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 ヴィンテージ・ギター・マガジン  2006年11月 マイク・キャンベル (全文)
  
VG:最初に触れた音楽はどんなものですか?

MC:そうだな、ぼくの最初の音楽体験と言えば、家で父親がかけていたレコードだ。だいたい、エルヴィスとか、ジョニー・キャッシュとか、その類。

VG:その頃から、特に印象に残っている歌はありましたか?

MC:”I Walk The Line”。バディ・ホリーの”That’ll Be The Day”、”Fool’s Paradise”、それからエルヴィスの曲がたくさん…エルヴィスと、スッコティ・ムーア,コンビの素晴らしい作品群。

VG:それらのアルバムは、すべて様々なギターリフや、パートがあって、ガツンと来たのはありませんか?

MC:そうだな。ずっとルーサー・パーキンスが好きで。あのレコードの音や、フィーリングがね。自分でも、ギターをああいう風にチューニングしていたんだ。ギターがまだ弾けなかった頃でも、スコッティ・ムーアとかのサウンドが大好きだった。
 もちろん、バディ・ホリーのギタープレイも。音と、その精神に魅せられたんだ。

VG:ギターが欲しいと言い出したのは、何歳の時ですか?

MC:16歳だったと思う。父は空軍の仕事で沖縄にいて、そこで60ドルのゴヤのエレキをみつけて、それをぼくにくれた。最初の3年間ぐらいは、そいつがぼくのメインギターだった。まだ手元にあれば良かったんだけど。

VG:いつなくしてしまったのですか?

MC:ストラトキャスターを入手した時に、友達にあげちゃったんじゃないかな。

VG:メル・ベイ教則本も、ゴヤと一緒に手に入れたのですか?

MC:別の機会に自分で買ったはずだ。ただ、一番よく覚えている教則本は、カール・ウィルソンのコード・ブックだな。何年後かに彼と会ったとき、あの教則本を持っていると行ったら、カールは「本当?父と一緒に作ったものなんだ。それほど大した事は書いていないと思うけど」と言った。
 でも、ぼくはあの本がお気に入りだ。何せ彼自身の手で、いかにしてコードが作られるか、図解で解説してあったのだから。

VG:もっとも初期の音楽的影響という事ですね?

MC:そう。まさにその通り。カール・ウィルソンには多大な影響を受けた。もちろん、ぼくらの時代は60年代半ばに入っていたから。ビートルズやビーチボーイズ、彼らにもまた大きな影響された。まさに巨大な影響。
 ぼくや、ぼくの世代のすべてが…ギターにのめりこむ偉大な時代だったんだ。

VG:最初に弾けるようになった曲は何ですか?

MC:最初にギターで弾けるようになったのは、”Baby let me follow you down” 友達がボブ・ディランのレコードを持っていて、コードを教えてくれた。それで、何曲かディランの曲を練習した。ぼくが練習した曲といえばゆっくりした曲で、ギターパートが良く聞こえるものだったんだよ。

VG:その頃、コードを弾くのと、ピッキングでソロを弾くのを同時に練習していたのですか?

MC:最初はコードから始めて、卒業したら、メロディ、リードギターへと進み、そしてレコードを聴きながらピックアップにも挑戦した。一番よく練習したレコードは、ポール・バターフィールドの、マイク・ブルームフィールドと一緒にやった、ファーストアルバムだった。あれで弦を引っ張る奏法を習ったんだ。ブルームフィールドがゆっくりやってるのを聞いて、思ったね。「ああ、このサウンドを得るには、弦をこうしなきゃならないのか。」沢山のフレーズや音階も勉強できた。
 彼がレコードで披露したやり方が気に入っているんだ。そいつをゆっくりと練習して、彼がやっているようなのを目指した。

VG:最初にバンドに入ったのはいつですか?

MC:そうだな、兄弟とかとガレージでやったりしたけど、実際にはゲインズビルでトムと出会うまで、バンドに入った事はなかった。カレッジに行くまでは、ってことだ。
 トムはマッドクラッチというバンドにいて、カントリー・ロックみたいな音楽をやっていた。それで大学のまわりでよく演奏していた。
 実際は、ぼくもスリー・ピースのブルース・ジャム・バンドをやっていた。でも解散してしまって、そのときにマッドクラッチのバンドメンバー募集広告を見た。ドラマーを探していたんだ。それで、ぼくのバンドのドラマーに、教えてやったんだ。「応募してみろよ」って。
 それでそいつはマッドクラッチの連中を家に呼んだのだけど、今度はギタリストが辞めてしまったって事になって、そいつが「ギターが弾けるヤツなら居るけど」と言った。それでぼくが引き出され、二人してマッドクラッチ入りした。

VG:入るのをよそうとするあなたに、トム・ペティが強く入るように言ったそうですね。

MC:ああ、そうなんだ…それはベトナム戦争への志願兵募集の時にさかのぼるのだけど。ぼくは学校の単位がひどくて、落第したら召集だなと思っていた。
 父は空軍だったから、ぼくが空軍入りの手続きをすれば、配属先は好きな所を選べるようにしてやると言っていた。それでどの道を進むか選ばなきゃならなかったのだけど、まだ自分が本当はどうしたいのかがよく分からなかった。
 ぼくが空軍入りを検討し始めた時、トムがぼくにバンドに入るかどうか尋ねた。それで「ああ、学校もあるし、空軍入りの手続きをしようと考えているところなんだ。」と言った。そうしたらトムが言った。「ばっかじゃねぇの?バンドに入るんだろ!(Are you crazy? You’re joining this band.)」そこで全てが変わってしまった。

VG:でも、まだ学校には在籍していたのでしょう?

MC:うん、秋学期は終わっていたけど、バンドのライブを始めてしまったから、学校には戻らなかった。
 丁度そのころに、空軍の派遣通知が来て、身体検査を受けたのだけど、審問で落とされてしまった。その上、体重が基準を下回っていた。それでとりあえず一時的に徴兵免除になったのだけど、二度とお呼びがかからなかった。
 そんなわけで、トムがぼくに空軍ではない人生を選択させるようになってしまった。

VG:マッドグラッチは、次にどうなりました?

MC:デモを作って、沢山のレコード会社に送った。殆どが送り返されてきたけど、ロンドンと、デニー・コーデルのレーベル、シェルターだけが違った。それでぼくらははお金を貯めて、ロサンゼルスへ向かう前提として、タルサへ向かった。そこでコーデルと会い、シェルターと契約した。
 レコードを作りはじめて気づいたのだが、ぼくらはまだまだ青かった。まだレコードを作るほどの準備が出来ていなかったんだ。それでトムは曲を書き、そしてバンドのリーダーシップをとり始めた。神に感謝だよ。何せそのときは誰もバンドの方向性を持っていなかったのだから。ぼくらはもがき苦しんでいた。実際、マッドクラッチの何人かはスタジオ入りできなかったし、バラバラになってしまった。

 スタン・リンチとロン・ブレアは当時、フロリダの別のバンドでプレイしていたのだけど、そのときはロサンゼルスに来ていた。それでぼくらは会ったりして、ベンモントは彼らとデモを作っていた。トムが「悪くないよ。やってみよう。」と言った。
 そうして、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズが、傍にいた人で構成された。でも、トムが野望に燃えて結成したっていう感じではなかった。それはむしろデニーだったと思う。彼は言っていた。「とりあえずトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズと呼ぶ事にしよう、そのうち実態がそうなる。」どうやらそうなりそうだった。

VG:それ以来あなたは、トムがあなた抜きではスタジオ入りが気が進まないという程の、ギター・プレイヤーになった訳ですね。

MC:まぁ、幸運なことに。

VG:ハートブレイカーズのアルバムの中で、お気に入りのアルバムは何ですか?

MC:そうだな、ファーストアルバムは大好きだ。このアルバムでぼくらがどうなっていくのかを発見したアルバムだから。それに、曲も良かったと思う。トムは先頭に立つことに目覚め、ぼくらは若く理想にあふれていた。だから、ファーストアルバムには希望に関する歌が沢山はいっている。自分たちのサウンドと、グルーヴと、方向性を模索していた。”American Girl”や”Breakdown”のような曲は今でも色あせない。
 「破壊」は、突破口になったアルバムだ。ジミー・アオヴァインが入ってプロデュースをし、ビッグ・ヒットにも恵まれた(Refugee)。これで名が知られるようになったんだ。
 新譜も好きだ。「ハイウェイ・コンパニオン」は、とてもクールだよ。1994年にリック・ルービンと作った「ワイルドフラワーズ」も好き。リックは一緒に仕事をして楽しかったから。ああ、それからもちろん「フルムーン・フィーヴァー」もお気に入りだ。ジェフ・リンとはじめて一緒に仕事したアルバムさ。あれは本当にエキサイティングな時代だった。


VG:「ハイウェイ・コンパニオン」では、どのギターとアンプを用意したのですか?

MC:面白いレコーディングだったね。本当にプレイする人は三人だけだったんだから。ぼくと、トムとジェフ。ジェフの家のスタジオで仕事をした。殆どの録音が、アコースティック・ギターを基礎にしている。アコースティックで大体の曲を構成して、他の楽器をオーバーダビングしながら仕上げた。
 普段は、ジェフのキッチンでやった。スタジオの隣りなんだよ。まずアコースティックだけで、土台を作るんだ。大体、三人揃ってか、トム一人かで、歌に沿って録音。色々なギターを使ったな。ジェフは古くて素晴らしいストラトキャスターを何本か持っていた。そして、何ヶ月かするうちに、ぼくらのギターで、ジェフの家が一杯になってしまった。毎日のように、ぼくらは別のギターを試そうと持ってきたからね。しまいには、ジェフも耐えられなくなっただろうな!

 とにかく、ぼくらはストラトキャスターを多用した。それから、ギブスンを何本か。エレキにしろ何にしろ、あのレコーディングで良かったのは、ダイレクトに録音したことだ。その上、ジェフのところにはスタジオとはまた別の建物に、30フィートも高さがあって、木造の部屋があった。素晴らしく木のぬくもりのある音がする。
 ジェフは黒いフェンダー・チャンプと、マイクをそこにセッティングした。ぼくらはギターをオンにして部屋を歩き回り、一番良い音が録れる場所をそれぞれの曲ごとに探した。そんなわけで、殆どのギターソロは、多きな部屋のちっぽけなアンプで録音した事になる。


VG:あなたが演奏したアコギはどれですか?

MC:いろいろあるけど、マーティンが殆どと、ギブスンが少し。トムはマーティンの新しいシグネチャー・モデルを持っていた。他にも少しだけ。ギブスンのJ-45シリーズが何本かかな。殆どの曲は1本か2本のマーティンを使っているだけだ。

VG:シグネチャーモデル以外のところでは、60年代のギターの話も…

MC:70年代の12弦も少し。オヴェイションの12弦も、硬い音で用いている。6本は普通の弦の張り方で、あとの6弦を強く張っているんだ。こういうのを、ナッシュヴィル・チューニングと言う。3本ぐらいは使っているかもしれないな。でも、特にヴィンテージというアコギは使っていないと思うよ。

VG:アコギのコレクションの中でも、「これは」というものはありますか?

MC:そうだな、Highway Companionで使った、新しいマーティンは凄く良い音がするよ。特に選ぶとしたら、古いD-28かな。それから、1940-00-18も持っている。リック・ルービンのお気に入りだ。ジョニー・キャッシュのアルバムに参加したときも含めて、リックとの仕事の時はこれを使った。そんな具合に、古いヴィンテージ・ギターを愛用している。
 リックと仕事をした数年は、アコースティックの場合、ジョニー・キャッシュの新譜の場合も、AmericanVを使っているな。殆どの場合がそうだ。スモーキー・ホーメルとか、マット・スウィーニー、ジョニー・ポランスキーとかが居た。ベンモントは随分沢山キーボードを弾いているし。かなり良い感じのアコースティックだったね。


VG:トムとあなたが最初にリックと仕事をしたのはいつですか?

MC:リックの仲間に引きずり込まれそうになる時期があったんだよ。あるツアーの最中に、リックからメッセージをもらったんだ。当時、リックと仕事をしていたミック・ジャガーに提供できる曲があっるか、って言うんだ。妙な事を言い出すなと思ったよ。でも興味をそそられた。それでツアーから帰ってきてから、リックに電話した。「トムが使う気のない曲がいくつかあるよ。もし聞きたければ聞かせるけど。」と言ったら、リックはミック一緒にうちに来た。
 リックと会ったのはそれが初めてだった。それで、何曲か提供した。ミックもいくつか気に入ったけど、結局使わなかった。それで、ぼくは次にトムに会った時、こんどはリックと仕事をしてみたらどうだろうと言った。「良い曲を見出すことに関しちゃ、かなり鋭いよ。それにノリもなかなかクールだ。」こうしてぼくらは一緒に仕事をすることになった。

 ぼくがリックとミックに提供しようとしていた曲は、”You wreck me”で、トムはその存在はすっかり忘れてしまっていた。ぼくらとリックが一緒に仕事を始めて、曲を集めようとしていたとき、丁度ミックもこの曲に入れ込み始めた。「このマイクの曲、いいな」とリックが言って、トムに回す事にしたんだ。トムは前にもその曲を聞いた事を忘れていたんだろうな。
 つまり、リックと組んではじめて、トムはこの曲にピンと来たらしいんだ!(笑)ある曲が巡り巡って、やっと落ち着くべきところに落ち着くだなんて、おかしな事もあるものさ。
 ともあれ、ぼくはこうしてリックと息が合って来た。彼との仕事は、ジェフと仕事をした時みたいに良い感じだったよ。ジェフのやりかたはすごく面白かった。ただし、実際にロックをプレイする時とは対照的に、いくつもの録音パーツを組み上げていくと言うやり方だった。リックとやるに当たっては、バンドの生演奏に立ち返りたかった。彼はそれを上手く受け止めてくれたし、新しい方向性でもあった。


VG:あなたの眼から見て、トムのソロと、ハートブレイカーズのアルバムの違いは何だと思いますか?

MC:大雑把に言えば、ハートブレイカーズの場合はバンド全員をセットアップして、同時に録音する。一方、トムのソロアルバムの多くはもっと細かい部分に分かれていて、それを組み上げて行くんだ。それから、ソロ・アルバムは「曲集」という感じで、バンド演奏というコンセプトではない。歌とそれに付随する物語の集まりなんだ。

VG:プロジェクトごとに、意識してソロ・ギタープレイをしたりしますか?

MC:べつにこれと言っては無いけど。ハートブレイカーズのレコードにだって、沢山「組み上げる」作業も含まれているからね。
 ハートブレイカーズの録音の時は、全員が同時に歌に合わせてプレイする。要はライブ・パフォーマンスだ。そういう時の「ギター・ソロ」の場合、バンド内でのパフォーマンスであろうとするし、少しでもそういう要素があるようにしている。もし「組み上げる」タイプの録音であれば、ギター・ソロは、だいたい後になって重ね録りする。
 だから、一通り曲を聴く時間を作ることにしているんだ。どこかギターソロを入れるべき空白が無いかとか、必要ならどんな音かを検討するために。ところが、もう一方のやり方の場合はバンドとその演奏のノリで一気に出来上がっていくというわけ。


VG:どちらのやり方が好きですか?

MC:両方好きだよ。全然違うやり方だけど。どちらもインスピレーションに満ちている。どのやり方をどんなに長くやれといわれても、気にしないな。

VG:若い頃、特に必要でもないのに、「これ欲しい!」でギターを買うようなタイプでしたか?

MC:昔は、余裕がなかったから買えなかったよ。確か、ぼくが最初に買った名器は、最近のツアーでトムが弾いているストラトキャスターだ。随分長い間、ぼくらのメインギターを勤めている。
 フロリダで、200ドルで手に入れたのだけど、そのときぼくはお金がなかった。でも友達の友達が交通事故の和解金を手に入れて余裕があったんだ。ぼくは彼女に気に入ったギターがあるのだけど、買うお金がないと話した。すると彼女は「いいわよ、私が買ってあげる。お金は後で返してね」と言った。そんな訳で、ぼくは幸運にもギターを手に入れた。
 それから5年間、彼女には返金をしていなかった。ある日、彼女に出くわして言われた。「あの200ドル、覚えてる?」ぼくは答えた。「良い時に会ったもんだね!」(笑)
 思い返せば200ドルは大金だ。でもこのストラトはぼくのメイン・ギターになった。

 それから、最初のアコギも、やっぱりもらったものだった。ギブスンJ-45。ある時ライブをしたら、若い兄ちゃんが来て言うんだ。「あんたのプレイ、気に入ったよ。ジェリー・ガルシアみたいだったな。俺のギターをプレゼントしてあげるよ。」ぼくは、こいつは少し頭がおかしいんじゃないかと思った。ドラッグか何かでさ。
 それで、ぼくは彼に訊き返した。「ラリってる?」無論、ぼくはアコギを持っていなかったし、死ぬほど欲しいとは思っていたよ。そしたら兄ちゃんはこう答えた。「いいや。車のトランクに入っているんだ。実は自分では演奏できなくて。だからあんたにあげたいんだよ。」
 その兄ちゃんは車から本当にギターを取って戻ってきた。それは60年代半ばのJ-45で、ぼくは今でも多用している。とにかく、彼は本当にそのギターをぼくにくれたんだ。まったくラッキーだった。

 それから随分たつと、ギターを買う余裕が出来てきた。今ややたらと沢山買い込む。なにせコレクションするのが好きだから。それに、買ったギターは全部弾く。ぼくらは部品の良さでも買うし、レコーディングで使うという理由でも買い込む。レコードを作るたびに、違う音色が使われているだろう?それこそがまさに欲しかった音なんだ。ストラトキャスターで得られなきゃ、グレッチで得ると言った感じ。そうでなけりゃレス・ポール。暖かい中にも硬さのある音がする。これでなきゃ上手く行かないとなれば、その音のためだけにギブスンを入手するんだ。

VG:ファーストアルバムの後、「破壊」がヒットして、いくらでも買えるようになったわけですね。

MC:ある意味、建物を作るみたいな過程だったな。最初のアルバム2枚では、ブロードキャスターとレスポールを持っていた。それからリッケンバッカー660/12。120ドルした。こいつは、「破壊」のアルバムジャケットに映っている(トムが持っている)。
 「破壊」後はちょっとした儲けも出始めて、ぼくらは目にしたらその場でギターを買うようになった。最初の何年か、ツアーは「ギター・ハント・ツアー」だったね。オフの日は、質屋やギターショップに行って良いものを求めた。もうそんな事はしていないけど、それでもやっぱりギターのコレクションはサウンドを愛し、楽器を愛するってことだよね。だから、集めたギターが良く見えるように、壁にかけてあるんだ。


VG:全てのギターを把握していますか?

MC:つい最近まで、していたよ。でも、もう一度整理する必要があるな。また幾つか買ったから。ギター管理担当が、ぼくに「ちゃんとやれ」と口をすっぱくして言うんだよ。だから、ギターの写真を撮って、コンピューターのファイルに保管する事にしている。まだ全然できてないな。でも、リストはあるんだ。完全に手に負えない量だけどね!(笑)

VG:何本持っているのか、お聞きしたいのですが…

MC:ええと…分からない。100本以上。良いものばかり。実際にプレイする物しか買わない。それに、自宅のスタジオにちゃんとセット・アップしてある。ケースに仕舞い込んだりはしていない。実際、ちゃんと見えて、すぐに使えるように並んでいるんだ。ちょっとした思い付きで弾きたい時に、すぐ手に取れるようにしておきたいんだ。

VG:他のものに比べて、特に愛用しているのは2,3本というところでしょうか?

MC:妙な話さ ― ぼくのオリジナル1950年型ブロードキャスターと、64年型ストラトキャスターに、いつも行き着いてしまう。もしくは、今年買ったばかりの1本だな。ぼくの希望にちゃんと沿った楽器なんだ。ぼくにとっては、絵の具とか絵筆のようなもので、それぞれ異なった手触りや色がある。まさに必要とする音があるとき、ぴったりくる道具があるものなんだ。

VG:バンドの歴史の中で、最も重要なギターは何ですか?

MC:64年のストラトキャスター。トムが”American Girl”で弾いている。それから、幾つかのアルバムではリズムギターを担当している。今回のツアーで、ぼくはこのストラトキャスターを引っ張り出して、トムに尋ねた。「こいつを使えば?」するとトムは「ばっちりの音だな。」全てのギターにはそれぞれ良い音があるものだけど、このストラトキャスターにはことさら特異なサウンドがあるんだ。
 それから、もちろんブロードキャスターも重要だ。最初の2枚のアルバムでも使っているし、今も愛用している。この二本がぼくらのメインギターだ。


VG:最初の2枚のアルバムでは、このブロードキャスターで全てのリード・ギターを弾いているのですね?

MC:そう、”Breakdown”, “American Girl”, “I Need To Know”…殆どのソロと、リズムパートで、ブロードキャスターを使っている。それに、トムが弾いている殆どのリズムギターは、64年ストラトキャスターだ。

VG:昔、ハートブレイカーズはよくMTVに出てきました。”Refugee”のビデオで、ハムバッカー・ピックアップのついた、赤いテレキャスターを弾いていますよね?

MC:そう、あれが「レッド・ドッグ」。フロリダでぼくがギターを教えてやった奴から買ったんだ。ファズ装置がついていて、その起動ボタンが組み込まれていた。ボタンを押すと、音に格好良いオーバードライブ音がかかるんだ。
 ある時、多分トムが叩いたか何かして壊したんだな…それ以来、まったく機能しなくなった!(笑)でも、ビデオ撮影でもこいつを使ったよ。”Reugee”の録音で実際に使ったギターだったから。


VG:コレクションの中には、なんだかよく分からないリッケンバッカーがあるそうですね。

MC:そうなんだ。三つのピックアップのついた60年代半ばのモデルだ。トムが80年代に数年、ツアーで使っていた。
 よく見ると、黒くペイントされた下の、よく使い込まれた所に赤い地が見える。それから、ボディ上部の「角」部分は、誰かがカットしたみたいなんだ。本来なら、「破壊」のジャケットの12弦みたいな形のはずだけど。
 きっと誰かが、ジョン・レノンが使っていた奴みたいに見せたくて、角を削ったんだろうな。リッケンバッカー社に見せたら、「ミステリー」と言われたよ。彼らもこれが本来何なのか、分からなかったんだ。


VG:最近のギタリストで、これはと思う人は居ますか?

MC:沢山居る。生きている人から言えば、J.J.ケールからはいつもインスピレーションを得ている。それから、もちろんマーク・ノップラー。彼もまた、J.J.ケールから多くの物を吸収しているだろう。二人とも大好きなギタリストだ。彼らのすることなら何でも好き。
 それから…そうだな、ぼくが良く聴く若いバンドの連中ではそれほど居ないかな。ぼくの成長と共に引き込まれたギタリストが好きなんだ。ビートルズ、ストーンズ、ビーチボーイズ、ジミー・ペイジ、エリック・クラプトン、マイク・ブルームフィールド…彼らがぼくのお気に入りの時代だ。結局、最終的には最近の人よりは、彼らを繰り返し聞いてしまう。

VG:ジョージ・ハリスンのどんなところに、はまってしまったのですか?

MC:そうだな、ジョージはまさにぴったりだったんだ。彼はとてつもないほどぼくにインスピレーションを与えてくれたし、更に幸運な事に彼の友達にもしてもらえた。本当に凄い人だよ。ぼくのギターの弾き方は、多分ジョージのやり方に似たんじゃないかな。
 やり過ぎのではなく、歌そのものにフィットするようにプレイするんだ。だからビートルズのレコードはいつも美しいソロがあって、ただむき出しなだけではない素晴らしい音色に彩られている。あらゆる音が歌そのもののために存在するのであって、決してプレイヤーのためではない。それはカール・ウィルソンも同じだね。でも、ジョージはぼくにとってインスピレーションの頂点に位置している。ジョージや、ジョージと同じタイプの人たちだ。
 キース・リチャーズもヒーローの一人だ。同時に、マイケル・ブルームフィールドや、ジミ・ヘンドリックスも好きだ。彼らは正にべらぼうなギタリスト。でも、アプローチのしかたは違う。ジミ・ヘンドリックスとジョージ・ハリスンを比較するとなると、それは別の世界の話だ。でも、どちらにせよぼくにとっては両方ともインスパイアされる存在に変わりは無い。

 あの時代は、実に多くの、実に偉大なギタリストが居て、大好きな彼らに迫るは容易な事じゃないし、近寄り難い存在だ。でも、ジョージだけは間違いなく親しい間柄だった


VG:今回のツアーでは”Handle With Care” を演奏していますね。歌の最後のところで、あなたの演奏はジョージを彷彿とさせます。

MC:ぼくにとってはとてもエモーショナルな歌だ。それというのも…そうだな、この話をしてあげるよ。ウィルベリーズがこの曲をレコーディングした夜、トムがぼくに電話してきた。「なぁ、曲が一つ出来上がりそうだ。ボブと、ジョージと、ジェフと、ぼくとで書いたんだ。みんな、お前がギターを弾きたいだろう、って言ってるぞ。」
 ぼくにとってはとんでもない思い付きだと思ったけど、とにかく小さなマーシャルのアップを持って、スタジオに行った。
 準備をして、連中はぼくに曲を聞かせた。速攻でこの曲に参ってしまった。分かるだろう?それでみんな揃い、ジェフがぼくを急かすんだ。「さあ、とっとと…弾く。(Go ahead…play.)」
 それで、ぼくは少しだけ弾いてみたけど、すっかりビビってしまった。だって、目の前に居るんだぜ、ジョージ・ハリスンが…!(暫しの間)…ぼくはすっかり恐れをなして
しまったが、とにかくベストは尽くした。だけど最高だとは思えなかった。
 だからしまいには…つまり…ジョージがそこに座っているんだから…みんな上手く助け合いながらやっているわけで…ぼくはジョージに言ったんだ。「ねぇ、この曲ではジョージが弾くべきだよ。だって、ジョージのスタイルの方が良い感じだろう。」すると彼は、「オーケー。少しやってみようか。」と言ってぼくのアンプにギターをつなぎ、あのギターソロを演奏した。完璧だった。
 それに、ぼくはとても嬉しかった。何せ、ジョージがぼくをプレッシャーから救ってくれたのだから。だからライブでこの曲を演奏し始める時は、この尊敬の気持ちを彼に捧げているんだ。



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