ひとこと8

2000年12月31日(日)「20世紀最後の大晦日」
 20世紀最後の大晦日となりました。思えばいろんなことがありました。
20世紀に生を受け、幸にも21世紀を迎えることができました。
つくづく健康であることの幸せを感謝せずにはおれません。

 来る21世紀の来年にも、私の夢「旅」を目指して健康でありたいと願います。
そして、世界が平和でありますように祈ります。
by S. T.

2000年12月26日(火)「迷子になった私・・・遠い日を思う」
 先日(12月23日)息子ふたりと連れだって近郊の大型電気店をハシゴしてきました。
連休とあって、当日店内はたくさんの人出。ちょっと目を離したすきに彼らを見失ってしまいました。

 瞬間“どうしようか”と考えました。
エスカレーターの近くでしばらく待ちました。一向に彼らは現れません。
“置き去りにされたのかもしれない”ちょっと不安がよぎりました。
“さあて、今度はどうしよう? ”と考えたとき、遠い昔を思い出しました。

 鳥取砂丘で迷子になった息子たち、彼らは小学2年生と4年生でした。
あまりの広さに浮き浮きしたふたりはアッという間にかけだして粟粒と化してしまったのです。
探すのにどれくらいの時間がたったのか覚えていませんが、とにかく必死で探しました。
ところが、あきらめて車のところに戻って来ると彼らは、ちょっと不安そうに車のそばで私たちを待っていました。

 確かに“車のそばにおれば必ず親に会える”と考えたのでしょう。
まあ、よく考えたものだと感心するやらホットするやら、でも、彼らの軽率な行動を叱っていました。

 そんなことを思い出して私も彼らと同じように車のそばで待ちました。
そして、同じように“勝手に動いた”と言って叱られました。
by S. T.

2000年12月25日(月)「Pasoに私の記事が・・・」
 朝日新聞発行の超ビギナーズ版「ぱそ」を購入し始めて半年になりました。
ところがいまひとつ私が理解できない記事が多く、そのことを「ぱそぴーぷる」に送りました。

 先日雑誌の「ぱそ」(2001年2月号)が挨拶状とともに送られてきました。
もしよかったら読んでみて下さい。
by S. T.

2000年12月25日(月)「アンデスの声に思う」
 今朝ラジオを聞いていると「宣教師の尾崎ご夫妻が1964年以来、南米エクアドルで30年余続けてきた短波放送を高齢化と資金難でうち切る」ことがと伝えられました。 確か3〜4年前、NHK教育テレビのETV放送番組で放映されているのを視聴しました。

 我が家の息子たちが小学生だったころ、BCLにのめり込んで各国の短波放送を聞いてはカードをその国へ送っていました。
その中に「アンデスの声」の存在があったことを思いだしました。

 さっそく私は、そのエクアドルの尾崎ご夫妻に手紙を出しました。きちんと返事がもどってきました。
私はとても感激しました。そして遠くにあって、その人柄を忍びました。

 実は、南米各地に点在する地に、かって多くの日本人が入植しました。
かの地で多くの苦難を乗り越え生活をしている日本人たちに唯一、ラジオの短波放送を通じて連絡を取り合おうと言うことがねらいだったようです。 ほんとうに、地味な活動でしたが南米各地に住む日本人たちの心の支えになったことでしょう。

 それが、いま終わろうとしているのです。
我が家の息子たちと関わってきた「アンデスの声」そして、その一旦に触れた私は感無量です。
by S. T.

2000年12月16日(土)「せせりを食べました」
今どきの若い人に分かってもらえるでしょうか?
 この頃は、公文教室に出かける前に帰宅したらすぐ食べられるように、すべてを整えてから出かけるようにしています。

 昨日は、おでんを作り保温鍋に入れ、あとは電気釜のスイッチを入れるだけ・・・。
7時半に帰宅してみるとご飯は炊けていませんでした。がっくり。
あわてて、もうひとつの保温鍋でご飯を炊きお焦げを作ってしまいました。
そこで、“せせり”を食べる結果となりました。

 昔おいしく食べた記憶があるのですが、いまひとつでした。贅沢になったのでしょうね。
by S. T.

2000年12月12日(火)「策に溺れる?・・・クリスマス・カード」
 いま、英語を習っています。そこで、今年こそは楽々と(?)英文で書いて出せるかな?と思い挑戦してみました。
 ところが、え〜っと、現在形?、過去形?、進行形?、過去進行形?、果ては不定詞かな、感嘆文も入れたいしなどなど。「どれにしようかな症候群」。  ああ、やっぱり分からない!。

 でも、プリントの束(公文式英語)、辞書、学生英文手紙用語辞典、英文レターライティング・ハンドブックなど山ほど積んで、 堂々と(間違っているかもしれないけれど)海外へのメールを書き終えました。

 やはり、昨年より早く仕上がったように思います。なにしろ、スペルがスイスイと出てきます。そして、曲がりなりに文の構成が頭に残っているようです。 イギリスに住む私の友人(30歳くらい)にも英文で書いてみました。
NZに住むイギリス人のホワイトさんにも、ほとんどカタカナを使わず英語にしました。
by S. T.

2000年12月11日(月)「スイス、ネパールからの2通の手紙」
 今日思わぬところから手紙を受け取りました。
スイスからは「お元気ですか、世代交代の時期が来たようです。」とホテル・ベラリーから届きました。
後継ぎの息子さんを伴って広島にも来られるとのこと、来年早々広島でお会いできそうです。楽しみです。

 そして、もう1通はネパールのチトワンでガイドを勤めてくれたカマル氏からでした。
「写真を送って下さい」(彼の写真を写しました)と頼まれていたので、ついでにヤッケとTシャツなどを送ってあげました。
そのお礼の手紙なのですが11月4日にその品物を受け取ったとのこと。
私は5月に帰国してすぐ送ったのですが、今までどこかに迷い込んでいたようです。
英文で書かれていましたが、驚きと感謝の気持ちがこめられた手紙でした。

 2通の手紙を受け取り、とてもすがすがしい気持ちになりました。
by S. T.

2000年12月10日(日)「“手づくり・ゆ〜びんはがき”のクリスマスカードが届きました」
 今年も恒例の“クリスマスカード”が昨日届きました。
毎年楽しみに待っています。と、いうのも“手づくり”でとてもホットな味わいのあるカードだからです。

 今年は木製のおもちゃ(東ドイツ製)で“煙が出るパイプをもったサンタクロース”が描かれ、 サンタクロースの周囲をかわいい木製のおもちゃが取り囲みクリスマスの雰囲気を盛り上げている、とても素敵なカードでした。
毎年ひと工夫もふた工夫もされたものが届きます。それだけではありません、年賀状も同様です。

 私が北海道で9年前H川さんにYHで初めて出会ってから年間、節目節目に発行される“ゆ〜びんはがき”は約束通りずっと届いています。 私は今も最初に貰ったものから専用のファイルを作り“ゆ〜びんはがき”を大切に保存しています。

 ちなみに「“ドイツ、おもちゃの国の物語”川西芙沙・文、一志敦子・絵・東京書籍 」によると、 これらの木製のおもちゃは旧東ドイツ、グリューハイニヒエンで作られたものらしい。

 『その村ができたのは、ドイツ東部の開拓がはじまった12〜13世紀頃。森林開拓村だった。 しかし、石の多い、急な丘の斜面の地で、気候も厳しい。農業だけでは生活がしにくかった。人々は豊かな資源である森の木に活路を求め、木工品づくりがはじまった。 “おもちゃ職人”にもマイスター制度を導入し、技術も向上した。』
 20世紀に入り2度の世界大戦を体験、おもちゃづくりも多くの苦難な時代を経て『東西ドイツの統一から再び私営のおもちゃ会社が復活。 いずれも小企業だが、伝統受け継いだおもちゃやあたらしいおもちゃがつくられている。』

『』内は“ドイツ、おもちゃの国の物語”より抜粋。 
by S. T.

2000年12月09日(土)「誕生祝いをメールで」
 娘宅では12月に誕生日を迎えるものが3人います。最初は10日に娘、11日に娘婿、そして12日が孫娘。
このように連続して誕生日を迎えるので面白い現象だとかねがね思っていました。

 孫たちには長年「誕生カード」を送ってきました。
パソコンの時代なので、なにかいい方法で誕生日を祝ってやりたいなと考えました。

 長男に相談すると
「HTMLでいろいろ細工して出したらいいよ」と口で教えてくれたのですが、私にはさっぱり。
「ええ、どうするん?頭の中にはなにも浮かんで来んよ」と私。
私はそれ以上聞かずに誕生祝いづくりに挑戦してみました。
今まで、何度か使った方法なので、すぐ理解でき文字を大きくしたり色を変えたり段組を設定したりと楽しいメールが出来上がりました。とても満足です。
by S. T.

2000年12月09日(土)「ジョウビタキ・・・その5」
 ジョウビタキの鳴き声を最近聞かなくなりました。 日ごろから耳をすませていますが、窓を閉め切るようになり聞こえにくくなったせいかも知れません。縄張りも確定したこともあるのでしょうか。

 久しぶりに、昨日、今日と朝7時25分くらいに鳴いているのを聞きました。
5分くらい鳴いては飛び去っていきました。
ジョウビタキは今も近くにいるようなので安心しました。
by S. T.

2000年12月08日(金)「我が家のトイレを飾る花たち」
 北海道を初めて旅したとき買ってきた小さなガラスの花瓶。もう10年近くなるでしょう。
それからずっと、その花瓶に野で摘んだ草花をさして季節を味わっています。

 冬になると、めっきり草花は咲かなくなってしまいます。それでも、懸命に咲いている健気な草花を探してきます。このことが自然発見にもつながるような気がしています。

 今まで我が家のトイレを飾った草花たちは数え切れないほどです。これからも、ずっと続けようと思っています。 ちなみに、赤い花は「イヌタデ」、黄色いのは「ハハコグサ」(4〜6月に咲くといわれていますが我が家の庭に今咲いています)、 種から育てた「キキョウ」、「ブルーサルビア」など園芸種もムラサキ色で草花を引き立ててくれています。

 こちらに画像を載せています。
by S. T.

2000年12月05日(火)「感激の涙、頬をつたわる」
 12月1日広島厚生年金会館で「プラハ放送交響楽団」のコンサートがあり、行ってきました。

   演奏曲目
ドヴォルザーク:序曲『謝肉祭』作品92
ドヴォルザーク:チェロ協奏曲 ロ短調 作品104(独奏/ニーナ・コトワ)
  〜3大交響詩〜
リスト    :交響詩『レ・プレリュード』
シベリュウス :交響詩『フィンランディア』
スメタナ   :連作交響詩『わが祖国』より“モルダウ”

   フィンランドは16世紀末から19世紀初頭にかけスエーデンの支配化にあり、その後ロシアの支配を受けるという苦しい歴史を体験しました。 こうした背景の中で祖国愛をテーマにしたこの曲が生まれたということです。 悲しい辛い支配、そしてそこから立ち上がろうという気持ちが、この曲にこめられているように私にも感じとられました。

 100人を超えるかと思われる大管弦楽団の『わが祖国・モルダウ』演奏に、心を揺さぶられ酔ったような気持ちにさせられました。
by S. T.

2000年12月05日(火)「ネパールからのお客様」
 ネパールでお世話になったゲスト・ハウスのドルガさんが我が家を訪ねてくれました。
仕事を兼ねて日本に来ることになり広島へご招待しました。

 広島の街ののどかさ、山並みの紅葉の美しさに感動のようでした。
日本の大学を卒業しているので日本語はぺらぺら、接する私の方も外国人という観念もなく1泊でしたが、よい再開や出会いとなりました。

 同世代の私の娘とぜひ会いたいという希望が強く、実現の運びとなった訳ですが残念ながら充分な時間がとれかったのです。でも、いい出会いが持てたと思います。 彼女は「ぜひ、若い人にネパールに来て、物が豊かな日本人の若者にこんな生活があるのだということを知ってもらいたい。」と熱く語っていました。 私も、確かに学ぶことが多いと思います。
by S. T.

2000年11月19日(日)「老老かいご・・・に思う」
 昨日「住民福祉懇談会」の集まりへ参加してきました。
介護保険が今年4月に発足してから、さまざまな問題点が明らかにされてきたようです。

 要介護の認定を受けた人は、実施前より厚く濃いサービスが受けられるようになった反面、その判定にもれた人がゆき場を失った。
更に問題は、1時間2,700円とサービス料を算定されるため、心のケアまで手がまわらなくなったこと。
そのことから、そうした人たちはひきこもり、徐徐に元気をなくしていくという。
これは“寝たきり”となり要介護者となるという。

   いま広島市では平均世帯人員が2.3人となっているそうです。
それは、なにもないときには身軽でよいけれど、なにかが起こると、若い人の家庭、お年寄りだけの家庭を問わず解決できない事柄が発生し、多くの相談としてよせられている。
そこで、安佐南社会福祉協議会事務局長の松田泰氏がノーマライゼーション(今まで過ごしてきた地元であたりまえに生きること)なる生き方を提唱されていました。
「障害や高齢や病気でひきこもりの人たちを地域で支えていきましょう」という提案でした。

 その解決策として「生き生きサロン」をつくり、地域の人たちが集い、そして共に楽しむ。
そのボランティア活動にぜひとも名乗りをあげてもらいたい。

 それにしても、その集まりには高齢者がほとんど、私を含め「お年寄り」ばかりが目立ちました。
これでは「老老かいご・・・」となることでしょう。現にこれは、若い人たちの問題でもあると思います。
2024年には高齢者4人をひとりで支える時代がくるということです。
若い人たちにも、もう少し関心をもってもらいたいと強く感じました。
by S. T.

2000年11月17日(金)「誤字、脱字をお詫びいたします」
 ファイルに保存した文章を読んでいると、かなりの誤字、脱字、送りがなの間違いを発見しました。
読み返していないところにもたくさんあるかと思います。ごめんなさい。
by S. T.

2000年11月15日(水)「A DAY WITHOUHT RAIN/ENYA」
 昨日、「ア・デイ・ウィズアウト・レイン」というエンヤのニューアルバムCDを買ってきました。
公文式英語の学習中イージーリスニング用として買いました。
私は3年前、娘に初めて紹介してもらったエンヤの曲の数々に心打たれました。

 エンヤはヨーロッパ旅行中どこかで聴いたような初めての出会いではないような気がしました。 たしかにどこかで聴いたのでしょう。

 我が家自慢のオーディオで、まず初めに「A DAY WITHOUHT RAIN」を聴いてみました。
優しい音に包まれるようで心が解き放たれ、リラックスした心地よさを味わいました。
特に「フォーレン・エンバース」の清らかなエンヤの声、かってグレゴリオ聖歌で聴いた覚えのある透明感のある声には感動のあまり涙が出てきそうになりました。 そして厳粛な気持ちにさせられました。

 いま、パソコンのCDケースに入れて聴きながらこれを入力しています。

 このアルバム・タイトル「ア・ディ・ウィズアウト・レイン」は、 アイルランドの今年の夏は雨が多く、夏らしい夏がなかったため、 「太陽が欲しいし、日が照っていると周りの人は気が晴れて元気だから、雨のない日を想像して作った曲」だという。

 アイルランド、イギリスを旅していて私もその感を強くしたものでした。
by S. T.

2000年11月14日(火)「長之介がネパールでパソコンにとらぶっています」
 「持参した変圧器がこわれ修理がきかなかった」「コードが合わないのでインド製のもを購入した」「ブロバイダーにつながらない」 などなどのメールがフジゲストハウスのメールを通じて届いています。

 そこで、「長之介の森」のHP更新は帰国後となるでしょう。
by S. T.

2000年11月14日(火)「オイルショック以来の取り決めを破る」
 我が家では、年寄りと同居していたせいか、冬は寒くても食事以外では滅多に暖房を入れません。
まして真夏のクーラーも御法度。最近建物が混んできたので、やむなく就寝時だけスイッチを入れるようにしてきました。
それでも、それは環境にやさしいし、経費削減にもつながりいいことだと考えてきました。

 オイルショックから、我が家が「省エネ」を実行してきたもののひとつに「お風呂は1日おき」を定め、今日までずーっと続けてきました。
そのほかの日は、シャワーで寒いときもしのいできました。しかし、寄る年波に勝てずその禁を破ることにしました。
やはり、お風呂に浸かる効果が大であることを最近身にしみて体験したからです。贅沢でしょうか?
by S. T.

2000年11月14日(火)「ただ今、ネパールと交信中・・・メールのやりとり」
 ネパールに滞在している次男や、お世話になっているゲストハウスのオーナーと毎日のようにメール交換をしています。
ネパールと日本とでは時差が3時間15分ですが、時差に煩わされることなく、在不在に関わらず、いつなんどきでもメールのやり取りができるのですからとても便利です。

 次男から以下のような問い合わせがあり、私は直ちに具体的な通り名や店のあり場所を送信してやりました。
「紙箱と骨細工を買ったクラフトショップ、Tシャツ屋、その他の店の場所を詳しく教えて。風の旅行社の近くとか、通りを出て右とか、スーパーマーケットの左隣とか。」 
by S. T.

2000年11月13日(月)「ジョウビタキ;その後4」
 今日お昼12時過ぎ、南側の戸のカーテンをあけようとすると目の前にジョウビタキが2羽、我が家の庭でなにかをついばむように、ぴょんぴょんと跳ねていました。
「わぁ〜っ、いよいよ我が家に遊びに来てくれたんだ」とうれしさがこみ上げてきました。

 どうやら、もう1羽も雄のようでした。あした、また遊びにきてくれたら確かめたいと思っています。
この頃、早朝からの鳴き声が聞こえなくなったので縄張りを確定したのだろうと考えていました。

 ところが今日は、午前8時頃から鳴いていました。午後も少し遠くの方で鳴いているのを聞きました。

 ところで、ちょっと心配なのは、この通りは隣のネコの縄張りでいつも彼女が見張っているのです。
同じ場所を縄張りにしている小鳥とネコ、小鳥に被害がないことを祈ります。
by S. T.

2000年11月10日(金)「対岸の火事ではなかった」
・・・ウイルスに感染した、我が家のパソコン・・・
 11月7日国外の知人から送信されてきたメールにウイルスが添付されてきました。
「不審な添付はあけたらいけない」と聞いていたし、あけないように用心してきたつもりだったのですが、ご丁寧にも家族全員で何度も気づかずにあけようと試みてしまいました。
おかげで、翌々日気づいたときには、かなりウイルスが増殖していました。

 私がそのメールをいいように解釈して何度もあけようとしました。
一向にあかないので、それをまた次男に教えて、また試みました。

 それでも、現れない正体。そこでパソコンに詳しい長男にあけてもらおうと頼んだのです。
それが、かえって傷口を大きく広げてしまったようです。
長男は得意技をつかって、あけようと4〜5回も試みたのでした。
家族全員が4〜5回位ずつタッチしたことになります。

 その時点で、だれもウイルスの存在に気づかなかったのですからまんまとやられたのです。
私が長男に送信したメールがウイルス検査にひっかかり、ことの次第が分かったということです。

 大変お騒がせしました。お詫び申し上げます。
by S. T.

2000年11月09日(土)「こどもの気持ちが分かった?」
 これは11月7日のことでした。
次男が7ヶ月ぶりに帰省したので、どっさり持ち帰った洗濯物を洗ったり、当人が再度海外へ旅立つ準備で、あれこれと忙しそうなので私はサポート役となりました。

 そんなこんなで、私も外出、帰宅したらまた食事の準備などなど。
「今日は公文なんだけど休もうかしら」などと、こぼしていたら
「遊びたくて休みたい子どもの気持ちが分かった?」と次男。
「うん、そうね」としぶしぶ認めました。

 それでも、公文教室に行って結局は進級テストを受けて帰りました。
by S. T.

2000年11月06日(土)「ジョウビタキ;その後3」
 今朝も6時半に鳴き声を聞きました。
その後、引き続いて7時40分、8時20分と盛んに飛んできては鳴いているようでした。

 先日から双眼鏡で見ようと家のなかに入っている間に、ジョウビタキはなにかを察知するのか大体いなくなっていました。
今朝8時20分姿を確認したので、そそくさと双眼鏡をもって出て見てみると、我が家の西側の電線に止まって鳴いているのを発見しました。

 ほどなくして、2羽並んでいるのを確認「えっ、どうしたの?」とよく見ると、 いつものものとは全く違う色合いをした、ずんぐりむっくりとした体つきのジョウビタキを発見しました。

 今朝見た2羽目のは雌でしょう。
頭は黒、体全体が灰色がかっていて、翼は黒色。後を向くとお尻は丸く白色をしていました。
全体に薄汚れたような羽の色合いでした。

 一方、いつものジョウビタキは雄のように見受けられます。
 ちなみに、今日双眼鏡で観察したところでは、頭は灰色、首の回りは黒色、胸から腹にかけてはきれいな橙色、翼は黒色で一部白色の斑点模様が見られます。
尻尾は黒色とくっきりとしたしていてスマートです。

 ジョウビタキの雄を太郎、雌を花子と名づけました。
by S. T.

2000年11月04日(土)「ジョウビタキ;その後2」
 ジョウビタキはいつ頃から活動しているのだろうかと、先日来、ジョウビタキの鳴き声に耳をすませていました。

 聞き始めの時刻は、11月1日午前6時30分、11月2日午前6時30分、11月3日休日のため6時45分、11月4日6時10分頃でした。
夕方は11月3日、午後5時40分頃買い物の途中、竹藪の中で鳴いているのを聞きました。
昼間は一度、午後1時30分頃から15分くらい鳴いているのを聞いたことがあります。

 昨日11月3日午後2時半頃、我が家の西側の窓からよく見える電線に止まり、こちらに濃い橙色をした腹を見せて盛んに鳴いていました。
こうしてみると、早朝6時頃から縄張りを飛んでいるようです。
大体1時間くらいの間隔をあけて、15分くらい鳴いてはどこかへ飛び去っていくようです。
by S. T.

2000年11月02日(水)「【ふろ焚きの火で・・・】子供の頃、私も同じ体験をしたのですが!」
 ノーベル化学賞の受賞が決まった白川英樹さんが、2000年11月2日付朝日新聞に《子供は生来理科が好き》という手記を寄せられていました。 その記事にとても興味をもちました。なかでも、【化学反応の結果生まれる多義多彩にわたる物質を取り扱う化学は、複雑極まりない学問と受け取られかねない。 しかし、学ぼうという目的意識がはっきりしていれば、知識はあとからついてくるものである。】というところです。

 私にとっての英語の学習は、今まさにこの辺にさしかかっています。
一度に“どさっ”と消化しきれないほどの用法がでてきました。

 一生懸命覚えてきた(覚えようと努力)ことも、はかなく消えかかりそうな状態です。
偉大な化学者の白川さんの記事を引き合いに出しては失礼かもしれませんが、私にとっての今の英語は、“ 複雑極まりない学問 ”として写っています。
【しかし、学ぼうという目的意識がはっきりしていれば、・・・中略 】とあるので、ちょっと安心した私でした。

 【】内は朝日新聞から抜粋。
by S. T.

2000年10月31日(火)「我、遠隔操作に成功せり・・・?」
 実は以前から長男に「パソコン操作の自立」をせよと言われていました。
超初心者向けのパソコン雑誌「ぱそ」を購読したものの、それでも私には理解しにくい代物でした。
「マンガが多くて」、「広告が多くて」などなど言い訳ばかりしている私に、
「そりゃあ、理解力が足らんのよ」と一蹴した長男。
そうかなあと思いつつ、読み直してもやっぱり理解できなかった記事。
とうとう、購読を中止しました。

 ところで、昨夜遅くなって我が家のウエブ・マスターの長男に、 私が書いた記事を保存し、メールに添付して送信する方法を教わることになりました。

 いつもは、そばに来て、ひとつひとつ操作をしながら教えてくれるのですが、別室から「ことば」で教授するのです。
「あああ、間違った、どうなっとるん?、わからん!、あ、違った」などと、私はわめきながらひとつずつ言われるままに操作していきました。

 何度かの失敗を繰り返しながら、やっとその操作ができるようになりました。
「やったぁ〜、できた!」
「呼び出してみた?、それなら成功」と長男の合格のサインがでました。

 とってもうれしかった体験でした。
by S. T.

2000年10月30日(月)「ジョウビタキ;その後1」
 今日もまた、ジョウビタキはやってきました。
ひっきりなしに特徴のある鳴き声で我が家の回りを飛んでいます。
お昼過ぎ、盛んに「ぴいっ、ぴいっ、ぴいっ」と裏の畑から鳴き声が聞こえるので、そっと窓からのぞいてみると確かにいました。

 頭と背が黒っぽい色で、胸から腹あたりが橙色をしたジョウビタキでした。
去年と同じ個体かどうか分かりませんが、そうであって欲しいなあと思いました。
なんとなくロマンを感じるからです。
by S. T.

2000年10月27日(金)「ご近所さんが・・・」
 昨日、近所のTさん宅の前を通りかかると「妹がね、“インターネットでHPを見ていたら、どうも、ここの子どものことらしいことが書いてあったよ”と聞いたんだけど」
「そうなんよ、挨拶をきちんとしてかわいいお子さんだから載せたんよ」と私は答えました。
「HPで、いろいろ読んだことも聞いたけれど、いいね」と話してくれました。

 HPを開設したときには、まだまだ一般化していなかったので遠くの人しか読んでいないと思っていました。
もう、ご近所の戸口まで聞こえるようになったんだなと急速なITの「進化」?に驚くとともに書くことにも配慮がいることを実感しました。
by S. T.

2000年10月25日(水)「ジョウビタキが今年もやってきました」
 2、3日前、裏の畑で聞き慣れない小鳥の鳴き声を聞きつけました。
「あれ? ジョウビタキ?」と半信半疑で耳を澄ませてみたけれど正体を見つけることができませんでした。

 昨日の朝、我が家の東側に張られた電線に止まって、先ほどから例の鳴き声がしてきました。
そ〜っと、2階のカーテンがかかった窓ガラス越しに、こっそりのぞいてみました。
確かに大きさといい、鳴き方といいジョウビタキのようです。
しかし、彼は東側の光線の中に包まれたように鳴いているので色あいを確認できませんでした。

   そうしている内に、小鳥はこちらの気配を感じ取ったようで逃げて行ってしまいました。
あしたも、縄張りを確保するためにやってくることでしょう。これから毎日が楽しみです。
by S. T.

2000年10月24日(火)「初めてのインターネット・ショッピング体験」
 前々からインターネット・ショッピングにトライしてみたかったのですが、いまひとつ業者への不信感もあり躊躇していました。

 今回、何度かハガキを使っての購入で業者が安心であることを確認したので、インターネット・ショッピングに踏み切りました。
なかなか、セキュリティもしっかりしていたので安心しました。
発注した品物が届くのが楽しみです。これは、私が15年前に予想した姿でした。
by S. T.

2000年10月24日(火)「我が家内でもメール交換はじめました」
 このごろ、めっきり忘れぐせがついた私です。
長男が仕事から帰って知らせたいことをずいぶん前から、メモしてテーブルにおいておきました。

 小さなメモ用紙なので、ちょっとした風で吹き飛ばされそうなので、メモを挟んでおくなどの注意がいりました。
(これは子どもたちが小学校へ通うようになってから、づっと続けてきたクリップ交換ばさみ)

 ときどき長男からメールアドレスなどを転送してもらっていました。
そこで、思いついたのがメールです。早速今日から、大切なことがらをメールすることにしました。
by S. T.

2000年10月18日(水)「物忘れ外来」
 驚きました。病院に、こんな科があるのですね。
朝、生島ヒロシ氏DJのラジオ番組「おはよう一直線」を聞いていたところ、「物忘れ外来」の先生が興味のある話をしていました。

1、物忘れを防止するには、糖尿病などの病気にかからないようにする。
2、記憶のトレーニングをして頭に余力をつくっておくこと。

具体的には次のようなことです。
 仕事以外でも新しいことに挑戦すること。
 メモをとる。
 何度も思い出す。
 反復してたたき込む。
 トレーニング、強化して覚えておく。

 ならば、公文式英語を学習することは、物忘れ防止に最もよい方法のひとつだということです。
となると、公文式英語の最終段階まで学習していかななくてはならないのでしょうか?。
by S. T.

ひとこと1(1996/12/30〜) ひとこと2(1997/04/21〜) ひとこと3(1998/03/07〜)
ひとこと4(1999/02/07〜) ひとこと5(1999/06/30〜) ひとこと6(2000/01/01〜)
ひとこと7(2000/06/03〜) ひとこと8(2000/10/18〜)

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