back next list random home back next list random home back next list random home

                                                            

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10

 パフォーミング・ソングライター 2007年 9月号 ベンモント・テンチ

 Keyboard Benmont Tench of Tom Petty & the Heartbreakers
(Performing Songwriter September/October 2007) by Chris Neal


 ハートブレイカーズのキーボード、ベンモント・テンチに最近の様子,目標を尋ねてみた。
「何かを学び取ろうとしているんだ。」彼は言った。「どうしたらもっと良い演奏が出来るのか、思い浮かぶことをどう手に伝えるのとかね。」
 53歳になったテンチだが、彼が12歳で地元フロリダ州ゲインズビルのミュージック・ストアで、トム・ペティと出会った時と同じように、音楽的限界に挑戦し続けているようだ。大学をやめてペティのバンドに入ってから30年以上、ハートブレイカーであり続け、さらにそれ以上の存在でもある。1980年代初頭以来、人気のセッション・キーボード奏者なのだ。最近では、ジョー・コッカー,ベン・リー,パウダーフィンガー,ゲフィン・ハウスなどに参加している。そしてまた、カントリーの作曲者としても成功しており、ロザンヌ・キャッシュ,Hal Ketchum, ジェシカ・アンドリューズなどのヒット曲の作者,共作者でもある。
 しかし、最近もっともテンチが熱心なのは、いつもロス・アンジェルスのナイト・スポット,ラルゴでフィオナ・アップルや、Jon Brion, Nickel Creekのショーン,サラ・ワトキンスのようなミュージシャンと気楽に集まってプレイすることだ。
 「まだ成長できるのか、何かが出来るのか、見てみたいんだ。」テンチは語る。「音楽的な集まりの中からや、いろいろな人が集まる所、互いの演奏を助け合う事などから、何事かを見出すんだ。」
 そうは言っても、テンチの基本にはハートブレイカーズがある。グループは今、回顧モードに入っている。伝説的な監督ピーター・ボグダノヴィッチによるドキュメンタリーと、コーヒー・テーブル・ブック,Runnin’ down a dreamは、11月に発売される。
 テンチは、カリフォルニア州Tarzanaの自宅に腰を落ち着け、ハートブレイカーズとしてや、ストーンズとの仕事、絶え間なく成長し続ける彼の力量について語ってくれた。

何があなたを新しいものにかき立てるのですか?

 劣等感(笑)。羞恥心。ひとに知られたい物じゃないね。

まさか、最近はそうでもないでしょう。

 そうなんだよ。画家にしてもジャズ・ミュージシャンにしても、いつもより良くなろうと努力するものなんだ。いつも発展し続けている。でも、ロックン・ロール・ミュージシャンはそうではない。ツアーでもオールディーズでかたをつけ、決まりきっている。どうしてかは知らないけど。もっと発展する余地があるはずだ。様々な本があるのと同じように、異なる作曲者が居るし、ソングライターによって、シンガーによっても違う。それなのに、どうして自分を制限してしまうんだろう。

どのバンドにも言える考え方ですね。

 その通り。

どのようにして、トムとマイクがハートブレイカーズの歌をすべて書くことになったのですか?

 1970年代のはじめ、ぼくらはフロリダでバンドを組み、ぼくやギターのダニー・ロバーツも曲を書いていたし、トムはマイク抜きで書いていた。でも、レコーディングをしようとなると、トムの曲はほかのより抜きんでていた。1975年にハートブレイカーズが結成された時、トムは自分の曲に集中したがった。ぼくは構わなかったよ。単に自分の楽しみで書いていただけだから。特に野心があったわけじゃないんだ。トムは誰かが書いた歌詞で歌いたがらない。自分自身の気持を歌いたいから。誰かからの手助けは必要無いんだ。

トムが曲を持ってくると、あなたがプレイをするに当たってはどの程度の自由度があるのですか?

 場合による。[ The Last DJ ] の時は、デモが細かく出来上がっていた。この場合は、やることがはっきりしている。それから、トムが曲をピアノで書いた場合 ― “Breakdown”, “Don’t do me like that” なんかでも、ピアノのパートが出来上がっている。でもそれに対して “Refugee” なんかはデモには、まだ何も入っていない状態だった。ラテン音楽みたいに、パーカッションが多くて、けだるい感じだった。スタンとぼくが入ったセカンド・バージョンでは、すっかり変わっちゃって!(笑)変化あり。トムはオープンなのさ。

ハートブレイカーズが、トムのソロとして録音された曲をプレイする時、スタジオで他の誰かが録音した物に対して、あなたはどのようなアプローチをするのですか?

 発展させるね。最初にトムがジェフと(Full Moon feverを)作った時、彼はぼくにジェフがプレイした通りにするように、強く望んだ。でも時を経るにしたがって、崩れてきている。 “Runnin’ down a dream“ なんかは、ぼく独自の安酒場プレイみたいなものをしている。この曲の録音には、キーボードの音は聞き取れない。だからぼくは独自のやりかたでピアノを弾き、上手く行っている。他の誰かのプレイをコピーするのは、楽しいことではない。 でも、その出来が良くて、作曲者の望む形であれば、そのとおり演奏したくなる。そして、聴衆にその良さが伝わるようにプレイしたくなるんだ。

あなた自身のソングライティングは、そのほとんどがカントリーです。どのようにして、カントリーに入れ込むようになったのですか?

 小さい頃から、よく歌を作っていたけど、音楽のジャンルがどうこうと分けて考えたことは無かった。ロックンロールは、バディ・ホリーの時代から ― とりわけ、レノン‐マッカートニーなど、自分自身で曲を書くのが普通だった。その点、ナッシュビルでは外部のソングライターに対してオープンなんだ。昔も今も、ライターの町であり続けている。

最近のステージ・セットアップはどうしていますか?

 左手から時計回りに言うと、Wurlitzerを上に置いたハモンドC3, その右手にヤマハのグランド・ピアノ。上にシンセサイザー。アナログか、デジタル。Chamberlinのサンプリング音を出すのとか。ハモンドの真反対側で、グランド・ピアノの右には、VOXコンチネンタル・オルガン,その上に、Wurlitzerと、ヤマハのDX7。Wurlitzerを二つ配置するのは、中々良い。両方を別の楽器として使いたい時もあるからね。

年を経るにしたがって、アレンジは進化して来ていますか?

 変化している。変わらないのは、ピアノがいつもと同じ所に置いてあり、ハモンドの上にシンセとWurlitzerが載っていると言う事。ぼくはハートブレイカーズがツアーを始めるまでは、ハモンドを持っていなかった。それで、時々ヴォーカルの穴を空けることになっていた。”Breakdown” にはバック・ボーカルがたくさん入っている。スタンリーとぼく、時々ロンもハーモニーを歌っていた。でもハモンドならそこに他の感触を入れこめたんだ。

ロンがバンドに戻って来て、どうですか? [ ブレアは21年間の不在の後、2002年にハートブレイカーズへ復帰した ]

 最高だよ。素晴しいベース・プレイヤーだし、よく尽くしてくれてる。最初にバンドを始めた時、どうプレイするかのアイディアは、ロンのプレイに集中する事で得ていた。

ロンが戻って来た時や、スティーヴ・フェローニがスタン・リンチと交代した時、彼らの影響でラインナップはどう変わりましたか?

 フェローニとリンチの間で共通しているのは、唯一ふたりともグレイトだってことだけ。違うスタイルを持っていて、どこにビートを据えるのかも違っている。スタンはみんなと一緒に ― もしくはぼくと一緒になって、潮が満ち引きするようなプレイをしていた。
 スティーヴはもっと精密なんだ。スティーヴが叩くのに、こっちが合わせて行く。実際、ぼくはスティーヴが入った時にメトロノームを使って練習した。それくらい、正確なんだ。それでぼくもより正確なプレイヤーになった。スティーヴと ”Runnin’ down a dream “ をプレイするまでは、ほんとうにライブをこなしたって事にはならないよ(笑)。
 これって物凄い事だよ。時々、右手で八分音符を弾いて、どのくらい長くできるか試してみている。キャンベルが長いソロをプレイすると、フェローニが長い間ビートをしっかりと固定する。凄いよ。

セッション・プレイはどのように始めたのですか?

 (プロデューサーの)ジミー・アイヴィーンがある日電話して来て言ったんだ。スティーヴィー・ニックスとソロアルバム(1981年 Bella Donna )を作っていて、ぼくに興味があるかって。フリートウッド・マックを聴いてクールだとは思っていたけど、スティーヴィー・ニックスのソロに関してはよく知らなかった。それで(フリートウッド・マックの)B面だった “ Silver Springs “ を聴いてから(ジミーの所に行き)、「OK.。彼女がこう言うのが出来るのであれば、参加するよ」と、答えた。
 スティーヴィーは自分で書いたのだけど、フリートウッド・マックではやらなかった歌のカセットを持っていた。彼女はそのカセットの箱をぼくにくれた。それで、ぼくはどの曲が好きかを言ったんだ。おおよそ、30曲ぐらい。
 それでスティーヴィーとぼくと、ロリ(・ペリー。バックグラウンド・シンガー)、シャロン(・セラニ)はピアノの周りに座って、演奏し、歌ってみた。そうして、必要な事やハーモニーをどうするかなど、細かいことを決めて行った。素晴しい経験だった。

素晴しいセッションに参加する事に関して、バンドで話し合いなどはありましたか?

 うん。長い間、OKしてもらえなかった。ハートブレイカーズ最初のアルバム数枚の時期は、それほどセッションの話はなかった。思い出すのは、セッションをたのまれると、トムやマネージャーに引き留められた事だ。つまり、「駄目だよ、バンドをだいじにしなくちゃ」って。それはそれで良かったんだ。
 でも、バンドにいて空き時間が出来ると、何かすることが必要になる。それにより上手になる機会を得れば、モノにしなくちゃ。もしジミーが「ボブ・ディランと仕事をするんだ。一緒に来るかい?」と言えば、行くだろう。スティーヴィーでも同じことだった。

セッション・ワークを受け入れて貰うのは大変でしたか?

 人間関係的よりも、音楽的に難しかった。ハートレブレイカーズで言うと、メンバーはみんなずいぶん長い付き合いだった。ぼくがスタンに会ったのは、スタンの17歳の誕生日だったし、ぼくがトムに会ったのはぼくが12歳の時。マイクに会った時は18だった。連中との関係には、長大な歴史がある。それに対して、セッションとなると、入って行った部屋には知らない人ばかりだ。ぼくはかなりシャイでね。

ローリング・ストーンズのレコードでいくらかプレイしていますね。(1994年の)Voodoo Loungeに、(1997年の)Bridges to Babylon。どのような経験でしたか?

 本当に特別だった。まるで子供みたいに授業をうけたようなものだよ。でもぼくは、ストーンズやビートルズとは離れたところで、ピアノを習っていた。ラッキーなことに、リック・ルービンがプロデュースしたミック・ジャガーのアルバム(1993年 Wandering spirit)で少しプレイしていたから、入って行き易かったよ。ドン・ウォズがVoodoo Loungeのプロデュースをしていて、何曲かのオーバーダビングに、ぼくを呼んだ。ぼくは一曲にピアノを弾き、他のにはアコーディオンを入れている。
 それから、Bridged to Babylonでは、実際にストーンズのメンバーと数曲やったんだ。ストーンズのノリが大好きなんだ。ぼくにとっては、心臓バクバクものだった。(ドラマーの)チャーリー・ワッツとプレイするなんて、9ヤード走るようなものだ。彼らは親切だったし、楽しかった。そして実に美しいプレイをした。

スタジオでのディランはどんな感じですか?(テンチはディランの Shot of Love と、 Empire Burlesque に参加している)私の印象では、いろいろ指示を出す方ではないと思いますが

 音楽には、コミュニケーションを取るのに言葉は必要ない。ボブとは、ただ聴いてとび込、当たりを掴む。いろいろな方向性が生まれるのだけど、彼が求めるものを彼自身がしっかり分っていることも、はっきりするはずだ。その求めるものを攫めば、彼はちゃんとそれを知らせてくれるよ。

最近、あなたはショーン&サラ・ワトキンズとプレイしていますね。二人ともあなたより20歳も若いのですが。若いミュージシャンから何かを学び取るのは大変なことですか?

 いいや。ハートブレイカーズを始めた時スタンがドラムを叩いていたけど、ぼくより何歳か年下だった。スタンはいろいろな楽器を演奏できる優秀なプレイヤーで、ぼくはすぐに彼から学んだんだ。だから誰が何歳かは問題じゃないと思っている。

長年にわたる、ハートブレイカーズ内の人間関係は変化したと思いますか?

 ある意味、変わっていない。早い内に関係が出来上がっているからね。ぼくはバンドの中で一番若かった。ぼくはいつもそういうポジションで、OKだった。
 でも、いまやお互いの事をより一層よく分かっている。ぼくらには寛容さがあって、少しはお互いの立場に立てるようになっている。何か困難があっても、ひどく真剣には捉えない。連中はただ一緒にプレイするだけで、最高なんだ。それにぼくは今でもトムが歌に加わるのが好きだ。本当に、彼が書いた曲を聴きたいし、それをモノにしたいと思ってる。

そのプロセスがいまだにエキサイティングだというのは、イカしてますね。

ああ。それに関しては真剣にそう思うよ。



→ インタビュー集 目次へ