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  ローリング・ストーン・マガジン 2002年 トム・ペティ (全文)

トム・ペティ,ジョージを回想する



 最初に彼に会ったのは1974年。ぼくはロサンゼルスに出てきていた。まだ来て間も無かった頃だけど。ぼくはレオン・ラッセルの所で働いていて、夜に何回かジョージやリンゴとセッションをしたんだ。ビートルズに会うって言うのはおっかなかったけど、ジョージは良くしてくれたし、何もかも包み込むようだった。それからぼくらはしばらく会う機会が無かった。
 たぶん85年か86年だと思うけど、ハートブレイカーズはボブ・ディランと一緒にイギリスでツアーをしていた。ある晩、ジョージが会いにバーミンガムにやって来たんだ。ボブは何かで忙しくて、それでぼくらは話し込む事になった。昔会った事があるんだと言ったんだけど、凄く不思議なクリックみたいなものがあったね。何だかお互いにずっと前から知り合いみたいな、それも個人的に良く知っている感じだった。それから、よくつるむようになったんだ。
 今でも、どこかにお気に入りの写真があるんだ。ぼくの誕生日の写真なんだけど、ジョージが小さなケーキを楽屋に持って来てくれて…写真には、ぼくとジョージ、ジェフ・リン、ロジャー・マッギン、ボブ・ディラン、マイク・キャンベル ― みんな大好きな人ばかりが写っている。本当に楽しかった。確か、リンゴも居たんじゃないかな。その晩は凄い嵐がロンドンに吹き荒れていたんだ。あの嵐の後、ついぞあんな経験はないね。

 ぼくはロサンゼルスに戻ってから ― 殆ど運命的にと言って良いと思うけど ― レストランに行った。『その瞬間』への歯車みたいなものかな。別に計画していた訳じゃないんだ。そうしたら、ウェイターが来て言った。
 「隣りの部屋にお友達が来ていますよ。あなたに会いたいとおっしゃっています。」
 誰の事を言っているのかは分からなかったけど、隣りの部屋に行ってみると、ジョージだった。彼は言ったよ。
「ああ、なんて不思議な事なんだろう。丁度ジェフ・リンに君の電話番号を聞こうとしていた所なんだ。 ―これからどこへ行くんだい?」
ぼくが「家に帰るだけだよ。」と答えると、ジョージは「お邪魔しても良い?」と言った。
 彼はぼくの家に来て、数日間過ごしたね。
 ジョージはしょっちゅうロサンゼルスに来てたし、ぼくもよく彼に会いにイギリスに行った。今からすぐにイギリスに行こうなんて思ったら、大変な事だろう?でも彼と一緒となると、不思議とそう大変でもないんだ。

 ほら、ジョージって友達を特別大事にしていただろう。マイク・キャンベルが言ってたよ。「自分が知る限り、だれかに会う度に何か必ず贈り物を持って来てくれる友達は、ジョージだけだ」ってね。ある時なんて、ぼくに一週間で四つもウクレレをくれたんだ。四つだよ?!
 「ジョージ、ウクレレは四つも必要ないと思うけどな。」とぼくが言うと、ジョージは「うん、でもこれは他のより良いウクレレなんだ。持っていると良い物だし ― いつ手元に無くなって必要になるか分からないからね。」って言うんだ。

 ジョージの思い付いたバンドには、みんなが飛びついた。彼が言う事には、ビートルズがそういうバンドだったそうだ。ビートルズは本当に、本当に結びつきが強かったんだ。ジョージはトラヴェリング・ウィルベリーズに、そんな風になって欲しいと心から願っていた。「パーティに行くなら、全員で行く」みたいにね。ジョージと一緒にバンドがやれて本当に嬉しかった。彼はぼくに沢山の事を教えてくれたよ。

Q:ボブ・ディランとバンドをやるというのは、どんなものでしたか?

 普通の人が聖書を引用するように、ジョージはボブを引用していた。ボブも本当にジョージを敬愛していたね。ジョージは、ボブが気付かない内にバルコニーからボブをビデオで録っていたんだよ!ボブがピアノの前に座って弾くと、ジョージはそれをテープに録って夜じゅう聞くんだ。

Q:ジョージはプライベート「ディラン・ブートレグ」を持っていたと?

 そうなんだ。ある日、ジョージはぼくらがレコーディングしている家の植え込みに隠れていたんだ。みんなが引き揚げてから、ジョージはビデオと一緒に茂みから出てきたらしい。それはボブと一緒になってやってたんだ。
 ぼくはジョージがボブをおっかながっていると思っていた。ウィルベリーズが始まった時、ジョージはそれはもうボブを尊敬していたから。
 一日目が終わろうとしていた時、ジョージが言ったんだ。
 「ぼくらはみんな、君がボブ・ディランであり、それがどういう事か全て分かっているつもりだ。でも、他のみんなと同じように君を扱うし、色々と言うよ。」
 そしたらボブは答えた。「良いね。気に入ったよ。信じるかどうか知らないけど、ぼくも君らに敬意を抱いているんだ。(ジョージのいう事は)ぼくにとっても同じ事さ。」
 ぼくはジョージに「すごいなぁ、よくあんな事をボブに言えるね」って言ったら、
「ぼくだったら、この程度の事は言えるさ。でも、君はよせよ。」って返された(笑)。
 ジョージはボブの事を「ディランは、シェイクスピアをビリー・ジョエルのように思わせてしまう。」とか言って尊敬していた。
 同時に、彼はウィルベリーズそのものをとても大事にしていたね。ウィルベリーズは始まりからしてジョージの可愛い赤ちゃんだったし、ジョージはすっかり熱中していた。ジョージは死ぬまで、自分をウィルベリーの一員だって思っていたんだ。

Q:どうも、彼は『静かな男』という訳ではなさそうですね。

 そう、ちっとも黙りゃしなかった。ジョージには言いたい事が沢山あったんだ。そうさ、本当に大量にだよ。ぼくにとっちゃ、もう笑いが止まらなかった。だって、彼は『静かな男』で通っていたんだよ?断言するけど、彼がそう呼ばれるようになったのは他の人が、大声で喋り過ぎだったからさ。要するに、騒々しい連中だって事(笑)。ある時、ジョージが言ってた。
 「ぼくとオリヴィア、それからポールとリンダが一緒に晩を過ごしたら、人は家の中に百人居ると思うに違いないよ。それ位うるさいんだから。」

 ぼくがこれまでにで会った中で、ジョージみたいな毎日を送っていた人なんて、一人も居ないな。彼は人生にいろんな物を詰め込んでいたし、決して時間を無駄にしなかった。そしていつも何かアイディアを思い付いていた。ジョージは心に浮かんだものを、何でも口に出して言うんだ。ぼくはよく彼に言ってたよ。
 「本当に、口で言わずに頭だけで考えるって事ができないんだね。」
 それから、ジョージは痛々しいほど正直だった。それが人の心を引き付けるのだろうけど、時としてそこまで率直にならなくってもと思われるくらいだった。

Q:そういう時は彼の傍に居るのは、きつかったですか?

 正直に言うよ。『気難しがり屋のジョージ』だったね。それから、時として皮肉屋でもあった。彼はいつも、真っ先に自分自身を過剰なほどの皮肉屋にしてしまうんだ。でもそんな時の彼は物凄く面白かった。

Q:彼はビートルズについて、年を経てからどう感じていたと思いますか?

知り合ってから何年かして、ジョージから聞かされた事しか分からないけど。彼はおかしな事を言うんだ。「ザ・ビートルズ。それは引き裂かれてた存在って訳でもない連中。」(笑)[翻訳不能]
 彼はビートルズを愛していた。時々は嫌になる人の事を、不満気に言ったりもしたけどね。でも彼は本当に、深く深く彼らを愛していたんだ。ぼくには分かるよ。
 ジョージの人間性の多くが、ジョンによって形作られたんじゃないかな。ちょっとした思い付きだけど、ぼくにはそんな風に思えた。彼は物凄くジョンを尊敬していたんだ。ジョージは「ああ、ジョンなら第二のウィルベリーになれただろうに。」と言っていた。
ポ ールについては、「ポールはぼくより一つ年上。今でもそう。」でも、本当にポールの事も愛してた。そしてリンゴの事も愛していたよ。

Q:ジョージ・ハリスンの歌の中で、あなたにとって最も意味深い歌は?

 まいったな。沢山ありすぎるよ。Here comes the sunはいつもぼくに大きな影響を与えてきた。Isn’t it a pityは傑作だね。

Q:彼と沢山の曲を録音していますよね?

 End of the lineは大好きだね。ジョージがあの曲を書いた時の事を思い出すよ。彼はまずピアノで作り始めた。ぼくらはまわりに座っていてね。Handle with careも好きだな。ジョージの熱中ぶりときたら、レコーディングでも、ソングライティングでも、伝染するんだ。あの情熱を抑え切れなかったのさ。
 ジョージがよくひょっこり訪ねてきてくれたことを思うと、寂しいよ。そんな晩はいつもギターかウクレレを持ってきたんだ。彼は本当によくぼくにギターを教えてくれた。ぼくがどうしてもとらえ切れなかったビートルズのフレーズとかを、やってみせたりした事を思うと、とても彼が懐かしい。ジョージは世にもシンプルに演奏して見せてくれたんだ。ぼくはそんなにシンプルだとは思わなかったら、どうしても分からなかったんだ。

 それにしても、ジョージは何て素晴らしいプレイヤーだったんだろう。彼には何とも言えない味があるんだ。ギターとなると、本物って感じだった。

Q:ウクレレもでしょう?

 ジョージは本当にウクレレに入れ込んでいた。ウクレレの音って郷愁を誘うだろう?でもジョージはそれを楽しんでいた。ぼくは彼があの音の良さを発見した時、そこに居合わせたんだ。それからはすっかり人生ウクレレさ。まったく、とんでもない演奏もしていた。
 ぼくの子供たちが小さかった時、それでもって部屋から子供たちを追い出しておけたよ。だって、子供たちもジョージが朝までずっとウクレレを弾き通しだって、分かっていたからね。

Q:本当に音楽を愛している人のためなら、ジョージは演奏して見せてくれたのですね。

 ジョージは決して音楽から離れる事はなかった。最後に彼がここに来てくれた時 ― そう昔の事じゃないけど ― ギターを弾いて、歌ってくれた。彼が書いた新しい曲で、とても美しい曲だった。
 「この曲、仕上げて欲しいな。それで録音しようよ。」とぼくが言うと、ジョージはそうは思っていなかったらしくて「うんまぁ、そのうちに。」と答えた。
 でも彼はこうも言った事がある。「ぼくはソロのキャリアを追い求めてはいないんだ。All things must passはビートルズから離れる事への答えだった。ぼくはあの時何かをしなきゃならなかった。」
 それをやり遂げると、ジョージは他の作品も作っていった。でも、彼はマネージャーも広報も持たなかったし、ぼくが思うに彼はツアーには全然興味がなかったんだろうな。よくぼくに、先頭に立って全部の歌を歌っているだなんて気詰まりなものだと、言っていた。そういうのは、ジョージには楽しい物じゃなかったんだろう。

 ジョージが一番誇りに思っていたのは、ビートルズだ。ビートルズはポジティブなメッセージを発信していたんだって、彼は言っていた。ジョージはポップ・ミュージックとか言われているものには、ぞっとしていたね。ある時、彼はインド音楽にのめり込み、ロックンロールは過去の物になったんだ。ぼくは、ジョージが1957年くらいから以降のロックには大して興味がなかったと思うよ。
 ドイツ・ツアーの時、彼がぼくを訪ねてきた時の事を思い出すよ。ジョージはステージ脇に来て見てたんだけど、どうも居心地が悪かったらしい。彼は言い残して行ってしまった。
 「騒々しいし、煙いし、なんだか皆イカレてるし。気分が良くなったら戻ってくるよ。」

Q:今日、車であなたとジョージが共作したCheer Downを聞きました。このタイトルはどこから来ているのですか?

 ジョージがゴキゲンになり過ぎた時に、オリヴィアが言っていたんだ。ジョージが有頂天になると、言うのさ。「はいはい、お兄さん。Cheer down.」

Q:1999年にジョージが自宅で襲撃された時、オリヴィアがジョージを守った事は印象深かったですか?

 あの話を聞いた時、ぼくはジョージに「メキシカン・ガールと結婚して良かっただろう?」ってファックスしたよ(笑)。オリヴィアは本当に奴のケツを蹴り飛ばしてやったんだ。彼女は本当に素晴らしい女性だよ。ジョージの息子ダーニも素晴らしい子だし、大人になった。ぼくはつい最近彼に会ったよ。本当によくやっている。すごく強くて、やる気があるんだ。
 オリヴィアは世にも難しい事をやり遂げた。だって、彼女はぼくらの誰よりも深くジョージを愛していたのだからね。彼女は本当によく彼を看病したし、陰になり日向になり、彼を助けた。そしてあのクレイジーな生涯を引き継いだんだ。

Q:ジョージの精神的な思想は、過酷な最後の日々に向き合うのに、助けになったと思いますか?

 とてつもない程の、助けになったと思う。彼は真に勇気のある男だったし、偉大なる尊厳を以って死んで行った。それは、あの晩侵入者に刺されて死んでしまったりするよりも、ぼくにとっては余程心休まる事だよ。彼が刺されて死ぬような事になっていたら、ぼくがそれを受け止められたとは、到底思えない。
 ぼくはジョージにそう言ったよ。(ジョージがさされた時)テレビを点けたら彼が刺されたってニュースをやっていて、まるで死んでしまったみたいな騒ぎだった。テレビは彼の生涯みたいのをどんどん流していたんだ。
 そんな事があってから、ぼくはジョージに言った。
「君が死んじゃったみたいなものを、とりあえず体験したけど。お願いだから、あんな風には死なないでくれ。そんなの絶対、ぼくには耐えられないから。」
 彼はそうはならないと、約束してくれた。

Q:亡くなる少し前、彼は心配しないでと声明を発表しましたね。あれは彼独特のやり方なのでしょうか?

 言わせてもらうけど、彼の晩年においてマスコミは良くはしてくれなかった。彼は一生の殆どを、連中に追い回されていたんだ。どうにかしようとしていたけどね。特にヨーロッパでは、ジョージは平穏な時間を持てなかったんだ。家から出ると、ヘリコプターがくっついて来るんだから。領空ってやつがあるんだろう。君らが金を払ってやっている連中だよ。ジョージはそういうのに対して何度も散財して対処した ― そう、過剰支払いさ。
 もジョージは、苦痛や怒り、憎悪から得る物なんて何も無いってまず言っていた。苦痛や悲観主義は物事の解決を遅らせるだけだって、ぼくは何度ジョージに教わったか分からない。彼はそうやって生きていた。ジョージって人は、五分間は抱きしめないとお別れしないタイプだったし、どれほど相手を愛しているかって事をちゃんと言う奴だったんだ。ぼくらはそんなお互いを良く理解していた。

Q:どうやら、彼との関係はあなたにとって特別な物だった様ですね。

 ああ、ぼくは本当に幸せだよ。自分の母親が死んだか何かの時以外で、これほどまでに誰かの傍に居た事なんてないんだ。彼がただの一音も奏でなかったとしても、ぼくは彼を本当に愛しただろうし、ぼくの人生に彼が居てくれた事に感謝しただろう。
 週末にかけて彼の死は君の胸にこたえるだろうね ― ああ、そうさ ― 全世界がそんな風に思うんだ。みんなそれぞれ彼の事を知り、その死を悼んでいるんだ。これってとても辛い事だよ。二重の意味があるんだからね。ぼくはぼくの友達を悼むと同時に ― 他のみんなとおなじように彼の大ファンなんだから。彼に知り合えるなんて、ぼくは本当に幸運だ。

 ジョージは愛でいっぱいだった。彼が旅立ってしまって余計に感じるんだ。彼は純粋な愛そのものだと。
 ぼくの娘のエイドリアはイギリスに行った時よくジョージの所を訪ねた。しょっちゅうフライアー・パークに泊まっていたんだ。このあいだの夜、エイドリアがぼくに教えてくれたよ。ある晩、ジョージとエイドリアは庭を歩いていて、彼が言うんだ。
 「ああ、エイドリア。ぼくは時々、一筋の光になって消えて行く事が出来たらなと、思う事がある。」

Q:恐らく、その通りになった。

 そうだね。多分そうなったんだよ。

Q:あなたが良く知っている彼について、ジョージ・ハリスン・ファンに理解しておいて欲しい事はありますか?

ぼくはジョージって人が、ファンが思い描く通りの素晴らしい人だって事を保証するよ。そして、それ以上だともね。


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