はテープをすべて聴いて、「シングル・レコードの契約をしようじゃないか。」
   やったぜ。でも、ほんとうはアルバムの契約がしたかった。その人はとりあえず、シングルからだと言う。
   上手く行ったら、アルバムを作ろうじゃないかと。ぼくらは大喜びで、通りで跳ね回った。
   「よっしゃ!シングル契約だ!次、行ってみよう!」

   次はロンドンというレーベルだった。担当者はテープを最初から最後まで聞いて、手を叩き、オフィスを飛び回った。
   「素晴しい!契約だ!」ぼくらは彼らに見入った。
   「さっそく、バンドに会ってみたいな。それから、レコードを作るんだ。本当に凄いぞ。」
   「バンドはフロリダのゲインズヴィルに居るんですけど。」
   「今すぐ、呼んでくるんだ!」

   ぼくはマイクに電話した。「おい、どうなったと思う?2社と契約できるんだぞ!」
   「アホぬかせ。」
   「まじだって!」

   そしてぼくらは帰途につき、ベンモントの所に寄った。学校をやめて、さぁレコードを作るんだ、ってな。
   良く覚えているんだけど、ぼくはベンモントのお父さんの所に乗り込んだ。大物判事さんだ。一筋縄ではいかない。
   あなたの息子さんですが、学校をやめさせて欲しいと、話しに行った。本法廷は良好に結審したよ。

ジム・レナハン:あの時、これといった実績もなかったが(??早口なんだよ)、
   連中が来て「仕事が五つ、出発は来週、お前、ステージ・マネージャーな。」「いいよ。」それで決まり。

Deals

トム:ぼくらは売れるものはなんでも売りに出したが、大した金額にはならなかった。

マイク:お金を集めたけど。確かぼくはガソリン代に50か40ドルくらい出したかな。

ジム・レナハン:ゲインズヴィルからカリフォルニアまでのガソリン代に、200ドルは必要で、
   (??早口なんだってば。7人?8、9人でどうにかした…らしい。)

トム:車を売りに出していた時、ぼくの小さなベッドルームでのリハーサルの最中に電話が鳴った。
   ぼくが出たのだけど、まだ隣の部屋ではリハの音がなっていた。
   電話のむこうでは、誰かが何かを言っている。ぼくは車の件だと思って、
   適当に「ああ、100ドルは譲れませんよ」とか何とか言った。すると、向こうが言った。
   「ちがう、ちがう。私はデニー・コーデル。マッドクラッチと話をしたいのだが。」

ベンモント:デニー・コーデルはぼくらが好きな数々のレコードのプロデューサーだ。プロコル・ハルムの「青い影」や、
   ジョー・コッカー、そしてこの上なく素晴しい初期のレオン・ラッセル作品。彼こそ、本物だ。

トム:「ああ!はい、ぼくらがマッドクラッチです。」
   「私はデニー・コーデル。きみたちのテープを聞いたが、ここ数年では一番の出来だ。きみたちと契約したい。」
   「ああ…でも、すみません。もうロンドンと契約する約束になっているんです。」
   「いや。いいかい、私はオクラホマのタルサにスタジオを持っている。ロサンゼルスに向かうのなら、
   途中で寄るのに遠くはないだろう。タルサに寄るんだ。」

デニー・コーデル:タルサは通り道だから、彼がハリウッドに行く前に、捕まえることが出来る。
   どうにかして繋ぎ止めておきたかった。なにせ彼はすごいと感じ取ったから、良いレコードを作るチャンスだった。
   だから、ハリウッドの手前、タルサで待ち構えた。(??)

ベンモント:1974年のエイプリルフールに、ゲインズヴィルを出発した。

トム:ぼくは出発の数日前に、結婚した。この時の旅はきつかった。
   なにせ車は、ベンモントのお母さんのステーション・ワゴン。

ベンモント:それから、ユーハウル・トラック。

トム:1時間で、50マイルの移動。

ベンモント:フォルクス・ワーゲンのバス。

トム:犬もふくめて、何でもトラックにつめ込んだ。ゲインズヴィルを出たかと思うと、トラックが故障。
   直すのにまた時間がかかる。直って、よし、再出発。

ベンモント:いくらか進むと、今度はステーション・ワゴンのベアリングがイカれた。こいつが直るのに、また数日食った。
   参ったよ。本当に参った。

トム:やっとのことでオクラホマに到着。何もかも吹き飛ばすような、強風が吹き荒れていた。
   そこに、例のイギリス人がイカした格好で登場した。あんな風にバンダナを使っている人なんて、めったに居なかった。
   イギリス人に会ったこともなかったし。ぼくらはすっかり感化された。
   彼は言った。「こっちだ。さぁ、スタジオを見に行こう」ぼくらはあんなスタジオなんてもの、初めて見た。
   凄いシロモノだった。翌日もぼくらはスタジオでプレイした。彼は手を叩き、「よし、今すぐに契約しよう」と言った。

デニー・コーデル:本物,つまり本物の詩人、ロッカーが居る一方で、そうでない者も居るが、
   私の勘では、トムは前者だった。

トム:彼はポケットに手を伸ばすと、分厚い札束を取り出した。「きみら、金が必要だろう?」
   ぼくらはあんな凄い金を見たことが無かった。彼は札束をテーブルにドンと置き、こう言った。
   「5000ドルある。これでハリウッドに行くか?」
   「行く!」

トム:ハリウッドに到着すると、シェルター・レコードに行った。そこは古い家で、オフィスっぽくなかった。

ベンモント:あそこは家庭みたいなところで、会社らしくはなかった。

トム:会社は、何軒か家を借りてくれた。プールつきだ。ぼくらにとっては驚きだった。
   プール付の家なんて、見たことも、もちろん住んだこともない。家具はなかったけどね。

マイク:ぼくにはちょっと慣れない感覚だった。フロリダから来た身としては、大きなカルチャー・ギャップがあった。
   これは何ともしようがない。ハリウッドの人は、考えるのも、話すのも、行動するのも早い。
   ぼくらは考えるのも、話すのもゆっくり。こっちは「よし、これこれ、ああして、早く、早く…!」ついて行くのが精一杯。

ベンモント:ぼくはまるで、自分がエイリアンみたいな気分だった。あの時はバンドの中で一番若かったし、
   ニュー・イングランドの寄宿舎学校に行っていたせいもある。
   ぼく自身が大きく変わる時期で、あまり両親にも電話しなかった。
   会社から支給されてお金にも困っていなかったし(??早口だ。)見た目も変わったし、大切な時期だった。

ランドル・マーシュ:私たちはとても仲が良かった。友達として、たくさんの時間を一緒に過ごした。
   そしてリハーサルを繰り返すことが大事であることもわかっていた。(?)
♪On the street♪

Broken Bond

トム:マッドクラッチはどうにもならず、行き詰ってしまった。

デニー・コーデル:バンドは辛かっただろう(??)何せ、三銃士のような強い絆で結ばれていたから。
   解散はとても辛かったはずだ。(??)

ランドル・マーシュ:ある日、トムが抜けると言った。レコード会社にとって、私はもはや必要なく、
   彼らはバンドに興味がなかった。

ベンモント:ぼくは途方にくれてしまった。トラックかなにかに牽かれたみたいな気分だった。
   一緒にカリフォルニアに来た仲間が、離れて行ってしまう。まるで家族離散のようだった。
   それに、これからどうやって、誰とプレイすれば良いんだと。

トム:ぼくはその晩、すぐにマイクのところに駆けつけて言った。「お前は、俺と一緒に居てくれるよな。」
   ベンモントを置き去りにしてしまうだなんて、本当に悪いことをした。でも、どうすれば良いのか分からなかったんだ。
   ぼくはバンドの一員でありたかった。一人ぼっちのソロ・アーチストには、なりたくなかった。
   もちろん、ソロで素晴しいミュージシャンはたくさんいる。でも、それはぼくのやりたい事ではなかった。

ジム・レナハン:私が思うに、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ結成の本当のきっかけは、ベンモント・テンチだ。

マイク:ベンは何曲か書いていて、そのデモ・セッションをするためにぼくを呼んだ。そして、スタンとロンも。

Stan & Ron

ジム・レナハン:スタンとロン・ブレアはゲインズヴィルのバンドから来て、まだどこにも所属していなかった。

ベンモント:スタンとぼくは、古い知り合いだった。マッドクラッチが解散した時もよくつるんでいたので、
   新しいバンドを組もうという話になった。さしあたっては、デモを作らないといけない。

スタン:ぼくは勝負のセッションだということで、興奮していた。ベンモントがぼくにドラムを叩いてくれと電話をし、
   ぼくがロンに連絡した。

ロン:それで、その夜一緒にセッションをすることになった。

ベンモント:トムにはボーカルかハーモニカを吹いてもらおうということで、来てもらった。

マイク:それがぼくら五人が集まった最初だった。

トム:ぼくはコントロール・ルームに座って、バンドがプレイするのを見ていた。「わぁお!よし、このバンドを盗んでやれ!」
   あれが初めての盗みだった。このバンドはぼくのバンドであるはずだ。それで演奏の合間にぼくが入って、一席ぶった。
   「なぁ、みんな。俺に賭けてみないか?俺にはレコード会社との契約がある。」

ロン:なんだか最初からそうなることになっていたみたいに、バンドが結成された。

トム:それで、もともとはぼくのソロ・セッションだったところに、バンドのリハーサルを持ってきた。
   デニーはすごく感銘を受けたみたいで、こう言った。「お前さんたち、いままで私が見た中では最高のバンドだぞ。」
   これで決まりだ。

デニー:(??はっきり喋ってください。)
♪Break down♪

ベンモント:レコードを作るには、もちろんバンド名が必要だが、なんだか酷い案がでてきた。

ジム・レナハン:「ナイトロ」。N - I - G - H - T - R - O

マイク:意味不明。

トム:ぼくの案は、「キング・ビーズ」

ベンモント:だめ。あり得ない。ダメ、ダメ、ダメ…!

トム:聞こえが良いだろ、「トム・ペティ&キング・ビーズ」

ジム・レナハン:トムの住んでいた小さなアパートで、誰かが「トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ」はどうだと言い出した。
   ”ハートブレイカー”っていうのは、私たちの好きな曲の名前だ。
   「いいじゃん!」
   「そうしよう!」
   さらに、誰かがアイディアを出した。ロゴは、ハートをギブスン・SGが突き刺している形にしようと。
   それで私が言った。「クール!でも、SGの代わりに、フライング・Vにしたら?矢みたいな形だろう。」
   「完璧!いいぞ!」
   その後で、デニー・コーデルが、タトゥーの絵柄みたいに名前の入ったリボンを加える案を出した。

ベンモント:気に入ったよ。なんか皮肉が効いてて。「ハートブレイカーズ?おいおい、なんの冗談だ?」ってね。

トム:本格的に始まってみると、大興奮だ。とくにスタンのキャラが良かった。光り輝いているっていうのかな。
   ぼくらの盛り上げ役で、ハングリーで、やる気に満ちていた。しかも優秀なドラマーときている。
   ロンも良いプレイヤーで、上手く行った。ぼくはすごくドキドキしていた。本物のバンドが出来上がり、
   いままで誰も見たことの無いような、凄いバンドになるような気がした。
♪American girl♪

Tom Petty & The Heartbreakers

トム:ぼくはグループに触発され、何でも出来るような気がした。これから本当の出発なのだと。

ベンモント:最初のアルバムはデニー・コーデルと、二人の素晴しいエンジニアのプロデュースだった。
   彼らの名前は、ノア・シャークと、マックス。二人は会社のエンジニアで、アルバムづくりのプロセスを伝授してくれた。

トム:ぼくらは毎日彼らとの仕事にかかった。あの二人のノリは、ベッドから出るなり、クスリをぶっこんで、
   「さぁ!レコードを作るぞ!」彼らの手にかかると、サウンドがたちどころに良くなった。
   この時録音したのが、”American girl”, “Break down”。それまでになく上手く行った。

スタン:ぼくらはレコーディングに時間を費やした。頭を振りながら、「どうやるんだ?どうやるんだ?」と、
   19で最初のレコードを作って以来、勉強のしどおしだ。

マイク:ぼくらは若く、青臭かった。曲を作ってスタジオに持って行き、コーデルに聞かせると、
   「これはクズで、こっちは良いな」と、選り分けて行ってくれた。彼には本当にやるべきことが分かっていた。
   「これは駄目、こっちにしろ。」

ロン:トムがある日、自信のある曲を持ってきた。デニー・コーデルが聞いて、「さて、どう思うんだ?」と、トムの顔を見る。
   トムは「ええと…良いと思うんだけど。」これはデニーのやり方で、要するにスタジオで録音するに足りるという事だった。
   トムのソング・ライティングはずば抜けていた。(??ロンは早口で、聞き取れない率高し)

トム:最初のアルバムが発表されたが、これと言って何も起きなかった。
   ところが、どういう訳かイギリスで突然、雷が落ちるみたいに爆発した。ものすごく売れたんだ。
   音楽評論の紙面を埋めたりして。イギリスでエライ騒ぎになっていた。

デニー・コーデル:イギリスであの頃起こっていたムーヴメントの中で、ロックは瀕死の状態だった。
   そこにホンモノのロッカーが乗り込んで来たわけだ。

トム:イギリスに行ってみると、取材に、写真撮影。音楽週刊誌の表紙も飾tった。
   まさに音楽のメッカ。あらゆる音楽のふる里だ。「うわぁお!」

♪Anything that’s rock ‘n’ roll♪ from Top of the Pops
デイヴ・スチュワート:私が彼に会う前だが、彼らの音楽はイギリスで受け入れられた、
   唯一のアメリカの音楽だった。他のアメリカのバンドは、イギリスではクールだとは受け取られていなかったが、
   彼らは確実にクールだった。

マイク:イギリスのマスコミはぼくらを大きく取り上げてくれた。大盛り上がりだったね。

トム:最初のライブは、ウェイルズ。ぶっとんでいた。

ジム・レナハン:何曲か演奏すると、聴衆が殺到してくるんだ。そんな光景、見たことが無かったから、怖かったよ。

トム:(??????)ぼくらは思った。「わぁ、上手く行ってるじゃん!」こうしてチーム・ワークも良くなり、
   ほかにも何本かのテレビにも出演した。
♪Fooled again(I don’t like it)♪

マイク:今思うと、凄いことだったと思う。夢見ていた事が、現実として起きているのだから。
   同じようにバンドを組んだ連中が夢見たことを、いま自分が実現しているんだ、って。

トム:ツアーはヨーロッパに及んだ。大冒険さ。ドイツ、ベルギー、フランス、オランダ…

ジム・レナハン:あの頃、トムと私はよくこんな事を言っていた。
   「ここはどこだ?」
   「カリフォルニアのハリウッド!」
   「ここはどこだ?」
   「フランスのパリ!」話に聞いたことしかないような場所に、実際に行くのだから、夢のような話さ。

トム:オランダに行ったのだけど、あっちではハッシシが合法だった。当然、ぼくらは吸い切れないないほど、
   大量のハッシシを買い込んだ。次の日は、ドイツに飛んだ。ハッシシの馬鹿でかい箱を持っていたけど、
   税関の手前でゴミ箱に放り込まなきゃならなかった。ぼくは自分の分を捨てた。
   そして税関の列に並んだのだけど、スタンのバッグの中から、ハッシシ用の小さなパイプが発見された。
   ハッシシその物はなかったけど、燃え残りが少しだけパイプの中にあったんだ。
   「はい、列からいったん外れて、捨ててきてください。」
   ロン・ブレアの様子が、少し変だった。ぼくに笑いかけると、歯が真っ黒なんだ。
   あいつはハッシシの塊を口に放り込み、噛んでいた。(笑)かわいそうに、どっかの小部屋に連れて行かれてしまった。
   とにかく、ブレアのチューイング・ハッシシは効果覿面だった。

   ぼくらは午後にテレビ番組出演があったが、リハーサルには間に合わなかった。
   英語が話せるテレビのスタッフが来て、大丈夫かどうか確認していた。(??)
   なんだかロンが静かなので(??)、ぼくは尋ねた。
   「かなりイッちゃってる?」

司会者:(ドイツ語なんて聞こえるわけがない)

♪この曲、何?♪
トム:なんだか、40分ぐらいはプレイしていたような感覚だったな(??)。あの時のテープを見れば、
   目をギラつかせたロン・ブレアの、勝ち誇ったかのようなプレイが見られるよ。

   これがハートブレイカーズ・ツアーの常で、何が起こるか分かったものじゃなかった。大冒険さ。
   何もかもが新しい世界で、エキサイティング。素敵な女の子たちのサポートも受け、
   アメリカ人流のおもてなしをして差し上げ…そして我に返ると、掃き溜めのようなLAに逆戻りだ。

ロン:アメリカに戻れば、ステージから、ステージへ。この町から、あの町への移動。
   (??忙しすぎて、スタンがボケている話らしいが、うまく聞き取れず。)

スタン:「さぁ、大仕事だ!いや、そうでもない!」覚えているのノリは、「やったぞ!いや、まだ!…!」

ロン:何者かはよくわからなくても、ラジオはぼくらのレコードをよく流してくれた
   (???誰だったか、レコード会社の人が、レコードの山を云々…?もう少しゆっくり話してください。)

髭のおじさん(何者?):今夜、ここ”ウィスキー”で、トム・ペティのライブだ。

インタビュアー:イギリスは楽しんだ?
トム:ああ。
インタビュアー:ニュー・ウェイヴの真っただ中だったろう?
トム:うん。
インタビュアー:連中と一緒にされなかった?
トム:どうかな。あっちのクラブとかでもプレイしたけど、連中がどうだかはともかく、
   俺らはロッカーとしてクラブでやっただけさ。(??)

インタビュアー:(??)イギリスから戻ってきました、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ!

♪Listen to her heart♪
デニー・コーデル:ライブ会場は満員で、演奏の出来も良かった。予想外の良さが、日に日に増していった。

トム:ぼくらはオルタナティヴ・バンドと捉えれていたけど(??)7分もかかるような、長い骨折りはごめんだった。

ウォーレン・Zanes(ロックの殿堂:発音は?):長いジャムが挟まる演奏は、ハートブレイカーズにはなかった。

マイク:(??笑ってるけど…聞こえない)

ビル・フラナガン(MTVネットワーク・エクゼクティヴ/文筆家):あの頃、よく売れた素晴しいバンドも幾つかあったが、
   一時期のブームで終わってしまう事も多かった。ところが、それまで地下で活動していたような連中が現れ、
   ラジオを席捲しはじめた。クラッシュとか、トーキング・ヘッズ、エルヴィス・コステロ、セックス・ピストルズ、
   パティ・スミス、そしてトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ。
   あの頃はともかく、今になって思えば、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズは彼らの中でも特別だった。
   短く、パンチの効いた曲で、新鮮だった。(??やや聴き辛い)

インタビュアー:どんな音楽を聴く?
トム:…ラジオで流れているようなやつ。
インタビュアー:ラジオ?
トム:そう、ラジオ。60年代のとか。

♪Mr. Tambourine man♪(by Byrds)

トム:初期のぼくの曲は、バーズの音楽に強い影響を受けている。ロックに対する、強いフォークの影響が出ている。

ロジャー・マッグイン:私はよく、マネージャー相手にジョークを言っていた。
   「トムはぼくのためにAmerican Girlを歌っているんだ。きみ、リクエストした?」
   「してないよ?きみは?」
   「してない。だれがしたんだろう?」
♪American girl♪

♪When the time comes♪
トム:セカンド・アルバムって言うのは、たいていキツいものだ。自分の実力を証明したいだろうからね。

司会のお姉さん:男の幸せは二つ。女の子を追いかけることと、ロックすること。
   彼の場合、その音楽で女性たちが良い気持になるのだから、本当にラッキーね。トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ!

♪I need to know♪
マイク:トムはもの凄いソング・ライターになりつつあった。すべてが素晴しい曲だけど、
   特にお気に入りなのは、”American girl”, “Breakdown”, “Strangered In The Night”, “I need to know”。

ベンモント:とにかく並外れて素晴しいことだった。ただ、好きな音楽を、好きな人と一緒に、好きな人たちのためにプレイする。
   しかも毎日。まさに、夢が叶ったんだ。同時にあのころ、ぼくはべらぼうな量のお酒を飲むようになった。
   コカインなんかも身近だった。プレイしている最中は一緒になって、盛り上がっては「良いもんだ」と思っていたけど、
   いったん演奏が終わると、すっかり嫌になってしまう。バカバカしい時期でもあったな。

エリオット・ロバーツ(共同マネージャー1978〜87):バンドはどんどん良くなって行き、
   クラブのヘッドライナーを務めるようになった。小さなホールでもそうだったし、スタジアムでのライブも始まろうとしていた。

トム:いったん、ギグをはじめたら、そう簡単にはやめられず、ずっとやり続けることになる。
   ぼくらはやたらと働き、それが好きだった。

インタビュアー:彼らを育てる上で、何か問題はありましたか?抑えが効かないとか…
デニー・コーデル:あいつら、俺のマリファナを吸っちまいやがった。

トム:いつだって聴衆のみんなは素晴しかった。あんまりにもすごくて、ぼくが戻って来れなかったことがある。

   (客席に落ちたトム:ギャー!Don’t…*?@☆×#*…!!)

   客席に近付いたら、誰かが足を引っ張ったんだ。まじで怖かった。群衆の恐さを初めて思い知らされた。
   コントロールが効かなくなったら、ものすごく危険なんだ。(??)とにかく、ステージに戻って最後まで演奏し切った。

トム:観客も良かったし、ショーも良かった。(??むにゃむにゃ…)

Third

ジミー・アイヴィーン:70年代にセカンド・アルバムを聴いたら、中々やる奴らだなと思った。
   ファースト・アルバムは10年か15年温めてきたものを形にするが、セカンドはせいぜい10ヶ月程度で作らざるを得ない。
   どういう訳かぼくはいつもサード・アルバムに行き当たる。ブルース(・スプリングスティーン),パティ(・スミス)、
   そしてトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ。みんなサード・アルバムで出会っている。

トム:デニー・コーデルは、会社のことで忙し過ぎて、プロデュースが出来なかった。

デニー・コーデル:プロデュースに関しては、だいたい出来ることはしてしまっていた。(??ちょっと違うかも)

トム:あの頃、パティ・スミスのアルバムのサウンドが好きだった。プロデューサーはジミー・アイヴィーン。
   ニュー・ヨーク出身。

ジミー・アイヴィーン:良い巡りあわせなのか、パティも三枚目、ブルースも三枚目、そしてトムとも三枚目で知り合った。

トム:彼を雇ったのはエンジニア、そして共同プロデューサーとして。

ジミー・アイヴィーン:そうは聞いてなかった。ぼくは自分のエンジニアを連れてきたよ。

トム:エンジニアを連れて来ても、やることないよ。

ジミー・アイヴィーン:ぼくは自分のやりかたを貫かせてもらった。

トム:彼はなかなかのキャラだったね。

ジミー・アイヴィーン:トムは衝撃的だった。

トム:ぼくらは仲良くなったよ。同じ世代だけど、バック・グラウンドが違う。彼はニュー・ヨーク出身で、ぼくは南部出身だ。
   初めて会った時、ジミーはどんな曲があるかと尋ねた。それでギターで “Here comes my girl”を演奏すると、
   彼はぼくをじっと見て、「へぇ!凄いな。他には?」それで “Refugee”をまたギターで演奏した。

ジミー・アイヴィーン:何度も演奏させて、ぼくは言った。「わぁお!信じられないプロジェクトになるぞ!」
   もう、最初にこの曲を聴いただけで分かってしまい、他の曲は必要なかった。あんな感覚は初めてだった。

マイク:ジミーのことは大好きだよ。だって…いや、彼はぼくらに時々イラついていたと思うな。
   南部から来たぼくらはのんびりしていて、彼はニュー・ヨークから来ている。
   ぼくらは座ってゆっくり相談なんかしている間に、彼は「よし、みんなやるぞ!レコードを作るんだ!」…だもの。

トム:こうして、ぼくらは良い仕事のできそうな人たちと出会った。でも同時に、別の問題が持ち上がっていた。
   MCAが、シェルター・レコードを買収したんだ。ぼくらが食品か肉みたいに売られてしまうのは、気に入らなかった。
   ぼくらは、きつい契約に縛られていた。それで会社にぼくらの契約を自由にしてくれと言いに行った。
   でも、結んだことも忘れていたような契約に縛られ、どうにもならない。ぼくは気が狂いそうだった。

ビル・フラナガン:あの時代、多くの若いアーチストがそうだったように、彼も酷い契約をさせられていた。
   彼はそれに敢然と立ち向かった稀有な存在だった。

トム:ぼくのソング・ライティング契約はレコード契約と一緒にされていて、それ自体は合法的だった。
   だから、曲の出版権も会社に握られ、ぼく自身の曲がどうなるのかさえ分からなかった。

   ユニバーサルのような巨大企業が相手だ。連中はぼくから曲を奪い、好きにする。
   ぼくには契約のせいで出版権はなく、どうにもならない。レコード契約もひどいものだった。
   レコード1枚の売上に、1ペニーだなんて。レコードがヒットして大きな売り上げがあっても、
   自分に返ってくるのは、ほんのわずか。ロイヤリティで召し上げられ、常に返済不能な債務を負っている事になる。

   法律的に言えば、ぼくは破産状態だった。破産となれば、すべての契約は無効のはず。
   それを法廷で証明できれば、勝てる。

トニー・ディミトリアディス(マネージャー):音楽業界でこういう破産申し立てをしたのは、彼が初めてだ。
   業界に激震を起こした。

トム:これによって、ただ会社相手に戦うだけではなくなった。業界の常識に楯突いたのだから、
   大論争の的になり、契約解除だけじゃなく、この論争とも、すべてと戦わなければならなかった。

♪Century city♪
トム:こうしている間に出来た曲が “Century city”。弁護士がいたから、
   しょっちゅうセンチュリー・シティに行っていたんだ。

トニー・ディミトリアディス:おっかなかったね。あっちの弁護士のところに行くだろう。部屋には弁護士が座っていて、
   なんというか、人間性に欠けている。嫌な感じで、信用ならない。実際、彼はペンナイフを取り出すと、
   自分の爪の手入れを始めたりした。それでもって、ろくなことを言わない。こっちは若くてパンクな青二才。
   ナイフなんぞ持って、ほとんど脅し。冗談じゃない。

トム:でかい男が入って来て、こうだ。「いいか小僧。この契約を忘れたのか?お前は黙ってレコードを作れば良いんだ。」
   それでぼくは言ってやった。「あのな、あんたに取られるくらいなら、二束三文で売り飛ばしてやる。
   あんたは俺を破滅させられるだろうけど、レコードは作れないだろ。」

   そんな中、短いツアーをやった。名付けて、「Lawsuit(訴訟)ツアー」。
   ”WHY MCA”と書いてあるTシャツを作った。

♪Shadow of a doubt♪

トニー・ディミトリアディス:私たちは係争の最中、同時にアルバムをレコーディングしていたが、
   そのアルバムの引き渡しを、拒否した。

トム:ひどいプレッシャーだった。音楽的にはこれが最高傑作になることは分かっていたけれど、
   発表できるかどうかも分からない。

ベンモント:一番いやだったのは、トムとコーデルの腹の探り合いだった。

トム:実際のところ、ぼくはデニーに売られてしまったようなものだったが、奇妙なことに、個人的にはぼくらは友達だった。
   彼は60年代の流儀で「これはビジネスだよ。もちろん、私はチャンスはものにする。
   同時に、我々は友達だ」と言うんだ。ぼくには、友達なのにこんな事になってしまう感覚が良く分からなかった(??)。
   バンドのみんなは、ほんとうに良くぼくを支えてくれた。彼らは心からぼくを信頼してくれたんだ。
   ぼくがこれまで、誰もやったことのないような賭けに出ると言っても、彼らはぼくと一心同体でいてくれた。
   それから、ジミー。ジミーも良くやってくれた。

ジミー・アイヴィーン:私はトム・ペティとよく話した。冗談抜きで、一週間に七日は夜、電話で四時間は話した。
   これでも少なく見積もって(??)。

トム:ジミーは夜に電話して来て、「作ったところで、ほんとうに出せるんだろうか?」と言った。
   「分からない。とにかく、やるしかないよ。」

♪Refugee♪
ジミー・アイヴィーン:間違いなく、確実に凄い作品になることが、分かっていた。
   これまでに沢山の音楽を聴いてきたが、直感で分かっていたんだ。

トム:とにかく一生懸命働いた。一日に18時間は働いていたな。

マイク:"Refugee" は150テイクぐらいまで行った。バンド全員で、ライブ録りしたのだから。
   つまり5人の男が、すべてのエネルギーを一度に、テープに叩き込んだと言う事だ。

トム:あれは正に特別なプレイで、歌の出来上がりにそれが反映されている。

ロン:ある部屋なんて、”Refugee” のテープでいっぱい。どこ見ても、”Refugee”, ”Refugee”, ”Refugee”…

ベンモント:だれも真似できない程の、”Refugee”への入れ込みようだった(??)。

トム:催眠術にかかったみたいに、いつまでもいつまでも手を入れ続け、いつ終わるとも知れなかった。
   いったんミックスが終わっても、またやろうとする。ジミーは「どこがどうとは分からないけど、もう一回ミックスしよう。
   ニュー・ヨークに行って、あっちではどう聞こえるか、試してみるんだ。」(笑)本当にやったんだよ。
   ジミーとぼくはテープを持ってニュー・ヨークに飛んだんだから。イカれてるよな。

マイク:時間をかけ、辛抱強く取り組めば、曲は良くなる。それだけの価値があるんだ。
   ただ、時間を掛け過ぎると、歌に殺されかねないけどね。

ジミー・アイヴィーン:5年ぐらい前にこの曲をラジオで聞いた時もまた、電話してやったんだ。
   「このすんげぇ曲は、まじで最高だ!なッ?!」まぁ、ウザがられるだろうけど。

トム:ふん!

♪Don’t do me like that♪
ベンモント:ぼくが唯一嫌な感じがしたのは、ジミーとスタンとの衝突だった。
   ジミーはあまりスタンのプレイが気に入らなかったようだ。

ジミー・アイヴィーン:トムが歌って、スタンリーが叩く。どうもその時、両方がぼくの中でつながらないんだ。
   スタンリーは本当に良いドラマーだし、トムは偉大なシンガーだ。でも、何かがうまく合わず、
   仕事中もずっと、引っかかってしまった。

(スタジオ内のスタンと、誰かの会話??)
スタン:ジミーは本物の、プロのプロデューサーで、自分のエンジニアを連れてきていた。(??ドラムショップがどうとうか?)
   ジミーは実を言うと、ドラム・テイクにぼくのやり方を採用したくはなかった。

(スタジオにて。)

マイク:ドラム・トラックにいろいろ苦労して、三日も費やしていた。音を離してみたり、細切れにしてみたり…
   ぼくはリフレッシュが必要だと思い、左手を振ってスタジオを離れ、頭を冷やしてから三日後に戻ってきた。

トム:どういうパターンで行きたいんだ?
ジミー・アイヴィーン:ストレートにプレイした方が良いと思うんだ。シェイカーが入る所ところから。
   シェイカーの音が割れてて、ストレートになっていない。
スタン:もしもし。後ろにガラス窓があるだろ。そいつを壁側に移動すりゃ良くないか。
ジミー・アイヴィーン:なるほど。ザ・モーテルズみたいなサウンドに仕上げる訳だな。
(大爆笑)

トム:ジミーは言っていた。録音には、苦労はつきものだと。それでセッション・ドラマーの案もあったけど(??)、
   スタン・リンチ以外は考えられなかった。何と言ってもパワフルだったから。
   ぼくら5人は一つの手にある五本指みたいなもので、いつも一緒だった。彼のすごさは否定のしようがないよ。

♪Here comes my girl♪
トム:このアルバムで、ぼくらはドラムの音を押し出した。すごいでかい音にしたんだ。
   あのドラムの音は、みんなに真似された。それまで長く続いたドラムの録音方法を、変えたんだからね。

ジミー・アイヴィーン:トムがギターの音を押し出そうとしても、ドラムが大きいと、沈んでしまう。
   当時はサンプリングとかの技術が無かったころだ。スタジオではありとあらゆるギターのサウンドを展開させ、
   さらにその中からトムの声が浮き上がるようにした。

トム:もちろん、アルバムの録音中も、訴訟の審理は継続していた。
   訴訟関係の書類は膨大で、まるでぼくの首にぶら下がった錨のように感じられた。
   それでも[Damn the torpedoes]の録音は続けなきゃならない。
   やがて、法廷はぼくが制作したすべてのテープの提出を、求めてきた。
   信頼できるバグズにテープを預け、提出を拒否し続けた。それでバグズに確認した。
   「バグズ、テープの入った箱の名前、変えた方が良いよ。」
   たとえば、「モーガン・レイン」とかさ。そうやってテープの箱の存在を隠した。
   セッションが終わると、彼はすべてのテープをどこかにやる。ぼくはそれがどこかも知らないし、知りたくもなかった。
   そして、バグズが次のセッションに持ってくる。
   だから、法廷で「テープはどこにありますか?」と尋ねられても、
   「知りません。」
   「本当に?」
   「本当に。」

エリオット・ロバーツ:そのうち、テープ裁判所や会社に取られないように、毎晩私の車に隠すようになった。

トム:どうやったのかは知らないけど、連中はテープを探し出すためにスタジオに手入れを行った。

エリオット・ロバーツ(?):結局、テープは発見されなかった。

トム:法廷では、証人が呼ばれつつも、審理は滞った。最終的には、会社が屈した。
   彼らは悟ったんだ。「こいつは絶対に引き下がらない。」
   ぼくには失うものなどない。それでも、ぼくから歌を奪い去るか?
   結局法廷はぼくらの要求どおり、MCAに、自前のレコード・レーベルを持つことを認めた。
   そして、MCAを離れる時は、出版権をぼくに戻すこと。自分のレコード・レーベルを持ち、それを自由にできる。
   「どうもありがとうございました。」
   デニー・ブラムソンによってバックストリート・レコーズが立ち上がり、
   最初のレコードとして、[Damn the torpedoes]が発表された。このタイトルは、法廷闘争経験から来ている。
   そして、やっと素晴しき人生がひらけた。

♪Even the losers♪
トム:凄まじいヒットになった。最初の、最重要レコードになったんだ。それによって、新たなストレスも生まれた。
   ぼくらはたちどころにヒーローとなり、あっちやこっちやに引っ張り出された。
   起こっている事が信じられなかったが、でもそれが事実、起きていた。みんなの人生ががらりと変わってしまったんだ。
   でもそのノリになんとかついて行けば、どうにかなるものだ。
   1979年から翌年にかけて、規模の大きなツアーを行った。世界じゅうを、追い立てられるように回った。

トム:ただいま、朝の8時であります!みんなゴキゲン!

ロン:ご気分は?
ベンモント:ゴキゲンだよ、ロン!

謎の東洋人:サインしてくださいますか?
トム:もちろん。

インタビュアー:ロックンロール・スターのトム・ペティです。ヘイ!トム、調子はどう?
トム:ヘイ!へ…イ。調子は…上々。好調。

インタビュアー:あのタイトルはどう言う意味?
トム:[Damn the torpedoes]?アメリカのスラングだよ。

エリオット・ロバーツ:大ヒットアルバムを一つ作ると、たちどころに何もかもがグレードアップする。
   一度その感覚を味わえば、どっぷりだ。我々もその一部になってしまう。

ビル・フラナガン:[Damn the torpedoes]は、ロックンロールがどういうものか、再認識させたアルバムだった。
   そういうものが、再びラジオに戻ってきたのだ。

スタン:ぼくらは驚いてしまっていた。なにせ宝の地図を手にしてしまったのだから。

リポーター:約4時間前、ここウィスキーでは、これからの10年を担う大ロック・スターのライブが行われていました。
   彼らの最新アルバム[Damn the torpedoes]は、既に100万枚を売り上げ、
   今週のビルボード・チャートでも3位にランクインしました。このような小さな会場に、大スター。
   チケットは入手困難になっています。今夜、トム・ペティはその実力をファンの前に披露しました(??)

ファンのお兄さん:(??)
ロバート・ヒルバーン(LAタイムス,ロック評論家):彼はロックで最も大切な要素を理解している。
   純粋さ、ロマンチックさ、そういった失われつつあることを、再新アルバムでもあらゆるレベルで表現し切っている(?)

♪Don’t dome like that♪
トム:成功ってやつが訪れたわけだけど、それはあっちが勝手に来たようなものだ。
   成功の本もなければ、マニュアルもない。ある日突然、10万ドルの小切手が舞い込んでくるんだ。
   そのためのハンドブックなんて存在しない。
   これって、若造には危険なことだよ。べらぼうな金が手に入ったところで、まともには使えない。
   金のせいでトラブルにもなる。幸運なことに、ぼくらはまともなレベルを保つことができていた。

♪Shout♪
レポーター:トム・ペティは単なるロッカーとしてではなく、最も素晴しい音楽としてのロックを、
   地元ウィスキーでプレイして見せました。(?)以上、チャンネル7,アイ・ウィットネス・ニュースでした。

Fuel

♪Not second time♪
ビル・フラナガン:何かを成し遂げようとする人々…つまり、ペティのような人々には、
   ロックというエンジンを燃やし続ける燃料があるものだ。
   私はトムの歌から並みの十代よりも強い怒りの感情を感じ取ってきたのだが、
   この怒りという燃料こそがゲインズヴィルから出発し、多くの戦いをくぐり抜け、
   ビジネスの慣例に従わず、決して後には引かないという力の原動力になったのだ。

   多くのロッカーが、幼くして母親を失っている。
   レノン&マッカートニー、マドンナ、ジミ・ヘンドリクス、アレサ・フランクリン、シンニード・オコーナー…
   リストにすれば膨大な量になる。U2のボノしかり。
   私がその話をすると、トムは言った。(??)
   「そいつはもう一つの語られざるロック史だね。母親は早く死に、父親には嫌われる。
   俺はその両方だから、最高ランクだ。」

トム:思えば、いつも父の影が付きまとっていたし、残して来てしまった優しい母の事も、心のどこかに引っかかっていた。
   でも、自分の志を優先して、前だけを向いていた(?)。ひどい怠慢だった。
   時が経つに連れ、それはぼくの人生の中で重くなって行った。
   ただ決断だけをすれば良かったのに、先延ばしにしてきたんだ。それは父に厳しくされたせいかも知れない。
   体罰も受けたし(?)そのことを引きずっていたんだ(?)。自分の家がそういう雰囲気になるなんて、ばかげているよ。

ブルース・ペティ(弟):母と私は、よく彼らの諍いをとりなそうとしていた。簡単に言えば、父は憤り、兄は父を嫌っていた(?)

トム:母は父と、ぼく両方をかばおうとしていた。

ブルース・ペティ:父は兄に厳しかったと思う。自分が思うような人生を選ばなかったから。

トム:ぼくは漁師でもなければ、ハンターでもない。子供の頃から、音楽にしか興味が無かった。

ブルース・ペティ:母はいつも、家族が上手くいくよう骨を折っていた。

トム:母は本当に素晴しい人だった。毎日、家族のために尽くしていた。それから、母方の祖母。
   ぼくは彼女と仲が良かった。彼女はいつもぼくに味方してくれた。やりたいことをやれば良いと。
   弟は我が家の王子様。いい奴で、口喧嘩とかはしなかった。
   妙な家だったかもしれない。ぼくの家では、きつい南部訛りが話されていた。
   ぼくは5歳にして、両親が地域でも浮いているという事に気づいていた。
   そして音楽に出会い、その違和感から逃げ出すことが出来た。

ブルース・ペティ:兄が成功を重ねるに連れ、父は協力的になっていった。父は自分が間違っていた事に気づいたんだ。

トム:それはどうかな。父はぼくの「成功」を喜んだと思う。
   ゲインズヴィルで、ぼくの父親として認識されるようになったのだから。
   辛いけど、ロックの大きな波を、彼は粗野なものとして受け入れてはいなかったと思う。

ビル・フラナガン:(??全然わかりません)

♪King’s road♪
トム:FMラジオが絶好調の時期で、[Damn the torpedoes]はそれにはまった。アルバムは大成功し、それに続くものを作る。
   大きなチャレンジだ。

ビル・フラナガン:[Hard Promises]は素晴しいアルバムだ。楽観的ではなく、テンションの高さが保たれている。

トム:ほとんど毎日、毎晩、ぼくは曲づくりに没頭していた。他の連中が女の子を追いかけているのに。
   そうしている間も、ぼくは書きづつけていた。

   短いリフで始まる曲を書きたかった。こういう具合に…このリフが頭にこびりついて、一週間これの繰り返し。
   ♪ the waiting is the hardest part…♪が出てくるまで、まる一週間、家に返って座るなり、ギターを鳴らし続け…
   しまいには隣の家の人が壁を叩いて、「もうやめろ!」

ベンモント:”The Waiting” は出だしの歌詞からして素晴しい。”Oh baby don’t it feel like heaven right now…”
   まったく、信じられないよ。

♪The Waiting♪
エディ・ヴェダー:”The Waiting”が出た時、レコード屋に駆け込み、聴き倒し、
   学校も昼休みに抜けだして家に戻りまた聴いて、頭の中で流れたままにしていた。
   ぼくの周りの女の子や、仲間も、みんなトム・ペティが大好きだった。すべてがトム・ペティ、トム・ペティ、トム・ペティ…。
   つまるところ…レコードをかけると、どんどんトムに集中していってしまう(??)。
   一緒にライブをしようと依頼されて、何と言うか…「さぁうやろうぜ!」と言われても、聴いていたい気分で…
♪The Waiting♪with Eddie Vedder

エディ・ヴェダー:アーチストたちが、自分たちがもたらす曲が、どれほどの影響力を持っているのかを、
   理解しているのかどうかは分からない。ただ、14歳という年齢で接した音楽は、
   ほとんど神からの授かり物のような、影響力をもっていたことは確かだ。
   (???実はほとんど聞き取れていないため、想像。)

♪Letting you go♪
トム:[Hard Promises]のレコーディングが始まると、ぼくはほとんど毎日スタジオに詰めていた。
   最後に母に会ったのは、Damn the torpedoesツアーの最後の方。会えたのは良かったけど、
   母は長い間とても苦しんでいて、それが辛かった。たぶん、これが母に会う最後になるだろうと、分かっていた。
   ある晩、セッションの後で母が亡くなったという電話を受けた時、彼女は苦しみから救われたのだと感じた。

ブルース・ペティ:母が家族だったからこそ、彼女が苦しみから解放されたことに、自分たちが救われたような気がした。

トム:ぼくはとても辛かった。

ブルース・ペティ:兄と母はとても仲が良かった。もし今日まで母が生きていれば、
   疑いなく兄と一緒にカリフォルニアで暮らしていただろう。

♪Insider♪
トム:スティーヴィーがぼくの人生に登場したのは、そんな頃だった。スティーヴィーはソロ・アルバムを作ろうとしていた。

スティーヴィー・ニックス:あのころ、私はフリートウッド・マックよりも、ハートブレイカーズの音楽の方が好きだった。
   それでジミー・アイヴィーンに連絡して、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズのようなサウンドのアルバムを
   作ってくれるように依頼した。どうしてもそうしたかったの。私はトムや、ハートブレイカーズと友達になりたかった。

トム:彼女はよく言っていた。「フリートウッド・マックを抜けて、ハートブレイカーズに入る」って。
   それでぼくらは言った。「ああ、でもハートブレイカーズに女の子はね…」
   「そうだろうけど、それでも入りたい。」
   「良い考えだけど…やっぱり、ハートブレイカーズに女の子はいないよ。」

   スティーヴィーは既に大成功を収めた人で、ぼくらが入り込む余地なんてないと思われた。
   それで、彼女は「ぼくに曲を書かせる作戦」を始めた。
   ぼくが「無理だよ、時間がない」と言っても、彼女は「お願い、書いて。」
   結局彼女が勝った。 “Insider” という曲があって、ジミーに聞かせたら気に入ってくれた。
   翌日スティーヴィーが来たので、彼女のために歌ってあげると、彼女も気に入った。
   でも、彼女はリード・ヴォーカルを取ってはいなかったんだ。彼女はハーモニーを歌っていた。
   サウンド的にはとても美しかったけど、リード・ヴォーカルはぼくだった。
   それにぼく自身がこの曲を気に入り始めていたので、彼女に言った。
   「スティーヴィー、すごいごめん。この曲、取っておきたいんだ。あげられない。」
   彼女は快く、「よく分かるわ。あなたから曲を奪ったりはしない。
   それに、正直に言うと、私はもっとテンポの速い曲が欲しかったし。」

   よく身近な誰かのために、その人のスタイルに合うように曲を書いたりするけど、
   実際は自分が書いた曲の中から、その人がぴったりだと思う曲を見つけ出しているんだよ。
   彼女の良さは、そのブルーズな魅力であって、それに合うものがピックアップされる。
   [Hard Promises]用には書いてみたものの、アルバムには入れられなかった曲が4,5曲あって、
   その中から彼女が選んだのが、 “Stop Draggin' My Heart round” だった。

♪Stop draggin’ my heart round♪
トム:ぼくには、人に曲をあげた方が良いかどうか、判断がつかない。自分で好きだから書いているのだから。
   でも、ジミーが「この曲は女の子が歌っている曲だよ」と言った。

ジミー・アイヴィーン:ぼくは女性が男性視点で歌うのが好きなんだ。女性がこの曲を歌えば、
   視点が変わって(??)、この曲の方向が見えてくる。「よし、これなら行けるぞ。」

(レコーディング風景)
ジミー・アイヴィーン:まった、まった。トム、メロディ直して。
トム:もう一回、歌ってみせるよ。
スティーヴィー・ニックス:オーケー。作文が得意だったみたい。
トム:ぜんぜん。国語だけでも精一杯。

マイク:ぼくにしてみれば、ジミーはある種の天才だ。彼はありとあらゆるアルバムをプロデュースし、
   あっちからこっちへ、「この曲はこっちの方が良いや」と、世界を支配していた。結果的に良かった。
   彼女は素晴しいシンガーだし、ぼくらとも上手く行った。

スティーヴィー・ニックス:私はソロ・キャリアに関して、トムに恩を感じている(??)。彼は笑うけど、本当のこと。

♪A Woman in Love (It’s not me)♪
マイク:”Stop draggin’ my heart round”はビッグ・ヒットになった。
   同じ時期にぼくらは “A woman in love” を出したのだけど、どちらかがヒットすれば、どっちかが沈むことになった。

トム:ラジオはハートブレイカーズの曲を二つ流していた。ハートブレイカーズ自身と、スティーヴィーの曲だ。

ジミー・アイヴィーン:あの週末はヤバかった。

♪Letting you go♪
マイク:ぼくらがツアーでニュー・ヨークに行った時だ。ホテルでスティーヴィーがチェック・インしようとしたら、
   ちょうどをぼくらはチェック・アウトだった。彼女がぼくの所に駆けてきて言った。
   「聞いた?あの曲、大ヒットよ!」次にぼくの口から思わず出たのは、
   「うん。かわりにぼくらのシングルがやられちゃった。」そしたら彼女の顔色が変わってしまって…
   「あ、そうじゃなくて!良いんだよ!」
   まずかったなぁ…

アナウンサー:レコード店に行けば、数年前に比べてレコードの値段が上がっている事に、お気づきになるはずです。

レポーター:音楽業界は、コストの上昇や、レコード売り上げの低下のため、価格を上げつつあります。

♪Something big♪
トニー・ディミトリアディス:[Damn the torpedoes]の大ヒットによって、会社は黙っていられなくなった。
   私がレコード店に入ると、カウンターの後ろに大きな広告があって、こうある。
   「近日発売。トム・ペティの新譜…9ドル98セント」?
   それでレコード会社に9ドル98セントについて電話してみると、こうだ。
   「ああ。今度のアルバムでは稼がなきゃな。そろそろ値段を上げる頃合いだし、次ので上げるつもりだ。」
   私はトムが承知するはずが無いと言った。

トム:連中は利益の向上にぼくらの人気を利用した。それでレコードの値段を上げる手に出たんだ(??)

トム:(??このトムは聴き取りにくい。西部劇みたいに何とか、かんとか…??)

トミー・ディミトリアディス:トムは言っていた。「俺は靴を売ってるわけじゃないんだ。知らない内に値段を上げるなんて。
   トム・ペティって名前が載るんだぞ。」

トム:今となっては可笑しいかもしれないけど、価格が9ドル98セントになったとき、ぼくはひどく憤りを感じた。
   そして、レコード会社相手にまた戦いを始めた。ぼくは言いなりにはなりたくなかった。
   戦うべきと捉えたんだ(??)。結局連中は折れて、価格を上げる時は事前に相談するということになった(??)。

   それからと言うもの、ぼくは自分が今までとは同じだとは思えなくなった。
   アルバムに長時間とられ、何ヶ月もツアーをして、母は死んで…「なんてこった」と思った。
   かつて自分にあった人間性が、失われて行くように思われたんだ。

   ぼくはら5年ものあいだツアーをし続け、ゆっくりする時間もなかった。旅のし通しだったんだ。

ロン:ギグが一つ終わると、次のギグ、そしてラジオに、夜の番組、続いてレコード会社、いつも大勢の人に囲まれ、
   ひどいストレスだった。それが何年にもわたった。

トム:ロンはとても気のいい、優しいタイプの男だ。あれほど、優しくて親切な人を他に知らない。
   ぼくらはレコーディングに対して真剣になりすぎ、ひとにきつく接してきた。彼にもきつかったと思う。
   時には、ぼくらが言うようには、プレイしたくなかったこともあるだろう。
   マイクとぼくには、ベースをどうプレイするか、はっきりした考えがあった。
   「じゃぁ、自分でやれば」と言われれば、
   「そうするよ。」

マイク:レコーディングはフラストレーションのたまる作業で、なかなか平静ではいられない。
   たしかに素晴しい作業ではあるんだけど、きついんだ。

トム:その結果、彼は音楽界から去って行った。
   バンドを離脱して他のバンドに入るとかじゃなく、すべてから離れて行ったんだ。

ロン:ぼくは音楽業界をみていて、そこがちょっとイカれてて、ファンキーで、エゴのある世界だと分っていた。
   それはそれで良かった。でも、すぐに悟ったんだ。これは自分の世界とはまったく違う世界なんだと。

トム:彼はうまくやってるよ。ベンチュラ・ブルバードで素敵なビキニ・ストアをやってる。一日じゅう、ビキニを眺めていられる。

ジム・レナハン:(ビキニの店?)電話したことさえないぞ。(??)

ロン:ぼくは一緒に活動しているのも楽しかったけど、ただファンとして見て居たい気持もあった。
   屋外会場で、ある時客席ジミー・アイヴィーンの隣に座っていたことがある。
   「ロン!あのバンド、どんな風に見える?」
   「素敵だね。良いバンドだよ。」

♪The criminal kind♪
ベンモント:ロンが居なくなってしまうのは、変な感じだった。バンドから誰かが居なくなると言うのは、そういう感じだよ。
   みんなロンのプレイが大好きだったから、大問題だった。
   バンドには化学反応みたいなものがあったのに、それが変わってしまう。その大きな変化を、みんなが分かっていた。
   たくさんのタイプのベーシストが居るけど、本当に良い人はそう多くはない。
   あの頃、トムはデル・シャノンのプロデュースをしていた。

トム:彼は50年代後半から、60年代にかけての伝説のロッカーで、ぼくら全員にとってのヒーローだった。
   何曲かにベース・プレイヤーが必要な時、彼が言った。
   「私のツアー・バンドのベーシストは、素晴しいよ。」
   「それはいい。さっそく来てもらおう。」

Howie

♪A thing about you♪
ハウイ:ぼくはゲインズヴィル出身でも、南部出身でもありません。ウィスコンシン州のミルウォーキー出身。
インタビュアー:どうやってバンドに入ったのですか?
ハウイ:さぁね。知らない。

トム:彼は最高だった。髪型も、金のイヤリングも、格好良いヒールも。そしてプレイも素晴しく、
   あの声を聴いた時は、「なんてこった、こいつはいただきだ」って思った。
   ぼくには高音ハーモニー・シンガーを得たいという夢があったんだ。彼こそ、最高の人物だ。
   それでハウイに電話した。「うちのバンドに入ってみないか?」
   「わぁお!喜んで。」
   でも、問題もあった。ぼくはプロデューサーを務めたアーチストから、ベース・プレイヤーを盗み取ることになる。
   ぼくが帰宅すると、デル・シャノンから電話がかかってきていた。彼はものすごく怒っていた。
   「ハウイを盗るんじゃない。彼は掛けがえのない男なんだ。バンドにはハウイが必要だ。
   きみは友達だし、欲しいものを手に入れさせたいのは山々だが、ハウイだけは絶対に駄目だ。」
   「デル、愛してる。ハウイはいただくよ。」それで決まり。

ハウイ:一緒にやっていくには、そして一緒に成長するにはどうすれば良いのだろうかと、考えた。
   バンドの新人としては、どうすれば良いんろうってね。ぼくより、彼らの方が考えていたのかもしれないけど。

ベンモント:彼はロンとは全く異なるタイプの、ベース・プレイヤーだ。それでも上手く行った。
   彼が入って、また一段バンドは良くなった(??)。そして彼は、バンドの中でぼくの一番の友達になった。

ハウイ:バンドが好きなんだ。どんなバンドに入りたいかと尋ねられたら、ハートブレイカーズがそれだ。

ベンモント:音楽が好きな人が、すぐに求められるプレイを察知してくれると言うのは、大きな助けになる。
   そういう面でも、ハウイ・エプスタインは最高の人だ。

♪Keep me alive♪
(スタン、プレイを中断)
スタン:これじゃ無理だよ。
トム:どうした?
スタン:マイクロフォンの音がバカでかい。
トム:ごめん。
スタン:大丈夫。ワン!
トム:俺のは上げても良いよ。
スタン:ワン!
(わあぁぁ!)
トム:違う、俺のだってば!
スタン:ワン、ワン!
トム:あっちを下げて。
スタン:いいよ。

トム:[Long after dark]に入らなかった曲のいくつかは、やっぱり入れた方が良かったと思ってる。
   “Keep me alive” っていうすごく良い曲があって、お気に入りだった。
   でも、ジミー・アイヴィーンとぼくは、意見が合致していなかった。
   ジミーにとってはアコースティックすぎてアルバムには合わず、ぼくにとってはアルバムに入るべき曲だった。

ジミー・アイヴィーン:(???アルバムの方向について話しているが、早口過ぎ。)
   たしかに素晴しいアルバムであることは認めるけど、[Hard promises]を経て、ぼくらのギャップは広がることになった。

(このあと、トムとジミーが短いコメント。双方ともよく聞き取れず。)

(MTV登場)
♪You got lucky♪(Video)
トム:ライティング・ディレクターのジム・レナハンとぼくは、 “You got lucky” のビデオのストーリーを書いた。
   そういうの好きなんだ。ちょっとした映画みたいので、SF版西部劇っぽくした。
   イントロの曲はぼくが書いている。たしか、こういう歌本番の前にイントロをつけたのは、
   これが初めての作品だったと思う。その後は普通になったけど、当時はなかった手法だ。MTVでかなり流れた。
   それで、あれを見た人がみんな、ぼくだけでなくバンド全員の顔をあのビデオで認識した。
   ものすごい数の人が見たんだ。今や一番大きなラジオ曲は、テレビになりつつあった。

ビル・フラナガン:彼らがMTVの手法に乗ったからこそ思うのだが、彼らはただライブをするだけでは、
   これほど広く認識されなかっただろう。それほど、この20年間でMTVは重要な位置を占めてきた
   彼らはラッキーだ。その前の世代だと、せいぜいモンキーズ程度の表現になってしまう
   (??ヘアスタイルがなんだって?)

(トムがベンモントを人質に取ってわぁわぁ言っているが、もちろん聞き取れず。最後にBull-shit, ピー!)

トム:さて。俺たちの軌跡をたどってみようか。

♪Southern accents♪
トム:最初のツアーに出て以来何年も、レコードを作る時間は限られていた。
   最後のツアーの時、ぼくは南部についてのアルバムを作ることに、興味をそそられつつあった。
   ロック草創期のあらゆることが、南部から発している。ジェリー・リー・ルイスに、エルヴィス、
   カール・パーキンス、マディ・ウォータース。みんな南部から来ている。
   そして ”Southern Accents” というフレーズが頭に浮かんで、それで行くことにした。

   仕事はジミー抜きで始めた。マイクとぼくで、セルフ・プロデュースできるじゃないかと、冗談で話していた事なんだ。

スタン:冗談どころじゃない。まともに機能しなかった。

トム:ぼくらはいろいろなプロデューサーのやり方を見聴きしていたし、それなりに考えたりもしていたが、
   そう簡単な事ではなかった(??)。2年ほどツアーを休んだのは、大間違いだった。
   ツアーの効能をちゃんと分っていなかったんだ。いろいろな事がおかしな事になり始めていた。
   それぞれの生活にも変調をきたしていた。ハートブレイカーズは相変わらず仲が良かったが、
   突如として、なんだかよくわからない人たちも周りに現れだした(??)。
   彼らはそこらに居る理由が欲しかったのだろうけど(??)。

スタン:ありとあらゆる種類の、べらぼうなドラッグが飛び交っていた。(??)

トム:なんだかもう、ゴミ溜めのような有様。ぼくもかなりやったけど、何の役にも立たなかった。
   そっちは、どれくらいやった?(笑)

トム:”Rebels” づくりにかかっていた時だ。ことは単純なはずなのに、出来上がって欲しいものとは、
   どんどんギャップがついていく。どうにも行かずに、一ヶ月もかかってしまった。

ベンモント:酷い状況だよ。なんとかしようと、ベースラインをいじったり、ドラムをどうにかしても、どんどん乖離して行く。
   行き着く先が見当たらず、泥沼にはまっていた。

トム:ぼくは隣の部屋で、自分のオリジナル・デモを聴いてみた。デモは素晴しかった。色々いじりまわしたものよりも、
   よっぽど良かったんだ。完全に頭にきて、家の二階にあがると、フラストレーションのあまり、壁をぶん殴ってしまった。
   ただ手を傷めただけじゃない。骨を粉々にしてしまった。複雑骨折だよ。

   我に返れば、手は巨大なミッキー・マウス状態。

トニー・ディミトリアディス:切開して、手当してという事になったが、医者はもうギターはプレイできないだろうと言う。

トム:重傷だった。医者が病院の部屋に入って来て言うんだ。「よぉし!さぁ、手を見せてもらおうか!」
   長い手術は、金属部品やら、ワイヤーやらが使われる大変なものだった。
   時間がたっても、なかなか上手く動かせない。それで手に電極をつけて、ショックを与える。
   そうしようと思わなくても、強制的に手が握られたりして、最悪の気分だった。(??)
   それから、このケガは「目を覚ませ」って警告なんだと、真剣に考えた。

♪Spike♪
トム:ジミー・アイヴィーンに助けを求めた。ぼくはダブル・アルバムにしたかったけど、
   ジミーは言った。「冗談じゃない。ダブル・アルバムなんて無理だ。本当に良い曲だけに集中して、
   シングル・アルバムにするべきだ。」
   同時期に、彼はスティーヴィーの新譜の仕事をしていて、彼女用に何か良い曲はないか探していた。
   それでぼくに尋ねた。誰か良い曲を書くやつを知らないかと。ぼくはそいつは、デイヴ・スチュワートだと思った。
   本当に優秀なソング・ライターだよ。彼はユーリズミックスを解散したばかりだった。

デイヴ・スチュワート:ジミーはスティーヴィーと一緒にスタジオ入りしようと提案してきた。
   それで、シタールや、コーラスの入った曲に取り掛かった。

ジミー・アイヴィーン:4トラックの録音ができたところでは、ドラム・パターンがあって、コーラスが
   Don’ t come around here no more…と歌っていた。ぼくは思った。「この女の子の声は良いアイディアだな!」

デイヴ・スチュワート:スティーヴィー・ニックスやジミー・アイヴィーンが作業をしていたスタジオに、トムがやってきた。
   ぼくらはこの “Don’t come around here no more” を作っていて、ジミーは入れ込んでいた。
   スティーヴィーが詞を書いたりしていたんだ。

ジミー・アイヴィーン:スティーヴィーが言った。「トムに詞を書いて欲しい。」トムがやって来て、詞を書いた。な?
   そしてあいつ、歌をかっさらって行った!

♪Don’ t come around here no more♪
デイヴ・スチュワート:バンドのほとんどが、「なんだこりゃ」って感じだった。アルバムは[Southern accents]であって、
   そういう雰囲気だったんだからね。

トム:バンドは(?????)。デイヴ以外はね。

デイヴ・スチュワート:なんだか変な感じで…居心地が悪かった(??)。

トム:楽しかったよ。あの時期の中では、一筋の光明だったんだ。笑えるし、クレイジーだし。

デイヴ・スチュワート:やたらと笑っていた。なんというかテンションが上がるって言うか。
   曲と、そしてあのビデオを仕上げた。アリスがケーキになっちゃうやつだ。そういうつもりじゃなかったんだけど…。
   あのイカれたお茶会は、あの頃の、かなりイカれていたトムの生活の反映だ。
   ぼくはマッシュルームの上の男の役だった。重要な役だよ。
   ビデオの冒頭でみんながトリップしてしまうきっかけを与えるのだから。(??)

♪The best of everything♪
トム:[Southern Accents]は、最初はそうでもなかったけど、だんだん好きになていったアルバムだ。
   それからすぐに、ツアーを再開した。ロードに出てみると、やっとすべての事がもとの正常な状態に戻った。

Poet

ジミー・アイヴィーン:良い曲が書ける時というのは、何事かを言いたい曲になるわけだけど、
   即ち「これって自分のことだ」ってことになんだ。
   トムはとてもロマンチックな詞を書く。そしてあのサウンドや声が、ぴったり来るんだ。
   痛みを知っている男っていうのは、ロマンチックなものさ。

デニー・コーデル:彼は偉大な詩人だな。説明のしようがない。あれほどの詩人はほかに居ないだろう。

トム:テレビなんかで、「さぁ、犬に関する詩を書いてくれよ。」とか言われると、イラっとくるんだよね。
   そんなに単純なことじゃないんだ。ぼくが書いたり、歌い始めたりする時はだいたい、メロディが先に出てきて、
   それがその先へと導いて行くんだ。

トム:ここで最後に演奏したのは、もう10年も前になる曲をやろう。”Southern Accents”。
♪Southern Accents♪


(Bob Dylan)

トム:ボブ・ディラン。彼ほどの人はほかには居ない。ボブはファーム・エイドでプレイした。

エリオット・ロバーツ:当時私はボブのマネージャーでもあって、彼は「何か良いバンドはないか」と言っていた。
    すぐには思いつかなかったが、トムがボブのことが大好きなのは分っていた。
    トムならバンドとしてやってくれるだろう。
    「トムは主役を張れる。だから誰のバックもやってくれないだろうけど、きみのバックとなれば、話は別だ。」
    その夜、トムに電話すると、トムはびっくり大コ〜フン!
    「ボブとプレイするかい?ボブのバックバンドとしてさ。」
    トムの反応は、「まじかよ!冗談だろ?喜んで!」

♪Maggie’s Firm♪
トム:ファーム・エイドでの楽屋で、ボブが言った。「オーストラリアへのツアー、一緒に行かないか?」
   「すげぇ!行こう!」

♪Like a rolling stone♪
トム:ぼくらはボブにとって、ザ・バンド以来の本物のバンドだった。

マイク:本当に楽しかった。一緒に世界中を回って。2年くらいだっけ?

トム:アメリカだけにとどまらず、ヨーロッパ、日本…

マイク:ボブのバックで、何だってした。

ジョージ・ハリスン:完璧だった。本物のボブのバンドだった。
    なんと言っても、トムのただ滑らかなだけじゃない歌い方が良かった。
    ねじれた感じの、あの独特のスラーのかけかた。ボブにぴったりだった。
    二人はサウンドも、音楽へのアプローチもそっくりだった。

トム:(??)とにかく突然、アレンジが変わるのだから。一度もリハでやったことのない演奏が、突発的に始まるんだ。

♪Knocking on the heaven’s door♪
ベンモント:即興演奏が要求される。前回とは違うキーや、アレンジを即興でね。
    毎回ではないけど、よく歌が違う始まり方をした。

マイク:今になって思うと、ものすごくイカれてて、楽しかった。アナーキーなやり方だったからね。

スタン:それまでの人生の中でも、ものすごい経験だった。とにかくやる事なす事、一々おおごとなんだから。

マイク:ボブがいきなりリハをぶち壊すようにおっ始めると、まるでマジックみたいに、これまでいないものが生まれる。
    ボブがぼくらと目指したのは、それだった。次から次へと湧き出るような境地に、達しようとしていたんだ。
    あの頃、バンドは互いのプレイに飽きてきていた。
    ボブとのツアーは、ただただハートブレイカーズとして演奏するのではなく、
    敬愛する人のバックとして、新しくやるべき事を見出す機会だった。

トム:ぼくらは史上もっとも優れたソングライターと一緒に仕事をしたんだ。ぼくらに何が出来るのか学ばせてもらった。
    思い返すと、バンドはより良くなったな。自分達自身の演奏に立ち返ったとき、何が出来るのかを再発見したのだから。

マイク:こうして、バンドは再出発することになったのさ。(??)

♪Jammin’ me♪
トム:Jammin’ meは、ボブとぼく、マイク・キャンベルとで作った。何曲か一緒に書いたな。
   ボブのアルバム用と、ぼくら自身用に。

♪Let me up♪
ビル・フラナガン:[Let me up]は私のお気に入りアルバムだ。トムや、バンドの連中、他の誰がどう思おうが、
    とにかく私はお気に入りだ。ミキシングとか、(??)タイトル曲とか、ローリング・ストーンズ張りの名曲だ。

ベンモント:アルバムの出来としては混乱気味。トムがフラストレーションをためていたのも分っていたし。

トム:[Let me up (I’ve had enough)]…タイトルそのまんまのアルバムだな。

トム:ディラン・ツアーの合間に、誰かがぼくの家を燃やしてしまった。
   火元は、娘のキムが寝ていたところから数フィートも離れていなかった。

エイドリア・ペティ(娘):私は7年生で、あの時どこかに泊りに行っていて不在だった。あの日は母の誕生日だった。
    朝に迎えに来てもらおうと電話しても、つながらなかった。
    何かあったのかと思いながらベンモントに電話をすると、彼が惨事を伝え、私を迎えに来てくれた。

ベンモント:当日、トムの家でバーベキュー・パーティの予定だった。

トム:(??代わりに家が燃えたとかなんとか?)

エイドリア:とにかく怖かった。いろいろな人が押し寄せて、消防士とか、車とか。
    火事の事を知らないで、手にプレゼントを持ったお客さんたちがきたりして…父はパジャマだったし。
    私が泣き出すと、父は私を抱いて言った。
    「泣いている場合じゃないんだよ。とにかく命は助かったんだから、出来るだけのことをして、何とかしなきゃ。」
    その通りだと思って、なんとかしようと行動し始めた。

トム:誰も死なないで済んだのはラッキーだった。命の安全こそが大事なのだから。
   毎朝目が覚めるということが、どれほど嬉しいことか。

デイヴ・スチュワート:火事だというので、トムのところに駆けつけたけど、彼や家族と一緒に居るのは気の毒で辛かった。
    本当に焼き出された感じで。

スティーヴィー・ニックス:トムはすべてを失ってしまった。子供の頃からコレクションしていた物や、ありとあらゆるものを。

トム:とにかく、何もかも失ってしまった。ぼくには履く靴さえなかったんだ。
   家族をホテルにやると、その日の終わりにはデイヴ・スチュワートのユーリズミックスでのパートナーだった
   アニー・レノックスが来ていて、みんなの服を買い揃えてくれた。打ちのめされたね。
   ぼくはそれで、その後の数ヶ月を過ごした。後になって、放火だったと聞かされた。
   「そんなまさか、あり得ない。」と言ったぼくに、捜査官が放火の証拠を説明した。油を撒いて、火をつけたという。

スティーヴィー・ニックス:一体だれが、トム・ペティほどのクールな人の家を燃やそうだなんて考えるの?

トム:おかしなことに、アメリカじゅうで「自分がやった」と言い出す奴が現れた。
   連中にとっては自分でなかったことが悔しいんだか、なんだか…。
   とにかく、暗殺者の手から逃れたのは良かったよ。それから、しっかり目を見開いて生きなきゃならないことも分かった。
   でも、恐れながら生きるわけじゃない。そうなったら、奴らの勝ちだからね。

トニー・ディミトリアディス:すぐに、ツアーはキャンセルしないと決めた。

エイドリア・ペティ:みんなでバスに乗り込んで、移動するの。本当に楽しかった。素敵だったもの。

♪So you want to be a rock ‘n’ roll star♪
トニー・ディミトリアディス:ツアーをすることを、癒しの手段にしたんだ。

トム:ショーができて嬉しいよ。次の日にもプレイできるんだから、なおさらだ。つまりぼくは生かされているんだ。
   そしてやるべき事があるということなのさ。それに、自分にはたくさんの友人がいるんだ、ってことも再確認できた。

   ライブをやり続け、イギリスに行った。ロンドンでのショーは本当に凄いことになった。
   ショーの後、誰かが楽屋のドアをノックした。それは、ジョージ・ハリスンに、ジェフ・リン,ロジャー・マッグイン,ボブ…
   それから、確かマイクやベンモントが、ぼくにバースデー・ケーキを持ってきてくれた。
   ぼくの誕生日だったんだ。それで、素敵なお祝いになった。
   盛りだくさんのパーティで、リンゴや、デレク・テイラーも来てくれた。本当に優しい連中だよ。

   ホテルに戻ってみると、ロンドンをハリケーンが直撃していた。一体なにごとかと思ったけど、
   ぜんぜん予報もされていなかったんだ。でもぼくには、これこそ自分の人生の中でも歴史的な瞬間なのだと思われた。
   ハリケーンが来て、なにもかもが変わったんだ。新しい友人たちを得て、全く新しい世界がぼくの目の前にひらけた。

   バースデー・パーティの間に、誰かがぼくにジョージの新しいアルバムのテープを渡した。
   ジェフがプロデュースした作品だ。家に帰って聴いてみたら、こりゃ凄いと思った。

トム:感謝祭の日、ぼくは野球のミットを買いに行き、赤信号で停車した。脇を見たら、隣の車にジェフが居たんだ。


ジェフ・リン:トムは「ジェフ!」と叫んで、クラクションを鳴らした。それで二人とも車を寄せて停めた。
    トムが「ジョージのアルバム聞いたよ、良いじゃん。俺も一緒に何かしないか?」
    「いいね、凄い。やろう!」

トム:あの頃、ぼくの周りでは、不思議な出来事がたくさん起こっていた。

ジョージ・ハリスン:ぼくはワーナー・ブラザーズの人と一緒に昼食をとっていた。
    すると、トムが二人の娘さんとぼくらの脇を通っていったんだ。

トム:部屋に通されると、ジョージがジェフにぼくの電話番号を訊いているところだった。何と言うか、不思議な巡り会わせだよ。

Strange Coincidences

トム:ジェフとぼくはロイ・オービソンの音楽が大好きだった。
   ジェフがプロデュースした彼のアルバムに、参加できると言うのはほんとうにドキドキする経験だった。
   彼らはぼくを招いてくれて、"You got it" を作ったんだ。

   ウィルベリーズは成り行きで始まった。ぼくら全員がそれぞれに、仲良くなっていった過程での出来事なんだ。

   ジョージは、新しいシングルのB面曲が必要だった。

ジョージ・ハリスン:明日にでもスタジオに入ろうとしていた時、ジェフはロイと仕事をしていたので、
    二人して来てくれることになった。ぼくはどういう訳だったか、トムの家にギターを置いていた。

トム:ある晩、ジョージがんぼくの家にギターを取りに来て言った。
   「明日、ジェフやロイとセッションをするんだけど、来るかい?」
   「行くよ!明日は空いてる。」

ジョージ・ハリスン:使えるスタジオと言ったら、マリブのボブの自宅スタジオだけだった。
    すべては巡り会わせから発生したんだよ。

トム:ぼくらはみんなで輪になり、食事を囲みながら曲づくりを始めた。"Handle with care" という曲の詞をね。

ジョージ・ハリスン:なにもぼくが全部歌わなくても良いだろうと思った。何せロイ・オービソンが居るのだから。
    それで、みんなでロイのパートを書いた。ぼくは抜け目なくトムとボブをブリッジに持ってくることに成功した。

トム:次にぼくがジョージに知らされたのは、レコード会社がこの曲はB面にするには良過ぎると、判断したことだった。

ジョージ・ハリスン:考えたのだけど、あと9曲作ってしまえば良いのだという結論になった。
    その日の夜、ロイはアナハイムでライブだった。ぼくはみんなに電話をして了解を取り付け、
    ロイのコンサート会場に乗り込むことにした。それぞれの奥さんも連れて、車にで駆けつけた。
    そしてロイに「ウィルベリーズ結成だ!入ってくれるだろう?」 
    ロイは、「いいよ。」つまりこれは…運命だったんだ。

ロイ:私たちは、一緒になんでもやったよ(??)
トム:俺なんて、毎日ロイに会えるんだぜ!(??)

トム:人生最高の時だった。本当に、素晴しい友情を得たのだから。

ジョージ・ハリスン:ウィルベリーズは、トムにとっても良い経験だっただろう。いつもとは違う人々と仕事が出来たのだから。

トム:彼らとつるんで、楽しくやるのは、健康的でゴキゲンなパーティみたいなものだった。

ジョージ・ハリスン:ぼくの前のバンドでは、誰かと一緒に曲を作ったりはしなかった。トムと曲を書くのは、喜びだったよ。
    彼はどんな詞でも、どこからか簡単に掴み取って来てしまうんだ。どんな詞でも書ける。

トム:本当にたくさんのことを学んだよ。何と言ったって、大好きなアーチストたちと一緒に座って、
   彼らの曲づくりを直に見られたんだから。

(Last Night作詞風景)

♪End of the line♪
トム:レコードは大成功した。

ジェフ・リン:ロイが死んだのは、ほんとうにショックで悲しかった。あんまりだよ。
    2枚目のアルバムの時も最高のバンドだったけど、ロイはそこに居なかったのだから。

トム:ウィルベリーズのレコードがトップになったことを、ロイは知っていたはずだ。
    彼が死ぬ数日前に、電話で話したんだ。「トップなんて凄いよ!本当に凄い!」

リック・ルービン:私はずっとトムのファンだったが、ほんとうの意味でファンにならしめたアルバムは、
   [Full Moon Fever]だった。

♪Runnin’ down a dream♪
リック・ルービン:もう何千回も聞いたし、それが数年間、止まらなかった。

トム:あれは、ぼくがソロ・アーチストとしてやった最初だった。はじめは、ジェフ・リンと作った曲がスタートだった。
   ところが、ジェフはイギリスへ立つことになっていて、その前にレコードに仕上げてしまいたかった。
   それでぼくはらマイクのところのスタジオに駆け込んだ。マイクが居ることは分かっていたし。
   友人のドラマー,フィル・ジョーンズを呼び、ドラムを叩いてもらって録音した。
   それまでに経験したことがない程の速さで、レコーディングは進んだ。一曲が一日で仕上がった。
   これは明らかにハートブレイカーズのレコーディングではないし、やり方も違う。
   ぼくの感覚では、自分で自分のバックをプレイしている感じだった。

ベンモント:ぼくはバンドでレコードを作るんだと思っていたから、バグズに電話した。
   「いつから始めるんだ?水曜日とか?」するとバグズは、
   「ああ〜…ジェフとトム、マイクで録音してるんだよね。」
   ぼくは知らなかった。

スタン:参加できなくて複雑な気分だった。だけどその一方で、曲によっては好きになれなかった。

トム:バンドの連中の危機感は意外だった。ウィルベリーズみたいなアウトサイド・プロジェクトと見ることもできるだろ。
   ぼくはバンドを離れるつもりはないと、説明した。ハートブレイカーズとは違う自由な活動をしばらくしてみたいんだと。

ベンモント:ぼくは一曲でプレイしている。プレイなんてものじゃないな。
   ここでディン・ディン・ディン・ディン・ディン・ディン・ディン・ディン・ディン。
   はい、ここでもディン・ディン・ディン・ディン・ディン・ディン・ディン・ディン・ディン。
   はい、オッケー。自分では気持良くやってあげたと思っているけど。

トム:あの時のベンモントは、終始不機嫌だったな。あまり好きなやり方じゃなかったんだ。
   レコードを作っている間に、色々な人から、ハートブレイカーズが嫌な気分になっていると聞かされた。
   マイク以外の三人がね。「なぁ、連中があーだ、こーだと言ってるぞ。」とか。
   ぼくはエエッと思った。「そうかなぁ…」とか言って。
   ある日、ハウイがスタジオに来た。ドアの外に座っていた彼は、イライラしていた。
   ぼくが「ベースは、すぐだから。」と言うと、彼は尋ねた。
   「この曲じゃないよね。好きじゃないな。」
   「好きじゃない?」
   「うん。」
   「気に入らない曲だったら、プレイしなくてもかまわないよ。」
   「あっそ。じゃ。」
   それが “Free Fallin’”だった。

♪Free Fallin’♪
ビル・フラナガン: “Free Fallin’”はとてつもない曲だ。あの曲は時を止めてしまう。
   思いをフワリと浮かせ、漂わせ、そしてまた降りてくる。詞もこの上なく美しい。(??)

デニー・コーデル:私はロサンゼルスに居たのだが、トムが私に聞いてもらいものがあると言う。
   もちろんということで、“Free Fallin’”を聴いた。私は飛び上ったり、叫んだり、笑ったりするほど凄かった。
   しかし、トムが言うには「レコード会社はリリースしたがらないんだ。」
   「何だって?」
   「連中は俺のイメージに会わないから出さないって言うんだ。」
   「(??)」結局リリースできたんだけど。

トム:あの頃は、いろいろな曲のアイディアが次々に浮かんできた。 “Free Fallin’”以外にも、 “Yer so bad” とか。
   毎日書いちゃ、翌日録音していた。ミキシングと仕上も同時に進行しながら録音していたんだ。
    “Free Fallin’”のミキシングの間、ぼくとジェフは隣りの部屋で “I won’t back down” を書いていた。

♪I won’t back down♪
トム:それまでに書いた歌の、様々な要素がこの曲には集約されている。個人的な歌でもあるな。
   ぼくはそれまで、打ちのめされたり、制約を課されたりしながら曲づくりをしてきたけど、この曲では本当の自分を出せた。

   [Full moon fever]は、あの時点で最高のヒットになった。5曲ものシングルを出した大成功アルバムだし、
   突如として全く新しい世界に飛び込んだアルバムでもある。あの時、自分に出来ることを見出したんだ。
   ぼくはとても幸せだった。気持の面でも充実していたし、最高の音楽を作ることが出来た。
   あれほどのことは、もう二度とないだろう。

マイク:トムは、それまでバラバラになっていた良いアイディアを、うまくまとめてアルバムにした。新たな力を得たんだ。

トム:オーバー・ダビングを多用するようになって、ライブでも追加パートを演奏できる人員が必要になる時期に来ていた。
   たしか、スコットを薦めたのは、スタンじゃなかったかな。彼はどんな楽器でも演奏できるんだ。

Scott

トム:最初は、どのくらいの間、一緒にやることになてたんだっけ?
スコット:2週間位。
トム:2週間ね。それから、15年?20年?ハホヘホヘホヘホ…
スコット:最初、私のパートは小さなもので、私自身はライブを見て楽しんでいた。あんな経験は初めてだった。
 
   ローディをやっていたとしても、やはり嬉しかっただろうね。そのうちどんどん出番が増えて、すっかり定着してしまった。

トム:[Into the great wide open]…ぼくら全員が、いっぺんには演奏していないアルバムだ。
インタビュアー:どうして?
トム:あの頃、ちょっと険悪だった。
マイク:あはははは…

♪King’s highway♪
マイク:トムはジェフと[Full moon fever]を作ってすごく良かったから、その良さをバンドにあてはめようとした。
   [Into the great wide open]がその、ジェフとハートブレイカーズを組み合わせたアルバムなんだ。

トム:良い経験だったけど、キツかった。ジェフはグループのプロデュースをするには、向いていないんだ。
   ハートブレイカーズはいつもすべてをライブと同じように、「せーの」でプレイして、録音してきた。

マイク:ジェフのやり方は、いっぺんにライブ録音するのではなく、各演奏者の録音をして、組み立てて行く。
   そして、オーバー・ダビングをして形作る。

トム:ぼくはジェフのやり方をサポートし、ハートブレイカーズとジェフの手法で、何が出来るか、見てみたかった。

ハウイ:それぞれのプロデューサーには、それぞれのやり方がある。アイヴィーンにはアイヴィーンのやり方があるようにね。
   彼の場合、彼自身がミュージシャンという訳ではなかったけど、
   一方でジェフは完璧に彼自身がミュージシャンだった。(??)

ベンモント:[Into the great wide open]の時、ぼくは時々電話で呼び出された。
   まったく、ハートブレイカーズらしくないやり方だ。
   スタジオに行くと、テープを聞かされて、これこれこう言う風に演奏して欲しいと指示される。
   ディン・ディン・ディン・ディン・ディン・ディン・ディン・ディン・ディン。一応やるけど、まったく楽しくなかった。

スタン:ぼくとしては、あまり良い気持はしなかった。結局「ふざけんな、出ていけ!」とか怒鳴られたりして。
   ぼくにとっては創造的でも、良いレコーディングでもなかったな。

トム:ぼくは飽くまで良いレコードが作りたい。誰もそのレコードの作り方は気にしない。
   大事なのは、出来上がりが好きか、嫌いかだ。

♪Learning to fly♪
ジェフ:ぼくのお気に入りの曲は、 “Learning to fly”。一緒に書いたし、レコーディングも上手く行った。詞も素晴しいね。
   トムがほとんど全て書いて、ぼくが入れたのはandとか、theとか、butとか短い言葉だけだよ。

♪Into the great wide open♪
トム:ぼくらが“Learning to fly”のビデオを撮影していた時、雲が出て撮影出来なかったことがある。
   一日中くもったりして。雨の日もあった。嵐の間、ぼくらはトレイラーの中にいたのだけど、
   ジョニー・デップと、フェイ・ダナウェイが来た。ジョニーは何だかでベンモントと知り合いだった。
   その時、ジョニーとフェイが、エディと自称マネージャーをやるのだと知った。完璧だと思った。

ジョニー・デップ:ビデオへの出演を依頼されたんだけど、フェイは自称マネージャーの役だった。
   彼女は十代の女の子みたいに、「トム・ペティよ!」とはしゃいでいた。

トム:ぼくは歌と映像を一緒に見ていなかった。映像がすごく良くてね。でも長さが18分もあった。
   4分の曲にだよ。ジュリアン・テンプルが手掛けたのだけど、ぼくは彼に言った。
   「これって、どうするの?」
   彼は「どうにかする。」
   その後、数日して今度は彼が7分半バージョンにしてきた。凄く良かった。若者が町に出て、ロックスターになり、
   ビデオ・アウォードをぶん投げる。これで良いと思った。
   でも誰かが、「MTVは7分半もあるビデオは流さないよ」と言った。どうなるか分からないけど、
   とりあえずMTVに送ってみることにした。そうしたら、その後の一ヶ月、ヘビー・ローテーションになった。
   今となっちゃ、7分半のビデオなんて珍しくもないよね。

The Bottom Line

トム:マッグインとぼくは、77年以来の友達だ。ボブ・ディランとのツアーでも一緒だった。

ロジャー・マッグイン:私たちは、一緒に曲を作った。(??)ギター・リフに彼が詞を作ったり、 
   “ King of the hill” のアイディアを出してくれたりして。

♪King of the hill♪
トム:マッグィンはアルバムを制作していて、一緒に歌うために、ぼくを呼んでくれた。

ロジャー・マッグイン:レコード会社が私用の曲を持ってきた。

トム:(詞を呼んでいる??)…

   その曲はひどいものだった。彼が書いた曲ではなかった。彼がどうして、あんな曲に関わらなきゃならないのか、
   ぼくには疑問だった。

   (詞を読んでいる)…なんだか、CMソングみたいじゃないか?ありふれてる。(詞を読む)…
   これって、 “Turn turn turn” を狙っていないか?全然だめ。この人は偉大な男だぞ。そぐわないよ。(??)

   レコード会社の人は、どんな凄いアーチストと仕事をしているのか、分かっていなかったのだと思う。

(トムとスタッフが何事か曲について話している??)

スタッフ:詞を変えてみたら?
トム:どうかな。こんな駄目な曲、突き返した方が良いよ。(??)

   だいたいの人は、アーチストがそれまでやったことの無いようなことを、やらせようとする。
   その方が売れるんだろう。でも、アーチストにその変化が自然であったかのようにして欲しい。
   ぼくには、そんな事はさせられなかった。

ロジャー・マッグイン:トムは私にとって、ヒーローだ。会社と意見が合わなくても、仕方が無い。(??)

トム:家に帰って考えた。ああいうセッションは、もう二度とやるまい。

ロジャー・マッグイン:トムは正しかったんだよ。彼は私のアルバムに参加したのであって…(??降参。)

トム:良いロック・アルバムを作るには、時間をかけて良く考えることも必要だ。
   ステージに立ってライブ・パフォーマンスをするのとは、違うんだ。ここで、二つの異なった音楽のあり方の存在に、
   気付く人も現れる。アルバムを聴く人もまた、聴衆なんだと。

リック・ルービン:彼は、ありとあらゆるアイディアを持ち合わせた、創造的なアーチストだ。曲を作り、
   それを最高のレコードに仕上げる。彼は5分で曲を形づくる。それは複雑なストーリーを持っている。
   一体、どうしたらあんな芸当ができるのかと尋ねても、彼も分からないと言う。
   彼は、素材のチャンネルをたくさん持ち合わせているのだろう。(??)

♪Angel dream♪
トム:簡単に理解できることじゃないし、ぼく自身、本当は分かっていないのかもしれない。
   ただ、ギターを持つなり、ピアノの前に座るなりして、じっと一点を見つめたりしていると、急に湧いてくるんだ。
   自分が何をどう作っていくのかを、きちんと理解することには、積極的にはなれない。
   どう言うのかな、スピリチュアルな問題なんだ。

ロジャー・マッグイン:トムは、どこからかアイディアを掴み取ってくる。(??)

リック・ルービン:彼はアルバム作りに入ると、なにかの拍子にギターで歌い始めたりする。
   あっ、と思っても、止められずに結局最後まで歌いきってしまうこともあった。

♪Wildfrowers♪
トム:次のソロ・アルバムが、[ Wildflowers ] 。でも、実際にはソロじゃなくて、
   いつでもバンドの連中と一緒にプレイしていた。ただ、スタンだけが例外だった。

マイク:ぼくらは、今度のレコードは前の二作品とは違うやり方をしたかった。前の二枚はジェフ・リンとやった。
   リック・ルービンはライブ演奏の手法だった。

リック・ルービン:我々は、サウンド・シティで録音した。[ Danm the Torpedoes] を録ったところだ。
   レコーディングを初めてみると、上手く行った(??)。

♪Only a broaken heart♪
トム:ぼくらは、バンドと一緒にスタジオ入りしたけど、ドラマーはオーディションをした。
   その内の何人かは上手く行かなかったりもした。その中から、スティーヴ・フェローニが浮上した。

ステーヴ:私が行ってみると、他のドラマーが出たり入ったりして、何だかオーディションみたいだった。
   そこで、私は “You don’t how it feels” をプレイした。

Steve

♪You don’t know how it feels♪
トム:彼とプレイすると、一発でキマった。これこそ、ぼくらが求めていたものだった。

スティーヴ:トムとマイクが、他のドラマーのことも含めて何か話になっていたみたいだったが、彼らは私に言った。
   「心配するなって。きみで決まりだ。」それで、レコーディングを続けた。

リック・ルービン:彼は特別素晴しかった。あの時、誰にもできないようなプレイの域に達して、しかも非常にクリアだった。
   それに、プレイを楽しんでいた。彼を見てしまうと、他のドラマーは考えられなかった。

ベンモント:スタンはまだハートブレイカーズに居た。彼抜きでのレコーディングは、酷い仕打ちだったろう。

トム:ぼくにとってフラストレーションだったのは、ツアーでマイクとスタンが話していた事だ。
   スタンは、ぼくが書いた曲のいくつかは、プレイしたい作品じゃないと言う。

スタン:作られてくる曲に、ぼくは合わなかった。どう合わせれば良いのか分からなかったし。
   デモが出来た所で合わせようとしたけど、やはり無理だった。

トム:マイクとぼくはいつも、レコードをどう作って行くかに熱心だった。
   でも、スタンにとってのレコーディングは、ステージ上でのプレイと同じだった。ぼくらの考えはそうではない。
   スタジオでそれぞれの楽器を鳴らし、それを構築して行く。スタンには合わなかった。

スタン:他のセッション・マンが居れば、ぼくは用無しだ。70年代は良かった、80年代も良かった、でも90年代はキツかった。

トニー・ディミトリアディス:私が思うに、スタンは古いロックンロール・スタイルのバンドでプレイしたかったんだ。
   でも、トムはよりメロウな曲を作って行く。スタンはハートブレイカーズであり続けるために、
   ライブではそういう曲をプレイしなきゃならない。彼は「まるでカバー・バンドみたいだ」と言っていた。

リック・ルービン:我々が[Wildflowers]を作っているのと同時に、[Greatest hits]にも取り掛からねばならなかった。

トム:ぼくは[Greatest hits]には乗り気ではなかった。それでも、[Greatest hits]には追加で1曲必要だった。
   ひとつ、すごく良さそうな曲だけど、アルバムのどこに入れようか困っていた曲があった。
   じゃぁ、そいつを[Greatest Hits]にということになった。
   [Full moon fever]のころから作り始めていた曲がやっと出来上がり、それが “Mary Jane’s last dance” だった。
   [Greatest hits]は1000万枚売れたよ。これはご存じのとおり。

♪Mary Jane’s last dance♪
トム:いま思い返してみると、[Greatest hits]のセッションが、ぼくら5人があつまった最後のセッションになった。
   ライブ録音したんだ。

リック・ルービン:史上稀にみるセッションだと感じて、テンションがあがったよ。
   全員が集ってやっているのを見るのは嬉しかった。でも、これが最後になるかもしれないと言う予感はあった。

ベンモント:“Mary Jane’s last dance” はえらいヒットになった。そして、スタンとやった最後だった。
   凄くクールだったから、あれが最後だなんて可笑しいよね。

トム:そのセッションの最中に、ジョニー・デップのクラブ,ヴァイパー・ルームのオープニング・セレモニーがあって、
   チャリティで出演してくれないかと頼まれた。

ジョニー・デップ:何のためらいもなく、大将はOKしてくれた。すごく狭い場所なのに。

トム:スタンは何も言わなかった。イエスとも、ノーとも。そして挨拶もせずに、セッションから消えてしまった。

トニー・ディミトリアディス:スタンは、フロリダに引っ越していた。一体、フロリダに越すなんて何を考えていたんだか。
   トムがスタンに電話した。「おい、どうするんだ?」
   「俺は今、フロリダに住んでいるんだぞ。どうしろって言うんだ?それ、金になるのか?」
   「いや、チャリティだ。」

トム:「とにかく、バンドはプレイするんだ。来るのか、来ないのか。」
   「無理だよ。」
   ぼくは酷く腹が立った。

トニー・ディミトリアディス:トムが言った。「オーケー。ドラマーは他をあたる。」

トム:ぼくはオフィスに電話した。「スタンは代わりにリンゴが叩いても構わないってさ。」あと24時間で開演だったけどね。

The Viper room ♪Crawling Back To You♪
ジョニー・デップ:信じられなかったよ。何と言えば良いのかな。リンゴも見てみたかったけど。

トム:スタンはクビになるようなことを、いくらでもやった。ぼくらがクビにするように仕向けたようなものだ。
   最悪だったのは、スタンがほかのバンドのオーディションしてるって話を聞いた時だ。
   彼はぼくらのセッション中に窓越しに他のバンドの人と話したりして、もはやハートブレイカーズは重要ではないと
   言いたかったのだろう。

スタン:あの時点で、ぼくはこのバンドを離れることが分かっていた。
   ただ、誰がそのきっかけをだすのかという、時間の問題だった。

♪Wake up time♪
トム:もう、彼とはプレイできなかった。ぼくが書いた曲も、スタンにはプレイできなかったろう。
   とうとう、スタンに言った。「お前は、この曲が良いとは思わないだろう?」って。
   そうしたら、スタンはすごく感情的になったけど、ぼくにはそれがどうしてか、理解できていた。

トニー・ディミトリアディス:最悪の事態だった。トムが電話で言った。
   「もうスタンとは一緒にできない。他の誰かを入れよう。」
   それで私がスタンに電話した。向こうは電話に出ると、開口一番言った。
   「俺はクビか?」
   「そうだよ、スタン。」

ベンモント:トムとスタンは、ずっと、すごく仲が良かったと思う。そういう人たちでも、離れて行ってしまうこともあるんだ。

♪Stories We Could Tell♪
トム:スタンは、20年一緒にやった末、離れて行った。
   バンドを離れてからは、プロデューサーとして、ソングライターとして、成功している。

アナウンサー:ペティのバンド、ハートブレイカーズのドラマー、スタン・リンチが脱退し、
   他のプロデュース・プロジェクトに移りました。ハートブレイカーズは代役を立てて、
   来月のサタデー・ナイト・ライブに出演します。

デイヴ・グロール:事務所の人間が電話して来て言った。「おい、トム・ペティが、SNLでドラムを叩いてくれと言ってるぞ。」
   「はぁッ?!俺に頼むなんて、ほかにまともなドラマーは居ないのか?」
   俺はもちろん、即答した。「やる!」躊躇なし。「やる!」
   ニルヴァーナが終わりになってしまってから、初めてドラムに前向きになれたんだ。

♪Honey bee♪SNL
デイヴ・グロール:2曲とも大興奮したよ。特に “Honey bee” は60年代版グランジみたいで。あの猛火には完全にやられた。

トム:次のデイヴィッド・レターマン・ショウの時、スティーヴ・フェローニがツアーを終えて、加わった。

♪You Wreck Me♪
スティーヴ:電話がかかってきて、トムが言うんだ。「来年はどうしてる?」
   「何もないけど。」
   「俺達と一緒にロードに出ないか?」
   「喜んで!」

♪Time To Move On♪
トム:やっとのことと言う感じで、アルバムが仕上がった。特別な時期だった。スティーヴ・フェローニが加入し、
   ずっと居てくれることになった。ぼくらはうまく融合したよ。再び、最盛期を迎えたんだ(??)。

John

リック・ルービン:[Wildflowers]製作の間、私はジョニー・キャッシュとの契約を交わした。

♪I've been everywhere♪
リック・ルービン:ジョニーはトムのことが大好きだった。奇妙な感じだったな。ハートブレイカーズは休暇中で、
   トムはベースを弾いていた。トムをはじめ、殆どのハートブレイカーが来て、ジョニーのバック・バンドみたいになった。

♪Sea of heartbreak♪
トム:ぼくは今日のように「カントリー」とくくられる以前の、アメリカの音楽に興味があった。
   フィドルつきのロック・グループみたいな音楽だ。ぼくらが好きな音楽は50年代後半から、60年代前半くらい。
   だからキャッシュに加わったときは、何のトラブルもなく、良い仕事ができた。
   彼と一緒にやるのは、飛び切りの体験だったね。

リック・ルービン:アルバムはカントリー・グラミーを受賞した。
   トムは、最高のハートブレイカーズ・アルバムの一つだと考えている。
   沢山のインスピレーションに満ちていたし、ジョニーのアルバムなのだから、過度のプレッシャーもない。

トム:その後、彼が “I won’t back down” をレコーディングした。あんな風に出来たら良いのにと思うほど、
   素晴らしい歌唱だった。(??)

♪I won’t back down♪
トム:ぼくの好きなキャッシュとの思い出は、ぼくの50歳の誕生日に彼がくれたメッセージだ。
   「きみとは、一緒に川に行きたいな(??)。ジョン」

トム: ハンク・ウィリアムズの曲をやろうぜ。 “Lost highway” 知ってる?

   ぼくらはロックンロール・バンドだ。でもロックンロールはカントリーから来ている。
   だから折りにふれて、ショウとか、ツアーバスの中とかで、カントリーを演奏するんだ。

♪Lost highway♪
トム:えっらい良い曲だろ?お気に入りなんだ。初めてやったけど。今朝聴いたばっかりだ。
(…)

♪Room at the top♪
トム:新曲です。

ビル・フラナガン:[Echo]は誰もが一度は経験するようなアルバムだ(??)。私としては、「離婚アルバム」といったところか。
   収録曲からして、そんな感じがする。

トム:離婚っていうのは、ご存知の通りどうにもならないものだ。かなりきつい。

   ぼくは曲を書く以外は大した事をしていないわりには、びっくりするほどアルバムは良くできた。
   車には乗っていたけど、運転はしていなかったんだ。

ビル・フラナガン:彼は普段口に出して言えない心の中にあるものをコントロールし、歌の中に昇華しようとしていた。
   まるでそうする事が義務であるかのような、感覚だ。しかし、[Echo]の中で彼はもがき苦しんでいるように思える。
   何事かを訴えたいのに、言葉にならない。もし彼が自分と家族の事情を暴露するようなタイプの人だったら ― 
   つまり彼がもっと嫌な奴だったら、このアルバムはもっと良くなったのかも知れない。

ベンモント:暗い時期だった。でも、時として暗い時期こそ、良い音楽ができたりする。

♪Swingin’♪
ベンモント:[Echo]は素晴らしいアルバムだよ。そして、多くの悲しみを含んでいる。
   まさにぼくらの目の前で、喪失が進行しつつあったのだから。

トニー・ディミトリアディス:私とハウイは、よく話がかみ合わなくなった。理路整然と話そうとしても、
   英語とギリシャ語で会話しているみたいだった。

スティーヴ:バンドのみんなが、彼に悪習を止めさせようと一生懸命だった。話したり、怒ってみたり…

トニー・ディミトリアディス:かなり重大な事態だった。アルバム・カバーの写真撮影の時、
   ハウイは住んでいたサンタフェから来るはずだったが、飛行機に乗り損ねた。次の便も、その次の便も。
   みんな揃っているし、フォトグラファーも来ている。トムが言った。「もう撮影を始めよう。」それで、ハウイ抜きで撮影した。
   それであのカバーになった。そこまで来てしまっていた。

ベンモント:ぼくらの目からも、明らかにハウイは弱っていた。それでも彼の存在は確かなものだった。
   ”Swingin’”を聴けば分る。あのコーラス。あれはトムじゃない。ハウイなんだ。

   [Echo]は…

♪The last DJ♪
トム:引き続き、ぼくは[The last DJ]の曲に取り掛かった。

ジム・ラッド(DJ):FMラジオはストレート・メディアに対し、より新しいアウトローな存在になっていった。
   どこでも聴くことができるように、新しいバンドを発掘してきたのだ。そして、もう一つの面として独自の(??)
   情報を発してきた。ヴェトナムでの出来事を、他とは違うやりかたで、一早く伝えてきた。
   その中に歌という手段も含まれた。ただかけたいから流すのではなく、流すことによって、何かを成し遂げようとしていた。
   そこへ巨大産業が、そしてロナルド・レーガンが登場した。彼らは情報を規制しはじめた。
   どんどん供給される情報はコントロールされていった。そして放送できない曲のリストを作ったのだ。
   ジョン・レノンの ”Imagine” もその一つだった。。

♪Lost children♪
トム:このアルバムは、ラジオよりも多くを語っている。ありとあらゆる所で自由が失われつつあるんだ。

ジャクソン・ブラウン:(トムは???のクォリティについて言っていた???????・・)・

ベンモント:かつては、多くの人が関心のある有名人が本当の意図を知りたがった。
   しかし、今はどのセレブがだれと寝たとか、どこの何を着ているとか…

   前は気を使ってくれていたものを、最近はそれどころか、「頼むから話題にさせてくれ」と来ている。

♪Dreamville♪
ジム・ラッド:”Dreamville” は大好きな曲だ。シンプルで、慈しむような曲だから。

ウォーレン・Zanes:間違いなく(??)時代の、多くの若者たちは、バンドを組んで、30年やろうぜと言ったものだった。
   でも、どうだろう?アメリカン・アイドルとか。簡単にトップに行き、簡単に終わってしまう(??)。

♪Money Becomes King♪
トム:同意してはもらえないかも知れないが、たしかに変わってしまっているんだ。それに対して黙っては居られない(??)。

トニー・ディミトリアディス:ラジオ曲は、批判的だった。実際に、いくつかの曲は放送拒否した。

トム:すべての人が両手を広げて受け入れてくれるとは思っていなかった。得に音楽業界の人はね。
   レコード会社で聞かせたら、ペンを取り落とす音がした。レコードがおわりまで来た時、場がシンとなってしまった。
   そうしたら、中の一人が言った。「悪くないんじゃないか。」

♪Like A Diamond♪
トム:[The last DJ]の時、ぼくの人生も変わり始めていた。前の年の夏、ぼくはデイナと結婚した。
   彼女は辛いときも、よくぼくを支えてくれた。

   でも、ハウイの状況はどんどん悪くなっていた。悲愴感を帯びてきたんだ。

リック・ルービン:我々は彼を見ていて辛かった。特にトムは一緒に歌っていたし、仲も良かったからとても辛かっただろう。

トム:今思うと、契約のこととかで(??)、もっと出来ることがあったのかもしれない。ただ、それはビジネス向きの話と、
   割り切ってしまっていた。でも、ずっと前から状況は分かっていたはずだ。
   ビジネスの事が命にかかわってしまうなんて。一緒にギグをしていて、(??)。

マイク:ぼくらはみんな、彼を救おうとした。出来ることは何でもした。
   でも、彼が行ってしまおうとするのを、引き留めることは出来なかった。

(ロックの殿堂入りセレモニー)
ハウイ:20年経っても、まだ「新入り」と呼ばれている。とにかく、特にバンドのみんなに、ほんとうにありがとう。

ロン:バンドがロックの殿堂入りすることになり、ぼくも含めてセレモニーに出席した。ぼくが第一期、ハウイが第二期として。

トム:ロンが一曲でプレイすることになっていた。そして、ハウイがもう一曲を。リハーサルは別々の日に二回行われた。
   最初の日はロンと一緒で、すごく良かった。一曲のリハのために、4時間もプレイしていた。
   次の日は、ハウイとリハすることになっていた。ハウイが来ると、彼の声にスタンはすごくショックを受けていた。
   プレイを開始したけど、何かが前の日とは違っていた。なんだか、うわのそらな感じだった。

ロン:長い時間をかけ、何かが去って行く気配がした(??)

スティーヴィー・ニックス:私たちはみんな、ハウイが誰にも止められない列車に乗って、
   どこかに行こうとしている事が分かっていた。ひどく悲しかった。

リック・ルービン:(????)

スティーヴィー・ニックス:誰も、彼になんて言えば良いのかも分からなかった。

ベンモント:みんなハウイを愛していた。バンドの中でも一番クールな男だったよ。

トム:表現のしようのない無いほどの才能の持ち主だった。ありとあらゆる弦楽器を演奏できたし、歌えば鳥のように歌った。
   レコード・プロデューサーでもあり、グラミー賞を取ったフォークのジョン・プラインのプロデューサーを務めた。
   彼はどんな希望にも応えてきた。

♪Into the great wide open♪
マイク:音楽的には、あの歌声が印象的だった。あのハーモニー。トムと完璧な調和を保った、あの素晴しい歌声だ。(??)

トム:殿堂入りのセレモニーの後、みんなで話しているとスティーヴィーが尋ねた。
   「ハウイはどこ?会いたいわ。」
   彼女は電話をしてみたらと言った。妻のデイナが電話で「ハウイ、みんな居るから、いらっしゃい」と言った。
   彼は良い雰囲気で入ってきた。とても優しいたたずまいで、しばらくそこに居た。
   そして彼が帰る時。ドアの所で「さようなら」を言った刹那、ぼくにはなぜか分っていた。ぼくらはもう会えないだろうと。

   ハートブレイカーズにとって、言いようのない悲劇だった。あんな、素晴しく、いいやつを失ってしまうなんて。

Round Trip

(1993年)
ロン:ぼくは、この辺でやめなきゃと思ったんだ。予定はひどく立て込んでいたし。
   ぼくがやめることに、バンドのみんなは同意してくれたし、その後も友達として接してくれている。
   だから、2001年にはもう一度バンドに加わるって予定になっている。クールだろ。
インタビュアー:本当ですか?
ロン:冗談だよ。

トム:何が冗談だよ。夢が現実になったんだ。

ビル・フラナガン:ハートブレイカーズの本当に興味深い点は、ロンが戻ってきた事だ。
   予約席に座るように。その時はその意味をつかみかねていたが、
   ハートブレイカーズは本当の意味での「バンド」なのだ。大方のバンドはどっかの誰かを連れてくるものなのだが。

♪Have love will travel♪
ロン:殿堂入りのセレモニーで、バンドとライブでプレイした。本当に良かったよ。
   それから、[The last DJ]でも何曲かプレイし、セッションの最後の日、トムが尋ねた。
   「今度の夏は何、予定は?」
   「特にないけど?」
   「じゃぁ、一緒にギグをやらないか?」

トム:ハートブレイカーズとしては、知らない人をオーディションして入れるつもりはなかった。
   そんな事をしたら、すべてがぶち壊しになってしまうと思ったんだ。

スコット:ロンは天からの授かり物だ。ほんとうに助かっている。

トム:ロンがバンドに戻ってから最初のギグをやることになった。ロンがテーブルをライトの方に置いているから、
   からかってやった。「メモはどこに置くんだ?」
   すると彼は「メモは必要無いよ。」
   「まいったな。俺、メモが要る。」(??)

ロン:大好きな、古い友達とまたプレイできるなんて、ほんとうにラッキーだよ。

ビル・フラナガン:[The last DJ]には新しいものがたくさん含まれている。
   あらためて目をひらせてもらったよ。この10年で、誰の作品よりも興味深いアルバムだ。

♪Big weekend♪
トム:[Highway Companion]は数ヶ月で出来上がった。ジェフ・リンとの共同作用、再び。
   彼とは10年以上前に一緒に仕事をしてつるんだ後、ずいぶん長い間会っていなかった。

ジェフ・リン:前回とはまた違う感じの曲になった。彼はぼくのために演奏してくれて、思った。
   「最高。いいじゃない?」ぼくが手に入れることなんて、なかったよ。

♪Saving grace♪
トム:[Highway companion]は、満足の行く仕上がりになった。気楽に作り上げた。
   ハートブレイカーズのアルバムは、もっとお仕事っぽい。何人かが強い意見を持って関わるわけだからね。
   このアルバムでは、個人的に、そしてシンプルに、アコースティックを基礎にして作り上げた。

♪Flirting With Time♪
トム:いつでもぼくは、コンサートをやり続けてきた。そして、グループとしての歌を見出してきたんだ。
   マイク・キャンベルやベンモントとは、いつから一緒にやっているのだろう。ぼくが18?19?

   ベンモントは非凡な人物だ。頭の中の音楽を指の動きに反映させるのに、なんの苦労もしないタイプの、
   才能豊かな音楽家なんだ。あいつにとっては、ごく単純なことなんだけどね。
   美意識に関しては、かなり高潔。どんないいかげんさも、許容しない。普通、あとに響かないか気にするような時でも、
   あいつは手厳しいんだ。

ベンモント:バンドの一員であることの面白さは、だれかが望む通りなだけで居るわけではないと言う事だ。
   バンドにはもちろんリーダーが居るが、ぼくにはぼくの意見がある。

(ベンモントとトムがなにやらプレイについてわぁわぁ言っているが、Fワードが多過ぎて翻訳不能)

ベンモント:トム・ペティのバック・バンドで、ピアノを弾いてるって感じじゃないな。そいつが居るバンドの一員って感じだよ。

トム:ここで、[Highway companion]から、アメリカの南部を歌うナンバーを。”Down south”
♪Down south♪

トム:マイクはもう一人のキャプテンになった。ぼくに出来ないあらゆる事をカバーしてくれた。
   彼は極上のミュージシャンであり、たくさんの事に教えてくれた。ぼくはギター・プレイの多くも、彼から学んだ。
   時として、マイクはいわゆる「ギタリスト」っぽくなくふるまうことがある(??)。派手なタイプのプレイヤーじゃないんだ。
   でも実際にはどんなギタリストも彼には敵わない。
   あいつはレコーディングも大好きだ。たくさん書いているし。

マイク:ぼくが自分で曲を書くこともあるけど、トムが「それいいじゃん」って事になる。

トム:ぼくが全然だめな時期は、どっか他へ行って大ヒットを飛ばしたりする。

マイク:もったいないような気分だよ。ビートルズを見た時は、夢のような、まるで神様のような遠い存在だった。
   その彼らと出会って、一緒に仕事をする。トムと、彼らと一緒にプレイするだなんて、ほんとうに幸運だよ。

トム:ベンモントもそうであるように、マイクの存在なしに、バンドは存在しない。
   ぼくらは一心同体なんだ。

Rock & Roll Heaven

♪I won’t back down♪
マイク:バカはやらかさないあいつの隣りに、いつも居られるなんて、幸福だよ。
   あいつは何があっても、いつも正しい選択をする。

ジョージ・ハリスン:ぼくにとって、彼は最高の男の一人だね。
   トムは、仲間っていうものがどういうものかよく分かってるって、みんなそう言うだろ?

デイヴ・グロール:トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズみたいなバンドなんて、ほかにない。
   たまに「ビートルズみたいだ」とか、「いや、ジョン・レノンだろ!」とか…色々言うけど、結局、ただイケてるって事なんだ。

♪Mary Jane’s last dance♪
ジミー・アイヴィーン:1978年以来、彼はアメリカを魅了してやまない。

リック・ルービン:世界じゅうで様々な事が起き、新世紀を迎えても、
   多くの若いソング・ライターがトム・ペティを意識している。彼の中に真実を見出しているからだ。

スティーヴィー・ニックス:彼にはいつも夢中にさせられる。あれ以上のバンドは考えられないし、
   トム以上のパフォーマーも想像がつかない。

デニー・コーデル:彼はインスピレーションを得る限りは、続けるだろうね。

♪Mystic eyes♪
ロン:ステージ上のトムを見ていると(????)。

スコット:彼は音楽にすべてを捧げている。

デイヴ・スチュワート:トムはずっと曲を書き続けるだろう。ぼくらは年を取ってしまっても、それだけはきっと、変わらないんだ。

エリオット・ロバーツ:20代になっても、40代、60代になっても、その目が輝いているってのがあるだろう。
   トムはその輝きを持っている。

ウォーレン・Zanes:トム・ペティはずっとバンドを成長させてきた。
   ソロ・アルバムを作ったとしても、バンドはそれとまた相まって発展して行く。
   強すぎるリーダー・シップのもとでは、たいていは親しみを保つことが出来ない。
   でも、彼はリーダーとしてバンドを率い、発展させ、さらに仲良くやりつづけている。
   それを30年も。それができてしまったと言う事を、私たちに証明して見せたんだ。

♪Learning to fly♪
インタビュアー:30年にわたって成功を収めてきた事は、驚きですか?
トム:驚きだな。そんな事、ぜんぜん考えてこなかった。
   家族と同じで、みんなと一緒にやっていくのが、ただ大好きだっただけなんだ。
   「長かったですね」とかよく言われる。
   「ああ、ほんとうに長かったよ。」30年もやりつづけたなんて。

スティーヴ:ずっとやり続けたいな。いつまでだって、大歓迎さ。

トム:どんな事があっても、ライブに来てくれるお客さんがいるということは、とっても幸福なことだ。

マイク:バンドを長くやって行こうとするにはどうすれば良いのかは、よく分からない。
   多くのロック・バンドが挑戦して、挫折してきた。これからの一週間だってもつか、分かったものじゃない。

ベンモント:これからの30分だってどうかな。ツアーのたびに、これが最後なんじゃないかと思う。これっきりじゃないかって。
   でも、まだプレイができている。ぼく自身が望むように、聴衆も望んでくれているんだ。
   トムとマイクとぼくがバンドを組んでいる限り、きっとそのままで居られるんだろう。

トム:もはやただの仕事ではない。よく誰かが、残りの人生をツアーに費やすのはどうかと言う。
   ロック・バンドとしてプレイし続ける ― それを止めることだって、可能だろう。
   でも、ぼくにとっては大海原に漕ぎ出した船乗りのようなものなんだ。二度と帰ることはできない。
   止めることなんて思いもつかないんだ。

エディ・ヴェダー:ミルウォーキーで共演した時のことだ。何曲か演奏して引っ込む時、
   ぼくは隣にいた彼に言った。「ありがとう、トム。」
   大観衆がみんな興奮していて、凄い光景だった。みんな最高にハッピーだった。
   それでトムが言った。「見ろよ、エディ。ロックンロール・へヴンだ。」
   「ああ、この地上こそがな!」 (Yeah, here on earth ! )
   「その通り!」

♪Runnin’ down a dream♪ 


End


                                   フレームが表示されなかったら、こちらをぽちっとな。