1784年にジェームス・ワットの弟子のウィリアム・ムードックは、高さ30センチほどのアルコール焚きの蒸気で走る車の模型をつくった。模型はうまく動いたが実用化に当たってジェームス・ワットは、蒸気ボイラーの圧力を上げる必要があるがそれは非常に危険だとこれ以上の研究を禁じたと言われる。蒸気機関の動力化に当たって、シリンダー機構の重要な発明を彼は残した。
もう一人の天才、リチャード・トレビシックはムードックの模型の重要性を見逃さなかった。そして、最初にムードックと同じように小さな模型をつくり、直径30センチの車輪を回す実験を行った。次に1800年に入ったことには、すべすべした車輪でもスムーズな路面をそれなりの勾配があってもスリップせずに駆動力が伝わる事を確かめ、最初の蒸気車をつくった。これは、直径2.5メートルもある巨大の駆動輪と縦型ボイラーを持っていた。初めて人間が乗る事ができる蒸気車が誕生し、時速13キロで走った。
1804年に最初のレールの上を走る蒸気機関車をつくった。鉄10トンと70人の人間を乗せて14.4キロの距離を4時間かけて完全走行に成功した。200キロの石炭を消費したと言われる次に、十日後には、25トンの貨車も牽引している。しかし、重さ5トンもある機関車に馬用のトロッコのレールは耐えきれずやはり実用上は困難であった。
この巨大な機関車には、直径2メートルのはずみ車がついている。これは1秒半に一回転し、1回転で2.8メートル動いた。弾み車から動輪には歯車で力が伝達された。自動給水装置やシリンダーの動きに合わせて左右に交互に蒸気を送り込む弁装置など基本的な機構はすべて完備していた。ただし、車輪は、現在のリム付き車輪ではなく、馬車と同様の形をした車輪であった。
この次に従来の歯車式からクランク式の動力伝達機構を持つ機関車をつくったが、これも実用されなかったが、この機関車がスチーブンソンの注意を引くところとなった。