「音楽と現代」ショスタコビッチ編


ドミトリ・ショスタコビッチ(1906-1975)死去1年 1976.9.25 ソビエト連邦

ショスタコビッチの肖像の背景には、交響曲第7番「レニングラード」のスコアが描かれている。ナチスドイツはユダヤ人絶滅策を取ると同時に1941年9月8日にレニングラード包囲戦を開始した。同年10月2日にはモスクワ大攻勢に出た。その後、「冬将軍」の到来により戦線は長期化し泥沼化した。後方からの物資輸送を軽視したドイツ軍は、持久戦が続くにつれて苦しい戦いとなっていった。1942年8月23日にドイツ軍はスターリングラード総攻撃のかけに出るが裏目に出て20万人のドイツ兵がソ連軍に包囲され1943年の2月2日、ドイツ軍はスターリングラードでついに降伏した。交響曲第7番「レニングラード」はドイツ軍の包囲が続いている1942年に作曲され、数百ページの楽譜は、マイクロフィルムに複写され、ドイツ軍の包囲網をかいくぐって潜水艦でアメリカに運ばれ、当時の反ファシズム的な立場を取っていた大指揮者アルトゥール・トスカニーニの指揮NBC交響楽団で初演され、全米に放送された。曲は、例の有名な「チチンプイプイ」のテーマで始め、様々な変奏を経て大きく盛り上がりナチスドイツの容赦ない進軍を戦車のキャタピラー音を模倣した音形を 伴い盛り上がって行く。ソビエト人民の力強い抵抗のテーマが最後には勝利し、最後は圧倒的な勝利の歌でしめくくられる。楽譜に引用されているのはこの勝利の部分だと思われる。

 ショスタコビッチは、まさに第2次世界大戦の嵐と後の米ソ冷戦、スターリンに始まる社会主義による「芸術弾圧」にも耐えた。20世紀の苦悩を身を持って体験した作曲家だった。作風は、これより前のプロコフィエフや、ストラヴィンスキーと比べても保守的でいわゆる「社会主義リアリズム」路線の枠から逸脱出来なかったものの、ソ連が崩壊後に彼の作品を改めて聞き直すと我々がこれから直面しようとする問題を強く思い知らされるのだ。


この曲を初演したトスカニーニは、1867年にイタリアで生まれ、1957年アメリカで死去した。本来ならば感情的な演奏を嫌い楽譜に忠実な指揮ぶりで知られるのであるが、この初演時に録音されたLPレコードの演奏を聴くと大変な感動を持って演奏している。晩年、トスカニーニはこの演奏の事を恥じたと言われる。

イタリアで死去10周年を記念して発行された切手。(1967.3.25発行)


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