1999年10月8日から10月10日


丹沢湖から道志に向けて

久しぶりのオフキャンでSTUDIO yassyことヤシマ マサミさんと
道志の森キャンプ場で落ち合うことにしました。
マサミさんはMTBで10/9に現地入り、僕も10/9に
道志の森キャンプ場に到着予定でした。






 バスに乗り遅れ、次のバスが3時間半待ちとなり、
 
とりあえず 一番元気なときの私です。この時点では
 
10/11まで道志に いる予定でした。
 JR御殿場線
谷峨駅の前の一コマです。

 この後に、辛い辛い道のりがあることも知らず丹沢湖
 
に 向かって歩き始めたのです。

  ここから、8月に事故があった、玄倉 まで歩くことに
  しました
が、結構登りばかりできつかったですね。

 時期と場所から寒いことを想定し、衣料品、ストーブ等
 
冬仕様に したこともあり、パックの重量が20kgを超
 
えてしまい、これも失敗の原因の一つと言えそうです。

 玄倉 に向かって登りを歩くことになり、バス停での
 1コマです。

 バスに乗れなかったことが、後々までの疲労につ
 ながるとは この時点では、知るすべもありません
 でした。

 玄倉川が丹沢湖に注ぎこんでいる地点です。

 ここまでにして奥には入りませんでしたが、面影も
 無く穏や
かな 玄倉川でした。ただ、写真にも写って
 
いますがダンプカーが ひっきりなしに往来し、
 まるで港の浚渫をするかの
ようにユンボで 掘って
 いました。

 上流から流れ出た土砂を運んでいたように 思います。

 やはり山奥に入ると色々な生物にお目にかかります。

 種類はわかりませんでしたが、丹沢湖の外周の道路
 で見か
けた 蛇です。

 他にも中川温泉の道路にサルが下りてきていましたし、
  登山道でもサルを見かけました。

 まだまだ日本の自然も捨てたもんじゃないですね。

 杉の植林を抜ける途中ですが、枝打ちが終わって
 登山道も チョット分かりにくくなっていました。
 コースを少し間違えなが
らも 初日の宿泊地の
 中川温泉上流から歩いてきました。

 歩いているときは汗だくですが、休むとひんやりした
 風で
気持ちよく 風邪を引かないように注意しなけれ
 ばいけない
くらいです。

 10/9 地蔵平での昼食です。これから信玄平を抜けて
 城ケ尾峠に向かう直前です。

 今回は3泊4日の行程なのでガスではなく白ガスで、
 PEAK1
のマルチフューエルストーブにしました。
 食事はアルファ米
、スープ、 ビーフジャーキーなど
  軽量な食材にしました。

 それでも、荷物は重くなってしまい寒い時期は軽量化
 の難しさ
を、痛感した今回のBPです。

 城ケ尾峠へ向かう道で、尾根に入る道を見落として
 巻き道を
進んでしまい、おかしいと気付いたときに 
 
元に戻れば よかったものを、今思うとおかしなこと
 に、尾根道を探して藪に入ってし
まいました。

 かなり上まで登ることは出来たんですが、重い 装備
 を背負っての行動のため、疲れ果ててしまい、水も
 乏しく移動を断念し、斜面にテントを張り一夜を明か
  すことにしまし
た。

 この場所では、かろうじて携帯電話が届いたので
 連絡を
取ることができたのが救いでした。 

 ほんとうに斜面は寝にくいですね。

 翌日は水を使わなくても食べれるもので朝食を済ま
 
せて、 早々に下山開始です。
 もと来た道に戻ることをしました。

 只、水が底をつく寸前だったので、下山しながらも
 水場を探しながら降りて行くとありました。
 生き返りました。

 こんなにも水が無いと言うことが怖いものだとは思い
 もしませ
んでした。
 写真では分かりにくいですが、沢にもならない湧

 き水が 流れ出ているところです。

 気を取り直して、見つけた尾根道を進むことにしました。

 疲労が抜けきれていないせいか、水の摂取量が思った
 より多
く、 水の量を注意しながら進み、城ケ尾峠目前ま
 で行ったの
ですが、 またしても道が見つけられないの
 
です。

 何ヶ所か進んで見るのですが、方位がおかしいことに
 気付き元に戻る
の繰り返しでした。

 またしても、水が底をつくことになり、最後の決断で
 城ケ尾峠
越えを 断念し、ここからは携帯電話で道志の
 森キャンプ場に
連絡を取り、 戻ることをマサミさんに
 伝えてもらうようにお願い
し、下山しました。

 下山する前の、疲れ果てた一コマです。

残念ながら、携帯電話という文明の力の世話になった後悔の残る日々でした

 

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